
「小間使いの日記」 衣装とそれを纏うレア・セドゥが美しい

(別題:あるメイドの密かな欲望)
あらすじ
女性セレスティーヌ(レア・セドゥ)は、メイドの紹介所に登録していて、新しく紹介された田舎の屋敷で働き始めます。そこでは、気難しい女主人(クロティルド・モレ)にいじめのような小言を言われ続ける毎日で、かつその主人(エルヴェ・ピエール)も、以前にメイドを妊娠させたほどの好色漢で、彼女は執拗にちょっかいを出してくる主人に悩まされていました。その屋敷には、料理女のマリアンヌと庭師のジョゼフ(ヴァンサン・ランドン)も住み込みでいました。ジョゼフは不愛想な男ですが、セレスティーヌとジョゼフはお互いに興味を覚えます。
セレスティーヌは、今までのメイド生活でいろいろな場面に出くわしていました。ある女性のメイドだった時には、その女性が隠し持っていた大人のおもちゃが税関で見つかったこと。老齢の女性のもとで、病弱な孫の面倒を見ていた時、体の関係を持ってしまうと、行為中に喀血して死んでしまったこと。街で高級娼館に誘われたこと。高慢な主人の雇用を即座に断ったこと、などなど…。そのような経歴の中で得た仕事中に、母親が亡くなったという知らせが入り泣き崩れますが、主人からは冷たく、それでも仕事はしてねと言われるだけでした。
ある晩、セレスティーヌはジョゼフから、カフェ経営のアイデアを持ちかけられます。自分と結婚してこの屋敷を抜け出し、ジョゼフのカフェで主人をしながら男に媚を売ろうというものです。セレスティーヌはその場は保留しますが、後日同意し、ジョゼフとセレスティーヌは、資金源として屋敷の高価な品物を盗み出します。そして、その事件は迷宮入りしました。ジョゼフは暇乞いして屋敷を去り、残されたセレスティーヌはしばらくの間、女主人といい関係を築いていきますが、やがてジョゼフが迎えに来ると、セレスティーヌは主人に暇を告げ、迎えに来たジョゼフとともに、移住先に向かうのでした。

オクターヴ・ミルボーは19世紀末を主に活躍したフランスの作家。ブルジョワに対する嫌悪感が強く、この作品では、召使を奴隷制度と見立て、ブルジョワの道義的腐敗と、虐げられる召使を描いていく小説とのことです。かつては、新潮文庫や角川文庫でも出ていたらしいので、探せば読むことができると思います。召使は、真人間とは認められず、主人によって気まぐれにこき使われ、セックスワーカーでもあり、常に侮辱され、疎外される存在という風に主張される小説とのこと。
小説を読んでいないので、解りませんが、映画を見た感想としては、確かにこのようなことをされてはいるものの、レア・セドゥの演じる小間使いもなかなか強く、この文字で書かれたほどの激しさは感じられませんでした。時代が変わってかなり穏やかになったのでしょうか。セレスティーヌとて、だてに召使をやってきた訳ではなく経験を積み重ねており、ブルジョワへの憎悪をもって、対処していきます。その仏頂面と、激しい捨て台詞がなかなか爽快なのです。
そういった生活を長々と送って、閉塞感を感じるセレスティーヌは、内容はともあれジョゼフと結婚し店の女将に納まるという誘いが、絶好の転機と思えたのかもしれません。即答はしませんが熟考して、今の境遇から抜け出すべく承諾し、馬車に乗った時は新たな決意を語っていました。映画としては、目標の定まらない作品になっていたように思います。元来の小説の主張と、美意識に走った映像がうまく溶け合っていないような。難しい物語は置いておいて、美しい衣装を着たレア・セドゥを見るという事に集中して楽しみを見出した方がいいのかもしれません。映像は非常に美しい映画です。
2020.2.4 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