70年代の昭和を感じる9月その8。今回は、70年代もいよいよラストとなった、
1979年の映画です。そして、公開されたのは12月でした。という訳ですので、昭和のアクションや娯楽色の濃い前半の作品とは雰囲気が異なってきています。監督は
柳町光男で、キネ旬ベストテン7位となっています。カンヌ国際映画祭の批評家週間に出品されました。
あらすじ
19歳の吉岡(本間優二)は、住み込みで新聞配達をしながら予備校に通っていました。毎朝走りながら、王子周辺でのたくさんの配達先に新聞を入れて回るうえに、集金に行けば、どこの家からも煙たがられ、日々わだかまりが貯まっていきます。そして、吉岡は配達担当の地図を作って、各配達先の名前や詳細個人情報を調べ上げ、不愉快なことなどを感じると、地図に×を一つ記入。×が三つになると、嫌がらせの脅迫電話を掛けたりしていました。
吉岡は、三十代の風采の上がらない独身男、紺野(蟹江敬三)と同室でした。大きな事ばかり言っていますが、何も出来ない紺野を見下していましたが、そんな紺野は、時々理想の女性であるマリア様の話をしていました。吉岡はマリアに会わせて欲しいと頼むと、紺野は吉岡を連れて彼女のアパートを訪ね、8階から飛び降りても死にきれず、片足が不自由になった彼女(沖山秀子)と出会います。彼女は、娼婦のような生活をしている孤独な女性でしたが、紺野はマリア様と慕っていたのでした。吉岡は、そんな二人を見て大人の人間の愚かさの象徴に感じ、そのような世界への反感をつのらせ、さらに×印のいたずら電話もエスカレートしていきます。
やがて女は妊娠し、はじめて幸福な気持になった紺野は、女と生まれてくる子のために、幸せをつかもうとしますが、彼女へのプレゼントのために、強盗傷害を犯して捕まってしまいます。そして、吉岡は女の家に出向いて、紺野が捕まってしまったのは、彼女が原因だと責め立てました。女は吉岡の前で自殺を試みますがうまくいかず、「死ねないのよ…」と慟哭します。吉岡の怒りは、すべての人々への脅迫電話となり、列車やガスタンクの爆破予告を始めます。そして、電話を終えて部屋にもだった吉岡は、ただ泣くことしかできないのでした。

東京の王子周辺を舞台として、住込みの新聞配達で働く、19歳の青年を中心とした物語。原作は中上健次の小説になります。中上健次と言えば、学生時代に好きだったアルバート・アイラ―の記憶と共に蘇ってくるのですが、小説自体はそれほど多くを読んだ訳ではありません。当時の東京の情景は、私が過ごしていた時期と時代的には近いのですが、三多摩の方面にいたので、このあたりの雰囲気はあまり馴染みがありませんでした。王子スラムというエリアが地図に書かれていますが、この後バブル期を経て大きく変わっていったと思います。そんな下町を舞台に、70年代が終わり80年代に入ろうとする時期の映画です。
主要な登場人物は、吉岡、紺野、マリアの3人に絞られます。この3人の描き方がとても素晴らしいと思いました。特に、紺野とマリアは、この映画の設定ではすでに30を越え、行き場のない生活から脱することができず、日々を過ごしています。そして、それが社会の問題と言う前に、二人の人生に対する不器用さからきているように描かれていて、見ている方としても、現実を理解する以上に、為す術がありません。最後の二人の登場場面は、留置場の中の紺野の口笛と、ゴミ置き場から自分に合う服を見つけたマリアのシーンとなる訳ですが、その後の明るい展開が示されず、ただその現実を受け入れる他は無く、虚無感に追いやられます。
一方、吉岡は19歳で、人生はこれから、人格の形成期にあたると思います。そして、王子の町で出会う人々を悉く見て回っている中で、世の中を知っていくわけですが、人格の形成やその後の人生に、過ごしてきた環境が大きく影響するということを強く感じました。吉岡はそのような社会への不満から行動は過激化し、最後に無力さをかみしめ、慟哭します。慟哭については紺野もマリアもそれぞれ場面があります。どれも生きていく事に対する慟哭のようでした。
本間優二、
蟹江敬三、
沖山秀子の三人の演技がとても自然でリアルで、素晴らしいと思いました。そして、70年代末にあって、日本映画のレべルの高さを感じる一本でした。
2020.9.20 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞
テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画