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「この広い空のどこかに」 それぞれの幸せへと進む道のり

1954年に公開された日本映画。松竹大船の製作で、いわゆる小市民映画の流れの中に入ると思います。木下惠介の妹である、楠田芳子による脚本を松山善三が潤色し、小林正樹が監督しました。日本国内の賞では、高峰秀子、久我美子などいろいろと受賞した映画でもあります。

あらすじ
川崎で酒屋を営んでいる森田屋は、主人の良一(佐田啓二)を中心に、嫁いできたばかりのひろ子(久我美子)も商売を支えています。森田家には、母しげ(浦辺粂子)、足が不自由で婚期を逃している妹の泰子(高峰秀子)、明るい学生の弟の登(石浜朗)が同居していました。明るく振舞うひろ子ですが、家族とはまだ完全に馴染めたとは言えず、夫が頼りの苦労の多い毎日でした。登は前向きで明るい青年ですが、友人の三井(田浦正巳)は、現状に絶望し、明るい未来を見いだせないままで、結核を病み故郷に帰ってしまいます。

職を探しに上京したひろ子の友人の信吉(内田良平)が、ひろ子を訪ねてきた時、しげや泰子はひろ子との関係をいろいろ臆測し、家族の中に波紋が生まれます。しかし良一は、理解のある丁寧な態度で接し、ひろ子は良一と幸せな家庭を築くことを誓いました。泰子は足が不自由という劣等感から、かたくなな性格になり、周囲の人々と軋轢を生んでいましたが、昔共に働いていた俊どん(大木実)が、今でも変わらぬ愛情を泰子に持っているのを知り、俊どんの故郷、赤石山麓で一緒に生活することに新たな幸福を見出します。そして、泰子の希望を取り戻した手紙を読み、家族全員に明るい笑顔がみられるようになったのでした。



この広い空のどこかに

安心できそうな名前で、穏やかに見始めた松竹のホームドラマでした。冒頭、味噌を買いに来たオバサンの家族が主人公と思ってしまいましたが、店のほうの家族が舞台であり主人公だったのですね。主人の佐田啓二、新妻の久我美子、母の浦辺粂子に、弟で明るい青年の石浜朗そして、妹で体を悪くして厭世的になってしまった高峰秀子という構成。これに、久我美子の元男友達、高峰秀子を見守る故郷の青年、石浜朗の友人の学生と、高峰秀子の旧友が少しづつ絡みながら、この家族の心を動かしつつ、物語を進めていきます。

久我美子の若奥様ぶりが眩しく思いました。よくできた奥さんとはまさにこれ!という感じで、理想的な女性に思います。一方で、佐田啓二は、旦那としてはちょっと出来過ぎくらいです。こんな旦那がいたら、家庭はどこの家庭もうまくまとまるのでしょう。浦辺粂子にしても、次世代への愚痴を挟みつつも、実は久我美子との付き合い方を悩んでいたという、いいお母さんでした。この家庭は、すべての人が理想的な人々で構成されています。そういう意味では、あまりに理想的な家族を中心に描いてしまいがちな、後々の松竹ホームドラマと繋がるのかもしれません。

その中でハンデを負ってしまった高峰秀子が、素晴らしい演技でした。心の闇を現わすような言動で、家庭のマイナス勢力になってしまいますが、家族の人々の激励とも思える叱責に自ら変わっていき、幸せをつかむ為の行動を始めていきました。

その様な困難を一つ一つ乗り越えていく、理想的な家族ですが、彼らの心を動かしていった人々が、いずれも敗者となって東京周辺から離れていく人々、あるいは下層の人という構図になっています。出来上がった中流家庭と、そこに這い上がろうともがいてきた人々の対比で、それぞれの意図とは離れたところで、この家族は周囲のこれらの人々の動きに影響を受け、その敗者の行動の上に幸せが成り立ったという形になっていると感じました。これに対し、物干し台から幸せのおすそ分けによる恩返しの気持ちと、高峰秀子が山奥に向かうことによって、幸せへの向かい方の多様性を表現し、夢破れて田舎に帰っても最終的にすべての行動が肯定的にとらえられるのだ、という解釈かな?と感じました。

2019.10.16 HCMC自宅にてパソコン鑑賞
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テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「銀座カンカン娘」 戦後4年目の大衆文化総出演

高峰秀子のヒット曲となった銀座カンカン娘ですが、その明るい曲が楽しい映画です。古今亭志ん生も出演して芸を披露しています。そんな楽しい昭和のミュージカル。1949年の島耕二監督の作品です。

あらすじ
引退した落語家の新笑(古今亭志ん生)と妻のおだい(浦辺粂子)の暮らす家には、昔世話になった恩人の娘お秋(高峰秀子)と、お秋の友人のお春(笠置シヅ子)が居候していました。新笑の甥の武助(灰田勝彦)は、会社の合唱隊を組織して歌に精進、お春は声楽家、お秋は画家と、みな芸術の意欲にもえていたのです。しかし文なしの娘達は、絵の具もピアノも買えず、お秋は職さがしに出ようとすると、おだいにポチを捨ててきてくれと頼まれてしまいます。ポチをつれたお秋が困っていると、映画のロケ現場に行き当たり、エキストラでポチと出演。そして、主演女優が池に放り込まれることを拒み、お春をよんできて代行させました。

