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「奇跡の丘」 マタイによる福音書の忠実な再現

Gayo!を見ていると、バゾリーニの作品が出ていましたので、早速この機会を逃さず鑑賞してみました。1964年の映画で、聖書の基づく映画です。監督は、ピエル・パオロ・バゾリーニ。イタリア・フランス合作で、ヴェネツィア国際映画祭でノミネートされ、審査員特別賞及び、OCIC賞を受賞。オスカーでは、編曲賞・美術賞 (白黒)・衣裳デザイン賞 (白黒)にノミネートされました。
Il vangelo secondo Matteo (1964)

あらすじ
ベツレヘムのヨセフ(マルチェロ・モランテ)の婚約者マリア(マルゲリータ・カルーソ)は、処女のまま身籠ると、驚いたヨセフの前に天使が現れ、マリアは聖霊によって懐妊したことを告げ、そのまま結婚し、その子をイエスと名付けなさい、と告げました。やがて、イエスが生まれると、神の子誕生を恐れたヘロデ王(アメリゴ・ベヴィラッカ)は、ベツレヘム周辺にいる2歳以下の男の子を全員殺害するよう命じますが、事前に現れた天使により、一家はエジプトに逃れていました。時は流れ、ヘロデ王も亡くなり、天使がイエスに、イスラエルに戻るよう告げると、ガリラヤで成人したイエス(エンリケ・イラソキ)は、洗礼者ヨハネ(マリオ・ソクラテ)の洗礼を受けました。

その後、イエスは40日間の修行を経て、人々に神の教えを説き始め、漁師のペテロ(セティミオ・デ・ポルト)から始まって12人の使徒を連れて、ガリラヤを巡り、教えを広め、数々の奇跡を行っていきます。しかし、長老や司祭、律法学者など、イエスを快く思わない者も少なくありません。ヨハネはヘロデ王の王子ヘロデア(フランカ・クパーネ)の娘サロメ(パオラ・テデスコ)の指示により、処刑されました。そしてイエスは自分もいずれは、彼らに処刑されるであろうと告げ、エルサレムを目指します。エルサレムに着き、使徒と共に食卓についたイエスの元に“ベタニアのマリア”(ナタリア・ギンズブルグ)という女性が現れ、イエスに高級な香油を注ぎ、ユダ(オテロ・セスティリ)は、香油は売れば貧者に施せると咎めますが、イエスは「女は良いことをしている」と諭しました。

イエスは長老や司祭たちの批判を行い、使徒と共に最後の晩餐についたイエスは、この中に裏切り者がいることを告げます。イエスの預言通り、ユダは銀貨30枚でイエスを長老や司祭らに売り、イエスはピラト総督(アレッサンドロ・クレリチ)に引き渡されました。ゴルゴタの丘に連行されたイエスは十字架に磔にされて処刑されました。自らの行いを悔いたユダはその後自殺します。その死を嘆く老母マリア(スザンナ・パゾリーニ)や11人の使徒の前に再び天使が現れ、ガリラヤに行けば会える、と告げました。そして、処刑から3日後、イエスは預言通りに復活し、マリアや11人の使徒の前に姿を現したのでした。



奇跡の丘

「マタイによる福音書」の忠実なの映画化作品という事です。聖書を読もうとトライすると、最初に読むのがだいたいこれになると思うのですが、私の場合はまずいきなり出てくる系図を頭に入れようとして、いつも挫折していたと思います。映画ならすんなり頭に入るだろうと、気合を入れて鑑賞。さすがに、長い人生の中で、どこかでお目にかかったエピソードが続くのですね。美しい映像や、インパクトのある映像が連続します。村の赤子をことごとく殺しに来る場面とか、衝撃的でもあります。聖書の物語が、たいへんリアルに描かれていきました。音楽もしっかりと盛り上げていきます。

素人俳優で制作した映画とのことですが、素晴らしい演技が引き出されていました。そして、素晴らしいリアリズムで、感動を呼びおこしていきます。まずマリアが印象的、そして天使の登場。これは美しく、さらに十二使徒の一人一人が特徴的でした。ユダが執拗に写される回数が多く、印象付けられます。私は大多数の日本人と同じで、宗教とは中途半端な付き合い方しかしていませんし、キリスト教系の幼稚園とか、中学校くらいまでは、英語の勉強のため、教会に通っていた程度の、言わば頭の付き合いで、生活の中に入っていませんが、映画を見ながら、西欧の文化はすべてここからきているのかと考えていました。

キリスト教は、芸術の方面で、歴史と伝統のあるサポートがあり、映画にしろ音楽にしろ、キリスト教の浸透に重要な役割を果たしていると思います。キリスト教徒でなくても、この物語を知っている人がとても多いという状態になっています。このような映画や、古くから作られている音楽や劇など、文化と融合して根付いていることを感じます。それがまた劇的であり、感動的なのですね。ひところアマチュアの演奏会によく通っていましたが、ママさん合唱団が「ヨハネ受難曲」を歌い上げるのを聞いて、なんと感動した事でしょう。などと、長い歴史の重みを映画を見ながらの感じていました。

2021.2.13 HCMC自宅にてGayo!よりのパソコン鑑賞
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「わらの犬(1971)」 暴力のマグマが絶え間なく蓄積する

Gyao!の、キネ旬ベストテン作品特集からの鑑賞です。今回は、「わらの犬」。1971年の映画で、監督はサム・ペキンパー。キネ旬5位でした。オスカーでは劇映画作曲賞にノミネートされました。イギリス・アメリカ合作です。
原題:Straw Dogs (1971)

