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「甘き人生」 見事なラストに人間の成長を考える

非英語圏のヨーロッパ映画を見る10月その9。以前映画館の予告編を見た記憶があり、何やら往年の名画を思わせるようなビッグな邦題なので記憶しているのですが、原題は「良い夢を」。まぁ、「おやすみなさい」って感じですかね。2016年の映画で、監督はマルコ・ベロッキオ。イタリア・フランス合作作品です。
Fai bei sogni (2016)

あらすじ
朗らかな楽しい母(バルバラ・ロンキ)と一緒に過ごしてきたマッシモは、母のお休みの言葉で眠りについた次の日、突然母がいなくなってしまいます。マッシモは母が入院していると教えられますが、連れて行ってはもらえず、ついに神父から母の死を告げられ、葬儀も行われました。しかしマッシモは、母の死を信じることができず、父(グイド・カプリーノ)は心を閉ざしたマッシモに親しく接しますが、マッシモのわだかまりは消えませんでした。マッシモは友達の家を尋ねた時、母を疎み邪険にしつつも、仲のいい親子を見つめ羨ましく感じます。そして、自分の母はニューヨークにいると嘘をつくのでした。

1992年マッシモ(ヴァレリオ・マスタンドレア)はローマで記者として働いていました。恋人とは心の内を話すこともなく、冷めた関係でした。知り合いの大富豪を訪ねた時、ちょうど警官が彼の身柄を拘束に来たため拳銃自殺をする場面に出くわし、マッシモは編集長の言うままにそれを記事にします。1993年混乱のサラエボの取材時には、遺体となった女性と、ゲームをしている少年を並べてカメラに収めます。そして、ローマに戻ったマッシモのもとに、叔父が保管していた母のマッチ箱が届き、母を思い出して、パニック発作を起こしてしまいます。病院に電話して、医師の指示に従うと落ち着いたので、改めて病院を訪ね、電話で話したエリーザ医師(ベレニス・ベジョ)を信頼し身の上を話すと、父が教えた心筋梗塞という母の死因はあり得ないと教えられました。

1995年。マッシモは久しぶりに父に会い、父の再婚と、家や遺品をすべてマッシモに残すと告げられます。新聞社では、母への憎しみを書いた投稿に返答を書くように指示され、マッシモは自分が母を失った体験を中心に記事を書くと、大きな反響を呼び、たくさんの読者からの手紙がマッシモの元に届きますが、マッシモは素直に喜べませんでした。マッシモはエリーザからの連絡で、彼女の祖父母のダイヤモンド婚式を訪れ、誘われるままダンスを踊り、エリーザとキスを交わします。

マッシモは父の死後、家を売ることにして片づけをしている最中、母の死の記憶がよみがえり、叔母を呼び出して本当の死因を問い詰めると、重病を苦にした投身自殺だったと告げられます。マッシモは母が自分をおいて自殺したことにショックを受けます。そして、エリーザとの二人の部屋。横たわるマッシモを優しく抱きしめ、母を「行かせてあげて」とささやきます。マッシモの記憶の中では、家の中での母とのかくれんぼが蘇ります。それは、隠れた母が見つからず不安になった時、母が現れて優しく抱き締めてくれた記憶でした。



甘き人生

少年期に母が亡くなったと告げられ、それが信じることができないまま、大人へと成長していった少年の物語でした。マッシモの目を通して世界を見ていくので、見ている方も本当に母が死んでいないのではないか?という疑念が湧いてきます。人の言う事は全く信じられないという設定で話が進み、誰もが納得する客観的証拠で母の死が確定します。細かいところですが、そのあたりは、しっかりできていると思いました。物語のほとんどは、マッシモの微妙な揺れる心情を通してみた世界が描かれ、最後の数分で展開して、しっかり締めるという、面白い構成だと思います。

ラストの数分が秀逸でした。ずっと、決して突き抜けない、フラストレーションがたまる様な展開で話が進んだ後の、エリーザの一言と、象徴的な母のかくれんぼの記憶で、親子の愛情の核心を優しく表現していたと思います。最後が決まっている映画は、決して印象が悪くなる訳がありません。また、この映画の中では、いくつかの決して幸福とは言えない、人生の断片が描かれていました。それと、ラストを組み合わせながら、移ろいゆくいろいろな人生の無常観と、それでも続く人間の営みを、様々な形を表していると思いました。

原題は、Have a good dreamなので、母が最後にマッシモかけた言葉です。母の言葉で、マッシモはずっと夢を見続ける結果になってしまったのかもしれません。優しい母の姿が決して死んではいないという夢かもしれません。マッシモの成長に、この母の喪失がずっと影を落としています。人間の性格形成にはいろいろな要因があると思いますが、普通に母親がいて育った場合と、そうでない場合も、そういった一つの性格を左右する要因であることは間違いのないもので、それは、残念ながら、良くも悪くも最後まで人生に付きまとうものであるということは、まぎれもない事実だと思います。

2020.10.25 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞
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テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「2重螺旋の恋人」 シュールな映像のクールな心理ドラマ

非英語圏のヨーロッパ映画を見る10月その8。今回は、ちょっとエロチックで独特な雰囲気の心理ドラマというイメージを持っている、フランソワ・オゾン監督の作品です。2017年の映画で、フランス・ベルギー合作作品。カンヌのノミネート作品でした。
原題:L'amant double (2017)

あらすじ
クロエ(マリーヌ・ヴァクト)は、長い間腹痛に悩まされ、精神分析医のポール(ジェレミー・レニエ)を訪れます。ポールの診療に通い続ける間に、クロエの症状も落ちついていき、二人はお互いに恋人同士となっていきました。新しい部屋でを借り、同棲を始めた二人ですが、その引越しの荷物を片付けていたクロエは、ポールの私物を覗き見し、ポールが、以前は別の姓だったことを知り、不安を感じたクロエは、ポールに確認しますが、ポールは開業時に母方の姓にしたと話したうえ、二人は隠し事をしないことと、互いの私物は見ないという約束を交わしました。ある日、クロエはポールが女性といるのを見かけ、後日、目撃した場所に行ってみると、そこは精神分析医のクリニックで、ルイ・ドゥロールという、ポールの元の姓と同じ名前が記されていました。

