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「君は愛にふさわしい」 新しい愛を見つける女性を繊細に描く

オンライン映画祭の「第11回マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル(MyFFF)」からの鑑賞です。2021.1.15-2.15の期間中は、各国から無料視聴できるほか、Amazonなど多数の配信サイトからも作品が見られるようになっているようです。2019年の映画で、女優でもあるアフシア・エルジの監督(長編)デビュー作となり、カンヌ映画祭の批評家週間で、スペシャル・スクリーニングとして上映され、カメラドール及びクイアパームを争いました。
原題:Tu mérites un amour (2019)

あらすじ
リラ(アフシア・エルジ)は、恋人のレミ(ジェレミー・ラウールト)の浮気を知ると、相手のミリアム(Myriam Djeljeli)と一緒にいるところに乗り込み、ミリアムに罵詈雑言を浴びせます。友人からは忘れるように勧められますが、リラは再びレミを訪ねると、再びミリアムがいて中に入れません。そして、リラはミリアムの職場まで訪ね、問い詰めます。その後、レミはリラの部屋を訪れ、ミリアムは心の傷を癒すだけの女で、本当に大切なのはリラだと言い、3週間の間ボリビアで自分を見つめ直してくると話しました。リラはレミ不在の寂しさと不安から、町で他の男と出会ったり、友達と遊んだりしていましたが、心が晴れませんでした。

そんな時、行きつけのカフェで、写真学校の入学試験の為に、リラの写真を撮りたいというシャーリー(アントニー・バジョン)と出会います。また、リラを追ってきたミリアムは、レミが二人の女性に全く同じ事を言っていたことや、既にボリビアから帰って、女遊びに呆けていることを伝えました。リラは友達の助言を聞いたり、出会った男と一夜限りの関係を求めたりしますが、落ち込むばかり。そんな時に、シャーリーの写真撮影があり、真摯な彼の姿に少し心が和みます。しかし、リラはその後も、友人たちのとりなしでいろいろな関係を持ち続けていました。

ある日、突然レミがリラの前に現れます。レミは今までの事を詫び、自分にはリラしかいないと口説きます。レミの虚言を判っているリラは拒絶しますが、その日は押し切られてしまいました。そして、リラの部屋へシャーリーが訪れ、写真のお礼と無事リラの写真で入学できたことの報告にやってきました。シャーリーは折り合いの悪かった彼女と別れ、愛の詩について語ります。そこに突然レミがやって来て、リラに自分の所に戻るよう恫喝しますが、リラとシャーリーは二人でレミを追い出します。そして、レミはシャーリーの胸の中で落ち着くと、二人だけの部屋でずっと静かに過ごすのでした。



君は愛にふさわしい

アフシア・エルジの初長編監督で、かつヒロインという作品。ちょっと老け気味に見えるのはそういうメイクなのかな?リラの行動を見ていると、これだけ心が乱れて、他の男に走るというのは、よほどレミの空けた穴が大きかったという事でしょうか。しかし、その満たされないリラの心から見る男たちは、よほどつまらない男ばかりのように描かれています。話好きの男の話をずっと聞かされたり、有無を言わさず体を求められたり、挙句には3Pまで。短い間の数多い遍歴でした。その中で出会ったシャーリーは心に響くものがあったのでしょう。真摯です。そして、二人でレミを撃退したことによって、心の中のレミをやっと振り切り、満たされた感じでした。

女優であり、女性監督でもある、アフシア・エルジの作品だけあって、女性の心の動きを丁寧に捉えていく作品ですが、その過激な行動や、思いつめたような表情、次々と男と出会っていくところなど、少々理解できない部分もあります。女心のある一面を捉えたものなのか、或いはある種特別な女性の、別れから過去の男を振り切り、次の出会いまでの動きを捉えたのか、ちょっと理解が難しいところがありました。女性の意見を聞いて見たいところです。いずれにしても、ある女性の心の動きを切り取って表現した繊細な映画だと思いました。

今回のMyFFFの長編映画の中で、この作品だけ日本語字幕が無かったため、英語字幕での鑑賞となりました。ストリーミングなので、字幕を止めながら見られるのはいいのですが、結構時間がかかります。辞書片手です(笑)。そういった形なので、今一つニュアンスがつかみ切れていないところがあるかもしれません。この映画祭の作品はこれで4本見ましたが、どちらかといえば中堅という感じの静かなフランス映画。なんとなく雰囲気になじんできました。

2021.1.27 HCMC自宅にて第11回MyFFFサイトより鑑賞
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テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「英雄は死なない」 死者の思い出を背負った世界

オンライン映画祭の「第11回マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル(MyFFF)」からの鑑賞です。2021.1.15-2.15の期間中は、各国から無料視聴できるほか、Amazonなど多数の配信サイトからも作品が見られるようになっているようです。2019年の映画で、オード=レア・ラパン監督のデビュー作となり、カンヌ映画祭の批評家週間で、スペシャル・スクリーニングとして上映され、カメラドールを争いました。フランス、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴビナ合作です。
原題:Les héros ne meurent jamais (2019)

あらすじ
ジョアキム(ジョナタン・クジニエ)はカメラの前で語り始めます。彼は、ある日パリの街角で、見知らぬ男に、ゾランだ!人殺し!と叫ばれ、おまえは1983年8月21日にボスニアで死んだと言われました。その日は、ジョアキムの生まれた日で、自分は兵士ゾランの生まれ変わりではないかと考え始めます。友人のアリス(アデル・エネル)は、カメラマンのポールと、録音のヴィルジニー(アントニア・ビュレジ)を連れて、その事実を確かめる為、ボスニアへと向かいました。そして、一行はサラエヴォに着くと、ゾランという人物を探して、墓地や市街地を尋ね歩きますが、ゾランはセルビア人としてごく一般的な名前だということが判りました。