あらすじ
数学者のデイヴィッド(ダスティン・ホフマン)は、アメリカ生活の喧騒を避け、妻エイミー(スーザン・ジョージ)の故郷であるイギリスの小さな村に引っ越してきました。村はずれのエイミーの実家の修理の為、エイミーの幼馴染のメンバーを修理工として雇い、屋根の修理にかからせます。村は閉鎖的で、二人は好奇の目で見られますが、デイヴィッドはそれほど気にしていませんでした。エイミーは、研究に没頭して取り合ってくれないディヴィッドの気を引こうといろいろな行動に出ますが、それは却って修理のメンバーの気を引くことになり、デイヴィッドをもイラつかせていきます。ある日、デイヴィッドはスコット少佐と、牧師夫婦の訪問を受け、歓迎会を兼ねた親睦会に誘われます。そして、エイミーの猫がクローゼットの中で死体で見つかると、エイミーは修理メンバーの仕業だと、疑い始めました。

エイミーは、デイヴィッドに犯人の解明を頼みますが、デイヴィッドは強く出られず、その上彼らと一緒に狩りへ行く約束までさせられ、エイミーはますま
す不満が募ります。翌日一緒に狩りへ行ったディヴィッドは、持ち場に留まるように命令され、その間に彼らは留守宅でエイミーを犯しました。狩場に残されたままのディヴィッドは怒りを感じ、翌日彼らをクビにしますが、エイミーは起こったことを打ち明けられません。そして、夜の親睦会で、エイミーは再び彼らに会って気分が悪くなり、デイヴィッドと一緒に帰ります。その頃、知的障害のあるヘンリー(デビッド・ワーナー)が、村の娘を連れ出して騒ぎになり、ヘンリーは気が動転し娘を絞殺して逃亡したところを、デイヴィッドにはねられます。デイヴィッドは怪我をしたヘンリーを自宅に寝かせ、すぐに医者を呼びました。

娘の父親であるトム(ピーター・ヴォーン)と仲間たちは、ヘンリーの居場所を知ると、ディヴィッドの家を取り囲みます。デイヴィッドは医者と警察が来るまでヘンリーを渡さないと答えます。腹を立てたトムたちは暴れはじめ、スコット少佐が来て、収めようとしますが、トムははずみで少佐を撃ち殺してしまい、彼らはこれを契機として家の中デイヴィッドたちの命も狙い始めます。デイヴィッドは戦う覚悟を決め、ヘンリーを差し出そうとするエイミーも力づくで協力させ、人が変わったように次々とトムたちを殺していきました。そして、デイヴィッドは呆然とするエイミーを家に残し、ヘンリーを車で送っていきます。そして「帰り道がわからない」と言うヘンリーに、「僕もだ」とディヴィッドは答えるのでした。



わらの犬(1971)

冒頭から異様な雰囲気が漂う映画です。まず、妻の故郷というこのイギリスの田舎町ですが、アメリカから来た異邦人を、よそ者として見る雰囲気が特異で、そもそも数学者ということに対して変人を見るような感じです。そして、車庫の屋根の修理に来ている男たちは、虎視眈々と妻を狙っていて、いつも二人の行動を注視している上、そもそも夫婦の二人の折り合いが悪く、妻はおよそ学者の妻とは程遠い雰囲気であり、夫も独特の意固地さを持っているようです。その夫ダスティン・ホフマンが弱気でありそうで、切れやすそうな、微妙な性格をうまく演じていました。

圧巻は、ラストに向かって突き進んでいく、暴力のマグマの蓄積でした。偶然が新たな火種を呼び、エスカレートしていく展開。このようなバイオレンスは見慣れた場面ではありますが、冒頭からの違和感の蓄積や怨恨の蓄積が、実際の暴力場面以上に、インパクトの強いクライマックスになっていると思います。その上もともと上手くいっていない夫婦関係で、その連携の悪さがさらに緊張感を高めていきました。妻は言わば土地の人で、夫は事実も性格も異邦人という関係。これがバトルの中で一つの不確定要素となっていきました。見事なクライマックスでした。

やはり、ダスティン・ホフマンは素晴らしいと思います。スーザン・ジョージも、この町の若者たちと元々交流があったという役柄から、なんとなく雰囲気があっているような気がしました。最後のシーンは、冒頭で手に入れた大きな罠が、いつ発動するかがけっこう楽しみでした。久しぶりに中身の濃いアクション映画を、ずっしりと堪能しました。ところで、題名からこの映画をずっと見た気になっていたのですが、私が見たのは「わらの女」でした。ちょっと違いました(笑)。

2021.2.12 HCMC自宅にてGyao!よりのパソコン鑑賞

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「消えた中隊」 戦争の不条理を描く黒澤明脚本の作品

下書きからというより、出来ていましたがアップし損ねていた記事です。Amazonに出ていた古い日本映画。初めて聞く名前の映画でしたが、名カメラマンの三村明が監督した唯一の作品で、黒澤明が脚色に参加しているとのこと。1955年の映画で、日活の製作です。

あらすじ
シベリアの収容所へと送られている捕虜日本兵。一行が、ロシア国境の村の廃墟に差し掛かった時、香川大尉(辰巳柳太郎)は、この地で起こった悲劇を語り始めました。

昭和十六年、香川大尉は、黒竜江をはさんでソ連領と対峙する監視哨に、中隊長として赴任しました。これまで隊を率いてきた岸中尉(河村憲一郎)は、部下の信頼を得、近くの村の住民との交流も放任し、のんびりした隊になっていました。このやり方に飽き足らない香川大尉は、さっそく猛訓練を始め、隊を厳しく締め上げ始めます。ある日5キロ離れた最寄りの街の料亭の会食に参加した香川は、新田中佐(石山健二郎)、参謀の藤倉中佐(清水彰)、得体の知れない満洲浪人(島田正吾)が、ソ連との開戦を誘発しようとの密議を聞いてしまい、戦闘開始の端緒を強引に工作するよう命令を受けました。