クロエはルイのクリニックを受診すると、ポールと瓜二つの男性が現れます。彼は、ポールは双子の弟だと話しますが、性格は全く異なり、強引な男性でした。ルイはクロエの内心を見抜き、クロエはポールに不審を抱く一方で、ルイの事も気になるようになり、ルイからの受診を繰り返すうちに、ルイの強引な態度に抗えず、ついにベッドを共にします。そして、ルイから、双子の関係性について話を聞き、その中で、母の子宮内で2つの胎児だったものが一方を吸収した「共食い双子」の存在を知ります。クロエは、ルイの元に通い続け、快楽に溺れていくようになり、ルイが、ポールがクロエの恋人だと気付いていることも知ります。クロエはやがてポールにプロポーズされると、腹痛が復活。クロエは妊娠と結婚をルイに知らせると、彼に殴られ、クロエはルイを拒絶し始め、一方のルイは執拗にクロエを追うようになりました。

クロエの誕生日、美術館にポールが訪ね来たので食事に向かうと、実はポールに扮したルイでした。クロエが逃げ出すと、ルイは、元ポールの恋人のサンドラの名前を上げます。クロエはポールの私物からサンドラのことを調べ、直接会いに行くと、彼女は会話も出来ず寝たきり状態。サンドラはポールとの交際時に、ルイにレイプされ、それを許せなかったポールがサンドラと別れたため、彼女が自殺を計ったと教えられました。そして、その話をしたサンドラの母はクロエに、「あなたも餌食になったけど、楽しんだのね。売女め!」と罵ります。クロエは翌日、銃を持ってルイのクリニックへ向かい、ルイに銃を向けると、そこに全く見分けのつかないポールが現れ、混乱したクロエは片方に発砲。すると今度はクロエのお腹が破裂し、彼女は意識を失いました。クロエは搬送され、体内から胎児の時にクロエが取り込んだ双子の残骸が取り出されました。それは大きく成長して、クロエの精神や性的な面に影響を与えていたのです。茫然とするクロエにポールは、君のせいではないと穏やかに話し、クロエはそれはサンドラという姉だったと、呟くのでした…。



2重螺旋の恋人

静かで、涼しげな雰囲気の映画でした。ちょっとホラーっぽい感じも入っていました。フランソワ・オゾン監督らしい、エロチック感のある心理ドラマです。ヒロインのマリーヌ・ヴァクトの演技も雰囲気をうまく作っていて、とても良かったと思います。美術館の様子も、映像効果を発揮して、シュールでいい雰囲気を作っていたと思いました。ストーリーは終始クロエ目線の展開ですが、クロエの作り出す幻想と現実の狭間の描き方も、微妙なところがうまく描かれていました。だまされるというよりは、クロエの心を追いながら謎を解いていく雰囲気も良かったです。

結局、ポールとルイという双子の存在や、サンドラについても、すべてクロエの幻想だったと言ことでしょうか。そして、それはお腹の中のサンドラが見せていた幻想ということだと思います。そうなると、ラストの場面の解釈はどういうことなのでしょう。クロエ自身が呪縛から抜け出していったのか、あるいはサンドラの怒りのようなものなのか?双子と言う神秘的な存在と、その中で誰にも認知されてこなかった、一方の胎児の叫びが、もう一方に宿り続けるということがテーマだと思いますが、人の心にはいろいろな確執が芽生え続ける物なので、どう解釈すればいいのだろうと、ラストについてはいまだに理解に至っていないのでした。

クールな肌触りの心理ドラマで、美しい映像でじっくり見せてくれる映画体験は、なかなかスリリングで楽しかったと思いました。フランソワ・オゾン監督の作品は、機会があれば見るようにしているのですが、独特の雰囲気があって、いつ見ても不思議な心の中の世界に入っていくような感じで、気に入っているのです。まだまだ見ていない作品が多いので、これからも楽しみに見ていきたいと思っています。ヒロインと共に、ジェレミー・レニエの演技も、二役を演じ分けて素晴らしかったと思いました。

2020.10.25 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
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「バーチャル・レボリューション」 ブレードランナーへのオマージュとして

面白そうなタイプのSF映画がある!と思って見てみました。2016年の映画で、アメリカ・カナダ・フランス合作です。監督は、ギィ=ロジェール・ドゥベール。ブレードランナーのオマージュが満載との事。インディペンデント系の映画祭で、たくさんの賞を受賞したようです。
原題:Virtual Revolution (2016)

あらすじ
2047年、技術革新によりパリには仮想都市が出来上がり、人々は様々なアバターで仮想世界を楽しむうちに、人口の75%はコネクトとなって、オンラインの世界で過ごすようになりました。ナッシュ(マイク・ドプド)は現実と仮想空間を行き来するハイブリッドの私立探偵。彼は、元恋人のヘレナをサイバーウイルスで亡くし、その犯人も追っていました。ある日、サーバーを運営するシンターニス社のディナ(ジェーン・バドラー)から、仮想世界を脅かすテロリストの捜査を依頼されます。侵入した地下室で男に襲われたナッシュは、同じくハイブリッドで、ハッキングに長けたモレル(マキシミリアン・プーレン)の協力でつきとめたオンライン中のその犯人を殺害。その男に成りすまして仮想空間に入りました。

彼はオンライン上でカミーユという女性戦士(Kaya Blocksage)になり、テロ組織に潜入しますが、なりすましであることが発覚。テロリストにより抹殺されそうになりますが、なんとか危機を脱します。そして、現実世界に戻り、モレルとログアウト阻止の仕組みなどの調査にかかったところ、モレルのハッキングを知ったインターポールが現れ、協力を依頼されます。ティナに報告を終え帰宅したナッシュの家では、カミーユが待っていました。彼女は、テロリストの一員であることを認め、ヘレナはシンターニス社が、会話から殺人できるプログラムを作っていることを知ったことで、シンターニス社から消されたと証言します。