2人は、そのエキストラで知り合った白井哲夫(岸井明)の世話で、銀座のバーで歌を歌うことになり、毎晩バーからバーへと出かけるうちに、いくらかの貯金も貯まります。ところが、新笑の家では、家賃が払えなくなっており、恩返しとばかりに貯金をはたいて新笑の苦境を救いました。武助も会社をクビになってしまい、お秋たちに加わって銀座で流すうちに仲良くなり、新笑も現役復帰。武助とお秋は結婚して田舎で生活することを決め、出発の夜に婚礼の宴。新笑の口上が冴え渡るのでした。



銀座カンカン娘

言わば居候の、お春とお秋のコンビも楽しい音楽劇。高峰秀子のヒット曲となった銀座カンカン娘を中心に、灰田勝彦や笠置シヅ子の歌唱も見られる豪華な歌謡映画となっております。2人も居候を置いて、それで家を追い出されそうになるという、ほのぼのとした設定も楽しくなります。笠置シヅ子は寝てばっかりでゴロゴロしているところなどが、居候然として面白いところ、また高峰秀子のあられチャンメガネも若々しい感じで良かったです。

絵画、歌、映画撮影、銀座で流しのポップス、そして落語と、当時の大衆芸術が盛りだくさんに散りばめられていました。映画撮影現場のエキストラ出演は、ストーリーの展開に繋がるだけで深くは触れられませんが、ユーモラスに描かれていました。そして、銀座カンカン娘はいろいろなバージョンで歌われていて、なかなか楽しめました。

最後に、古今亭志ん生の落語を見ることができます。高座の映像がほとんど残っていないとの事、名人芸を見られる貴重な映像らしいです。新婚夫婦を送り出す一席は、大変感動的だったと思いました。そして、終始取り仕切っている感じの浦辺粂子は流石に味のあるいい演技だと思いました。当時の大衆文化総出演という感じで、往時を偲びながらの楽しいひと時でした。

2019.10.19 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
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「ブロー・ザ・マン・ダウン~女たちの協定~」 小さな漁師町で起こった事件を描くスリラー

Amazon Original の新作映画が、2020.3.20に公開されたので、さっそく見てみました。監督は、Bridget Savage Cole と、Danielle Krudy という女性二人によるもので、2019年のアメリカ映画です。いくつかの映画祭に登場した後、ネット公開されました。ニューヨークで行われるトライベッカ映画祭のUS・ナラティブで、脚本賞を受賞しています。トライベッカはサンダンスと同様に、インディペンデントの映画祭で、2019.4.26のここでの上映がワールドプレミア。その後Amazon Studioが配給権を獲得しました。

あらすじ
ラストまで ネタバレ してます!ご注意ください!
メイン州の小さな漁師町、イースター・コーヴ。プリセラ(ソフィー・ロウ)と、メアリー・ベス(モーガン・セイラー)のコノリー姉妹の母の葬儀が行われていました。メアリー・ベスは母の介護の為に一年間休学していましたが、プリセラから、家も担保に入っており、二人で頑張らないといけないと打ち明けられた時、切れてしまい街に飛び出します。酒場でゴルスキー(エボン・モス=バクラック)という男と会った彼女は、羽目を外して彼の小屋に行きますが、車のトランクの血痕を見て怖くなり、襲ってくるゴルスキーを銛で刺し殺してしまいました。家に帰るとプリセラにそのことを話し、警察に自首しようとしますが思い直し、現場に戻って二人で死体をクーラーボックスに詰め込み、崖から海に落としました。

ホテルオーシャンビューという娼館を経営するエニッド(マーゴ・マーティンデイル)のもとに、娼婦のアレクシス(ガイル・ランキン)が帰って来て、昨日ゴルスキーが現れなかったとぼやきます。プリセラが経営する魚屋を開けたところに、元同級生の警官のジャスティン(ウィル・ブリテン)がボートを借りにやって来て、岩場に上がった死体を回収するためにボートを出して欲しいと頼みに来ます。しぶしぶ同行したプリセラはその死体が女性であることを見て安堵しました。それは、娼婦のディーで、アレクシスの親友でした。そして、プリセラは、店のロゴ入りナイフを現場に忘れたことに気づき、メアリー・ベスが小屋に探しに行きますが、ナイフは見つけられず、代わりに大金の入った袋を見つけ、持ち帰りました、

老婦人3人がエニッドに、ホテルは役目を負えたから廃業しろと詰め寄っています。もともとこの娼館は、荒くれた男たちから、自分たちの娘に被害がおよぶのを避ける始めた商売だったのです。エニッドは娼館を経営し、結局独身のままで今までこの仕事を続けてきたのでした。彼女は自分が皆の犠牲になったので、指図は受けないとはねつけます。そして、ゴルスキーは、娼館の女衒であり用心棒的雇い人だったのです。エニッドは戻らないゴルスキーを不審に思い、小屋を訪ねますが、そこでプリシラの店のナイフを見つけてしまいます。メアリー・ベスは、プリシラにナイフは見つけて捨てたと嘘をついていたのでした。エニッドはコノリー姉妹の家を訪れると、二人の母と一緒に娼館を始めたが途中で抜けたのだと過去の話を語ります。