香川の心を慰めるのは、料亭の女ハル子(島崎雪子)だけでしたが、ハル子との関係は、中隊の兵士たちに発覚して揶揄されてしまい、その為中隊を締め上げようとした香川は、その前に岸中尉がこの事件に関与した兵士たちを一喝しているのを見て、岸中尉の真情を悟ります。ある日、村の少年がボールを黒竜江に落としてしまい、拾おうとした少年は、ソ連側の発砲により中州に釘付けにされてしまいます。好機を捉えようと、藤倉中佐は強引に攻撃命令を出しましたが、岸中尉はひとまず少年を助けようと発砲を制止し、自ら救出。現場に到着した藤倉中佐の命令で発砲を開始しましたが、ソ連側は反応を止めてしまいました。

藤倉中佐は、岸中尉の命令違反ということで軍法会議にかけようとしましたが、新田中佐は軍法会議によって、自分たちの開戦を誘発する意図の露見することを恐れ、監視哨の中隊と村人全員を抹殺するように命令を下します。中隊では、軍法会議にかけられる岸中尉を引き留めようと、兵士や村人が慰留しようとしていましたが、命令に従わないと軍隊の規律が維持できないと彼らを説得し、代わりの部隊の派遣を要請して隊を離れようとしました。そして、別の隊がやってきたのが見えると、それは砲兵隊で、中隊や村人もすべて殲滅させられてしまったのでした。

本部にいたため難を逃れた香川は、死ぬことも許されず、再びこの村にやってきた今日、丘の上で遠くを眺める少年の祖父を見たのでした。



消えた中隊

三村明は、著名なカメラマンということで、映像に集中して見ていましたが、そこは普通に美しい映像。その部分に凝っている映画ではないようです。1955年公開ということで、終戦後10年経過して描かれる、戦争を主題にした映画。その戦争の不条理が前面に押し出されています。香川大尉にしろ、岸中尉にしろ、しっかりとした現場を率いる軍人。統率の仕方や、地元とのかかわり方など、意見を異にしていますが、国境で敵と対峙する緊張の中でも、日常生活としては、当たり前の行動をしているように思われます。そしてそこに波紋を投げかけたのが、功を焦る上層部の独断専行でした。

この映画の中心的存在は、香川大尉と岸中尉ですが、上官の無謀に翻弄される二人。特に香川大尉は自らも加担した行動の後始末として、部下や村人たちのほぼすべてが殺されてしまい、一人生き永らえます。原作は井手雅人の小説とのことですが、脚色に参加している黒澤明の影響も大きいのではないかと思います。このパターンどこかで見た事があるような…。そうです。黒澤監督の最後期の作品群の中にある「夢」の「トンネル」の話。一人生き永らえた香川大尉の後日談に思えてきます。そして、まだ希望も持っている、シベリアに送られる兵士の一団。彼らにもさらに過酷な運命が待っているのでした。

この映画は、新国劇のメンバーを中心に制作されているようですが、そのあたりは詳しくありません。島崎雪子が香川大尉の唯一の救いとして出演していますが、兵士と慰安所という構図の中で描かれ、大きく逸脱することはありません。敗戦後10年を経過して出来上がった映画で、決して明るい映画では無く、また、あまりリアルさを感じさせない世界の中にあって、人間の社会の普遍的な要素もいろいろと盛り込まれていて、見ごたえのある映画に仕上がっている映画だと思いました。

2020.7.24 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「0.5ミリ」 人と接しながら長い人生の積み重ねを感じる

Gyao!の、キネ旬ベストテン作品特集からの鑑賞です。今回は、「0.5ミリ」。2014年の映画で、監督は安藤桃子。キネ旬2位でした。ヒロインは妹の安藤サクラ、スタッフに父の奥田瑛二、母の安藤和津も参加し、一家総出で製作した感があります。

あらすじ
介護ヘルパーとして働く山岸サワ(安藤サクラ)は、派遣先の片岡家で片岡昭三(織本順吉)の娘雪子(木内みどり)から、父の為に添い寝を頼まれます。サワは引受けましたが、その夜昭三がサワに迫ってきたため、耐えきれず突き飛ばしたところ、ストーブにあたって、部屋は炎に包まれてしまいました。サワは脱出しますが、階下では、雪子が首を吊って自殺しており、息子マコト(土屋希望)が見つめていたのでした。仕事をクビになったサワは、汽車に上着と全財産を忘れ、無一文になります。通りかかったカラオケ店で、ホテルと勘違いして宿泊しようとしていた康夫老人(井上竜夫)を見かけ、強引に一緒に部屋に入り、サワは康夫の心を掴み、。翌日別れ際に康夫から一万円を貰いました。

サワはスーパーの駐輪場で買物客の自転車をパンクさせていた老人茂(坂田利夫)と出会い、サワは茂を脅して家に上がり込みます。茂は知人の斉藤(ベンガル)から投資を持ち掛けられ、詐欺を疑ったサワが会社に電話して、相手がヤクザと判明。ショックを受けた茂は元気をなくしますが、サワは乗り込んできた斉藤を撃退。茂は自慢の愛車と資金をサワに譲り、自分はサワにお礼を言い残して、準備していた高級老人ホームに入っていきます。ショッピングセンターに辿り着いたサワは、本屋でエロ写真集を万引きしようとした義男(津川雅彦)を追いかけ、義男の家に上がり込みます。義男は広い家に寝たきりの静江(草笛光子)と二人で暮らしていました。サワは家政婦の浜田(角替和枝)と仲良くなり、静江の介護を始めます。義男はサワに惹かれていきますが、浜田は不満を募らせ、遺産目当てと勘繰り密告。ある日義男の姪の久子(浅田美代子)が訪れ、久子は自身の親の介護で後悔が残ったことを話し、叔父達の面倒を見ることを決めたと告げたため、サワは家を出ていきます。

