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「キング・コング (1933)」 特撮怪獣映画の画期的作品

世に名高いキング・コングは、1933年に作られました。いろんな場面で引き合いに出される、世界初のトーキー怪獣映画なのですが、後世の映画に与えた影響も計り知れないものがあるという事です。じっくり鑑賞するのは、お恥ずかしながら初めてです。

あらすじ
映画監督のカール・デナムは、一発当てようと南海の孤島、髑髏島を目指す。大衆受けするために、女優のアンをスカウト、原住民の儀式の最中に髑髏島に乗り込むが、アンを奪われてしまう。救出に向かったクルーはその閉ざされた島内で巨大生物に遭遇する…。



映画監督のカール・デナム(ロバート・アームストロング)は、新作撮影のためニューヨークで職を求めていたアン・ダロウ(フェイ・レイ)を女優としてスカウト。準備を整えた彼は早速出港し、地図にも載っていない南海の孤島である髑髏島に向かいます。そして、アンはその長い航海中に、船員のジャック・ドリスコル(ブルース・キャボット)とお互い愛し合う関係になりました。 髑髏島についた一行は早速上陸しますが、原住民がキング・コングに生贄を捧げる儀式の最中に出くわし、族長からアンを渡すよう要求されたため、ひとまず船に戻ります。そして、その夜アンは船上から原住民に拉致され、キング・コングの生贄にされてしまいました。

アンの不在を知った一行は、島に救出に向かいます。一方アンはキング・コングに島の奥へと連れ去られてしまいます。ジャックたちは、足跡を追い森の中へと入っていきますが、そこには巨大な恐竜が跋扈する世界でした。さらに、キング・コングに見つかった一行は、襲われてジャックを除き全滅してしまいます。アンを気に入ってしまったキング・コングは川に臨む断崖にアンを連れていき、触ったり眺めたりしていましたが、そこに翼竜が襲来、キング・コングが戦っている間に隙を見てジャックはアンを連れ去りました。2人は隊に戻ってきますが、キング・コングもアンを追って原住民の村を破壊しながら彼らに迫ります。しかし、船に積んできた爆弾でキング・コングは倒され、ニューヨークに連れて来られることになりました。

カール・デナムは、キング・コングを見世物として興行を開催、劇場は満席の観衆で埋められます。そして幕が開き、記者たちのフラッシュが焚かれた瞬間、キング・コングは暴れはじめ、鎖を切断し、ニューヨークの町中に逃走。アンをみつけると、彼女を連れたまま、エンパイア・ステート・ビルに登り始めます。ジャックとデナムは警察に頼んで戦闘機を準備、エンパイア・ステートビルの尖塔に立つキング・コングに銃撃を浴びせ、キング・コングはたまらず地上に落下息絶えました。コングの死体を見たデナムは「美女が野獣を殺したのだ」と呟くのでした。

キング・コング

往年の名作をまた一つ鑑賞です。コンパクトにまとまったストーリー展開は、後年の怪獣映画の規範となるもの。その中に、いろいろなアクションやラブストーリーを織り込み、大変楽しい映画でした。恐竜との対決シーンは迫力満点で、アンに惹かれるキング・コングのシーンとか、大変微笑ましいものでした。島では敵なしの強さだったところ、そして勝った時のポーズとか愛嬌があって楽しいのです。キング・コングだけでなく、髑髏島の風景や恐竜、原住民など、一つ一つ手が込んでいてとてもいいと思います。

この映画を見ているとどうしてもゴジラが頭に浮かんできます。ゴジラの方が20年後なのですから、やはりこの映画の後世に与えた影響は計り知れないものがあるのでしょう。そして、エンパイアステートビルや、戦闘機など、当時の技術としては最新のものも、いろいろと登場します。まさにサービスは盛りだくさん。電車が破壊されたりするのも、後年では時々出てくる場面ですね。ラストはまぁ、美女と野獣がテーマという事で…。

冒険ものは、かつてバロウズ、ヴェルヌ、コナン・ドイルなどの小説があって、それを映像化したものが多かったと思うのですが、キング・コングはオリジナルというのも画期的ではないかと思います。怪獣映画の世界に、評価の定まった原作ではなく、オリジナルでの大成功は、この分野に新たな道を開いていったのではないでしょうか。系譜として、数々の文豪の名作と共に並び称されるものではないかと思いました。

2019.5.5 HCMC自宅にて、Amazon Primeよりパソコン鑑賞
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テーマ : 映画レビュー
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「破られた約束」 スロバキアのユダヤ人の悲劇を描く

珍しいスロバキア産の映画。ホロコーストものの映画でした。スロバキアにおけるユダヤ人迫害を生き抜いた主人公の自伝小説をべースにしています。日本未公開、ネット配信のみの形式です。2009年のスロバキア・チェコ・アメリカ合作の作品になります。

あらすじ
スロバキアのユダヤ人一家に生まれたマルティンは、サッカーの腕はピカ一でしたが、ヨーロッパの戦局が第2次大戦に向けて進む中で、ユダヤ人はすべての権利を奪われていく。そして、収容所内ならサッカーができると、志願するマルティンだが…。



スロバキアは、1939年ドイツの傀儡政権である、ヨゼフ・ティソ政権に変わりました。ユダヤ人一家に生まれたマルティン(Samuel Spišák)は、サッカー少年として学校でも活躍していましたが、政権交代後、ユダヤ人のすべての権利が剥奪されていきます。危機を感じたマルティンの親類の一人が全員のパレスティナへの渡航のお膳立てをしましたが、マルティンの家族は、まだそれほど深刻な事態になる前で、事態の好転を信じ、移民になることを断念しました。しかし、親族からも徐々に収容所に送られる者が出る中で、先に収容所に入っていたサッカー友達のフレッドの手紙で、収容所でサッカーができることを知ったマルティンは、志願して収容所に入ったのでした。