メアリー・ベスは、姉に小屋で見つけた金を見せ、この金で生活を立て直そうと提案します。3人の老婦人は、アレクセイを呼んで、エニッドがディーを殺したと話し、彼女は直接エニッドに確かめますが、言いくるめられてしまいます。エニッドはコノリー姉妹が金を盗んだと確信を持つと、ナイフと金の交換を提案。二人は重圧に耐え兼ね、再び自首しようとしますが、ちょうどジャスティンが訪ねてきて、それとなくいろいろと聞かれているうちに気が変わり、エニッドの元を訪れます。エニッドは気が変わったので、姉妹に娼婦として稼げと強要し、独身のままで娘たちを守ってきたのは自分だ。私を見下すな感謝しろと激高したところで倒れてしまい、姉妹はナイフを奪って去りました。そして、エニッドがディーを殺したと確証をつかんだアレクシスは、姉妹が去った後、エニッドの息の根を止めたのでした。姉妹はこれから二人で頑張ろうと言いながら家に向かう道のわきでは、老婦人がクーラーボックスを洗いながら、二人に微笑んでいました。



ブロー・ザ・マン・ダウン

小さな漁師町での出来事を描いた物語で、独特の雰囲気を持っている映画だと思います。ネオ・ノワールにも分類されるのでしょうか。冒頭や、中間部に挿入される漁師たちの歌も、独特の雰囲気を加えます。そして、暗めの色や寒々しい風景で、全体がまとめられていました。そのような町で、男たちから自分たちの娘を守るために、町の女性たちが始めた娼館。娼婦は外部から連れてきたかのようですが、一貫して娼館を経営してきたエニッドは、それを知る人には一定の敬意を払われながらも、敬して遠ざける的な扱いを受けていたようです。

コノリー家の母親も、娼館の共同経営者の一人だったようで、比較的堅実な人物のように語られています。そして、3人の老婦人も一枚噛んでいたのでしょう。何事も裏で取り仕切っているような雰囲気です。最後のクーラーボックスを洗っている老婦人は、「家政婦は見た!」の市原悦子みたいな雰囲気でした。そんな事情を知ってか知らずか、コノリー姉妹の、やはり自分たちを守る行動と、アレクシスのディーを失った恨みが交錯し、物語は行き場のない結末を迎えてしまいます。とはいっても、老婦人たちの裏の仕切りは続き、結果としては次の世代のコノリーたちにも女性の団結は引き継がれていくということになるのでしょうか。

やはり、ポイントはエニッドですかね。こういった仕事ですから数々の悪事を重ねており、娼婦の犠牲の上に町の平和を維持してきたという、汚れ役に徹した人生ではありますが、この期に及んで用済みを宣告され、理不尽だと嘆きながらも孤独に殺されていくという役になっています。マーゴ・マーティンデイルは、数々の名作に出演し続けてきた名脇役。この映画でも若手の二人をサポートし、大きな存在感を見せてくれました。ブラックコメディのタッチもあるこの作品は、魅力的な素晴らしい作品に仕上がっていると思いました。

2020.3.20 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞

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「Mare nero (2006)」スタイリッシュな映像と音楽と美女(ネット邦題:曲解)

Amazon Primeにちょっと面白そうな感じの映画が登場していたので、早速見てみました。邦題は「曲解」と無粋な二文字がついていますが、原題はMare nero英題はThe Dark Seaで、いずれも「暗い海」といった感じ。ビデオ英題はPerversion(倒錯)という題名がついています。2006年のイタリア・フランス合作作品で、監督はロベルタ・トーレ。ロカルノ国際映画祭でのグランプリノミネート作品となっています。

あらすじ
海の中から引き上げられる胸像の頭部の不穏な映像で、この映画は始まります。そして、ある日刑事であるルカ(ルイジ・ロ・カーショ)のもとに、ガールフレンドのヴェロニカ(アンナ・ムグラリス)が越してきました。そして、二人の新しい熱い毎日が始まりますが、ルカはベッドの中で呼び出しを受けます。駆け付けた現場では、女性が全裸で手を拘束され、頭を何かに打ちつけられた上で、絞殺されていました。ルカは担当刑事として捜査を始め、被害者の学生ヴァレンティーナ(アンドレア・オズヴァルト)が勤めていたとされるナイトクラブなど、夜の風俗の裏側をたどっていきます。夫婦などの男女がペアで車で訪れ、他の男にパートナーの女性を好きにさせるという場所に張り込むうちに、ルカは妄想に支配されるようになり、ヴェロニカとの間も不穏な関係になる一方で、激しい情事を行います。そして、自分の暴走が怖くなったルカは、上司に担当替えを申し出ますが、ちょうどその時、男が出頭してきて事件は解決しました。

しかし、その後もルカの妄想は止まりませんでした。例の同伴での売春エリアや、SMクラブなどに出没。ヴァレンティーナのビデオを手に入れると、署内で居残って見ていて上司に咎められる始末。家に帰ったら帰ったで、ヴェロニカが窓越しの男と激しくセックスしている幻想に捉われます。そして、朝を迎えた二人の日常の食卓は、何もなかったように展開し、ヴェロニカは、昨日は良かったとルカにそっとつぶやくのでした。