サワは万引きをしていたマコトと再会し、マコトが身を寄せていた、雪子の元夫の健(柄本明)を訪ねます。健は決して口をきかず、本ばかり読んでいるマコトが気に入らず、ある日マコトの身体を押さえつけて髪を切ろうとすると、サワは激昂して健を殴り倒します。その時、サワはマコトが女であることを知りました。幼い頃から雪子に男として育てられてきたマコトは、言葉を発することもできなくなっていたのです。サワはマコトを連れてホテルに泊まり、雪子から貰ったワンピースをマコトに返します。マコトは母のワンピースを胸に抱いて涙し、サワは自分には子宮がないのだとマコトに打ち明け、マコトは男の恰好をするのをやめて、二人で健に別れを告げると、別の町へと旅立っていくのでした。



0.5ミリ

いつも長い映画を見るときは、気後れして先送りしてしまうのですが、これは地元の高知が舞台という事で、楽しみに鑑賞しました。といっても、方言がでる訳でもなく、知っている場所もそれほど多くはありませんでした。3時間20分、それほど長さを感じなかったのは、一つ一つのエピソードが大変面白かったからだと思います。映画全体としてのテーマは接する側のサワにあり、それぞれのエピソードには、それぞれ別のテーマがあるという感じでしょうか。そんなオムニバス形式で楽しめるというのも、最後まで飽きずに見ていけるという所だと思いました。

最初の話がまず衝撃的で、老人の性の行動と、母の縊死で始まり、カラオケで一夜を過ごす康夫、元整備工で大金をだまし取られそうになる茂、反戦を語る真壁、そして序章に戻り、冒頭の片岡家の秘密が明かされました。インパクトのある掴みから、徐々に複雑な問題へと向かってエピソードを連ねていき、次の希望へと繋げていく展開も良くできていると思いました。サワの放浪は、言わば消えゆく人々を巡る旅。そういった数十年の知識の蓄積をもった人と交わる面白さや不思議さが最後に語られますが、それは、マコトと接して見ると、決して老人相手だけではなく、すべての人が想像もつかない経験をしているとも思われます。

ヘルパーの仕事を通じて、老人たちの知識や生き様を吸収してきたサワと、天涯孤児状態のマコトが二人で旅立っていったようにも見えるラストですが、サワはこれから更に、自分自身の経験を積み上げていくことと思います。長い人生を考えさせるようないい映画でした。映像にあるのは安藤サクラの大活躍でした。これは素晴らしいの一言。安藤桃子は高知市に移住し、映画文化を盛り上げてくれたという事なのですが、その後どうなっているのでしょうか。成り行きが気になります。

2021.2.12 HCMC自宅にてGyao!よりのパソコン鑑賞

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「裸のキッス」 西部劇のような展開を思わせるサスペンス

サミュエル・フラー監督については、この映画を見るまで知らなかったのですが、内容が面白そうなので見てみました。1964年の映画になります。最近、久しぶりにGyao!を中心に見ていますが、こういった興味深い映画が増えたような感じがしています。
原題:The Naked Kiss (1964)

あらすじ
娼婦ケリー(コンスタンス・タワーズ)は、自分の髪をそり落としたうえ、ピンハネしていた売春の元締めを殴り倒して立ち去りました。そして、髪が元の長さに戻った頃、グラントビルという小さな町にやってきます。そして昔の商売をしようとしていたケリーは、刑事のグライフ(アンソニー・ビスリー)に声をかけられ、自分の管轄内では困ると、管轄外にあるキャンディの店を紹介されました。しかし、ケリーは障害児施設の記事を見て更生を考え、施設で看護師として働き始めます。ある日、町の有力者で富豪のグラント(マイケル・ダンテ)のパーティに招かれたケリーは、グラントに見初められ、やがてプロポーズされます。ケリーは売春婦だったことをグラントに告白しますが、グラントは過去は気にしないと言うので、ケリーは承諾しました。

結婚式を控え、グラントの屋敷を訪れたケリーは、少女が屋敷を出て行くところを目撃。そこにいたグラント見て、ケリーは彼が小児性愛者であることを知ります。見とがめられたグラントは、自分のパートナーは元娼婦が適役だと話し、ケリーは思わずグラントを撲殺してしまいます。逮捕されたケリーはグライフに釈明しますが元娼婦の言葉は信じてもらえず、窮地に陥ります。ところが、留置場の外で、あの時屋敷を出ていった少女を見つけ、グライフも証言を聞くうちに、ケリーが信用のおける人物と判りはじめ、ついに少女を探し出し、一連の子供がいたずらされた事件も、グラントの犯行だったことが判明します。ケリーは釈放され、功労者として町の人々も態度を一変させますが、その偽善的な様子に冷たい目を向けると、一人グラントビルの町を後にするのでした。



裸のキッス

サミュエル・フラー監督の映画、初めて見ます。とにかく、「映画は戦場だ!」というコメントが残されているように、熱い監督さんのようです。いいですね。さて、いきなりちょっと驚くような激しい場面でスタート。ヒロインのケリーが、売春の仲介役をボコボコにしていました。それだけであればありそうな映像なんですが、その映像がいわゆる主観映像みたいな感じで、音楽が濃いので迫力満点です。そして、ストーリーはテンポよく進むというほどでは無いのですが、役者のアップが多く、かつ濃厚な音楽で味付けされ、かなり特徴的な雰囲気で進んで行きました。

最後まで見て思ったのは、これって女性版の西部劇みたいな構造になっているということ。どこかから流れてきた元娼婦の女性が、刑事(保安官)と駆け引きしながら、町の女性が悪の道に入るのを防ぎ、女性の悪役(キャンディ)と決闘し、ついには町の顔役の巨悪を発見。殺してしまって逮捕されますが、困難を乗り越え無事放免されて、どこかの街に向けて去っていく…。流れ者のガンマンが、元娼婦に変わったという、典型的な西部劇展開を見せていると思います。そのヒロインのコンスタンス・タワーズが素晴らしいです。特に、あの子供たちに歌う歌声が素晴らしい。(本人ですよね、きっと)