サラエヴォでは、オリンピック会場跡地などで、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の取材を行いますが、ジョアキムはゾランの探索ではなく紛争の取材に力を入れるアリスに不満を持ちます。紛争は、ジョアキムが生まれてから10年以上も後の話だからです。アリスは承諾し、まずジョアキムに内緒で、ゾランという男の偽者の墓を用意させると、ジョアキムはその墓の前で思いにふけります。その墓には、ゾラン・タディッチと書かれていました。一行は次に、アリスがボスニアでいつも取材に来る、夫や子供の総てを失った未亡人の家を尋ねます。そして、彼女から1983年当時に亡くなったと思われる二人のゾラン・タディッチについて情報を得ました。

一人目の男は、配車解体業を営む男の父親が、ゾラン・タディッチだということで、工場を訪れたジョアキムは、訝しむ工場長に対し、突然息子よと言いながら抱き着きますが、追い返されます。そして、もう一人は養蜂業を営むという未亡人の家。トタン張りのバラックをノックすると、中から出てきた老婦人は盲目で、ジョアキムの顔を撫で、懐かしむ様な顔に変わると一行を招き入れます。ラキヤを酌み交わしながら、亡き夫の絵を見ると、それはまさに、ジョアキムがこの話を聞いて目に映った光景を描いたものとそっくりでした。ジョアキムが彼女の夫の軍服を着ると、もう首を吊るのは見たくないと囁く彼女は、ジョアキムにキスして別れを告げます。小屋を出て道に戻る一行の背後には緑の大地が広がっているのでした。



英雄は死なない

導入部はスリリングな展開で、しっかりと引き込まれます。全体がPOV的な映像で、ポールというカメラマンが撮影する形で進行し、ポールは一切画面上に出て来ません。そして、人殺しの生まれ変わりと言う設定で、前世を探す旅に出るという、ミステリアスな物語がスタートしました。アリスは映画監督。ボスニア紛争のドキュメンタリーに取り組んでいたようですが、今回はジョアキムのドキュメンタリーの撮影。そして、途中からフェイクになっていきました。ジョアキムは心臓に病を持ち、長く生きられないとも言われており、アリスにはその記録を残すという意図もありました。そして、ボスニアでの取材は、民族的わだかまりが消えていないという雰囲気を醸し出して、常に緊張した雰囲気が流れています。

全体に大きな起伏はないのですが、ゾランが死んだ1983年の世界と、オリンピック跡地での交戦や、紛争中の虐殺の話が交錯します。その直接的な関係は語られませんが、敢えて一体となった物語と感じさせられるように表現されていると思います。たくさんの死があった世界でもあり、ジョアキムはその生まれ変わりで、更に死を間近に控えています。住民たちは未だ葬儀を続けており、見知らぬ人には必ず味方かどうか確かめる姿勢で、常に緊張した状態で生活している様に表現されています。実際その雰囲気は、意図して作ったのかもしれませんが、戦乱の残した禍根を基調とした映画の雰囲気を作り上げていると思いました。

最終的にはフェイクがフェイクで無くなってしまう、ファンタジー的解決を迎えました。最後の未亡人との対面で、初めて暖かい笑顔が出た気がします。失われた人々や歴史が今でも蠢き、二人の未亡人もすべての家族を殺され、その後一人で生き続けているという事実は、実際に存在するであろうことを改めて感じさせられました。そして、彼女たちの中で彼らは英雄として生き続けているという事だと思います。表現や、アプローチがとても変わっていて、不思議な後味を残す映画です。主演をサポートしたヒロインのアデル・エネルは、かなりズケズケと物を言う強烈な役柄を演じています。ヨーロッパの映画賞によく登場するようですが、ここでは仕切り屋という雰囲気。ややもすると死に没入していく世界の中で、一人だけ目を醒まして、バランスをとっている感じでした。

2021.1.26 HCMC自宅にて、第11回MyFFFサイトより鑑賞

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「舞台恐怖症」 名女優の出演と虚を突かれるラスト

過去の下書きからのアップです。Amazonで、アルフレッド・ヒッチコック監督の見ていない映画が幾つかあったので、ぼちぼちと見ていきました。これは、1950年の映画で、この時期珍しくイギリス映画となっています。大女優のマレーネ・ディートリッヒが女優役で出演していますね。
原題:Stage Fright (1950)

あらすじ
ロンドンを走る一台の車。女優の卵のイブ(ジェーン・ワイマン)と、友達のジョナサン・クーパー(リチャード・トッド)の二人が、警察に追われでいました。ジョナサンの話では、彼の部屋に女優のシャーロット・インウッド(マレーネ・ディートリッヒ)が突然訪れ、シャーロットと不倫関係にあったジョナサンは、ドレスに血が付いているシャーロットに、夫を殺したと言われたとのこと。ジョナサンは、着替えを取りに彼女の家に向かい、死体を確認すると部屋を荒らし、強盗に見せかけるつもりが、姿をメイドに見られてしまったとの事でした。

容疑者として追われるジョナサンはイブに助けを求め、イブは彼を海辺の父親(アラステア・シム)の家に連れて行きます。その上で、シャーロットがわざとジョナサンを犯人に仕立てようとしたのではと疑い、いろいろと調べ始めました。まず、シャーロットのメイドを説得して休みを取ってもらい、シャーロットのメイドとして入り込みます。一方ジョナサンは、勝手にロンドンに出てくると、シャーロットの楽屋へ来て、一緒に外国に逃げようと提案しますが、シャーロットは拒絶。姿を見た警察が駆けつけますが、逃亡しました。この時イブは、町で出会ったスミス刑事(マイケル・ワイルディング)が気になり始めていました。