Mare Nero

映像は大変すばらしい映画でした。そして、音楽も素晴らしいと思います。それに加えて、セクシーなアンナ・ムグラリスの、いろいろな姿や顔が見られるので、視覚的には言う事はありません。アンナ・ムグラリスは超有名ブランドのモデルもやっているような女優さんで、まさに銀座のブランド店の店頭を飾るようなエキゾチックな美女ですから、なおさらです。しかし、物語は単純で、あまり中身がありません。従って、全体が超スタイリッシュに纏められていますので、そちらを楽しむということが、目的の映画という気がしました。ミステリーを装っていますが、犯人のオジサンが自ら出頭して捜査が解決ということですから、ミステリー的妙味は飾りつけみたいな位置づけになるでしょう。

ルイジ・ロ・カーショと、アンナ・ムグラリスの組み合わせ、物語の内容からしても、「アイズ・ワイド・シャット」の、トム・クルーズとニコール・キッドマンを思わせる雰囲気があります。たぶん、それをやりたかったんじゃないかな??というのが感じるところです。この映画は、平たく言えば、まじめで美しいガールフレンドを持つウブな刑事が、捜査過程で知った裏社会の倒錯の世界に足を踏み入れ、ネトラレ的な性欲を掻き立てられて妄想が止まらなってしまい、ガールフレンドとの性行為も激しくなっていくという男の物語ということになります。そう言ってみれば、ちょっとした倒錯系のポルノ映画を思い切りスタイリッシュに飾ってみたということになります。

そういった感じですので、倒錯と言っても(ビデオ題の倒錯が一番あたっているかもしれない…)、彼女がその世界に入っていく感じがあまりなく、全体的に軽い感じで、クローネンバーグやリンチみたいな重量級には至ってない感じでした。ただし、まぁ、ここまで映像や音楽を飾ってくれればそれはそれで楽しめましたし、両主役は男は静かな熱演、女は綺麗という感じで、これも楽しめる演技をしてくれていたので、自分的にはまずまず、見てよかったという感じです。やはり映像と音楽と演技が美しければ、それはそれで大いに楽しめてしまうものなのでした。

2020.3.22 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞

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「小間使いの日記」 衣装とそれを纏うレア・セドゥが美しい

レア・セドゥの映画ということで注目しました。原作は、フランスの作家、オクターヴ・ミルボーによる小説「小間使の日記 (1900)」で、これが4度目の映画化になります。ブノア・ジャコー監督による、フランス・ベルギー合作作品。2015年の映画でした。賞関係では、ベルリン金熊賞ノミネートがあります。
(別題:あるメイドの密かな欲望)

あらすじ
女性セレスティーヌ(レア・セドゥ)は、メイドの紹介所に登録していて、新しく紹介された田舎の屋敷で働き始めます。そこでは、気難しい女主人(クロティルド・モレ)にいじめのような小言を言われ続ける毎日で、かつその主人(エルヴェ・ピエール)も、以前にメイドを妊娠させたほどの好色漢で、彼女は執拗にちょっかいを出してくる主人に悩まされていました。その屋敷には、料理女のマリアンヌと庭師のジョゼフ(ヴァンサン・ランドン)も住み込みでいました。ジョゼフは不愛想な男ですが、セレスティーヌとジョゼフはお互いに興味を覚えます。

セレスティーヌは、今までのメイド生活でいろいろな場面に出くわしていました。ある女性のメイドだった時には、その女性が隠し持っていた大人のおもちゃが税関で見つかったこと。老齢の女性のもとで、病弱な孫の面倒を見ていた時、体の関係を持ってしまうと、行為中に喀血して死んでしまったこと。街で高級娼館に誘われたこと。高慢な主人の雇用を即座に断ったこと、などなど…。そのような経歴の中で得た仕事中に、母親が亡くなったという知らせが入り泣き崩れますが、主人からは冷たく、それでも仕事はしてねと言われるだけでした。

ある晩、セレスティーヌはジョゼフから、カフェ経営のアイデアを持ちかけられます。自分と結婚してこの屋敷を抜け出し、ジョゼフのカフェで主人をしながら男に媚を売ろうというものです。セレスティーヌはその場は保留しますが、後日同意し、ジョゼフとセレスティーヌは、資金源として屋敷の高価な品物を盗み出します。そして、その事件は迷宮入りしました。ジョゼフは暇乞いして屋敷を去り、残されたセレスティーヌはしばらくの間、女主人といい関係を築いていきますが、やがてジョゼフが迎えに来ると、セレスティーヌは主人に暇を告げ、迎えに来たジョゼフとともに、移住先に向かうのでした。



小間使いの日記

オクターヴ・ミルボーは19世紀末を主に活躍したフランスの作家。ブルジョワに対する嫌悪感が強く、この作品では、召使を奴隷制度と見立て、ブルジョワの道義的腐敗と、虐げられる召使を描いていく小説とのことです。かつては、新潮文庫や角川文庫でも出ていたらしいので、探せば読むことができると思います。召使は、真人間とは認められず、主人によって気まぐれにこき使われ、セックスワーカーでもあり、常に侮辱され、疎外される存在という風に主張される小説とのこと。