ナッシュは、テロリストに加担することを決意。オンライン状態にあるコネクトたちを、ウィルスによって強制シャットダウンすることにより、現実世界に戻す計画を実行に移そうとします。カミーユたちは、発達し過ぎた仮想世界を終わらせようと考えていたのです。ナッシュはテロリスト側の重要人物を救出し、連れ戻したところで、インターポールが介入。ナッシュを生かす代わりに協力を要請されますが、テロリスト側が襲撃してインターポールを殲滅。決行の日、ナッシュは一度仮想世界を訪れた後、シャットダウンを始めますが、途中で、異常に気付き慌てて戻ってきたコネクトたちが暴動を起こし、発信源を突き止め、テロリストを襲撃。ナッシュがウィルス発生時にその場にいたことがディナにわかり、シンターニス社から穏便に解雇されると、恋人はテロリストに殺されたのだと告げられます。そして、ナッシュはハイブリッドは止めて、仮想世界に生きようと考えるのでした。



バーチャル・レボリューション

2047年の近未来。人口の75%が仮想世界に生き、企業へのシステム使用料を元にした政府への納税、そして、税金による利用者への生活補助という形で金が回っている時代のお話です。そもそも人口の75%が生産活動に従事しないという社会設定に無理があると思いますが、科学の進歩のおかげ、すでに働かずに暮らせる時代になっているのでしょうか?ストーリーは、そういう設定の中では進歩もなくなり、人間に自由と活力を取り戻させようとして、システムをシャットダウンするという革命行為に出たら、仮想世界に住む人が行き場を失って暴動を起こし、革命家は瞬殺されてしまった。というお話でした。

意見思想を浸透させずに、単純にテレビのスイッチを背後から切ってみました…みたいなやり方なので、所詮これは無理ですよね。もっと仮想世界を上手くつかって仕掛けを作っていくといいと思いました。面白いなと思ったのは、ナッシュがシャットダウン決行前に、仮想世界の恋人と会えなくなることを悩み、一度だけ仮想世界に行って愛を語ると、「仮想世界だから何でもありでしょ」的なことを言われて、踏ん切りがついて戻ってくるところ。そもそも相手は現実世界では男かもしれないし、そんなのどうでもいい事、というのが仮想世界のお約束のようでした。

ブレードランナーを意識して、ヴィジュアルは頑張っていると思います。そういう訳なので映像はなかなか綺麗なんですが、見ていると、未来世界というのは夜ばかりですか?という感じになってしまいます。だから、明るい日差しを求めて仮想世界に行ってしまうのでしょうか?みたいな皮肉を感じてしまいました。この映画の仮想世界というのは、アバターを使ってゲームのように遊んでいるだけの世界みたいですが、もっと、いろいろな役割を負わせることも可能ではないかと思いました。ストーリーはなかなか面白いので、背景をもっと作り込むと、もっと面白くなったのかな?と思いました。

2020.4.5 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「吸血怪獣ヒルゴンの猛襲」 コーマン製作による超B級作品

Amazon Primeに、いかにも超B級という作品が、最近何本か登場しています。これもその中の一本。かの、ロジャー・コーマンプロデュースの作品でもあります。1959年の映画で、監督はバーナード・L・コワルスキー。しかし、このAmazonの作品群は、字幕の日本語がメチャクチャで、頭でもう一度翻訳し直さないといけないという酷い代物です。字幕に頼らず、原語で見ろという事でしょうか。
原題:Attack of the Giant Leeches (1959)

あらすじ
沼で密漁中のレム(ジョージ・シーザー)は、水中に潜む奇妙な生物を発見し、猟銃で撃退。デイヴ(ブルーノ・ ヴェソタ)の酒場で仲間に話しますが、誰も真剣に相手にしてくれません。州保安官のスティーヴ(ケン・クラーク)は、密漁の取締りの為沼地に行くと、デイヴの妻のリズ(イヴェット・ヴィッカーズ)が、レムの死体を発見したところに出くわします。コーヴィス郡保安官(ジーン・ロス)は、ワニによる事故死として片付けようとしますが、スティーヴは、恋人のナン(ジャン・シェパード)の父親であるグレイソン博士(タイラー・マクヴェイ)が、傷がイカやタコの吸盤跡に似ていることから、奇妙な生物がいる可能性を指摘したため、異論を唱えます。しかし、コーヴィスは全く相手にしません。翌日スティーヴは、ナンと共に沼地を調査しますが、何も発見できませんでした。

不倫関係にある、リズとカル(マイケル・エメット)が沼地の近くで情事にふけろうとしているところで、夫のデイヴに発見され、猟銃で脅されます。デイヴが二人を沼に追い詰めたところで、背後から2頭の巨大ヒルが出現。リズとカルは水中に引き込まれ、通報を受けたコーヴィスは、デイヴを殺人犯として連行しました。沼地の住人2人も捜索に行きますが、同じように引き込まれて、水中の洞窟に連れ込まれます。そこにはリズとカルも横たわっていて、巨大ヒルが4人の血を吸い始めたのでした。スティーブはボランティアを集めて彼らを捜索しますが、なにも発見できず、逆に他の動物が全くいないことに不審を覚えました。

ダイナマイトの使用に慎重なスティーヴに変わって、グレイソンはナンと共に独断でダイナマイトを仕掛けます。すると、爆発と共に、水上にカルたち3人の男の死体が浮上してきました。死体は完全に血を抜かれた状態で、死後あまり時間がたっておらず、リズが水中で生きている可能性もあると考えたスティーヴは、アクアラングを使って沼に潜ることにします。スティーヴが潜水すると、巨大ヒルが出現し、水中格闘が発生。浮かび上がってきたリズを回収すると、大量のダイナマイトを水中に仕掛けました。そして、爆発と共に巨大ヒルが浮かび上がってきたのでした。そして人々が去ったあと、巨大ヒルは微妙に動き始めたようです…。