イブはスミス刑事に状況を打ち明け、シャーロットに罠をかけます。血のついたドレスを持っていると嘘をつき、シャーロットの反応を確かめようとしますが、シャーロットは、夫を殺したのはジョナサンで、彼はシャーロットを犯人にしようとしていると話し始めました。劇場に連れてこられたジョナサンは、刑事の手を振り払って逃亡。彼を信じていたイブは助けようとしますが、衝動的に殺人を犯してしまう精神異常者だったジョナサンは、イブを殺そうとします。冒頭のイブに語った話は、全く作り話だったのです。そして、イブはなんとか彼から逃げ出すと、警察から追い詰められたジョナサンは、舞台に落ちてきた鉄の幕の下敷きになり、命を落としたのでした。



舞台恐怖症

アメリカに渡った後の作品なのですが、白黒かつイギリス映画という形になっていました。白黒であることは、この時期普通にあることなのですが、イギリス映画というところに何か意味があるのかな?と感じ、むしろアメリカに渡る前の作品を思い起こしながら鑑賞していました。そうしてみれば、格段に演技の細やかさや、映像の美しさ、サスペンスの盛り上げ方など、進歩しているように思います。時代も変わり、技術的な進歩もあったのかもしれません。より細やかに作りこまれているなぁという印象でした。

一方、ストーリーは、冒頭の現場から逃亡するジョナサンの回想から始まる訳ですが、これが…。やられましたね。確かに、反則技ですねこれは。かといって結論に至る伏線が全く無い訳ではないですが、ミスリードされたまま最後まで進むので、結論を聞いて見事に予想を裏切られる展開でした。そもそも逃亡して汚名を晴らすサスペンスとして見ていますので、犯人探しの映画だと思ってないのですから、このラストは不意を突かれた感じです。

父のアラステア・シムが、娘のサポートをしていく展開が面白いと思いました。ジェーン・ワイマンは全体を通してのヒロインで、いろいろな表情を見せながら、好演していると思います。マレーネ・ディートリヒはそのもの。その他、母やネリーも含めて、脇役陣の演技が大変充実していて面白く感じなした。そして、イギリス的な雰囲気も色濃く出ている様な気がします。ケイ・ウォルシュとかも、なかなかいい雰囲気を出していると思いました。今回はヒッチコックにやられてしまいましたので、次は心してみましょう。

2020.7.8 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「タリーと私の秘密の時間」 育児の頃を反省してしまう

シャーリーズ・セロンが主役を務める最近のドラマ映画。アマゾンで見つけたので気になって見てみました。2018年の映画で監督は、ジェイソン・ライトマンシャーリーズ・セロンは、ゴールデングローブで主演女優賞にノミネートされました。アメリカ・カナダ合作です。
原題:Tully (2018)

あらすじ
2児の母であるマーロ(シャーリーズ・セロン)は、予定外の第3子を妊娠していました。息子のヨナには発達障害があり、妊娠中も気を遣う事が多く、彼女を苛立たせます。ある日、マーロと夫のドリュー(ロン・リビングストン)は、夕食のためにマーロの弟クレイグ(マーク・デュプラス)の家を訪れると、クレイグがマーロの為に、贈り物として夜の育児ヘルパーを手配し、支払うことを申し出ますが、マーロは自分で育てたいと断ります。そして、マーロは生まれた娘をミアと名付け、育て始めますが、気丈に振舞っているものの、ヨナの問題にも悩まされ、ドリューは昼は仕事、夜はテレビゲームと、育児の助けにはならず、疲れ果てていきます。そして、彼女は夜の育児ヘルパーの連絡先を手に取ったのでした。

その夜、ヘルパーとしてタリー(マッケンジー・デイヴィス)がやってきました。マーロとタリーはすぐに打ち解け、信頼関係を築いていきます。タリーは、家の手伝いもして、マーロを元気づけ、マーロとドリューの夜の生活の世話を焼くまでになります。ところが、ある夜タリーは、ルームメイトとのいざこざで遅刻し、なだめるマーロを説き伏せて、二人だけで夜の町に繰り出します。そして、バーでタリーは、ヘルパーをやめざるを得ないと伝え、その帰り、車を運転中に、マーロは眠りに落ちてしまい、川に転落してしまいました。

マーロは自分が水中から、タリーの顔をした人魚に導かれて脱出。ドリューの見守る病院で目を覚ましました。スタッフの精神科医がドリューに、マーロが極端な睡眠不足と疲労に苦しんでいることを知らせ、医者がヘルパーについて尋ねると、ドリューはタリーのことはよく知らないと答えます。医師はドリューにマーロの旧姓を尋ねると、彼はタリーだと答えます。タリーは実在せず、マーロがストレスに対応するため、夜は若き日の自身の姿を出現させて逃避していたのです。マーロは病室でタリーの最後の訪問を受け、別れを告げます。そして、マーロは退院すると、家事に戻りますが、そこにドリューが入ってきて、仲良く家事を手伝い始めるのでした。



タリーと私の秘密の時間

育児のストレスを表現した映画で、まとまりが良く、いい映画でした。シャーリーズ・セロンの演技が素晴らしいと思います。18kg増量して臨んだとか。そして、私にとっては今や反省させられる点も多い映画で、かなり身につまされました。育児の大変さがよく解る映画で、昔を思い出しながら見るという事になりましたが、育児の小道具なんかも懐かしいものがあります。あのソーセージみたいなオムツの処理器とか・・・。この映画は、サンダンスプレミアということですが、こういったドラマ映画は、サンダンスなどのインディーズ映画祭で上映され、配給権が買われるというパターンが多いのでしょうか。たくさんいい映画があって興味深いです。