その子供たちに歌う青い鳥で始まる歌が大変感動的でした。歌の内容もそうですが、黒人やネイティブアメリカンの子供たちが、均等に混じって、同列に参加しています。今でこそ当たり前で、むしろ要求されていることですが、この時代には珍しいのではないでしょうか。これも、フラー監督の特徴だと思います。人種問題に限らず、いろいろな社会問題を織り込んでいった先駆者でしょう。そして、アメリカの製作会社と決別し、ヨーロッパに拠点を移してしまいました。ちょっといろんな作品を見てみたいですね。一つ新しい課題が増えた感じです。

2021.2.12 HCMC自宅にてGayo!よりのパソコン鑑賞

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「キャタピラー」 戦争の虚しさと人の因果応酬を感じる作品

Gyao!の、キネ旬ベストテン作品特集からの鑑賞です。今回は、「キャタピラー」。2010年の映画で、監督は若松孝二。キネ旬6位でした。ベルリン国際映画祭でノミネートされ、寺島しのぶが銀熊賞(女優賞)を受賞しました。


あらすじ
戦時中の山村、少尉黒川久蔵(大西信満)は四肢を失い、顔はただれ言葉も話せない姿で帰還しました。そんな姿で帰還した久蔵は、軍神として英雄視され勲章も持ち帰っていますが、妻のシゲ子(寺島しのぶ)は夫の変わり果てた姿を嘆きます。久蔵の世話はすべてシゲ子に押し付けられ、シゲ子は軍神の世話も国へのご奉公だと考えて直し、介護を決意します。そして久蔵は性欲を持て余し、シゲ子の身体を頻繁に求めはじめます。そんな夫を、シゲ子は昼間はリアカーに乗せて外に連れ出し、妻としての貞操さをアピールし始め、村の人々の尊敬のまなざしに快感を覚えるようになります。そして家では生活に苛立ち、つい暴力をふるってしまうようになりました。

久蔵は中国で女性を暴行し殺害した過去を頻繁に思い出し、幻想を見て強迫観念にとらわれるようになります。手足を失ったのも、軍功などではなく、その暴行中に火事に会ったことの結果なのでした。戦局は悪化していきますが、発表によって村人たちは日本の躍進を信じていました。シゲ子は過去に夫の暴力に悩まされていましたが、今や自分がいなければ、夫は何一つできないことに満足するようになっていきます。そんな中で久蔵の精神状態がますます悪化していき、苦しみに悶える夫をシゲ子は芋虫のようだと嘲笑うのでした。シゲ子が頼りにしていた久蔵の弟も招集され、やがて敗戦を迎えました。村人のクマ(篠原勝之)と終戦に歓喜するシゲ子でしたが、久蔵は這いずりながら外へ出て池に身を投じ、死を選ぶのでした。


キャタピラー

若松孝二監督の映画。最近の映画を見るのは初めてです。雰囲気は、ラストに至るところなど、昔の映画と同じような感じで、ちょっと懐かしさがありました。ただ、文字が多くて、これはいらないかな…と思いつつ、これも、確かに「犯された白衣」とか、ドキュメンタリー画像が挿入されていたりしたので、特徴ということかもしれませんし、ずっと変わってませんよという事かもしれません。さて、四肢を失った状態の映画として真っ先に思い浮かべるのは「ジョニーは戦場へ行った」ですが、この映画はむしろ江戸川乱歩の小説の芋虫なのですね。確かに、キャタピラーでした。

寺島しのぶの銀熊賞受賞作品。素晴らしい演技であったと思います。久蔵に接する心境の移り行く様子が良く表現されていました。あの、軍神様をリアカーにのせて、村中を歩き回る様子が面白いと思いました。かつて自分を虐待した久蔵を、自分が保護者となり、かつ、お国から認められた軍神様の保護者として誇らしげに練り歩いています。そして、家に戻ると楽しかったと久蔵に同意を求めるシゲ子ですが、久蔵は苦々しい様子でした。意図してという事ではないかもしれませんが、この久蔵とシゲ子の関係性を大変面白く感じました。そして、久蔵が出かけるのを嫌がれば自分が勲章をつけて出征の見送りに出るまでになっていきました。

反戦がテーマであることは、挿入される大本営発表やドキュメンタリー映像で宣言されているのですが、シゲ子は国の宣伝のおかげで、すっかり戦意高揚に乗っていて、一方久蔵は軍功でも何でもなく、中国で行なった恥ずべき行いによる自業自得で四肢を失ったことが、彼の精神を蝕み始めます。そんな行為を軍が表に出すことはありませんから、死ぬまでずっとその幻影を見続けることとなります。久蔵にとっては、シゲ子への負い目がやがて恐怖へと変わっていき、ラストを迎えていきます。その両者の関係性の逆転が、戦争が生み出した不条理や、過去の行動からの因果応酬ともに鮮明に描かれていく。素晴らしい表現だと思いました。

2021.2.11 HCMC自宅にてGayo!よりのパソコン鑑賞

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「ノスタルジア」 映像の中にノスタルジアを強く感じさせる

Gayo!無料動画にノスタルジアが出ていました。懐かしいなと思っているうちに無性に見たくなって鑑賞しました。説明の必要のないほど有名な映画だと思いますが、監督はアンドレイ・タルコフスキーで、1983年の映画です。イタリア・ソ連合作。カンヌで、監督賞・FIPRESCI賞・エキュメニカル審査員賞を受賞しました。
原題:Nostalgia (1983)

あらすじ
トスカーナ地方の霧の中の村。男女が車から降り、女性だけが教会に向かいました。エウジェニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)は教会を訪れ、イコンに祈りを捧げる儀式を見学します。ロシア出身の作家であり詩人であるアンドレイ(オレーグ・ヤンコフスキー)は、ロシアの音楽家サスノフスキーの伝記を書くため、通訳のエウジェニアとともにこの地を訪れていたのです。ホテルに着くと、アンドレイは眠ってしまい、その間に犬が入ってきて、彼のそばに座ります。アンドレイは幻の中で、妻(パトリツィア・テレーノ)が、身重でベットに横たわっているのを見ます。エウジェニアに起こされて、ヴィニョーニ温泉へ行き、信仰で世界を救おうと考えるドメニコ(エルランド・ヨセフソン)に出会います。彼は、世界の終末を避けるため、7年の間家族と共に家に閉じ籠った経歴があり、狂人の様に扱われていました。アンドレイは、ドメニコに興味を持って家を訪れ、世界の救済のために、彼に変わってロウソクの火を絶やさず温泉を横断するという儀式を代わりに行うことを約束します。