吸血怪獣ヒルゴンの猛襲

映画としては。超B級、いわゆるZ級とみなされるものですが、それなりにファンも多いと思います。筋さえしっかりしていれば、自分で想像を膨らませ、肉付けしながら見たり、あるいはツッコミどころを思い切り指摘したりと、いろいろと楽しみも多いと思います。勿論この映画もご多聞に漏れず、そういう感じ。人物などの描き方も、かなりぶっ飛んでいるので、そこは足したり引いたりしてという感じ。そこまで真剣に見ることもないかもしれませんが…。エピソードも前後の脈絡が無いものや、矛盾するようなものもあるので、その辺は善意に解釈します(笑)。

巨大ヒルの造形は、人間がビニールの中に入って動いている様な手作り感がいいですね。「宇宙人東京にあらわる」のヒトデみたいな感じもありました。リズの頬に残した吸引口が不気味です。さて、リズは生きているのか死んでいるのか?解りません。そこは、映像での表現がうまくいっていません。そして、保安官たちと沼地の人の関係性は、あの「サザン・コンフォート」のケイジャンと外界との関係を思い出しました。なかなかアメリカも奥が深いです。Z級の映画の中にいろんなものが見て取れます。最後に近くのケープカナベラルとの関係性を思いっきり語るあたり、ちょっとSFしています。

この映画、きっとファンも一定数いるのでしょう。なんと2008年にリメイクが作られていますね。全く同じ原題なので、ネットで原題で検索すれば、容易に予告編が見られると思います。IMDbの点数が、1.4というZ級を通り越したような前代未聞の点数ですが、どうも予告編を見るに、Z級の映画をあえてZ級テイストを強調してリメイクしたように、見受けられます。元の作品は、そういった意図はなく、低予算なりに真面目な意図をもって取り組んでいるのでしょうから、それなりにファンも多く、今でも時折話題に上るのでしょう。リメイクはまぁ、ちゃんと予算をかけて作ったら面白かったかもしれませんね。でも1959バージョンを上回るのはそう簡単ではないような気もします。そう考えるとこれはこれで、低予算の偉大な映画と思えてくるのでした。

PS.浮かび上がってきた巨大ヒルを、放置して帰っちゃったのかな…。

2020.7.30 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「サンストローク ロマノフ王朝の滅亡」 滅亡の美学を見る

非英語圏のヨーロッパ映画を見る10月その7。今回は、ニキータ・ミハルコフ監督の近作で、日本では劇場未公開ではないかと思います。ミハルコフ監督の新作がもてはやされた時代は終わったのかな?と感じました。2014年の映画で、ロシアのGolden Eagle Award (ゴールデン・グローブのような賞?)では作品賞を獲得し、オスカーにロシア代表として出品されましたが、ノミネートには至りませんでした。
原題:Solnechnyy udar (2014)

あらすじ
1920年ロシア革命以降続いた内戦は、白軍がクリミア半島で敗戦したことで終結を迎え、捕虜となった白軍の将校たちは一か所に集められ、赤軍の監視のもとで絶望的な日々を過ごしていました。そんな中、ポルチック大尉(マルティンス・カリータ)は、「なぜこんなことに…」と終始呆然としながら、1907年のヴォルガ川での思い出を振り返ります。その時、当時中尉だった彼は旅をしていましたが、船の上で出会った美しい謎の女性(ヴィクトリヤ・ソロヴィオヴァ)にすっかり心を奪われてしまい、魔術師のショーなどがきっかけで接近。ついに夜の船内で口説き落とし、次の港で二人で船を降りたのでした。

二人はホテルで一晩をともに過ごし、翌朝謎の女性は、「これは日射病のようなもの、終わりにしなければ焼け焦げてしまう」と眠っている中尉に囁き、別れの手紙を遺して去っていきます。目を醒ました中尉は手紙を見つけ、船着き場に急ぎますが、既に船は出たあとでした。まだ、未練がのこる中尉は、波止場にいた少年イゴーリ(Sergei Karpov)に町や船のことをいろいろと尋ね、二人は心を通わせ、一日を過ごします。そして、夕方の船で町を出ることにした中尉は、少年に起こしてくれるように頼み、時計を手渡しました。しかし、間際になって慌てたため、少年は中尉に時計を返すのを忘れてしまいました。

収容された、白軍将校たちは、赤軍に厳しく監視され、危険人物が排除されたり、また、記念写真を撮影したりして、数日を過ごしました。そして、別の場所に移送すると言われ、全員バージ船に乗り込むことになります。運命を訝しむ彼らですが、どうすることもできず、バージ船に乗り込むと、入り口は閉じられてしまいました。そして船が出ると、ポルチック大尉の元にかつて少年に渡した時計が届けられました。イゴーリは、赤軍の下士官(Aleksey Dyakin)となって将校たちを監視し、世話をやいていたのでした。大尉は思わず船底の窓を開けて、成長したイゴーリに向かって別れの手を振り、桟橋のイゴーリは神妙に中尉に手を振り返すような動作で、タグボートにバージの切り離しの合図を送り、船は静かに湖底へと沈んでいくのでした。



サンストローク ロマノフ王朝の滅亡

ロシア帝国の終焉を描いた映画。皇帝の処刑などではなく、白軍の最後の瞬間を描いており、これが本当の終焉と言う場面でした。そして、それは一隻のバージとその沈没によって表現されていました。ミハルコフ監督の描く、1907年の世界が、無垢の美しさを見せて、最後の輝きを表現したような滅亡の美学となっています。その世界はあくまで美しく、帝国の特権階級の眼で見たイメージで、世間との乖離も感じます。中尉は、今までロシアにとどまり、広く世の中を見ていません。あくまで帝国に浸って、敗北後は、「なぜ、こんなことに…」を、繰り返すことになるのでした。