小説を読んでいないので、解りませんが、映画を見た感想としては、確かにこのようなことをされてはいるものの、レア・セドゥの演じる小間使いもなかなか強く、この文字で書かれたほどの激しさは感じられませんでした。時代が変わってかなり穏やかになったのでしょうか。セレスティーヌとて、だてに召使をやってきた訳ではなく経験を積み重ねており、ブルジョワへの憎悪をもって、対処していきます。その仏頂面と、激しい捨て台詞がなかなか爽快なのです。

そういった生活を長々と送って、閉塞感を感じるセレスティーヌは、内容はともあれジョゼフと結婚し店の女将に納まるという誘いが、絶好の転機と思えたのかもしれません。即答はしませんが熟考して、今の境遇から抜け出すべく承諾し、馬車に乗った時は新たな決意を語っていました。映画としては、目標の定まらない作品になっていたように思います。元来の小説の主張と、美意識に走った映像がうまく溶け合っていないような。難しい物語は置いておいて、美しい衣装を着たレア・セドゥを見るという事に集中して楽しみを見出した方がいいのかもしれません。映像は非常に美しい映画です。

2020.2.4 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞

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「ボヴァリー夫人とパン屋」名作に準えた展開と皮肉な結末

ちょっと前に、ワシコウスカのボヴァリー夫人を見たのですが、今回はそのボヴァリー夫人の派生作品という事で、「ボヴァリー夫人とパン屋」です。原題は、Gemma Boveryですが、この邦題も内容からしていい感じですね。2014年のフランス映画で、監督はアンヌ・フォンテーヌです。

あらすじ
物語は、チャーリー(ジェイソン・フレミング)が妻のジェマ(ジェマ・アータートン)の遺品を整理しているところに現れたマルタン(ファブリス・ルキーニ)が、ジェマの日記を持ち帰って読み始めるところから始まります。

ノルマンディーでパン屋を継いだマルタンの家の隣に、英国人のチャーリーとジェマ夫妻が引っ越してきました。苗字がボヴァリーと聞いたマルタンは、偶然の一致とジェマの美しさに久しぶりに興奮を覚えます。そして、停電の修復を手伝ったお礼にボヴァリー家に招かれたマルタンは、ネズミ対策の殺鼠剤の使用に猛然と反対します。マルタンは、ヒ素で自殺したボヴァリー夫人と重ね合わせたからです。ある日、マルタンが道でジェマと出会った時、彼女はハチに刺され気絶してしまいます。マルタンはそこに通りかかった、司法試験の勉強のために古い館に帰省していたエルヴェ(ニールス・シュナイダー)の助けを借りて、ジェマを病院へ連れていきました。

ある日、町の市場で再会したジェマとエルヴェの様子を、マルタンがじっと眺めていました。ボヴァリー夫人の不倫の始まりと重ね合わせていたのです。そして、実際二人は不倫の関係に走っていきます。これを見張っていたマルタンは、不倫の末に自殺したボヴァリー夫人と同じ運命を辿らぬよう、小説の不倫相手からの別れの手紙に倣い、エルヴェを騙ってジェマに別れの手紙を送りました。手紙を読んだジェマはエルヴェに電話しますが、ちょうど厳格な母がパリから訪ねてきていて、息子の日常を察した母はパリへ連れ帰ってしまいます。そして、妻の不倫に気づいたチャーリーも家を出てしまいます。

ジェマの元に偶然元カレのパトリックが訪ねて来ます。離婚した彼はジェマに復縁を迫りますが、ジェマは拒否し、戻ってこないチャーリーにお詫びと愛の留守電を入れます。ジェマが引越しの準備をしていると、マルタンは彼女が自殺するつもりだと勘違いし、これを止めようとした話の流れで、マルタンが手紙を送ったことが発覚してしまい、マルタンはお詫びに“ジェマ”と名前を入れたパンを差し入れました。その後、パトリックがやってきて、再度復縁を迫りますが、ジェマには全くそのつもりはなく、そこへちょうどチャーリーが戻って来ました。家に入ったチャーリーはすぐに家を飛び出し、マルタンの所にやってきて妻の急を告げました。あわててマルタンが駆け付けると、そこには、ジェマが倒れていたのでした…。

その死因と後日談については、実際の作品でお楽しみください…。



ボヴァリー夫人とパン屋

名作ボヴァリー夫人になぞらえたお話。フランスの田舎らしい映像と、美しい風景と美しいジェマということで、ボヴァリー夫人の話をなぞりながら、コミカルに、またちょっと妖艶に進んで行きます。主演のジェマ・アータートンもなかなか雰囲気が良くて、映画のあちこちで美貌を見せてくれていました。前半は、ボヴァリー夫人の恋の進展を、アントンの目と交錯させながら進み、後半に入って、アントンが贋の手紙を書いてから、いろいろな事件も絡まって話が急展開していきます。前半はジェマの映像を楽しみましょう。そして、後半はストーリーを楽しみましょうという感じでした。