志願して収容所に入ったとは言え、収容者への扱いは変わりませんでした。しかし、サッカーの腕前で所長の目に留まったマルティンは、幾度か選別されポーランドに送られるのを免れます。ポーランドへの移送はそのまま死を意味していました。収容所ではやがてフレッドもポーランドに送らる中、同室の者から赤軍のパルチザンの情報を聞きます。その後、重度の肺病を患って危篤状態となったマルティンは、収容所の初期治療を生き抜き、療養所に送られることになりました。そこでは回復後も仮病を使って居座っていましたが、やがて追い出されてしまいます。

マルティンは療養所で知り合った神父を頼って修道院に入りますが、やがて修道院がユダヤ人を匿っているという噂が流れて出ていかざるを得ず、収容所で得た情報から、赤軍のパルチザンに入りました。そこはロシア人を主体とする小隊で、ここでもユダヤ人であることが判ってしまうと、殺されるという過酷な状況は続きます。そんな中で、ドイツ軍との小競り合いを何度か潜り抜け、ついに赤軍が眼下に入って来るのを見て万歳の声を上げるのでした。そして、戦勝者として、軍人として故郷の町に帰ったマルティンは、人手に渡った生家の物置に入れてもらい、かつての家族の写真を見つけ、涙するのでした。

破られた約束

スロバキアのユダヤ人の数奇な運命を描いた、実話の歴史劇です。映画としての表現というよりは歴史の重さをストレートに描いたホロコーストものの歴史劇ですので、あくまでも実話を見ることが主体になります。マルティンや取り巻く者のいろいろな行動も、事実に基づきながら、ストレートに描かれていきます。それは、その時代を生きた人々の姿や行動ですから、人がどういう風に考え、行動するものであるかが、よく理解できる形になっています。

「破られた約束」という題名は、傀儡政権発足時、親族で集まった晩餐会で、1年後に全員の再開を果たすという約束が守られなかったという所からのものです。スロバキアのユダヤ人で生き抜くことができたのは20%くらいであることが、最後の字幕で語られます。そのような過酷な運命の中で、加害者は、ドイツ軍にのみならず、一般市民も加担していく状況が語られています。そういったことを、それほど大げさにでもなく、淡々と映し出していくところに、この映画の迫力があるのだと思います。

最後にデータだけでも、ということで、監督はJirí Chlumský チェコのプラハ出身で、映画やテレビドラマで活躍中のようです。原作は、マルティン・フリードマン=ペトラシェクの自伝によるもので、役名も同様です。主演は、Samuel Spišákで、1992年ブラチスラヴァ生まれの俳優。映画自体は、スロバキアとチェコで公開されたほか、各地の映画祭で公開されたようです。

原題:Nedodrzaný slub、英語原題:Broken Promise

2019.5.11 HCMC自宅にてAmazon Primeよりパソコン鑑賞

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「この世界の片隅に」 またまた日本の名作アニメの誕生

予告編を一目見て、この映画は絶対いいと思ったのですが、見ませんでしたねぇ…。なかなか。得てしてそういう時こそなかなか見ないものなのです。自分で勝手に想像を膨らませたりして。そういった映画でまだ見てない映画、結構あります。それもついに年貢を納めて鑑賞しました。この映画は2016年に製作されました。

あらすじ
昭和19年、18歳のすずは、故郷の広島市を離れ、呉に嫁いできた。、物資が不足する中、すずは工夫をこらして生活していくが、呉は何度も空襲に遭い、いつも眺めていた軍艦が消え、街は破壊されてゆく。すずが大切に思っていた身近なものが奪われていく中で、日々の営みは続く…。



広島市の浦野家は、長男の要一、長女のすず、次女のすみの3人兄弟です。天真爛漫なすずは、妖怪やお化けに遭遇するなど不思議一面もありました。また、中学生の時に幼馴染の水原の代わりに描いた絵が入選するなど、絵がとても得意でした。すずは18歳になると、軍港があった呉に住む北條周作から求婚されます。すずと周作は、子供の頃に一度だけお使いの途中で出会ったことがあったのです。北条家には、義姉の径子が娘の晴美を連れて出戻ってきており、何かとつらく当たってきますが、晴美にはよくなつかれて、楽しく日々を送っていたのでした。

戦局は悪化し、空襲が激しくなってきます。義父の円太郎が空襲で大怪我をして入院したので、すずは晴美を連れて義父の見舞いに行きますが、帰り道、すずは爆撃を受けて晴美と自分の右手を失ってしまいました。娘を失った径子には、始終責められ、ますます激しくなる空襲の中で、すずは周作に「広島に帰りたい」と訴えますが、周作はそばにいてほしいと答えます。そして、8月6日の朝、すずは径子に許され、一瞬心の重荷がとれましたが、激しい爆音とともに、広島に原爆が投下されたのでした。

終戦を迎え、北条家では皆で玉音放送を聞きながら、今までの苦労を思い泣き崩れます。すずの広島の実家では、父も母も原爆で死亡、妹のすみだけが原爆の後遺症で苦しみながらも生きていました。そして翌年、呉の街で周作とすずは、死んだ母親にすがり付いている、戦災孤児の「ようこ」に出会います。すずは、ようこにおにぎりを与えると、彼女はそのまま後をついてきました。北条家では晴美の生まれ変わりのように、ようこを新しい家族として迎え入れるのでした。

この世界の片隅に

この映画の公開された年は、映画をたくさん見たのですが、なぜかこれ見ていたかったんですね。君の名は。も同じ年だっと思います。あちらは見ました。予告編を見て、絶対これは面白いはずと思っていたのですが、数ある機会を逸してしまい、今さら見ております。で、感想はやはり良かったとしか言いようがありません。もう少し、アニメっぽく、見る者に媚びた感じになっているかとも思っていましたが、想像以上にリアルでした、そして、その背後にあるいろいろな悲劇を描かずに表現してしまっているとも思います。