ホテルに戻ると、通訳のエウジェニアが部屋でシャワーを使って待っていましたが、アンドレイは誘いに応じられず、エウジェニアはローマへと去っていきます。アンドレイは再びあるロシアの場所で、霧の中、犬や家族たちがいる幻想を見ます。アンドレイは心臓に持病があり、安らかな死を願っていました。アンドレイも温泉を去り、次の旅支度を整えたところで、エウジェニアから電話があり、ドメニコがローマで演説を始めたことや、儀式をしてもらったか訪ねていたことを伝えられました。アンドレイは、急遽ヴィニョーニ温泉に戻ることにします。ドメニコは、ローマの広場で演説を行い、最後に焼身自殺を図って亡くなりました。ヴィニョーニ温泉へ戻ったアンドレイは、ロウソクを手に温泉の中を進み、三度目で火を消さずに渡り切ると倒れてしまいます。そして、再びみる幻は、ロシアの同じ場所にイタリアの神殿が重なり、その中でたたずむアンドレイと犬に静かに雪が舞い落ちているのでした。


ノスタルジア


無料で見られるタイミングだったので、思わず見たくなってしまいました。頭の中にあるのは、いろいろな場面の映像の記憶。映画史の中でも屈指の美しい映像です。綺麗なという映像ではありません。この映画のレビューはたくさんの方があちことに残していらっしゃると思いますが、同時代に映画を見ていた者にとっては、ひとつのバイブルのような映画という位置づけになるかもしれません。認知度が非常に高い映画です。そして、物語や映像の中にいろいろな意味が込められていそうで、とてもひとことでは論じられない映画だとも思います。

タルコフスキー監督が亡命をひかえて制作した映画。その視点がこの映画に大きなウェイトを占めていると思います。セリフの中で、国境を無くすることをアンドレイは求めていました。ドメニコの家の壁に書かれた1+1=1。水の1滴と1滴が合わさると、より大きな水の1滴。世界を滅亡から救済するため、ドメニコは焼身自殺し、ドメニコに協力するアンドレイは、蠟燭の移動を成功させると、倒れます。そして、二つのノスタルジアが融合していきます。たぶんメインの筋書きをたどると、そんなところだと思っています。

私は、雨が好きなんですが、それは降りしきる雨を感じると、子供の頃山奥の家の縁側で過ごした時、どこへも出かけられれない中で、すべてを洗い流していくような雨や、雨樋から落ちる水滴を見ているのが好きだったことを思い出すからです。庭の木の葉の色が雨で濃く光りだします。この映画で、アンドレイの部屋の右側に人口の光、左側に雨の降る外の光と音、中央で眠りに落ちるアンドレイという構図。この映画の中で好きな場面です。いつでも手元にあれば見てしまいたくなる映像です。また、近いうちに見てしまいそうな気がします。

2012.2.14 HCMC自宅にてGayo!よりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
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「彼女の人生は間違いじゃない」 福島出身の監督オリジナル

Gyao!の、キネ旬ベストテン作品特集からの鑑賞です。今回は、「彼女の人生は間違いじゃない」。2017年の映画で、監督は廣木隆一。キネ旬7位でした。原作もは廣木隆一監督の小説になります。


あらすじ
震災から5年が過ぎ、いわき市に住む、市役所勤務のみゆき(瀧内公美)は父の修(光石研)と仮設住宅で二人暮らし。母は震災の津波に攫われ、遺体も上がっていません。修は汚染で農業もできず、補償金でパチンコに通う毎日。一方みゆきは、英会話に通うと言って、週末に高速バスで渋谷に通い、デリヘル嬢として働いていました。デリヘルでは店員の三浦(高良健吾)がサポートし、トラブル解決にも対応しています。ある日、みゆきの元彼の山本(篠原篤)から会いたいというメールが届きます。二人はかつて、山本の「お母さんが亡くなったのに俺たちデートしてていいのかな」の一言で別れ、山本は未だに未練を持っているのでした。

市役所の同僚の新田(柄本時生)は、父は補償金で遊んでばかり、母は宗教にはまり、今では弟と二人暮らしでした。ある日行きつけのスナックで、東京からやってきた女子大生(小篠恵奈)に卒論の題材として震災に関する質問を受けますが、新田は言葉に詰まってしまいます。みゆきを諦めきれない山本は、みゆきを食事に誘うと、みゆきは逆にホテルに入り、デリヘルのことを告白。それでもいいかと尋ねるみゆきに、山本は気にしないと答えますが、みゆきは去っていきます。新田は福島の風景を残そうとするカメラマンの山崎(蓮佛美沙子)と組んで写真展を開き、好評を得ます。

ある日、みゆきは三浦に「この商売も長く続けるもんじゃないよ」と言われます。三浦には子供が出来て、足を洗おうと考えているようでした。そして数日後やめてしまい、下北沢で役者として活動しているのを知ると、みゆきは見に行って感銘を受け、自分が悲劇のヒロイン気取りであったことに気付きます。そして、妻の死を受け入れ、立ち直る決心をした修はパチンコを止め、農業も再開しました。みゆきはペットショップで子犬を買って、仮設住宅に持ち帰ると、みゆきには三浦から赤ん坊が生まれたというメールが届くのでした。