それで、やはりアントンの妄想がこの映画のテーマ。頭の中のボヴァリー夫人になぞらえ、団欒の中でも思い込んでしまい、鋭い眼光を放ってしまう。そして、ジェマに魅入られてしまったアントンは、妄想が加速し妨害工作に出てしまいます。それが破局への直接原因とはなってはいませんが、正直バカな事をやっている感じです。これは、ジェマに恋してしまい、嫉妬心も交じっていると思いますので、どうしようもないですね。アントンの頭の中でも、負のスパイラルが回りはじめ、現実も並行して回っていく。そしてそのシナジーが起こっていくという感じです。アンヌ・フォンテーヌさんはこういった男心もお見通しのようで。

ラストが見事でした。このラストはネタバレしたくないので書きませんが、なるほどと思いました。というか、しっかり落ちたという感じがして、ちょっと笑ってしまいました。ほのかなコメディ基調で来ているこの作品にふさわしいラストであったと思います。最後まで見て楽しめたと思える一本でした。

2020.2.23 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞

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「ぼくを葬る(おくる)」余命を宣告された美しい男の3ヶ月

フランソワ・オゾン監督の作品は久しぶりと思いますが、何か現在のフランス映画らしい雰囲気を持つ代表的な監督さんではないかとも思っていたりします。この映画は2005年のもので、もう15年前になるのですね。
原題はLe temps qui reste(残された時間)で、英題はTime to Leaveとなります。邦題もなかなかセンスがいいと思います。

あらすじ
パリで活躍している人気のファッション・フォトグラファーのロマン(メルヴィル・プポー)は、31歳の若さで癌により余命3ヶ月を宣告されてしまいます。化学療法を拒んだロマンは両親の家を訪ね、久々に家族4人での夕食を囲みますが、もともと折り合いの悪かった、幼い子供のいる離婚間近の姉ソフィ(ルイーズ=アン・ヒッポー)と口論になってしまいました。そしてロマンは、一緒に暮らしていた男性の恋人サシャ(クリスチャン・センゲワルト)をわざと冷たくして追い出し、その後郊外で一人暮らしの祖母ローラ(ジャンヌ・モロー)を訪ね、彼女にだけ自分の運命を知らせました。

祖母の家からの帰り道、立ち寄ったカフェで働く女性ジャニィ(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)に、自分の夫に問題があり子供ができないので、自分と性交して代理父になってくれないかという依頼を受けます。ロマンは断りましたが、彼女の願いは心に引っ掛かり続けます。やがてロマンは仕事を辞め、孤独に死と向き合い始めると、姉と和解し、サシャとは再会してその後の様子を見届け、ジャニィの申し出を思い起こして承諾し、ロマンはジャニィと彼女の夫も交えての肉体関係を持ちました。そして時は経ち、計画通りジャニィの妊娠が判明。ロマンは自らの遺産を彼らに託すと、一人で海辺に出向きます。そして砂の上に寝転びながら、日が暮れ人々の歓声が消える頃、静かに息を引き取ったのでした。



ぼくを葬る

余命を宣告された、若く美しい男性のお話。コンパクトに美しくまとまっています。話の中で、微妙な時の流れが、花が枯れ、髪の毛をそりという形で進行していき、最後に賑わうビーチが閑散として、最後を迎える。なんとなく、ビーチに行きたくなりました。男と男の性愛シーンが目立つのもこの映画の特徴ではあるのですが、ごく日常に取り込まれているところにも好感が持てます。男と女のセックスもあります。そして、おばあさんとはそれ以上の心のつながりが感じ取れます。

それぞれの相手との最後の交わし方も、各人各様でした。姉との最後は電話。女性との交流という意味で、姉が一番深かったので、最後まで素直になれなかったのでしょうか。そして、子孫と相続先も最後に残すことができました。短い話の中に、人生の清算がいろいろ詰まって印象的です。特に、ジャンヌ・モローとの別れが素晴らしかったと思いました。祖母と孫が同じ時期に死に直面するというセリフに、いたたまれないものを感じました。

ということで、あまり非の打ちどころのない映画だと思います。映像も美しく効果的です。フランソワ・オゾン監督。それほど見てはいないのですが、雰囲気のいい作品が多い感じで、けっこう好きなタイプです。この映画はカンヌの「ある視点」のノミネート作品となりましたが、ある視点部門がはまっていると思います。俳優さんでは、主演のメルヴィル・プポーはもちろん素晴らしいのですが、やはり、ジャンヌ・モローが、さすがに素晴らしいと思いました。

2019.12.28 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「女は女である」 音楽と劇中映画が楽しいヌーヴェルバーグ

ゴダールとアンナ・カリーナの作品です。フランスのコメディらしい映画で、1961年に製作された、フランス=イタリア合作作品。ベルリン国際映画祭で、女優賞(アンナ・カリーナ)と特別賞(ジャン=リュック・ゴダール)を受賞しました。ゴダールの初カラー作品であり、アンナ・カリーナと結婚後第一作となります。

あらすじ
パリの下町の本屋でに働くエミール(ジャン・クロード・ブリアリ)は、ストリッパーのアンジェラ(アンナ・カリーナ)と同棲していました。そのアンジェラが、急に赤ちゃんが欲しいと言い始めます。そのことで、二人は全く意見が合わず、口論が絶えなくなってしまいました。エミールとしては今が一番。子供はいらないし、結婚なんかしない方が都合がいいと思っているのでした。どうしても子供が欲しいと、アンジェラは意地になり、他の男に頼んで子供を作ってもらうと宣言します。エミールは動揺しますが、あとにひけず、成り行きに任せざるを得ませんでした。