この高台の家は、いろいろな悲劇の中心からちょっと離れています。その視点がとても日常感があります。自然災害でも直撃を受ければそれは悲劇にしかならない。戦禍もきっと同じようなことがあるのでしょう。この大変な事が起こっている中での日常感は、かなり大変な事、いつの間にか取り返しのつかないようになっていることもあるのです。大変な事が起こっていても、自分の体感できるのは、本当に狭い範囲。それが日常的な事実であり、その感じが良く出ていると思います。そのあたりがとてもリアルでした。

すずは、右手を失い、一緒にいた晴美を守れなかった責任を感じます。これが大変な直接的な災厄。でも、お互いに助け合って生きていかなければならない。そして、あくまでも前向きな日常が続いていきます。鈴の姿の中に、人間の力強さや生命力といったものを感じます。

この映画、いろんな有識者から語りつくされていますので、ちょっと書くのが気恥ずかしいところもあります。この辺で…。

2019.3.16 HCMC自宅にてAmazon Prime よりパソコン鑑賞

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「大地震」 70年代の大地震がテーマの群像パニック作品

70年代のハリウッドは、パニック物の映画が沢山作られました。「タワーリング・インフェルノ」、「ポセイドン・アドベンチャー」など、その代表的な作品だと思います。その中で、同じ系統に属するこの映画は、まだ見たことが無いはずなので、当時の雰囲気に浸りつつ鑑賞することにしました。1974年の作品です。

あらすじ
建築会社の副社長であるスチュワートの妻レニーは、夫の出世は父であり社長のサム・ロイスのおかげと考えていた。しかし、スチュワートは、若い未亡人のデニスと相思相愛の関係となっており、レニーの嫉妬は頂点に達している。そんな時、ロサンゼルスを未曽有の大地震が襲う…。



ロサンゼルスの高級住宅地、建築会社の副社長スチュワート・グラフ(チャールトン・ヘストン)は、悩みを抱えていました。妻のレミー(エヴァ・ガードナー)とは離婚寸前の状態なのですが、彼女は、スチュワートが出世したのは、レミーの父のサム・ロイス(ローン・グリーン)が会社の社長だからと考え、スチュワートを軽視していたのです。そして、スチュワートは、殉職した社員の妻子である、デニス・マーシャル(ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)たちの面倒を見ていることから、レミーは嫉妬していました。その朝、震度3の地震が発生、地震研究所では、48時間以内に大地震が起こると予知し、市長に連絡します。

その頃、会社ではスチュワートはロイスから社長の座を譲ると聞かされ、そこにレミーが来合わせたことから、それがレミーの差し金だと知ったスチュワートは出ていくレミーを追いかけ外に出ます。大地震が発生したのはそんな時でした。スチュワートはレミーを助け、ひとまずビルに戻りますが、周囲のビルや住宅は崩壊し火災が発生、大混乱となっています。警官のルー・スレード(ジョージ・ケネディ)は混乱を鎮めようと努力を続けていました。ウィルソン・プラザの地下に診療所が開設され、医師が対応していましたが、ここでサム・ロイスは死亡、負傷したデニスの息子は回復に向かいます。しかし、さらに余震が発生、ビルも崩壊し、診療所は地下に閉じ込められてしまいます。

ビル構造を知っているスチュワートは、ルーと共に削岩機を使い、地下室に通じる穴を開け、皆を救い出しにかかります。その中にデニスと息子もいて、スチュワートがデニスと抱擁する姿をレミーが見ていました。デニスたちは先頭で脱出、皆が先を競ってそれに続く中で、決潰したダムの水が地下通路に迫ってきていました。レミー、スチュワートとルーが最後の脱出者。レミーが梯子を登っている時、手を踏まれて転落してしまいます。スチュワートは一瞬外にいるデニスを見上げた後、レミーの後を追って濁流に飛び込んで救出しようと試みましたが、2人とも濁流にのまれてしまいました。そして、ラストのルーは既に為すすべはなく、地上に出てくるのでした。

大地震

この時期製作された一連のパニック映画。大地震という、映画の題名としては地味ではありますが、災害の内容はかなり身近な感じで、中身も濃いような気がします。群像劇で始まり、いろいろなそれぞれの人間関係が提示され、災害が発生するというのも定型的なパターンでした。脱出劇も、穴を開けて脱出するのは、どこかで見たパターンでもありました。この物語では、さらに不倫のもつれまでが描かれ、最後に効いてきます。いろいろと複雑です。

語られた登場人物も含め、たくさんの人が助からないのですが、かなり露骨に絶望的な情景が描かれていると思います。初めて見ると思っていたら、エレベーターの場面は見覚えがありました。おそらく〇曜ロードショーで見たのでしょう。たぶん、この部分だけはトラウマになっていると思います。時々、乗っているエレベーターが異常な行動をする悪夢を見ることがありますし、今一つエレベーターを信頼していない自分に気づきます(でも乗ってはいますが)。そうか、この映画が原因だったのかと改めて思った次第。

チャールトン・ヘストンの主人公は、普通にはまっているとしても、やはりこういった映画では、ジョージ・ケネディはいいですね。といっても、これはエアポートシリーズのイメージから来ていますが。彼が出てくると、妙に安心します。この時期のパニック映画はよくテレビでやっていたと思いますので、意外と見ているような気がします。そして、忘れているのも多いのですが。最近のパニック映画は、妙にがっかりすることも多いのですが、この時期のパニック映画はきっちりと作られているなと思いました。