彼女の人生は間違いじゃない


内容を把握せず見始めましたが、震災の映画だったのですね。震災の映画ってあまり見た記憶がありません。避けてきたかもしれません。意識している訳ではないのですが、自然とそうなっていました。ちょっとドキュメンタリータッチな群像劇になっていますが、王道の造りだと思います。廣木隆一監督の作品もいろいろ見ているのですが、あまりイメージがありません。むしろ、新進女優を起用した、ロマコメ的作品のイメージで、そんなにドラマ感のある印象が無いのですが、そういう映画をあまり見ていないからかもしれません。そういえば、「さよなら歌舞伎町」だけは印象に残っています。そして、この映画もその雰囲気がありました。

震災後の現地の状況が、いろいろな角度から描かれていてよく解りました。ここに描かれていることは、現実にそういう事が、この2時間の出来事以上の頻度で、実際あちこちで起こっていた事だと思います。卒論の為に問い詰める女子大生とか、そこまで聞くか?という感じですが、そういう記者とかライターとか、たくさんいたんだろうなと思いました。宗教関係も確かにいろいろありそうです。原発で働いている方は責められないですね。同じ町の仲間でしょう。でも、そういうものも、すべて破壊されてしまったということですね。時間が解決するしかない問題もありますが、生活と人は待っていることはできません。来年の桜も見られないのです。

瀧内公美と、光石研の親子は素晴らしい演技です。光石研はこういう雰囲気、流石だと思います。柄本時生も頑張っている感が凄く良く出ていました。篠原篤は役作り上精彩が無かった感じですが、たぶん、山本君はみゆきが一番必要な時に逃げちゃったのですね。高良健吾はなかなかいい役でした。ということで、見どころも多く、思いも詰まった映画だと思います。廣木隆一監督の自作小説ということで、脚本こそ書いていませんが、オリジナルに近い作品と思います。脚色物が多い中で、すべてにおいて監督の意思が表現された、貴重な作品だと思います。

2021.2.10 HCMC自宅にてGayo!よりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「アポロンの地獄」 自伝的要素を含むオイディプス王

Gyao!の、キネ旬ベストテン作品特集からの鑑賞です。今回は、「アポロンの地獄」。1967年の映画で、監督はピエル・パオロ・パゾリーニ。キネ旬1位を獲得しました。ヴェネツィア国際映画祭のノミネート作品でもありました。
原題:Edipo Re (1967)


あらすじ
現代。ある女性が男の子を産みますが、その父親がその子を見る目は冷たいものでした。

古代ギリシャ。荒涼とした地で男が運んできた赤子に手を掛けようとしますが、できずに置き去りにします。入れ替わりに現れた男がその子を拾い、コリントスの王に報告すると、王はその子を神からの授かりものとし、後継ぎとして育てました。オイディプス(フランコ・チッティ)と名づけられたその子は逞しい青年となりますが、不吉な夢の意味を知るため、デルフォイに神託を受けに向かいます。神殿でオイディプスは、「父を殺し、母と情を交わす。」と告げられ、愕然としてコリントスに戻らず、荒野を彷徨いました。旅の途中でオイディプスは、出会った一行と諍いになり、逃げた一人の従僕を除き殺害してしまいました。

テーバイの町は、スピンクスによって災いがもたらされていました。オイディプスはスピンクスを倒しますが、テーバイ王ライオスはデルフォイから戻らず、布告に従って、オイディプスは后のイオカステ(シルヴァーナ・マンガーノ)を娶り、テーバイ王となります。ところがテーバイに疫病が蔓延し、ライオス王殺害犯に対する天罰であるとの神託を受けると、オイディプスは、徹底して犯人捜しをはじめ、その結果、かつて旅の途中でオイディプスが殺したのがライオス王であり、オイディプスはライオス王とイオカステの子であるという事実が判明しました。預言通りになってしまったことに絶望し、イオカステも自殺してしまうと、オイディプスは自らの両目をえぐり、テーバイを後にして放浪の旅に出たのでした。

そして再び現代。盲目の男が若者の助けを借りて街を彷徨います。中心街ではリベラルな曲を吹き、工場街では革命歌を吹き、そして冒頭の生まれた場所に戻っていくのでした。


アポロンの地獄


ギリシャ悲劇の「オイディプス王」を原作する作品。悲劇の前後に現在の映像が入り、ギリシャ悲劇がサンドイッチされた形になっています。バゾリーニ監督の映画は、「ソドムの市」しか見たことが無いのですが、監督のいろいろな情報については、いろんな所で目に入っており、耳年増状態です。まず、オイディプス王の部分については、原作劇の通りだと思います。撮影されたのはモロッコということで、砂漠っぽい上に、遺跡のような場所なので、ギリシャの現役の都市国家という雰囲気ではないと思いました。そして、登場する人々も、音楽もかなり国際感があふれ、現代風に脚色したオイディプス王という感じです。

その、ある意味新鮮なオイディプス王を挟んでいる部分が現代劇で、この映画はパゾリーニの自伝的要素があるとも紹介しているので、この部分がキーかと思います。冒頭は、母の寵愛と父の嫉妬というイメージで、ある意味オイディプス王の物語に繋がる部分もあると思いますが、パゾリーニの生い立ちを暗示しているのでしょうか。最後に足をつかまれますが、オイディプスは「膨れ上がった足」という意味というのがWikiに書かれてますから、父に足をつかまれ、足を縛られて山に運ばれ、そしてコリントス王は盛んに足が腫れていると言っていたので、この名がついたという事でしょう。

ラストは、オフィス街で笛を吹き、工場街で笛を吹き、そして生まれた場所に戻っていく男。オイディプス役のチッティ が演じています。Wiki(フランス)によれば、オフィス街ではブルジョワ曲で、工場街で吹くのはロシア革命の曲らしく、生まれて、詩作の世界に親しみ、労働者の世界に親しみ、母の場所に戻って行くということのようです。冒頭から、オイディプス王、エピローグと繋げてパゾリーニの自伝的意図を持たしているという事でした。邦題の意味が良く判りませんでしたが、デルフォイの神託を行うのが、アポロン神なので、あの神託による地獄という意味だと思います。久しぶりに映画を頭で見てしまいました(笑)…。