アンジェラは、同じアパートのに住むパーキング・メーター係りのアルフレッド(ジャン・ポール・ベルモンド)に頼むと言い出しました。アルフレッドは今までアンジェラを誘惑しようと、あの手この手で接近していたのでした。ある日、アンジェラはついに決心して、アルフレッドと寝てしまったのでした。その夜おそくに、エミールのもとに戻ったアンジェラは、いつも通りに枕をならべ、子供が欲しかったから、アルフレッドと寝たことを告白します。エミールは、それじゃ、今から二人で子供を作れば、生れた時はいずれにしても二人の子供になるじゃないかと言い出し、じゃあ始めまようと言って、二人は抱き合うのでした。



女は女である

ゴダールの映画はあまり見ていないので、とりあえず感じたままの感想です。まずは、いろいろと映画を登場させるのが好きですね。いろんなところに散りばめられています。音楽の使い方も面白いと思いました。というか、かなり変わっていました。これが一番ヌーヴェルバーグ的な雰囲気。最初はちょっと戸惑いましたが、なかなか面白かったと思います。そして、音楽と言えばジュークボックス。機械仕掛けで繊細なもので、すぐ壊れそう。こわれると酔っ払いが叩いて再起不能になります。かけた曲の歌詞がこれまたすごいと思いました。

テーマは、女性主導の男女関係、女性の性格が中心ですね。隣の家は男出入りが凄いけど、商売ですかね。でも、電話が使い放題なのでした。ラストは、これでいいのか?と今の時代には考えてしまいますが、当時はDNA鑑定とかなかったのかな…。これでいいという解釈でいいのでしょう。上書きすればOK!ということで…

主人公は、奔放で可愛いです。当時は新婚でラブラブだったのでしょうか。未婚の状態で子供が欲しいと言われると戸惑うのは解ります。妊娠によって未婚にケリをつけたいという発想、これは女性だけではないかもしれませんが、女性の方が強いのでしょうか?そして、最後のブラが昔風でかわいいのでした。

アンナ・カリーナですが、2019年12月14日に訃報が伝えられました。ご冥福をお祈り申し上げます。

2019.11.14 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞

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「オルフェ(1950)」ギリシャ神話ベースのファンタジー作品

Amazon会員特典にアップされた「オルフェ」この時期のフランス映画は、見る機会も少ないので、早速鑑賞してみました。1950年のジャン・コクトーによる監督作品です。英国アカデミー賞とベネツィア国際映画祭で、最高賞のノミネートとなっています。

あらすじ
王女(マリア・カザレス)はセジェスト(エドゥアール・デルミ)という詩人とカフェへやってきますが、セジェストが喧嘩を始め、警察がきて混乱する中で、セジェストは車に轢かれて死んでしまいます。王女は遺体を車に載せると、近くにいたオルフェ(ジャン・マレー)を手伝いに乗せて走り去りました。屋敷に戻ると、王女はセジェストを蘇らせ、二人で鏡の中へと消えていき、オルフェは呆然と見送ります。オルフェは、近くにいた運転手のウルトビーズ(フランソワ・ペリエ)に送られて自宅に戻り、心配して待っていた妻のリディス(マリー・デア)に、ウルトビーズは、うまく説明して安心させますが、その夜から、王女がオルフェの枕元に立つようになります。

オルフェは、ラジオから流れてくる詩の断片のような言葉の解読に寝食を忘れてしまいます。オルフェは、そこからいい着想を得られる気がしたのです。一方、リディスはオルフェの心が離れていくようで心配になります。ある日、オルフェがラジオに夢中になって取り合わない為、外出したリディスは、車に轢き殺されます。ウルトビーズは部屋へと遺体を運ぶと、王女とセジェストが現れ、王女とウルトビーズは、お互いに死人でありながら生者に恋をしたことを詰り合います。そして、王女はリディスを死の世界へと連れて行き、リディスの死に気づいたオルフェは後悔し、ウルトビーズの助言で鏡の中へと入っていきました。

死の世界では裁判が開かれ、王女はリディスを死の世界へと連れて来たことが違反だと裁かれています。そこへオルフェが現れ、王女はオルフェを愛していると告げ、オルフェは受け入れます。裁判の結果、リディスは、オルフェが姿を二度と見ないことを条件に生き返る事ができることになり、二人はウルトビーズとともに生の世界へ戻りますが、オルフェはリディスを見てしまい。リディスは死の世界に戻ってしまいます。オルフェは詩人たちの争乱の中で撃たれて死んでしまい、死の世界で待っていた王女はオルフェと抱き合いますが、王女は死の世界の法を犯し、オルフェとリディスを生の世界へと返します。オルフェは元の世界に戻ると、リディスと出会い、記憶を消された二人は今までのように愛し合うようになりました。一方、王女は死の世界で逮捕されたのでした。