2019.3.21 HCMC自宅にて、Amazon Prime よりのパソコン鑑賞

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「沈黙 サイレンス」 神はなぜ苦難を与え沈黙を守るのか

マーチン・スコセッシ監督が、日本文学の名作を監督した作品。遠藤周作の沈黙は、キリスト教に関する小説という事以外、内容はよく知らないのですが、かなり重厚な純文学作品と思うので、心して見ました。2016年の映画になります。

あらすじ
尊敬する恩師のフェレイラが日本で棄教したという噂を聞いたロドリゴとガルぺは日本に潜入しフェレイラの消息を辿る。しかし、その存在は長崎奉行の知るところとなり、捉えられると目の前で信者を次々と殺害することによってロドリゴに棄教を迫るが…。



江戸時代初期、イエズス会の神父ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ神(アダム・ドライバー)は、日本に布教に向かった、尊敬する師でもあるフェレイラ神父(リーアム・ニーソン)が棄教したという噂を耳にします。事の真相を確かめるべく、日本に向かった2人は、マカオで出会ったキチジロー(窪塚洋介)の手引きでトモギ村に入りました。そこでは隠れキリシタンが弾圧に苦しみながら細々と信仰を守っており、2人は村人と交流しながら、布教を行っていきます。キチジローはかつて弾圧を受け、家族の中で自分だけ踏み絵を踏み、自分以外の家族は全員眼前で処刑されたという経歴の男でした。罪の意識を背負うキチジローは自分の村にも2人を招きます。

トモギ村に戻ると、キリシタンの噂を耳にした長崎奉行・井上筑後守(イッセー尾形)が訪れ、村人達のうちキチジローを含む4人を代表させて棄教を迫り、キチジロー以外は棄教を拒み3人処刑されました。ロドリゴは自分たちを守ろうとする信者たちを見て、「なぜ神は我々にこんなにも苦しい試練を与えながら、沈黙したままなのか?」と苦悩します。その後、トモギ村の危険を感じた2人はフェレイラを探すため別々に行動し始めます。 ロドリゴは、やがてキチジローの密告で捉えられ、通辞(浅野忠信)から棄教を迫られます。通辞は、ロドリゴの前に、別に捉えたガルペと信者たちの姿を見せ、信者の処刑に思わず駆け寄ったガルペは、ロドリゴの目前で命を落としてしまいました。

ロドリゴは、長崎奉行所に引き出され、井上筑後守との対話が始まります。ロドリゴの目の前で、棄教をこばむ信者が次々と殺されていき、井上はさらに日本で布教することの無駄を説き、さらに棄教を迫ります。そして師のフェレイラとも対面。日本人にとってキリスト教は意味を持つのかという命題を突きつけられます。ある夜、フェレイラの説得を拒絶するロドリゴは、遠くから響く鼾のような音を聞き、それは鼾ではなく、拷問されている信者の声であり、彼らはすでに棄教を誓っているのが、ロドリゴが棄教しない限り許されないことを知ります。究極の選択を迫られたロドリゴは、踏絵の前で神の声を聴き、踏むことを受け入れました。

ロドリゴは、最後の司祭として妻と住居を与えられ、棄教した元神父として一生を日本で過ごします。時折棄教の確認を受ける生活でしたが、全く問題なく対応します。しかし、神の声を聴き深く理解したロドリゴは最後まで神の教えの元で生き抜いたのでした…。

沈黙 サイレンス

かなり、重苦しい雰囲気の映画で、あまりにもリアルな強い表現なので、見るものをいろいろ考えさせるものだったと思います。キリスト教の布教と受難の歴史。日本人の遠藤周作による小説と、マーチン・スコセッシによる映画化と、また状況が複雑になっています。映画自体は小説に沿った内容と思われますが、その演出がまた、激しいものになっていました。長崎奉行は究極の選択をロドリゴにつきつけます。日本人の信者が次々と死んでいくのは、ロドリゴが悪いのだと、あからさまに突きつけて棄教を促すのです。それを見て苦悩するロドリゴと、ロドリゴを売るたびに告解を求めてくるキチジロー。

日本にはキリスト教は根付かないと、映画の中で語ります。それはそうなんでしょう。たぶん、キリスト教のような神の存在が、感覚的に理解できません。私だけかもしれませんが。また、作品中では、殉教は神の為ではなく、ロドリゴの為に死んでいくのだと言われます。日本では、人の為には死ねるが、実体のない神の為には死ねないのです。ということでしょう。つまり、人間と自然が最高位になっていて、そのような絶対的な神の概念が無いとは言いませんが、犠牲の上でも守るようなものではないということでしょう。

さて、ロドリゴを責める長崎奉行は、棄教したキリシタンまで、見せしめに殺害していきます。これはまぁ、一般人の犠牲と同じで、ロドリゴに棄教させることが、当時の国際情勢の中でそこまで価値があったということ、あるいは一般人の命の価値がそれほどに低かったのかということかと思います。このあたり、今の時代ではテロ国家とか人権侵害とかで大騒ぎされるような内容ですが、どこにでもある、人間の歴史の事実であることも明確に表しています。現時点ではこのくらいです。また、いろいろと勉強し体験する中で、また違った感想が出てくることかと思います。

映画自体は、映像は美しく、役者さんの演技も素晴らしく、素晴らしい出来でした。素晴らしかった俳優さんを上げるときりが無いような映画で、時間を忘れて見入ってしまいました。

2010.4.30 HCMC自宅にて Amazon Prime よりパソコン鑑賞

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「男か女か」「 夕立」 女装作品とレアマンとの最後のコンビ

時々見ているチャールズ・チャップリンの初期短編ですが、今回は4作目の「夕立」24作目の「男か女か」。夕立は1作目から順番に見てきた続きですが、男か女かはたまたま見てしまったという感じです。ともに1914年の映画になります。