オチといいますか、ストーリーは育児ストレスにより、二重人格のようになってしまっているというものでした。実際、この状態は、母子の命にもかかわる大変危険な状況のようで、事実この映画でも危機一髪の状況となります。ドリューには変化がどのくらいわかっていたのでしょうか。何事も完璧にこなしてしまうと、仕事とゲームの男には、その変化が判らなかったという事になっています。やはり、積極的に関与していくという事が大事なのだと思いました。

ジェイソン・ライトマン監督は、「とらわれて夏」とか見た事ありますが、しっかりした展開の、面白いドラマを作ってくれる監督さんだと思います。ジェイソン・ライトマンといえば、ゴーストバスターズの最新作を期待しているのですが、なかなか公開されません。コロナ関連でいろいろ公開が遅れている映画がありますが、はやく普通に見られるようになって欲しいものです。

2021.1.17 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「クエシパン ~ 私たちの時代」 民族のプライドに生きる女性

オンライン映画祭の「第11回マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル(MyFFF)」からの鑑賞です。2021.1.15-2.15の期間中は、各国から無料視聴できるほか、Amazonなど多数の配信サイトからも作品が見られるようになっているようです。この作品は、非コンペティションで、2019年の映画。ケベック先住民のインヌ族を主題としています。監督は、ミリアム・ヴェローです。プレミアは、TIFF(トロント)で、バンクーバー国際映画祭では、新進監督としてスペシャルメンションを授与されました。
原題:Kuessipan (2019)

あらすじ
子供の頃から一緒に育ったミクアンとシャニス。シャニスは母の死でおばさんの家に引き取られてしまい、追いかけたミクアンは、シャニスを見つけ、いつまでも常に一緒にいることを約束しあいます。そして、時は流れて17歳になり、二人はクラブで羽目をはずす年頃となっていました。その時、ゲームでミクアン(Sharon Ishpatao Fontaine)にキスを求めてきた白人男性のフランシス(Étienne Galloy)が、ふとしたことで場を混乱させてしまい、シャニス(Yamie Grégoire)の彼で粗暴なグレッグ(Douglas Grégoire)はその場にいた差別的な男性を滅多打ちにしてしまいます。その後、ミクアンは作文教室で一緒のフランシスと仲良くなり、一方、グレッグは逮捕され、シャニスは白人男性と付き合うミクアンに割り切れないものを感じ始めます。

ミクアンは、フランシスと共にケベックシティの大学への進学を決めますが、家族やシャニスの猛烈な反対にあいます。有望なアイスホッケー選手の兄のマチュー(Cédrick Ambroise)は進学していたため、ミクアンは納得がいかず、白人のフランシスを信用しないシャニスと、絶交状態になりました。フランシスを交えたミクアンの家でのクリスマスパーティにも、シャニスは現れず、家でグレッグやその仲間と過ごしていましたが、シャニスは喧嘩してしまい、グレッグに殴られ、ミクアンの家を訪れます。そして、シャニスの様子を見たマシューが、グレッグに一言言ってやろうと出ていきます。ミクアンはシャニスをなだめ、再び関係を取り戻しますが、家の中に悲鳴が響き渡ります。マチューが途中で事故を起こし、亡くなってしまったのです。

マチューの葬式も終わりましたが、ミクアンの家は悲しみに包まれています。ミクアンはグレッグが逮捕され連れ去られたシャニスに意見し、二人は絶交してしまいます。そして、フランシスも、ミクアンたちとの壁を感じて去っていきました。時がたち、ミクアンは弁論大会でインヌ族のアイデンティティを語り、ケベックシティに向けて旅立つことになります。そして、車でシャニスの家の前までくると、二人目の子供を身ごもった彼女に別れを告げ、二人は抱擁を交わすと、シャニスは去っていく車をいつまでも見送ります。数年後、大きくなった子供たちを連れたシャニスは、書店で本を見つけました。それは、ミクアンがシャニスを題材にインヌ族の誇りを込めて描いた詩集でした。シャニスはその本を手に取り、微笑んでいるのでした。



クエシパン ~ 私たちの時代

ケベック先住民インヌ族の保留地を舞台とした、二人の少女の成長の記録が描かれる映画です。小さいころからの親友の二人。乱暴な男、グレッグの子供を産み、部族の誇りを保ちながら生きるシャニスと、白人男性と恋に落ち、卓越した文才を持って都会へ出ていこうとするミクアン。シャニスは、子供をたくさん作って育て上げ、土地にしっかり根付くことに、部族を守り発展させる方向を見出していて、ミクアンはバランスの取れた交流を取り入れ、より高度なものを目指そうとしていると思います。そんな二人の考え方の違いと、部族の人々との交わりのなかで、インヌ族と保留地の現状を静かに描いていきます。

ほぼ、言いたいことはラストの方でまとめられていると思いました。ミクアンの弁論大会での発言、そして成長したシャニスの姿で語られる、インヌ族の考え方。ミクアンは、インヌ族の言葉には自由と言う概念が無いと言います。あえて言葉て表現することではないのでしょう。そして似た言葉として土地を上げました。自分たちの土地に根付くということが、自由と言う概念に近いという事になります。面白い概念だと思いました。そして、ミクアンはシャニスを題材とした詩の中で、そのような部族を支える女性たちを讃え、そうした女性たちには常に笑顔があると表現します。シャニスの笑顔の向こうに、部族の未来を託していきました。