もともと3時間の映画で、Amazon Primeのものは、20分ほどカットがあるようです。まぁ、ゆったりした話ですし、何かのエピソードがカットされたのかな?解りづらかったのは、収容所で発生する一部の白軍将校の抹殺事件の部分ですが、そのあたりの関連かもしれません。原題は日射病。謎の女性が去り際に話す言葉です。この一夜の恋は日射病のようなもの。まぁ、ヤケドみたいなものというイメージでしょうか。やはり、1907年の回想シーンが隔絶された世界の様に、うっとりするほど明るく美しく表現されているので、一見の価値ありと思いました。思い出を美化したような、懐古趣味的映像でもあります。

さて、革命後の混乱で発生したロシア内戦の死傷者は300万人にのぼり、干渉軍として一国だけ膨大な軍隊を送り込み、その後の国際社会での孤立の原因ともなったシベリア出兵の兵士や、町ごと殲滅された、尼港事件の日本人も含まれます。ソビエト政権確立までの激しい戦争ですが、この映画の終焉を見て、大きな虚無感や不毛も感じているところです。そして、この映画の中には、あの戦艦ポチョムキンのオマージュが派手に登場していました。乳母車はじっくりと階段を落ちていきます。最後に膨大な白軍の将校たちを一枚に収めた記念写真の撮影場所も、あの階段ですね。このあたり、見事な演出と思いました。

2020.10.18 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「ヒトラーへの285枚の葉書」 確かで小さなレジスタンス

Amazon Prime にあった、ちょっと重めの映画の鑑賞です。以前、予告編を映画館で何度か見たことがありました。2016年の映画で、イギリス・フランス・ドイツ合作の作品。監督は、ヴァンサン・ペレーズです。ベルリン国際映画祭でのノミネート作品でした。
Alone in Berlin (2016)

あらすじ
第二次大戦中のベルリン。フランスへの勝利により、町はお祝いムードでした。そんな中、オットー(ブレンダン・グリーソン)とアンナ(エマ・トンプソン)のクヴァンゲル夫妻の元に、息子の戦死の報せが届きます。深い悲しみの中で二人に政権への反発心が生まれます。政府は資材確保のため、オットーが職工長をしている木材加工工場に生産性を倍増を求めますが、オットーは、機械を増やし怠け者を解雇するよう意見をし、これも政権批判と捉えられました。そして、オットーはカードに、政権批判のメッセージを書き始め、それをアンナは心配そうに見守るのでした。

オットーは政権批判のカードを、町中の目につくところに置き始めます。アンナはオットーの行動に理解を示し、同行するようになります。この事件に対し、エッシャリヒ警部(ダニエル・ブリュール)は町中にカードを置く犯人の捜索を開始。アンナもその頃、ナチスの組織であるNSFの活動を抜けることに成功しました。オットーはカードを公共の場に置き続け、アンナがこれを助けます。エッシャリヒ警部は、親衛隊から犯人の特定を急かされると、目撃者が現れ、似顔絵が作られました。アンナがお弁当を持ってオットーの職場を訪ねると不在で、心配になったアンナは警察に向かいますが、逮捕されていたのは別人でした。

エッシャリヒ警部は男の取り調べましたが、犯人像とは結び付かず、釈放します。しかし、親衛隊に叱られ、釈放した男を始末するよう指示されると、警部は、男を見つけで死ぬことを勧め、男は受け入れました。警部は男の死を親衛隊に報告しますが、カードは相変わらず発見され続けました。ある日オットーは、出勤した時、ポケットに穴が開いていることに気づきます。カードは部下に拾われてしまい、動揺せず通報するよう頼みました。オットーは連行され、全部で285枚のカードを書いたことを自供。アンナは関係ないと、釈放を要求します。裁判で二人は再会し、手を握って寄り添いました。結局、アンナも釈放されず、オットーは処刑されました。警部は全てのポストカードを読んだ、唯一の人物となり、事件解決後、カードを窓からばら撒くと、拳銃自殺したのでした。



ヒトラーへの285枚の葉書

以前、予告編で見ていたのですが。あまりにもガチなテーマに気後れし、見ずじまいとしていました。とはいいつつも、評価の高い映画でもあり、意を決して見てみることに。実際、政府側の捜査活動や、拷問などは、ちょっと控えめ。そのくらいでも十分威圧的ではあります。ほとんどは、クヴァンゲル夫婦の心境や、行動が主体で物語は進み、その中で当時の世相を含めていろいろな状況変化がうまく描かれていると思いました。

クヴァンゲル夫婦は、息子の死に対して憤り、ささやかな政権への抵抗を開始したという、小さなレジスタンス。行動を開始したことにより、抑圧した気持ちが取り除かれ、控えめながらも生き生きと活動していく様子が伺えます。しかし、その活動により、無実の人間が殺されるに至って、衝撃も受けたようです。そして、そのカードのほとんどを読むことになったエッシェリヒ警部には大きな影響を与えてしまいました。常にすべてのカードが手元にある訳ですから、本人以上にその主張が身に染みていたと思います。

夫婦の姿は、最後まで、非常に良心的に描かれています。悔いはたくさんあるかと思いますが、それでも最後までやり切ったという雰囲気が漂っていました。体制につかなければ誰もが生きにくい時代で、その緊張した生活の様子が良く表現されている映画であると思いました。そして、当時のベルリンの街の様子。特に路面電車の恥じる光景など、大変美しく映されていると思います。それぞれの運命を背負い、それに従って信念を持って生きるというテーマで、大きな力にはなかなか歯が立たない中で、「砂粒」として人の心を動かしていくということの崇高さを表現した感動作でした。

2020.5.24 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「ヒトラーの忘れもの」 地雷原に持続する緊張の100分

非英語圏のヨーロッパ映画を見る10月その6。以前に、予告編で見て、興味を持っていた作品の鑑賞です。ストーリー自体にも興味がありました。2015年の映画で、デンマーク・ドイツ合作作品。監督はマーチン・サントフリートで、オスカーの外国語映画賞ノミネート。ほか、デンマークの各賞を始め、東京国際映画祭などでも受賞がありました。
原題:Under sandet (2015)