あらすじ
「男か女か」…作品をめちゃくちゃにしたり、女優にちょっかいを出したりしたチャーリーは解雇されるが、女装して撮影所に侵入し復帰を画策する…。
「夕立」…チャーリーとスターリングは泥道を渡ろうとしている娘を手助けし、その後、スターリングは娘に渡した傘を返してもらおうとしてひと騒動…。



男か女か (The Masquerader)
いたずらをせずにいられない映画俳優のチャーリーは、楽屋では他の俳優を陥れ、撮影所ではいろいろな作品に出演しながら、オーバーアクションで作品を台無しにしたり、セットを壊したりと大暴れ。ついには女優たちにに手を出して撮影の妨害をしたため、解雇されてしまいます。チャーリーは復帰しようと、今度は貴婦人に女装して撮影所に潜入。すっかり騙されたスタッフたちは、チャーリーに近寄ろうとしのぎを削りますが、やがて化けの皮がはがれ、再び撮影所で大暴れ。スタッフとの乱闘の挙句、井戸の中に落ち、頭を冷やすことになってしまいました。

夕立 (Between Showers)
スターリングは、女友達(ランプ)を口説くのに余念のない警官(コンクリン)から、こっそり傘をせしめました。そして、泥道を渡ろうと苦労している娘(クリフトン)に出くわしたスターリングは、娘の気を引こうとまず傘を渡し、渡り板を探しに行きます。そこにチャーリーも現れ、同様に渡り板を探している間に、親切な警官が通りかかり、娘を無事渡してしまいました。二人が帰ってくると、すでに娘は渡った後、スターリングは娘に傘を返すよう要求しますが、返してもらえません。そこにチャーリーも登場し、三つ巴の傘の争奪戦に…。ついに傘はチャーリーの手に渡り、その傘をネタに娘を口説きますが、娘は取り合いません。これを見ていたスターリングは、警官に取り返してもらおうと、近くにいた警官を連れていきますが、彼は傘の元々の持ち主。スターリングは自分の傘だと主張してしまい、連行されてしまいます。そして、それを見てほくそ笑むチャーリーなのでした。

男か女か

「男か女か」は、チャップリンの第24作目(泥棒を捕まえる人除く)。
女装のチャップリンが見られる映画です。それもこの女装していること自体は、話の展開から見当はつくのですが、一見チャップリンなのか解らないくらい、きっちり女装されていますね。それがタバコを吸ったりして、だんだんわかってくるという仕掛けです。チャップリンの女装作品は3作あるそうです。全体ストーリーとしては、撮影所内で撮ったドタバタという形で、執拗にみんなの妨害をするチャップリン。最後には思いっきり暴走し自爆という感じでした。ロスコー・アーバックルとのやり取りも見どころです。

「夕立」は、チャップリンの4作目(泥棒…があるので実質5作目)となります。
これがレアマンとの最後のコンビとなり、レアマンの監督としての名声はこれ以降聞かれなくなりました。そして、チャップリンとコンビの形で、フォード・スターリングが共演しています。実は私は、フォード・スターリングの大げさな跳んだりはねたりが意外と好きなので、面白く見られました。

内容としては、まぁ、傘の奪い合いですが、かなり激しい奪い合いを見せてくれます。傘の持ち主は二転三転し…。という感じでした。しかし、この女の人、エマ・ベル・クリフトンですが、傘に対する執着がすごいですね。なかなか返してもらえないうちに、ついに、フォード・スターリングは連行されてしまいました。初めて見た時は、最初の警官が口説いていた女性と、路を渡ろうとしていた女性を混同してしまって、自分的にはちょっと話の内容が混乱してしまいました。

これの映画を最後に、ウマが合わなかったレアマンと別れたチャップリンは、その後、どういった展開を見せていくのでしょう。また、ボチボチ見ていきます。

2019.3.27(男か女か)、2019.4.9(夕立) HCMC自宅にて、パソコン鑑賞

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「私たちの結婚」 悩ましく微妙な後味を残す青春群像

何か、古い邦画でもと思って見始めたわけです。特に予備知識なく、長さが手ごろだったというわけで。この辺りの映画だと、自分がほんの小さい頃の景色に近いものがあるのではないかと思います。そのあたり、ちょっと郷愁も感じつつ楽しみました。1962年の映画で、松竹大船製作。監督は、篠田正浩です。

あらすじ
圭子と冴子姉妹の実家は羽田で海苔養殖を営んでいるが、収穫が落ち借金に追われていた。2人の働く川崎の工場で、圭子は冴子の同僚の駒倉と知り合う。一方で、両親のもとにいろいろな縁談の話も来る中で、圭子は今までの貧困を断ち切りたい思いから、収入の少ない駒倉との交際に懐疑的になっていく…。



圭子(牧紀子)と冴子(倍賞千恵子)姉妹の実家は羽田で海苔を作っていました。しかし年々進む埋め立てに、収穫も落ち、生活は苦しく、2人は川崎にある自動車工場に勤めに出ています。圭子は会計課、冴子は製造課で働き、冴子は同じ職場の駒倉(三上真一郎)という生真面目な青年に関心がありました。ある日、駒倉が会計課を訪ねたことから、圭子も駒倉と知り合い、冴子は姉と駒倉の間を取り持ち、駒倉と圭子はいい関係になっていきます。その頃、圭子の周りには、本人の知らぬところで、組合長の息子の後妻に、であるとか、実業家の松本(木村功)からのプロポーズとか、両親(東野英治郎沢村貞子)のところに話が持ち込まれていたのです。両親は、苦しい生計もあって、組合長の息子の後妻であれば良縁だと思っていたのでした。