全体的に静かな流れの中で、いくつかの事件が起きながら、大地と一体となって動いていくような物語です。そこにいる人は、皆現代的な普通の生活をしていますが、いつも保留地と言う制約や、先住民と言う身分に不満を持ちながら、決して誇りを失うことなく、部族を繁栄させていきたいという、静かでありかつ強力な願いの中で、躍動的に描かれていきます。そして、部族を支える主人公は、笑顔を絶やさない女性たちという所に持ってきているところに、監督であるミリアム・ヴェローの信念が反映されているのでしょう。出演者はアマチュアの方がほとんどだと思いますが、演技は皆素晴らしかったと思いました。

2021.1.25 HCMC自宅にて、MyFFFサイトからのオンライン鑑賞

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「カミーユ」 戦場カメラマンとしての紛争に関わる意義

Amazonに新しく登場していた作品の中からの鑑賞。カミーユは、ボリス・ロシキーヌ監督の作品で、2019年の映画です。中央アフリカ内戦を取材中に殺害されたフォト・ジャーナリストである、カミーユ・ルパージュの行動を綴った、ドキュメンタリータッチの映画でした。ロカルノ国際映画祭で観客賞を受賞しています。ユニフランス・フィルムズの主催する、第11回マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバルの2021年ラインナップ(2021.1/15-2/15)として、ネット上でも無料で見ることができました。
原題:Camille (2019)

あらすじ
フランス部隊が発見したトラックに、一人の白人女性が死体となって横たわっていました。そして、物語は2019年9月に遡ります。第二次中央アフリカ内戦は、2013年にイスラム勢力セレカの侵攻で始まり、これに対抗する民兵勢力や反バラカ勢力が蜂起し内戦状態に突入すると、国連軍が介入します。その最中、南スーダンを離れたフォトジャーナリストのカミーユ(ニナ・ミュリス)は、首都バンギに入りました。当初は大学の寮を取材し、デモを展開する学生たちと交流するカミーユですが、学生たちの間でも、宗教などの違いから、いがみ合いが発生していきます。カミーユは、学生のリーダー格のシリル(Fiacre Bindala)や、その恋人レイラ(Ousnabée Zounoua)と親交を深めていきますが、シリルがデモで目立ちすぎ、セレカの一味が彼を求めて学生寮を襲う事態となり、シリルは身を隠すことになりました。

そんな最中、単独で行動しづらいカミーユは、フランスの記者たちと行動を共にするようになります。戦地を転々としてきたカメラマンたち。しかし、カミーユは転々とすることに疑問を感じます。そして、セレカの侵攻が本格した日、カミーユたちは紛争地に向かうと、たくさんの死体や、現実に目の前で行なわれるリンチに向き合うこととないました。シリルの隠れ家の隣人も襲われ、レイラもイスラム教徒と間違われて殺され、未来に向けた共存を学生たちに説くカミーユは、学生たちからフランス人はこの土地から出ていく存在だ。ここは我々の土地だと激しく返されました。悩むカミーユは一旦故郷に帰国、家族や友人とつかの間の楽しい日々を過ごし、出版社を訪れると、ウクライナの取材を勧められますが、カミーユは一人でバンギに戻って行きます。

シリルの所属する部隊を訪ねたカミーユですが、部隊は緊張しており、スパイと疑われて捕らえられてしまいます。そして人望の厚いシリルに助けられると、カミーユはシリルの部隊と共に行動を共にするようになります。それは実際の弾が飛び交う戦場に向かう事で、もう学生デモの取材とは訳が違いました。カミーユは、戦地近くに住まわざるを得ない家族たちから、戦争の苦悩を聞かされ、シリルたちからも丁重に扱われているうちに、自分の落ち着ける場所はここだと考えるようになります。そして、町に戻ると、反バラカの人々と親交を深めていきます。そして2014年5月12日。部隊に同行したカミーユは、もう戻ってくることはありませんでした…。



カミーユ

地域紛争に関する問題や、戦場カメラマンとして取材に行く立場の問題について、大変明解に描かれた映画だと思いました。多くを盛り込み過ぎず、カミーユの取材に関する姿勢の是非を中心に描かれます。カミーユは、殺戮が繰り返される悲劇を少しでも回避すべく、実情を世界に知らしめるという使命感から、戦地に向かいます。プロのカメラマンは戦地を転々とし、旬な売れる戦場を目指します。カミーユは売れない戦場で、実際の生活に入り込み、親交を結んでいきます。プロカメラマンは、それは大変危険な事だと言います。親しくなればなるほど、責任を分担しないといけなくなるからだと思います。

このカミーユの考え方は、ある意味人道的であり、正しい姿だと思います。職業的にスクープを追うカメラマンは、華々しく脚光を浴びるのですが、最後の方に、中央アフリカに安住の地を求めてしまう、言わば趣味の延長ともとられかねない感情は、確実に開拓者としての何かを生んでいく可能性があると思います。人間の持つそういった行動の特性から、いろいろな物が生まれてきたと思うのです。現実は大変厳しくギャップに悩みます。そして、移り行く戦場は、大学生を一人前の軍のリーダーに育て上げ、志は残しながらも、活動が長くなれば責任も重くなっていくという雰囲気も、良く描かれています。

実際のカミーユの死に関しては、比較的単純に描かれていますが、利権や権力闘争など、狭い地域の中でのいろいろな問題も絡み合う部分があったと思いますが、ここでは、そういった問題は極力省かれ、カメラマンカミーユの人間像に迫っていきます。そして、国を離れ海外で活動するという事に関する意義を改めて考えさせられます。この映画のロケは、未だ混乱が収まらない中央アフリカで行なわれていますが、内戦の映像化という、たくさんのエキストラを動員し、役作りもしないといけない映画ですので、民衆を動員する部分とか、目立たないですが、大変な苦労があったのではないかと思いました。

2021.1.24 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「うず潮(1975)」 南の島のカトリーヌ・ドヌーヴ