オルフェ 1950

コクトーによるギリシャ神話のオルフェを基にした物語。オルフェは吟遊詩人であり、竪琴に誰もが魅了されるという神話中の人物ですが、現代のオルフェは詩人という設定です。オルフェは死の女王に愛されてしまい、何度もオルフェの寝顔を見に女王が部屋を訪れます。そして、死の女王の策略によって妻は死亡します。妻の名前は、神話ではエウリュディケー(Eurydíkē)ですが、ここではリディス(Eurydice)。発音の違いであり、同じですね。「精霊の踊り」で有名なグルックのオペラは「オルフェオとエウリディーチェ」。同じ物語です。

元々の話の筋は、リディスが死に、彼女を助けに冥界に赴いたオルフェは、ハーデスやペルセポネを魅了し妻を取り戻しますが、条件として、地上に戻るまで妻の姿を見てはならないというもの。しかし、地上にあと少しという所で不安に駆られたオルフェは振り向いてしまい、妻は消えてしまった。というもの。単純な話だけに、いろいろと付加されています。この映画では、死の女王(ペルセポネかな?でも、そこまで権力が無いような気もする)と、ウルトビーズがそれぞれオルフェとリディアを愛してしまい、2人を死に導いて地獄に連れてくるが、女王の愛の力で2人を戻してしまい、女王は死の世界で罰を受けることになるというお話でした。

途中の話もいろいろと膨らまされ、スランプのオルフェに詩のヒントを与え、車庫に釘付けにするとか、妙に人間臭い地獄での裁定の様子とか、面白い場面を織り込んでいます。映画の雰囲気は、まず死の女王の周辺の異様な雰囲気の表現や、逆回し、鏡の透過、死者が立ち上がるところなどファンタジックな映像が楽しめました。当時としての撮影効果もいろいろと使われています。そういう意味ではなかなか見ていて面白い映画でした。さて、死の女王に愛されてしまうとどうしますか?この死の女王は話の分かる神だったので、自分を犠牲にしてまで、愛する男を地上に戻してくれましたが…。

2019.12.21 HCMC自宅にてAmazon Prime よりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「禁断の惑星エクザビア」 コーマンのB級モンスター映画

ロジャー・コーマン製作のB級SF映画です。彼の映画は今まで追求したことがないのですが、膨大な作品群なので、見ているものもチラホラあるかもしれません。1982年の映画という製作年代からはちょっと考えられないようなテイストでした。一昔前といわれても頷ける感じです。監督は、アラン・ホルツマンという方でした。
原題 : Forbidden World

あらすじ
宇宙での戦闘から帰還したマイク(ジェシー・ヴィント)を待っていたのは、エクザビアに行って事故の後始末をするというものでした。休暇をキャンセルして向かったマイクは、所長のゴードン(リンデン・チャイルス)と助手のバーバラ(ジューン・チャドウィック)の出迎えを受け、現場を案内されます。研究室のカル・ティンバーゲン(フォックス・ハリス)たちによると、生物の突然変異体が逃げ出し、人を襲っているというものでした。研究室のメンバーと話しているうちに、実験の全貌が明らかになってきます。そもそも食糧を増産する目的で始めた実験で、事故の始まりはアニーの事件。彼女は変異体の遺伝子を体外受精して、体内で育成しているうちに死んだのです。

エクザビアの研究施設では、次々と隊員が変異体に襲われ死んでいきます。変異体は増殖力の速い細胞で出来ているため、物理的な攻撃は効かず、手の施しようがありません。マイクは、いつも咳きこんでいるカル・ティンバーゲンから、自分の肝臓はすでに癌に侵されて末期状態なので、肝臓を取り出して変異体に食わせろと言われます。マイクは、その指示に従い、変異体の口にカルの肝臓を押し込むと、変異体はマイクとトレーシー(ドーン・ダンラップ)の目の前で嘔吐を繰り返し死んでしまったのでした。



禁断の惑星エクザビア

いろいろと楽しいB級SF映画でした。メインのストーリーが進行していく中で、いろいろと派生するサービズ満点で、最終的には意表をついたオチが良く決まっていて、そのあたりも感心します。トレイシー役のドーン・ダンラップがいいですね。美しい肢体を目いっぱい見せてくれたうえに、薄着の衣装プラス最後は絶叫マシーンと化します。やはり最後まで残りましたか…。適役です。

ロジャー・コーマンのB級映画。雰囲気は60年代のSFみたいで、作られたのはSF映画華やかなりし80年代。昔のフィルムをあさらずとも、かつてのセンスを味わえるという雰囲気でしょうか。そして、登場人物がそれぞれ変な奴で、やることが緩いというのもB級らしくていいところかも。サブリミナルというほどではないですが、廊下を歩きながらSEXシーンがチラチラ点灯するのも面白かった。きっと彼の頭の中を表しているのでしょう。

ストーリーやクリーチャーの造形にエイリアンの影響が大きいように見えますが、製作も監督も認めないようです(笑)。そして、セットや映像の一部は他の映画の為の物の使いまわしもある様で、低予算の割にそこそこしっかりした絵になっております。ロジャー・コーマンの映画は、それほど積極的に見てこなかったのですが、膨大な作品の中には、かなり当たり外れがあるようですね。これは当たりではないでしょうか。

2019.9.22 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

プロフィール

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Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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