奔放な友人とナイトクラブに行ったとき、たまたま圭子は松本と出会います。それがきっかけで、圭子は松本とデートを重ねるようになっていました。そして、圭子は松本が親にプロポーズの手紙を送っていたことを知ります。一方で、圭子は冴子と共に駒倉とも会っていましたが、松本とデートとし始めると少しづつ疎遠になっていきます。圭子は今までの苦しい生活もあり、駒倉との結婚は経済的な基盤が弱いと考えていて、それでも幸せはつかめるという、駒倉や冴子の考え方に圭子は懐疑的なのでした。そして圭子は、両親から組合長の息子の話を聞かされると、松本の手紙を黙っていたことなどで親と衝突。険悪な関係になってしまいます。

やがて、圭子は駒倉には、今のままの2人では生活が無理と別れを切り出し、松本のプロポーズを承諾。冴子は愛が貧乏に負けた打算の結果だとなじりますが、圭子は頑として聞き入れません。圭子はすべてを押し切って松本と共に、松本の実家への訪問に旅立ちます。行きつけのおでん屋で酒におぼれる駒倉は、冴子になぜ圭子をしっかり捕まえて置かなかったのかと問われますが、冴子はおでん屋の女将さんから、実は冴子こそ駒倉のことが好きなんだと指摘されます。それに気づかされた冴子は、次の日また明るく工場に出勤していくのでした。

私たちの結婚

貧困と、恋愛と、結婚を見つめた、漁民と工業地帯が同居する、1960年代の川崎を舞台とした映画でした。今でもこういうテーマは日常的に存在しているのだと思いますが、あまりこういう形で少なくともメジャーな映画で映像化されないような気がします。貧困であればもっと複合的な貧困を描くし、ラブロマンスであればもっと明るく撮るし…。そういう意味絵も、ストーリー的には現実をストレートに映し出して、コンパクトにまとまめた感じです。

姉がなぜ最後に松本を選んだのか?そのあたりは明言しませんが、複合的な打算の結果でしょう。そもそもこの姉は何を考えているか解らないところがあると思います。性格描写をはっきりさせていないのか、あるいは、このままだとしたら、ちょっとめんどくさい奴です。逆に姉は駒倉を本当に好きだったのか、かなり微妙です。駒倉とは意識レベルが違うような気がします。そもそもこの性格では、釣り合いません。駒倉は妹の方とは似合っているようですが、まだこれからいろいろなことがあるのだろうという終わり方でした。

音楽は青春物そのままに明るいもので、内容と比べると能天気すぎ…。内容は、結局あまりすっきりせず、先々の人生を見つめてあえぐ青春と、そこから抜け出そうと選択を迫られる若者。タイミングを逃すまいと掴んだことが正解なのかどうか。打算が入った選択で長続きするのか?これで幸せなのか?という疑問が残して終わります。ハッピーエンドではなく、妥協で終わるという感じが大いに残り、これが人生の選択なのだ、とこの音楽が明るく能天気に締めくくっている。誰がどう幸福になれたという感覚が無いまま、恋愛と生活の葛藤を見せてつけてこの映画は終わっています。妹の様に、人生天真爛漫で、あまり深く考えないのが一番という結論なのかもしれません。両親の二人の熱演が、決して裕福でない家族をよく表現していて印象深いと思いました。この演技があって、映画が締まっていると思いました。

2019.4.28 HCMC自宅にて、パソコン鑑賞

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「アドリフト」 太平洋で41日間の漂流を生き抜く女性の物語

飛行機の中で、この日は3本鑑賞し、3本とも実話の映画化でした。この日は異常にだったとしても、数奇なドラマ映画の中で、実話ベースというのは、実はかなり多いのかもしれません。実際どのくらいのウェイトを占めているのでしょうか?2018年製作の映画になります。

あらすじ
愛し合うタミと、リチャードは、タヒチからサンディエゴまで豪華ヨットの回送を依頼され、太平洋を横断することになった。ところが途中で、史上最大級のハリケーンに遭遇、嵐が去った後、タミはリチャードが致命的な傷を負い、しかもボートが壊滅的な状態であることを知る…。



この映画は、時間軸が交錯して表現されていますので、ここでは映画の進行順を無視して全体のあらすじを書いていきます。

1983年のタヒチでのこと。タミ(シェイリーン・ウッドリー)はサンディエゴからこの島にやってきました。彼女は島で仕事を見つけ、働きながら生活を始めます。彼女は、自分の船を持って世界中を旅している、イギリス人のリチャード(サム・クラフリン)と出会いました。2人は何度か会ううちにお互いにひかれあい、恋に落ちます。ある日、リチャードの旧知の老夫婦が島から戻ることになり、彼らのヨットを回想して欲しいと頼まれます。タヒチからサンディエゴまで。報酬は1万ドルで、帰りの飛行機はファーストクラスを提供するという条件に、リチャードはタミと2人でこの仕事を請け負うことになりました。

2人での航海を始めたタミは、リチャードからプロポーズされ、幸せの絶頂です。しかし、海は強風と共に荒れ始め、巨大なうねりの中で翻弄されていきます。コントロールも全く効かず、リチャードは海に投げ出され、タミは船倉で気を失いました。嵐が去り静かになった海に浮かぶ船の中で、タミは水浸しの室内から甲板に出ましたが、そこにはリチャードの姿はなく、四方は穏やかな海が広がるばかり。まずタミは壊れた船を応急修理しているうちに、がれきに捕まっているリチャードを発見します。リチャードをなんと引き上げましたが、彼は深い傷を負っていました。

自由を失った船の漂流は続きます。船内の食料や水を少しづつ消費しながら、じっと救助を待つ日々が続きました。タミとリチャードはお互い気遣いながら、なんとか生き延びていきます。やがて幻影をも見るようになりますが、リチャードに元気づけられるタミ。しかし、漂流も30日を過ぎ、リチャードは衰弱して眠ってしまいました。そして、タミはリチャードは実際はそこにはおらず、タミを勇気づける自らの幻影であったことを悟ります。そして、41日目、陸地を発見したタミは、救難信号を撃ち無事救助されたのでした。その後、タミはタヒチに戻り、リチャードが残した彼の船の船内に入ります。そこには二人の思い出の写真がたくさん貼り付けられていました。その後、タミは今でも航海を続けているとの事です。