Amazonのウオッチリストに長らく溜まっていた映画。何か見てみようと、とにかくという感じで鑑賞しました。70年代のフランスのロマコメ。昔はけっこう見ていた記憶がありますが、これはありません。似たような雰囲気の邦題が多いです。主役の二人が魅力です。監督はジャン=ポール・ラプノー1975年の映画です。 セザール賞では4部門のノミネートがありました。原題は’Wild’みたいな意味ですね。フランス・イタリア合作です。
原題:Le sauvage (1975)

あらすじ
ナイトクラブを渡り歩くネリー(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、ベネズエラで、金持のヴィットリオ(ルイジ・ヴァンヌッキ)と婚約しますが、結婚式を挙げる寸前に気持が変わり、逃げだしたくなります。ヴィットリオの仲間のアレックス(トニー・ロバーツ)に、逃亡する旅費を頼みますが断られ、アレックスの大切にしているロートレックの絵を盗むと、ヴィットリオとホテルでひと悶着の挙句、隣の部屋のマルタン(イヴ・モンタン)の手助けもあって逃亡してしまいます。マルタンは、世界一の香水作りの名手であり、香水会社の社長でしたが、文明社会をきらって孤島で原始的な生活を送っていました。そして翌朝、マルタンはネリーにパリまでの切符を渡し、送り出しました。

ところが、マルタンが孤島のわが家に戻ると、そこにネリーが待っていました。空港でひと悶着あり、再びヴィットリオに追われて逃げ込んできたのです。マルタンにとっては、迷惑な乱入者でしたが、孤島で二人だけの奇妙な生活が始まり、いつしか魅かれ合うようになっていきます。しかし、ある夜ヴィットリオたちが乱入し、孤島の家は焼き払われ、ネリーは連れ去られてしまいました。マルタンは、香水会社の部下たちと、妻のジェシー(ダナ・ウィンター)に救出され、会社に戻るよう説得されますが、これを拒否し、契約不履行で刑務所で服役することになります。月日は流れ、出所したマルタンはネリーを探し歩き、彼女がヴィットリオとすでに離婚していたことを知って、二人が出会ったホテルを訪ねると、フロントにネリーの伝言があり、フランスの片田舎を訪ねました。そこには、小さな家で、ネリーがマルタンの帰りを待っていたのでした。



うず潮(1975)

70年代のフランスのロマコメ。いつもながら破天荒な展開になることが多くて、肩ひじ張って見ると細かい所が気になりだすので、ここは素直に、二人の名優を楽しむことにします。何と言っても、カトリーヌ・ドヌーヴの美貌の鑑賞ですね。これには文句はありません。イヴ・モンタンも孤独で実直な男がいい雰囲気です。二人とも、普段のイメージのキラキラした役柄というよりは、破天荒で泥まみれにもなる感じで、新鮮でした。展開もやみくもに突飛、というほどでもなく、楽しく見られたと思います。

ロマコメらしく、舞台もなかなか整っています。まず、無人島の生活というのも美しです。青い海に突き出た一本の桟橋。ジャングルの風景と、小さな畑。小型飛行機やボートなど、いろいろ旅情をくすぐる道具立てが揃っています。ロケーションはバハマとありますが、南の島の楽園の雰囲気を楽しむのにもいい映画でした。思わず、こういった世界中の美しい土地を訪ねて見たくなります。やはり映画には、こういった効用もあると思った次第でした。

そんなフランスのロマコメですが、やはりストーリー展開は独特な雰囲気があって、異彩を放っています。かつて、ごく普通にこういった映画を見ていたと思うと、時代が変わったなぁと感じることもありますが、今では当時の雰囲気を懐かしく思いつつ、この世界に没入してしまうのも、至福のひと時なのでした。そして、やはりそこにいるのはカトリーヌ・ドヌーヴなのでした。

2016.1.17 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
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「フラットライナーズ(1990)」 過去の罪への贖罪の物語

チェイン・ヴューイング第8回。前回の「臨死」は今一つということで、同じく臨死体験を扱った映画に再挑戦。「フラットライナーズ」を見ることにしました。リメイクされていて2本あるのですが、まずはオリジナルの1990年の映画を鑑賞です。監督はジョエル・シュマッカー。90年代に活躍した若手俳優たちが出演しています。オスカーでは、音響編集賞にノミネートがありました。
原題:Flatliners (1990)

あらすじ
医学生ネルソン(キーファー・サザーランド)は、死の壁の向こうを覗こうと、自ら実験台にして体験する計画を仲間のレイチェル(ジュリア・ロバーツ)、デヴィッド(ケヴィン・ベーコン)、ジョー(ウィリアム・ボールドウィン)、ランディ(オリバー・プラット)に打ち明け、皆を誘います。それは、人工的に心停止及び脳死状態を作り出し、仲間が数分後に蘇生させるというもの。最初はまずネルソンの心臓を停止させ、1分後に蘇生を試みました。死後の世界から戻ったネルソンは、不思議な映像を見たことを語りますが、その後彼は幻覚を見るようになります。

次に遊び人のジョーが実験台になり、女たちの映像を見ます。そして、ジョーも幻覚に襲われるようになっていきました。ネルソンは、子供の頃木の上に追いつめて誤って殺してしまった少年ビリーが実体化して彼を襲い、ジョーは過去に弄んだ女たちの姿を見るようになります。実証派のデヴィッドはさらに停止時間を延長して実験に臨み、彼も幼い頃いじめた、少女ウィニーの幻影を見るようになりました。そしてデヴィッドは、そのような結果になることを話さなかったネルソンを問い詰めます。最後に実験を受けたレイチェルは、戦争から帰り、麻薬を射っている所をレイチェルに見られて自殺した父を見ます。いずれも、死後の世界から戻ると、自分の潜在意識にある罪の映像を蘇らせてしまうようでした。