あらすじ
第二次大戦時、ドイツ軍は連合国の上陸阻止の為、占領したデンマークの海岸に大量の地雷を埋めました。そして、終戦。デンマークのドイツ軍が引き上げていく中で、地雷の除去の為、捕虜となったドイツ兵が地雷除去の作業に使われます。ラスムスン軍曹(ローラン・ムラ)の受け持った区域は、10人程度のドイツ少年兵が割り当てられ、軍曹は海岸に埋まった地雷をすべて除去するまで、帰国はかなわないと伝え、ドイツへの憎しみの感情もあって、過酷な条件を課して、少年兵を作業に当たらせます。少年兵たちの食料も滞りがちで、リーダー役のセバスチャン(ルイス・ホフマン)が訴えても、軍曹は聞く耳を持ちません。そんな中で、少年兵は、ネズミの糞にまみれた家畜の餌を盗み食いし、集団食中毒になる中で、体調不良の中で作業を強要された一人の少年兵が、両腕を吹き飛ばされでしまいます。

軍曹は、医療施設に見舞いに行くと、少年は死亡したことを知らされ、そのまま基地から食料を盗んで帰り、彼らに提供します。一方で、デンマーク軍に絡まれた少年たちを守ったりと、叱咤激励はしながら徐々に信頼も生まれてきます。そして、休日にビーチでサッカーをするまでになりましたが、その帰りに、地雷駆除が終わったはずの場所で、軍曹の愛犬が地雷によって死んでしまい、怒りのやり場が無い軍曹は、地雷除去を終えた砂浜が安全であるかの確認の為、少年兵に隊列を組んで歩かるという行動に出ます。

ある日、近所に住む少女が、未撤去の場所に入り込んでしまい、双子の兄を地雷処理の事故で失っで、放心状態になっていた少年が、危険を顧みずに彼女を助けると、自ら地雷原に向かって歩き、自爆します。軍曹は今後に懐疑心を持っているセバスチャンに、あと少しで帰れると約束。そして、セバスチャンたち4人が除去作業中に、地雷をトラックに積み込んでいた10人が、大爆発の犠牲になるという事故まで起きてしまいました。軍曹は最後まで残った4名を帰国させようとしますが、上官は、別の地雷原への配転を決めてしまいました。軍曹の激しい抗議も受け入れられず、4人が新しい場所に送られそうになった時、軍曹は独断で、彼らを国境から500mのところまで運び、ドイツへ帰るよう解放したのでした。



ヒトラーの忘れもの

戦争で犠牲になる少年を題材とした映画と言えば、真っ先に思い出すのが「イノセント・ボイス」なので、そんな重い話を想像していたのですが、この映画は悲惨さが強調されるというよりは、それは控えめで、むしろ緊張感のある惹きつけられる映画と言う印象でした。勿論、内容は重いもので、戦争の理不尽さのある面を描いた映画には違いないのですが、それ以上にヒューマンドラマ的な一面を感じます。それは、軍曹の心の動きや行動、そしてある意味ふわっとした、ほっとするようなラストによるものかもしれません。そして、導入から本題に至るまでのシーン。どんどん物語に入っていけます。見事な掴みでした。

軍曹の、ローラン・ムラが見事です。冒頭から、復員中のドイツ兵がナチスの旗を持っているのを見て殴りつける様に、ドイツへの憎しみを一気に表現していきます。そして、少年の中に囲まれて地雷除去を指導する役割は、軍曹という職務はそういった立場になることが多いと思いますが、その立場や心中が良く現れています。少年兵の中では、リーダーのセバスチャンは人格者ということですが、むしろ目立つのは、少年ながら将校の軍服を着るジョエル・バズマンでした。この少年たちの中に溶け込めてない様子で、付かず離れずという感じの微妙な役回り。辿ってきた境遇の違いを想像します。

100分程度という事で、コンパクトにまとまったエピソードを綴った映画でした。いつ地雷が爆発するかという緊張感が持続する100分です。どんどん引き込まれる映画で、砂浜の風景も美しく、題材が重さの一方で、娯楽的な側面も感じます。しかし、この邦題はちょっと外していますね。ヒトラーと忘れものという言葉のイメージがアンマッチですし、この内容が忘れもので片づけられるものではないと思いますが…。残念ながらこれはセンスを疑う、外れ邦題でしょう。迫力のある一本でした。

2020.10.17 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「早熟のアイオワ」 新人ジェニファー・ローレンスの演技力

アメリカの田舎の静かなドラマという雰囲気かなと思い、見始めました。監督はロリ・ペティ2008年の映画で、ロサンゼルス映画祭で、ジェニファー・ローレンスが、Outstanding Performanceの賞を獲得しました。
原題:The Poker House (2008)

あらすじ
1976年。14歳のアグネス(ジェニファー・ローレンス)は、幼い二人の妹と"ポーカーハウス"と呼ばれる家で暮らしていました。ポーカーハウスは、夜になると、娼婦が集まり、彼女たちを求めて男たちもやってきて賭博に興じています。そして、母のサラ(セルマ・ブレア)は主人であり、娼婦。恋人デュバル(ボキーム・ウッドバイン)が彼女たちを取り仕切っていました。そんな環境の中で、3人の姉妹はたくましく生きていきます。妹のビー(ソフィア・ベアリー)は新聞配達で家計を助け、末っ子のキャミー(クロエ・グレース・モレッツ)はバーでジュースを飲んで喧騒をやり過ごしたり、友達の家を泊まり歩いたりです。そして、アグネスはバスケットボールでは地元の有名選手。また文才があり、新聞にも記事を書くほどでした。