アドリフト

冒頭で書きましたが、この日機内で見たのは、実話ベースの映画が3本。他の2本は正直今一つだったので、アドリフトが最も普通に楽しめる映画でした。実話ベースの映画って、なかなか難しいと思います。実際起こったことから何を得るか?この話の様に、超越的な体験をしたものであれば、納得の作品が出来上がります。この映画は、実のところ41日間、何もない海を漂流するという、映画にするには難しいものだと思いますが、過去と現在のエピソードを交互に挟んだりして非常にうまく見せていると思います。

この映画を見ていて、最後にリチャードがいない場面で、一瞬狐につままれました。ずっと長い間、リチャードとタミのやり取りが中心で話が進んできたので、そちらの方に感情移入していましたよ。ところがです…。ということでした。タミはずっと、心の中のリチャードの励まして、41日の間頑張って来れたということですね。2人で一緒にいた時間は長い時間ではなく、正式にプロポーズされたのも、この航海から。大変短く、しかし最も充実した時間がそこにあったということです。そしてこれは、その延長上の41日間だったということでしょう。

この映画の構成で見ると、船上が半分、それまでの経緯が半分というところでしょうか。大海原が舞台の映画、時々見ることがありますが、この映画も含め、映像がどれも大変美しいと思います。日常では見る機会が少ない光景だけに、いい体験ができるのも事実。また、嵐のすごさは普通には体験できるものではありません。(実際の映像ではないかもしれませんが…)そういう映像の楽しみも含め、うまく構成して作っている、楽しめる映画になっていると思いました。日本ではまだ未公開、DVDもまだのようですが、そのうち出るのでしょうか…。

2019.2.10 成田→HCMC JAL759機内にて鑑賞

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「時計じかけのオレンジ」 未見にも係らず思い出の多い映画

勿論、この映画は超有名な映画で、学生時代から耳のタコができるくらい、人から話を聞き、本などでもその紹介を読んできた映画の一つです。だから、面白いことは間違いないと思うのですが、未だ見ていませんでした。ということで、そんなもやもやを解消すべく鑑賞です。言わずもがなですが、1971年スタンリー・キューブリックの手になる作品です。

あらすじ
アレックスは、ロンドンの夜を支配する少年ギャング団の一人として3人の仲間を率い、暴力の限りを尽くしていた。そんな彼も、ある時仲間の裏切りから逮捕されてしまい、自由を得るため更生の実験台を願い出る。無事世間に出ることができたアレックスだが、処置の影響が彼の体に変調を起こしていく…。



近未来のロンドン。治安状態は悪化し、道徳も退廃していました。夜の街は少年ギャングが跋扈。その一人であるアレックス(マルコム・マクドウェル)は、3人の手下を従え、毎夜ミルクバーでドラッグ入りミルクをやった後、町に繰り出します。その夜は手始めに、酔いつぶれている老浮浪者に殴る蹴るの暴行を加え、荒れはてたカジノの舞台では、別のグループと大乱闘。そして、郊外の邸宅にやって来ると、その家の主人の作家(パトリック・マギー)を縛り、目の前で奥さんを凌辱。こうした一晩を過ごした後、アレックスは好きなベートーベンの第九を聴きながら眠りにつくのでした。

ある日、ささいなことから手下の反抗にあい、それでも強引にわからせて金持ちの家に押し入ったものの、肝心なところで裏切りにあって、アレックス1人逮捕されます。アレックスは、刑務所では牧師に取り入り、聖書を読む模範囚となって過ごしていました。その頃、政府は凶悪な犯罪者の人格を人工的に矯正する治療法を開発していて、その噂を知ったアレックスは自ら志願。その実験の第一号となります。それは特殊な薬品を注射した上で、暴力的な映像を見せ続け、生理的に暴力やセックスに耐えられないように矯正するものでした。その結果、アレックスは暴力とセックスに吐き気を催すようになり、おまけに動画に使われていた第九にも反応するようになってしまいました。

無害な人間になって家に帰ると、彼の部屋は辛辣な下宿人に占領され、仕方なく家を出ます。町に出るとアレックスは、かつて暴行を働いた浮浪者たちに袋叩き似合い、その後今は警官となっているかつての手下にも暴行されました。なんとかたどり着いたのは、これもかつて押し入った作家の家。その事件後彼の妻は自殺、自分も半身不随となってしまっていました。作家は自分の属している反政府運動の道具にのアレックスを使おうと、活動家を呼びます。そして、アレックスに第九を聞かせると、アレックスは拒絶反応でたまらず窓から飛びおり重傷を負います。作家の狙いは、アレックスの自殺と非人道的矯正への糾弾による現政府の失脚でした。アレックスは一命を取りとめ、内務大臣(アンソニー・シャープ)は、アレックスを元どおりの人間に戻すこと発表し、やがてアレックスは、ベートーベンの第九に再び歓喜するのでした。

時計じかけのオレンジ

自分的には、今更見ているのが気恥ずかしい映画の一つです。中高生時代にこの映画の信奉者がいて、サントラまで買い求めいつも聞いている人がいました。彼は、アレックスが劇中で使う小型テープレコーダーも買い求め、それで音楽を聴くという徹底ぶり。そんな影響もあって、この映画に出てくる音楽は当時すべて覚えました。これはシャイニングも同様ですが、あちらの方はなかなか覚えづらい…。そういう訳で、何となく懐かしい思い出もある映画なのですが、なぜか見るのは初めてです。いろいろと聞かされていたので、見たつもりの気分ということかもしれません。