デヴィッドは、ウィニーを訪ねて謝罪、レイチェルは幻影の中の父に許しを乞い、罪の意識から解放されますが、ネルソンはビリーの墓で祈ることでは許されず、一人で実験台に戻り、死後の世界に永遠に旅立つ決意をします。その行動に気づいた4人は、実験場所に急行。ネルソンは死後の世界でついにビリーに許され、それと同時にデヴィッドたちはネルソンの蘇生に成功し、ネルソンは仲間たちの姿を見て、自分が許されたことを知ったのでした。



フラットライナーズ(1990)

この映画のメインテーマはそれぞれの登場人物の贖罪でした。臨死体験と言うのは、いわばのその道具立てとしての状況設定。確かに人類の永遠の謎である、死後の世界を知ることは、映画として具体的に突き詰められないのは当然ですね。それを突き止めようとする映画はいくつかあって、例えば「マーターズ」のような、人に死の苦しみと同等の体験を、生きながらにさせるとかいった激しい映画もあります。この映画では医学によって臨死体験を作り出すという方法。それでも生還が求められるスリルがあるため、そのギミック自体が面白く見られるということになります。

いじめで相手を誤って殺してしまったネルソン。いじめをしたことを罪と考えていたデヴィッド。不慮の出来事で父を自殺させてしまったと考えているレイチェル、婚約者がいながら次々と他の女性とのセックスを隠し撮りし、ビデオにしてばらまいていたジョーの4人。罪の意識からこの実験から参加した者もいて、事故性があったり若気の至りだったりという3人は、贖罪によって許される結果になっていきますが、どうやらジョーだけは許されなかった感じです。現在進行形でもあり、かつやっていることが鬼畜ですから。映画としては良くまとまってはいますが、臨死体験とテーマとの噛み合いが、ちょっと散漫にも感じました。まぁまぁ面白かったという結論です。

2017年版のリメイクはどうなったかな?という興味も少しありますが、むしろこの映画に出ている出演者たち、90年代の売り出し中の若手俳優がたくさんで、そこは大変楽しめました。ケヴィン・ベーコンや、紅一点のジュリア・ロバーツの映画はいろいろ見た記憶があります。決してファンではなかったのですが、今も大女優として活躍されているので、彼女の新しい作品をじっくり見てみたいなと思いました。チェイン・ヴューイング、次は決まりです。

2021.1.16 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「妹」 どうしても時代の雰囲気を楽しんでしまう

ウォッチリストに溜まっていた映画から、ふと思い立って「妹」を見始めました。70年代をテーマを見ていた時に入れたかな?藤田敏八監督、秋吉久美子主演の作品で、同年に同じ組合せで3つ作られた作品の一つです。1974年の映画です。主題歌はかぐや姫の「妹」ですね。

あらすじ
小島ねり(秋吉久美子)は、同棲していた耕三と別れ、兄の秋夫(林隆三)の家に帰って来ました。その翌日の朝、耕三の妹の和田いづみ(北河多香子)が、ねりに事情を聴きたいと訪ねてきます。耕三も同時にどこかに消えてしまい、家出の理由や行先を聞きに来たのでした。しかし、ねりはろくな返事をせず、秋夫も加わって口論となり、いづみは鎌倉に帰っていきました。耕三の行方をさがす、和田家の人々はしきりに事情を尋ねようとし、和田研二(村野武範)は、ねりを和田一夫(伊丹十三)の家に連れてくると、兄弟たちが揃っていました。しかし、ねりは何も知らないと言い張ります。

一方、兄妹ふたりの生活となった秋夫は、ねりを妹として見ながらも、一人の若い女性としても意識してしまい、そのはけ口を求めて出歩くようになります。ある日ねりは、秋夫の恋人ミナコ(吉田日出子)への遠慮もあって、叔母の岩上とよ(初井言栄)の営む焼き鳥屋の2階に住み込みます。そこには、腱鞘炎でソープで働けなくなった、娘のみどり(片桐夕子)が住んでいて、打ち解けると耕三を崖から突き落としたことを告白し、みどりはそのことは誰にも言ってはダメと釘を刺しました。一方、ねりの消息を尋ねる秋夫は、和田一夫の家を訪れると、一夫に体を求められてしまい、それを一夫の妻に見られたことから、一夫一家は心中してしまいました。

やがて秋夫のもとに戻ってきたねりに、秋夫は花嫁衣裳を買い、近所の写真館で写真を撮ると、鎌倉の耕三の家で、耕三の帰りを待つように勧めます。そして、秋夫は用地買収にかかっている家を手放すことを決め、ねりを車に乗せて鎌倉に送り届けました。その数日後、ねりは遺書のようなものを残し、寺で剃髪をしたという情報を最後に足取りが途絶え、消息がつかめない秋夫は、一人で屋台のおでん屋を営みながら、ねりを想うのでした。



妹

この映画に限ったことではないのですが、このあたりの映画を見ていると、どうも映画の内容以上に雰囲気を楽しんでしまいます。過去を懐かしむのも古い映画の効用でもあるのでしょう。そういう向きの人の為の、映画市場も存在するのかもしれません。内容は、70年代の映画らしく、妙に過激と言うか、エロ+人が簡単に死んでいきます。サービス気味に挿入される、ひし美ゆり子の濡れ場とか、待ってましたという感じで盛り上がりますし、男色がばれただけで一家心中というのも、ちょっとぶっ飛んでいます。そんなところも見ながら、すべてが70年代だなぁ、と懐かしむ次第です。