ある日、アグネスは朝からデュバルにキスされて、柔らかなその感触に興奮を覚えますが、母にそろそろ売春を始めるように言われて反発します。その日の夜、バスケットの大事な試合を控えていたアグネスは、昼間は新聞社で報酬を得て、一旦家に帰りますが、すでに客の集まった家で、デュバルに突然レイプされ、処女を喪失してしまいました。悲嘆にくれ浴室にいると、入ってきた母にも、恨み言を言われてしまいます。デュバルがアグネスの処女を奪ったとサラに告げているところに、銃を持ったアグネスが、デュバルに向けて発砲。命中はせず、サラはデュバルの前に立ちはだかって庇い、アグネスに包丁を向けました。茫然としたアグネスは家を出ていきます。

アグネスは、停めてあったデュバルの車を運転し、バスケットボールの試合に駆け付けると、20点以上のビハインドで残り7分。アグネスは試合に加わり、超人的な大活躍で得点差をひっくり返し、チームを勝利に導くと、試合場を去りました。途中で、家に帰れず外で待っていた2人の妹を車に乗せ、新聞社で得た収入で妹たちを食事に誘い、三人姉妹は車の中で大好きな歌を歌いながら、レストランに向かったのでした。



早熟のアイオワ

アメリカの地方都市が舞台の小さなドラマ。自分的には、「パリ・テキサス」なんかがその代表格なので、そんな雰囲気を探しつつ、見はじめました。前半はジェニファー・ローレンスのいろいろなパフォーマンスや独白を中心に、2人の妹や、母やポーカーハウスの情景が映し出され、エピソードを重ねるうちに、アグネスや妹たちの生活の全容や、町の雰囲気が描かれていきます。アグネスの生活の凄惨さから、「そこのみにて光輝く」なんか思い出しましたが、こちらは、あくまでも子供ですので、そこまでではありませんでした。そして、映画の大部分を費やして、十分に雰囲気と情景を作りこんだところで、ラストに向かっていきます。

アグネスがバスケットの試合に行こうとするところから、話が展開していきます。ここからはジェニファー・ローレンスの独壇場。素晴らしいパフォーマンスが展開していきます。まだ、この頃はほぼ新人で17歳。それまではテレビムービーに数本出たくらいで、本格的な映画俳優はこの年から。そして、この4年後にオスカー女優となりました。この日はアグネスにとって人生が転換してしまった日。橋の上で妹たちを見つけ、声をかけるところで今までの鬱々としたパフォーマンスも180度転換し、未来に向けて力強い推進力が発生しました。「Get in the car bitches!」。名場面です。

この物語は、監督のロリ・ペティの少女期の実話を元にしているということです。ロリ・ペティは本職が女優。自身のストーリーでもあり、三人姉妹に対する細かな演出で、表現したいことをやり切ったという感じかな?と思いました。ラスト以外は情景描写に徹して、あまり話が進展しない映画ではありますが、その内容自体が面白く、三人の演技も面白いので緩み無く進行していると思います。クロエ・グレース・モレッツはなかなか可愛らしいですが、この時は10歳くらい。でも、映画俳優としては、ジェニファー・ローレンスの先輩になるんですね。いろいろと見どころがあって面白かったです。

2020.7.23 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「ノックダウン」西洋人から見たバンコクを色濃く映した映画

Amazonに追加されていた映画で、半信半疑でしたが、一応 「Beverly Hills Film Festival」 という、インディペンデント系映画祭で作品賞を受賞しているという履歴があり、最高賞であればそこそこのものだろうと見始めました。2011年の映画で、監督は、トッド・ベランカです。
原題:The Bad Penny World Wide Title : Knockdown

あらすじ
バンコクのとあるバーの開店前の店内で、店主が娼婦と楽しんだ後、入れ替わりに客が一人訪れます。店主はジャック(キャシー・T・エヴァンス)。客はマーカス(ニック・ファルタス)。マーカスはリッパ―という店名の由来を尋ね、ジャックは当てて見ろと言ってトイレに入りました。そして、一瞬マーカスが店内で発砲する映像が流れます。ジャックが戻ってくると、マーカスは自分が格闘技ファンだといい、ジャックがかつてセントルイスで将来を嘱望されたボクサーだと言い当て、バンコクに6年もいる理由を尋ねました。

カウンターを挟んで、過去の出来事を話すジャックとマーカス。そして、フラッシュバックで過去の映像が流れます。ジャックは幼いころ、両親が喧嘩からお互いに自殺。叔父のジョニーにボクシングの才能を見込まれ、育てられました。セントルイスのクラブで無敗を誇っていたある日。八百長試合を仕組まれ、負けたくなかったジャックは、判定まで持ち込みますが、結局金を渡された審判が負けを言い渡し、ジャックは怒りに任せ胴元を撲殺します。その試合の賭けで大金を失ったマーカスは妻にも逃げられ、路頭に迷う羽目になったのでした。

バンコクに流れてきたジャックは、ボクシングの試合は断りつ透けていましたが、ロシア人の主催者で娼婦たちも仕切るテリー(イリア・ヴォロック)から、しきりに誘われます。テリーはジャックに娼婦サランヤを回し、二人が相思相愛の県警になると、引き離しました。ジャックは何物も失ったように、酒と薬の日々を続けているところに、妊娠したサランヤが取り仕切る集団に殺されたと聞きます。さらに荒れた生活を送るジャックのところに、テリーが現れ、子供の存在を明かし、アメリカへの移民を保証することによって、試合に担ぎ出しました。ジャックは、子供が成長し、入学したのを聞き届け、テリーを撲殺したのでした。

そこまで話した時、マーカスとジャックの話は中断。最初にジャックがトイレから出てきた瞬間に戻り、マーカスがジャックを銃撃します。屈強なジャックはマーカスを撲殺しますが凶弾に倒れました。2人が横たわる店内に、忘れ物を取りに来た娼婦が戻ってきて、二人の死体など無いかのように、店内に散乱している小銭だけをかき集め、立ち去るのでした。、



ノックダウン

暗いバーの店内での、カウンター越しの会話と、話される内容がフラッシュバックで映像化されるという構成でした。そして、その会話の行われた時間が、ループして元に戻り、マーカスの銃撃となります。それは、尾を咥えるウロボロスで象徴されています。ジャックのバンコクに来てからの物語が、会話と実像で語られる構成で、テンポはあまり良くはありません。娼婦と出会い、忽然と消えてしまい、殺され、復讐するという物語でした。そして、マーカスの復讐は、八百長を信じて全財産を失った逆恨みですが、この世界では、よくあることなのでしょう。