2021.2.10 HCMC自宅にてGayo!よりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「断崖(1941)」 疑惑に苛まれるジョーン・フォンティン

映画自体はかなり前に見て、下書きに眠っていたもの。以前にこの下書きを書いている時に、オリヴィア・デ・ハヴィランドの訃報が報道されていました。104歳とのこと。大往生です。ジョーン・フォンテインも96歳で亡くなりました。驚くべき長寿姉妹で、いろいろと確執もあったようですが、これからは天国で一緒にということですね。これは、ジョーン・フォンテインのオスカー受賞作。1941年の映画で、監督は勿論アルフレッド・ヒッチコックです。
原題;Suspicion (1941)

あらすじ
お嬢様のリナ(ジョーン・フォンテイン)は、列車の中で、図々しいジョニー(ケーリー・グラント)という男と出会います。ジョニーはリナの資産が気になり、リナは二枚目ぶりが気になりつつ、お互い接近し、リナはジョニーが札付きのプレイボーイで詐欺師だと知る両親の反対をよそに、ジョニーと駆け落ちし、ヨーロッパ中をハネムーンで過ごした後、立派な家に二人で住むことになりました。ところが帰ってみると、旅行も家賃も全て借金。愕然とするリナに、ジョニーの親友のビーキー(ナイジェル・ブルース)は、ジョニーを競馬場で見たと告げました。そして、リナは家宝だった椅子が、古道具屋にあるのを見て絶望しますが、その時はジョニーは競馬で大儲けし、たくさんのプレゼントと椅子を買い戻して帰ってきて、もう、ギャンブルはしないと誓うのでした。

再びジョニーが競馬場にいると聞いて不安を感じ、リナは働いているはずの会社を訪れると、ジョニーが会社の金を持ち逃げしてクビになっていたことを知り、離婚を決意しますが、さらに、父の訃報にリナは悲嘆にくれ、ジョニーを信じようと思い直しました。ジョニーは、海辺の断崖の上の土地をリゾート開発する計画を、ビーキーと二人で進め始めます。出資はすべてビーキーで、杜撰な計画にリナは危険を感じ、ビーキーに再考を促しますが、ジョニーはそれを聞いて激怒しました。しかし、翌日ジョニーは思い直して中止を言い出し、嫌がるビーキーを確認の為、断崖の上の現場に連れて行きます。リナは、ジョニーがビーキーを崖から突き落とす場面を想像し、不安で倒れそうになりました。その後、ビーキーは手続き中止の為パリへ向かい、ジョニーはロンドンまで同行します。ところが、ジョニーが帰宅する日に2人の刑事が現れます。ビーキーがパリで飲酒後死亡し、刑事たちは、友人のジョニーに事情を聞きにきたのです。

ジョニーはビーキーの死にショックを受けますが、リナの心には疑惑が広がっていきます。リナは友人の推理小説家イゾベルから、酒と毒で殺人を犯す男の本をジョニーに貸したと聞き、自宅にも「保険金の支給は妻の死亡時のみ」と書かれた保険会社からの書類が届き、いよいよジョニーに殺されると考え始めました。イゾベルとの夕食でも、ジョニーは痕跡を残さない毒について知りたがり、その夜、リナとジョニーは2人きりになると震えが止まらず、別々に寝ることにします。翌日、ジョニーが持ってきたミルクには手が付けられず、リナはしばらく実家へ帰ると言い出し、ジョニーは自分が車で送ると言い張ってリナを車に乗せました。断崖の上まで来たとき、スピードを上げるジョニーに、恐怖は頂点に達し、リナは走る車から飛び降りようとします。ジョニーは必死でリナを止め、ジョニーは借金が返せず、自殺を考えていろいろ確認していたことを語り、リナは誤解していたことを詫び、車は二人の自宅の方向へと戻っていったのでした。



断崖(1941)

ジョーン・フォンテインのオスカー受賞作品。前年は作品賞のレベッカに出演し、彼女は主演女優賞ノミネートに終わりましたが、この年はしっかり受賞しました。ジョーン・フォンテインは、この映画ではほぼ出ずっぱりで、得体のしれないケーリー・グラントの相手役を務め、一喜一憂しながら、猜疑心にさいなまれていく妻を演じています。そのケーリー・グラントの方は、まぁ、よくわからない役回りで、行動や本心がずっと謎に包まれたままという微妙な演技を演じ切りました。いかにも上流っぽい感じで登場しつつ、一文無しとか、そのくせ金回りのよさそうな行動をしているとか、なかなかつかみどころの無い役回りでした。

ケーリー・グラントは、前半の強引さが面白いところ。ここまで強引に口説き落とし、ジョーン・フォンテインを獲得できるのかと、少々やり過ぎ感のある押しの強さでした。ジョーン・フォンテインはどのタイミングで靡いたのだろうと、ちょっと不思議なくらいです。そして、ケーリー・グラントの友人のナイジェル・ブルースが、なかなかいい味を出していると思いました。やることは、いい加減ですが、憎めないタイプの人物でした。ストーリーとしては、可もなく不可もなくという感じで、疑惑もそれほど明確ではなく、種明かしもそう伏線がある訳ではなく、主役の二人の姿を見られたからいいかなという感じで見終わりました。

原作のフランシス・アイルズは、アントニー・バークリーの名義での名作と言われる、「毒入りチョコレート事件」は読んだことがあります。斬新な形式が有名な作品ですが、何かこう、読んだことのあるものとの繋がりを見つけるとうれしい限り。ヒッチコックはハリウッドに移って二年目で、これから更に黄金時代に向かっていきますが、この頃は後年の一連のサスペンスの前夜で、いろいろな幅広いタイプの作品があるのかなと思いました。

2020.7.11 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

プロフィール

torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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