秋吉久美子の妹役は、いつも素晴らしいです。「昭和枯れすすき」とかも大好きでした。ここでも、しっかりと不思議な妹役です。兄の林隆三から見れば、かわいい妹であり、年頃の女であり、その二つの間を揺れ動く描写が見事に気持ちに入ってきます。その微妙な雰囲気がこの映画の売りでもあると思いました。片桐夕子が素晴らしいと思いました。ぞくっとするような大人の女になっています。少し後の時代の女性の雰囲気まで持っていると思いました。さて、この主題歌は、カラオケでのオジサンたちの愛唱歌の一つですが、歌に基づいているということなので、ちょっと検証してみましょう。

「ふすま一枚へだてて小さな寝息」そういうシチュエーションですね。「夜が明けると花嫁衣裳を着る」花嫁衣装は着ました。「お前は器量が悪い」これは、違うでしょう!「あいつは俺の友達」そうなのかな?「父が死に母が死にお前ひとり」その通りです。「味噌汁の作り方」すぐに作ってましたね。「どんなことがあっても我慢」しませんでした。「だめだったら帰っておいで」帰ってきちゃいましたね。ということで、基本設定はかなりリンクしていることが判りました(笑)。

2021.1.15 HCMC 自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「邂逅(1939)」 すれ違いの美しいラブストーリー

下書きから発掘です。邂逅は、アカデミー作品賞ほか6部門のノミネートされましたが、残念ながら受賞はなりませんでした。1939年の映画で、レオ・マッケリー監督による、すれ違いのラブストーリーです。
原題:Love Affair (1939)

あらすじ
プレイボーイの有名人ミシェル(シャルル・ボワイエ)と、大富豪令嬢ロイスとの婚約は、世界中のニュースを駆け巡ります。そのミシェルは、アメリカへ向かう船旅の途中、一人旅の女性テリー(アイリーン・ダン)に声を掛けます。彼女は歌手で、実業家のケンがパトロンになっていました。船はマデイラ島に停泊。二人はミシェルの祖母(マリア・オースペンスカヤ)の家を訪ねます。テリーは、ミシェルの祖母から、ミシェルの幼少期の話を聞き、また祖母は彼を変えるような良き伴侶との出会いを望んでいました。そして、祖母の伴奏で、テリーは歌を披露し、別れを告げます。ニューヨークへの到着を前にミシェルは、一人前になったら半年後にプロポーズがしたいと告白しました。そして、半年後の5時に、エンパイアステートビルの展望室での再会を誓いあいました。

テリーはやがて、ミシェルの婚約解消の報道を見て、約束を果たそうとしていと確信します。テリーも自立すべく、フィラデルフィアでホテルの専属歌手となり、ミシェルは看板や絵画を描き始めます。そして約束の日、遅れそうになり、急ぐテリーは、ビルの手前で交通事故に遭ってしまい、ミシェルは何時間も待ち続け、やがて諦めました。テリーも命は助かったものの、快癒にはいたらず、ミシェルに連絡しないようケンに頼みます。失意のミシェルはマデイラ島に渡り、祖母が遺品としてレースをテリーに遺したことを知り、テリーは車椅子で孤児院に通い、子供達を歌で励ましていました。

半年後のクリスマスイブ。ロイスはミシェルを探し当てて演劇に誘います。劇場にはケンとテリーも来ており、二組のカップルは挨拶を交わします。ケンはテリーに援助を申し出ますが、テリーは断り、ミシェルも、ロイスとは何事もなく別れました。イヴに合唱を披露する子供たちへの指導と激励を終えたテリーのところに、ミシェルが訪ねてきます。ミシェルは、船の切符を買っており、今夜中に旅立つ予定でした。彼は祖母の形見のレースをテリーに渡し、テリーがレースを羽織った姿を絵に描いたこと、そして、彼の想いに共感した貧しい女性客が絵を購入した、と話しました。そして、まさかと思ったミシェルは、部屋を見回し、鏡に映ったその絵画を見つけると、ミシェルはテリーに歩み寄り、お互いの想いを知って微笑みを交わすのでした。



邂逅(1939)

それほど、大きなストーリー展開が無く、待ち合わせのすれ違いと、その解決がポイントのお話でした。船上での出会いから愛が生まれてくるまでが、エピソードをいくつも織り込みながら丁寧に描かれています。その中でもマデイラ島での祖母との出会いは感動的でした。ラストの誤解の解き方はどうなるのだろうと思って見ていたのですが、こういう形とはちょっと思いつきませんでした。確かに、十分伏線が張られていますし、華々しい終わり方ではないのですが、しみじみ納得して終わる感じで、それも綺麗にキリがいいところで終わるので、いいラストだと思いました。

ヒロインのアイリーン・ダンは勿論素晴らしいのですが、相手役のシャルル・ボワイエが絶妙と思いました。遊び人のお金持ち役ですが、いろいろなエピソードで見せる演技が、ヒロインへの愛情を感じさせるもので、うまく役を演じていると思います。ストーリー面では、素直に見てはしまいましたが、本人同士が連絡を取らないのも不思議ですし、どこかにお節介な人がいそうな気もするのですが、まぁ。そのあたりはそういうストーりーということで…。古き良き時代のお話です。それが自然に見えるところもいいところです。

この映画は、何度もリメイクされているようですが、まだ見ていません。時代が新しくなってくると、連絡手段やメディアも発達してきますので、こういったすれ違いの物語は、また一工夫いるのではないかと思います。この映画の脚本は監督デビュー前のデルマー・デイヴィスなんですね。西部劇では楽しませてもらいました。この映画の公開は1939年。この作品もオスカー候補になりましたが、多彩な作品が目白押しの一年でした。まさに黄金期の中心で、次々と映画史に残る名作が公開された年なんですね。

2020,7,4 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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プロフィール

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Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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