バンコクの様子を良く描いていると思います。但し、ほとんどがその猥雑な一面で、きっとバンコクという町は、これがステレオタイプになっているのでしょう。負け犬が落ちぶれて流れてきて、そのまま消えてしまう町か、狡猾な人間がやってきてのし上がる舞台で、それが美化されているのが、欧米から見たバンコクという事でしょうか。なんでも吸収してしまうような、東洋の不思議な雰囲気として描いています。この話、それほど面白い話でもなかったので、賞をとったのは、ただただ、そういった異国情緒や雰囲気が審査員の心をヒットしてしまったんではないかと思ったりしました。

俳優陣は、それほど有名な人は出ていないと思います。ニック・ファルタスが、独特のしゃべり方と雰囲気があって、面白い性格俳優ではないかと思いました。八百長をやっているボクシングシーンはいいと思います。ジャックがバンコクに来てからは、パッとせず沈んでいくだけなので、今一つなのですが、しいて言えばウロボロスのタトゥーのある娼婦がいい雰囲気でした。あと、動きがあると言えば、線路の上の格闘シーンかな。ボコボコにされますが、背景やファッションがらしくて良かったです。

2020.5.6 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「アランフエスの麗しき日々」 思考と忍耐の修行にも

非英語圏のヨーロッパ映画を見る10月その5。ペーター・ハントケの戯曲をヴィム・ヴェンダースが映画化作品。噂では、会話ばかりが続く映画と聞いています。なんだか難しそうな映画なので、見ていませんでしたが、この際と思って鑑賞しました。2016年の映画で、ヴェネツィア国際映画祭ノミネートです。フランス・ドイツ・ポルトガル合作映画になります。
原題:Les beaux jours d'Aranjuez (2016)

あらすじ
ある夏の日の丘の上。庭園のかなたに都会の街並みを見下ろす一軒家で、ジュークボックスから流れる音楽を聴いていたのは、タイプライターに向かう作家(イェンス・ハルツ)の男でした。文章を考える作家の部屋の窓から、テーブルを囲む男女が見えます。あらゆる事象の外にいる男女は、現実の外にいるのでもない存在。作家がタイプライターに打つ文章が二人の会話になっていきます。男(レダ・カテブ)が質問をし、女(ソフィー・セミン)が答える形で進む会話。初体験に関する質問に、相手は男ではなく、私は女になっていないと答えていきます。ある夏の日、少女が果樹園のブランコに揺られている時、大地から発する稲妻が彼女を貫いた体験であり、彼女を亡命の女王に変えたと答えます。

男は、実体のある男との体験について尋ねると、見捨てられた塩田にある小屋での体験を語り、男と女は神となって結婚し、やがて神性を少しずつ失い、他人になっていったと答えました。男は、アランフェスに行ったことを話します。王宮のある庭園の、農夫の家が目的でしたが、それは男の考えていた労働者の家ではなく、もう一つの王宮のような内装でした。男は女に、多数の男たちとの愛欲の日々について尋ねると、この世界の敵意や、どこにでもある肉と魂に対する陰謀に復讐していたと答えました。女は愛のないセックスをしていたと話します。西部劇の女のように、自分を一人の男のものだと宣言する世界、その男のものである女の帝国の「女王」であることに憧れていました。

男は、アランフェスには王も女王もいないと、旅の思い出を語ります。そこは野生化した木々が、栽培種よりも輝きを増していました。男は「人は最初から愛を失ってる。たとえ失わなくても」と話し、女は「中世では愛を表す言葉は女性形だった」と返しました。やがて対話も終わり、夜を迎えると、男女は消え、作家が残り、ジュークボックスからの歌詞に聞き入っていたのでした。



アランフエスの麗しき日々

やはり、会話ばかりの映画でした。それも、かなり観念的な対話が延々と続きます。話されることは、男女関係、この女性の考え方、空想と現実、などなど…。執筆中の作家が、タイプに打っている内容ということが示唆され、映像の中で話者と同じ画面に映りこむことはあっても、接触することはありません。途中の衣替えを挟んで、ほぼラストの直前まで、その会話が続き、最後に若干かき乱されて終わりを迎えました。美しい庭園風景の中で、遠景には高層ビル群など。この世界は、現実とは隔絶された空間ということかと思いました。

という訳で、なんとか最後まで見ましたが、正直ちょっと苦痛ではあります。ここで語られる女性心理が普遍的なものなのか、この話者特有のものなのか、男性としては解りかねます。抽象的で、観念的で、詩的な表現で続いていくので、明確に頭に入ってきませんでした。セックスと愛についての話が主体のようで、いろいろな表現で語られ、婉曲に説明されます。セックス談議を主題にした映画もありますが、こうまで観念的に、あるいは風俗と敵対するような形で語れるものかと思いました。それは、あまり面白いものではありません。そして、セックスの苦痛をごまかすために愛情はあるような話をしていたと思いますが、そうだ!と頷いていいものでしょうか…?

映画化に工夫がいる戯曲だと思いますが、映画であればただただセリフを朗読する演劇スタイルではなく、せっかくなので話されている内容を、少しでも映像で表現して欲しいと思いました。ちょっと、どんなものができるのか想像できませんが、きっと幻想的な映像で綴っていけたのではないかと思います。これはそういった表現を完全に拒否した映画です。監督の目指した表現はそこにあるのでしょう。夏の日のホウセンカの弾ける様子を男が語っていました。この部分はなぜか印象深く心に残りました。幼い時家の近所にたくさんホウセンカがあり、弾けさせていくのを、毎年楽しみにしていたのでした。

映画を見て、好んで観念的な修行をしたい方以外には、ちょっとお勧めできないかなと思います。

2020.10.13 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
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プロフィール

torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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