で結果としては、大変面白かったです。最初からこの映画の世界に引き込まれていきます。さすがキューブリック監督という感じでした。映像や音楽がとても凝っていて旨いと思います。金持ちの女をペニス型の置物で殴る場面の突然のアニメーション。ぶっ飛ぶぐらい強烈でした。そんな感じなので、ある程度デフォルメされ、エロは若干ありますが、暴力物のわりに、強烈なグロはありません。あえて言えば、瞬きできないようにして、執拗に目薬を差すところはちょっとグロい…。

前半は、町中で暴力をふるう側で、後半はリベンジされる側に回っています。自宅の部屋に居座っている下宿人がなかなか辛辣です。最終的には、それもこれも政治利用されるという寓話となってこの物語は終わるのですが、すっかりマインドコントロールから解放されたアレックスは、再び社会に出てどういう行動をとるのだろうか?というところでこの映画は終わり。イギリス版の原作の方では、もう1章後日談があるようです。しかし、それもこれも、キューブリックの映像やアイデアにまいりました、という感じでこの映画を堪能しました。

2019.4.27 HCMC自宅にて、Amazon Prime よりパソコン鑑賞

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「三池監獄 兇悪犯」 三池集治監の鉱山労働と東映スター

日本の石油ショックの頃の映画。この時期に、こういったタイプの映画をいくつか見ているはずですが、ほぼ覚えていません。というわけで、当時の雰囲気を懐かしむためにも見てみました。1973年の映画で、東映京都の製作。監督は、小沢茂弘です。

あらすじ
日露戦争前夜、三池炭鉱では囚人を労働力として利用していた。しかし、その労働は苛烈極まるもので、囚人の半数は死亡したという。ある日、囚人の人心を得ている郡司班長の元に、囚人たちが団結することを切り崩すため、北海道から折り紙付きの囚人北海常が連れられてくる…。



囚人の脱走場面でスタート。良人坑道に逃げ込んだ囚人は女性労働者を犯しつつ外に逃げるも全員銃殺され、班長の石堂(大木実)は配下に脱走者を出したことで処分を受けます。しかし、炭鉱会社側からの要求で増産を開始することになり、頭目で囚人たちから信頼の厚い郡司(宍戸錠)の了解もあって、囚人も増産を受け入れました。一方集治監側では、郡司の元に囚人が団結するのを恐れ、北海道から応援の名目で、極悪犯の北海常(鶴田浩二)ほか20名を移送し、看守長の河津(天津敏)は北海常に郡司にとって代わるよう言い聞かせます。

郡司たちの房に入った北海常は、その夜郡司の子分から襲われますが、素手で首を折って殺してしまいます。ある日、重労働と搾取に耐えかねた囚人を代表して郡司と石堂たちが脱走について話している時、北海常が登場。3日後に脱走をすることにしますが、看守たちは囚人を選んで拷問をしつつ、計画を察知。当日は看守の先回りにより北海常は拉致、他の囚人は坑道の奥に籠城することになりました。監獄側は北海常を懐柔し、立てこもっている囚人たちに投降させるよう命じます。再び坑道内に戻った北海常は、郡司と一時は対峙しますが、生きるために協力していくこととなりました。

郡司たちの班は、落盤の危険が迫っている石堂の班が採鉱していた第一抗に回され、石堂たちの班は安全な新しい坑道に移されます。これに疑問を持った郡司は石堂が裏切って内通したことを察知し殺害。しかし、その場に到着した河津の銃弾を浴びて殺されてしまいました。その直後、突如落盤が始まり、囚人たちは次々と下敷きになっていきます。その囚人たちを虫けらのようにとり扱う看守たちに、北海常の怒りは頂点に達し、残った囚人たちに仲間の発見と救出をさせ、自らは河津たちを銃殺、ダイナマイトを携え、坑道外で銃を持って待ち構える看守たちの前に躍り出るのでした…。

三池監獄 兇悪犯

なかなか迫力のある映像と、鶴田浩二宍戸錠大木実たちの演技を楽しみました。しかし、ラストが物足りないという印象がぬぐえません。これで終わるのであれば、せめてラストの銃撃とダイナマイトの手順を逆にして、最後に鶴田浩二がアップで終わった方がすっきりするというもの。でも、それは小手先の話して、ここまでやるならもっと、大掛かりな脱走劇を期待しました。しかし、小競り合い的な小規模の打ち合いで終わってしまいます。ストーリー的には、宍戸錠鶴田浩二のバランスが悪く、話の展開からどうしても態度のはっきりしない鶴田浩二より、人心を集める宍戸錠に感情移入してしまいますが、ラストに活躍するのは逆で、どうもラストが居心地が悪いのはそういうことだろうと思いました。

冒頭の、東映的なぐちゃぐちゃのオープニングから始まって、全体的に、坑道の中の汗や油にまみれた暗い映像。俳優たちは熱演です。看守長の天津敏も憎たらしい悪役ぶり。その中で、女性二人堀越光恵ひし美ゆり子が輝いています。このあたりの対比、なかなかいい演出だと思います。郡司と北海常は任侠の世界、私が数年住んだ北九州にもこういう雰囲気がありました。ぼた山の風景も含めて懐かしい感じがします。それだけに、ストーリーにもう一捻り欲しいと思い、ちょっと残念でした。

明治時代、九州や北海道を中心に集治監が作られ、炭鉱や北海道開拓などの過酷な労働にあたっていました。勿論、どこの集治監もこういった事が起こっていたわけではなく、地域開発と共に発展していったところもあったようです。しかし、炭鉱労働は後年近代化されたあとでも、事故が後を絶たず大きな犠牲が伴うもの。この時代、日清日露の戦勝と国が発展していく中で、その一部はそれが手ごろな労働力として集められた人々の犠牲の上に会ったことも事実だと思います。多少大げさではあるとは思いますが、それはそれで良く認識できた映画でした。

2019.5.3 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

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プロフィール

torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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