FC2ブログ

「魔処女」 ヴァンパイアの娘カナダへ行くというラブコメ

いろいろと、オークションなど見ていてちょっと気になったこの映画。日本では未公開VHS発売で、未DVDなのです。20世紀の映画には良くある話ではありますが…。ちょっと面白そうなので、久しぶりにVHSを買ってしまいました。DVDになっていてもおかしくない、面白い映画でしたよ。1996年のカナダ映画です。

あらすじ
ヴァンパイアのカルミーナの婚約パーティーの日。相手のブラッドは1回も会った事が無く、ただ財産家ということで両親が大変乗り気になっていた。結婚したくないカルミーラは叔母の住むカナダのケベックへと家出し、そこで人間に変身する薬を叔母に貰い、音楽家のフィリップに恋をしてしまう…。



トランシルバニアの屋敷で、カルミーナと両親が決めた資産家の婚約者ヴラッド(Yves Pelletier)との披露パーティーが行われようとしていました。しかし、カルミーナはこの婚約が嫌でたまらず、屋敷を抜け出し逃亡します。向かったのは大昔に父母と仲たがいして飛び出した伯母のエスメラルダ(フランセ・カステル)の住むカナダのケベック。カルミーナは棺桶トランクで移動し、魔力でイミグレを通過し、伯母の家へと向かいました。そして、逃亡に気づいた両親とヴラッドもこれを追いかけ始めます。

エスメラルダは人間になって、パートナー紹介の会社を経営し順調でした。人間になるためにはある植物から抽出したポーションを飲むこと。しかし、効果のある時間が限られていて、アラームをセットしておいて、切れそうになるとまた飲まなければいけないというものです。カルミーナは人間になって、町で少し騒動を起こしながらうろうろしますが、教会でオルガンを弾いていたフィリップ(ロベール・ブルイエット)に出会いお互いに恋してしまいます。一方、婚約者のヴラッドもカナダに到着。イミグレの係員(Gildor Roy)をヴァンパイアにしてしまい、彼の家に居候してしまいました。そして憂さ晴らしに町に出た2人は、大殺戮事件までやらかしてしまいました。

一方、お互いの住んでいるところが解らない、フィリップとカルミーナは、相手を探して街を彷徨いますが、フィリップはその為にパートナー紹介に登録をして呼びかけます。それを見て気に入ってしまったエスメラルダはフィリップを誘惑しベッドイン。そこにカルミーナが帰ってきたから大変。ひと騒動おきますが、やがてそれも終息。しかし、カルミーナを追いかけてきた婚約者たちと父母とも遭遇し、フィリップも交えて屋上で最終決戦へ。(といってもストリートファイターのり…。)勝利を手にするフィリップでしたが、隙を見せたところで母親の牙が…。そして、教会でのみんな人間の姿での結婚式。新郎はフィリップで、新婦はカルミーナ。関係者は皆参列しています。しかし、皆のアラームが一斉になりだし、慌てて例のポーションを飲み始めるのでした…。

魔処女

冒頭書いた通り、ヤフオクで気になった、DVD未発売のVHSを購入したものです。ジャケットや題名とは裏腹に、なかなか楽しいホラーコメディでした。ほぼニヤニヤしっぱなしで、大満足です。製作された年代も、ちょっと懐かしめのホラー・コメディスタイルで、安定した楽しさです。原題は「Karmina」で、ヒロインの名前。この映画各国のファンタスティック映画祭で、様々な賞を受賞していました(BIFFFでは、シルバー・レイヴンと観客賞)。要は、ヴァンパイアのラブコメで、時々見られるネタではあります。もっといい邦題をつければファンも増えたのではないかと残念。

主演のイザベル・シールさんは、日本で見られるのはこの映画だけですが、結構当たり役ではなかったのでは?と思います。映画賞は、この作品で受賞していますし、続編もカナダでは作られたようです。エスメラルダのフランセ・カステルさんも楽しい役を見せていました。しかし、この人間になる薬は、ウルトラマンみたいなもので、時間が限られていますから不便です。ちょっとしたトラブルで破綻してしまいますね。効き目の長い薬の開発が待たれるところ。彼らと一緒にエレベーターに乗って故障で閉じ込められたりしたら大変です。そして、ラストの決闘はけっこう爆笑物です…必見!

原題のKarmina は、有名なレ・ファニュの「Carmilla(カーミラ)」から来ていると思います。吸血鬼系のガチなゴシック・ホラーも最近あまり見ていないなと思いつつ、ちょっと気になり始めました。ドラキュラとか、ノスフェラトゥとか。なかなか奥が深い世界です。そういったいろいろ繋がる楽しい映画なので、是非DVDで復活して欲しいもの。その時は是非是非、邦題を変えていただきたいと思います。

2019.4.21 自宅にてVHSビデオ鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「シミュレーション」 アバンギャルドなイラン映画を鑑賞

ネット配信のみのイラン映画。ちょっと半信半疑で見ていましたが、結局最後まで見きってしまいました。途中でやめると不安になるような映画です。しかし、結構気に障るようなところがあるのと、字幕がグジャグジャなので、おすすめはしません。2017年イラン製作で、Abed Abestの初監督ということです。

あらすじ
すべてが緑色の小道具と間仕切りのドアのみがならぶ舞台で行なわれる会話劇。警察に連行された4人の証言はすれ違っているが、事実はどうだったのか…。



冒頭は、緑色の幕を背景に、静かな登場人物紹介でスタート。そして、紹介されなかった3人の男、アベド(Abed Abest)、ヴァヒド(Vahid Rad)、アリス(Majid Yousefi) が車に乗り込みます。そして、場面が変り警察署に3人とエスィー(Daniyal Khojasteh)が連行されてきます。裏庭での事情聴取を行っているうちに、3人はエスィーの家で楽しく酒を飲んでいたと証言するものの、突如エスィーが、3人が押し入り盗みを働こうとしたので喧嘩になったと主張。長引くので家族に連絡を取るアベド。しかし、取り調べは乱闘になる中で、警察の一人が負傷し、救急車を呼び、アベドからの連絡で現れた家族の車の中で寝ていた娘が起きだしてきて、救急車にはねられるという事態が起こってしまいました。

場面は変わって、エスィーの家に入ろうとする3人。中に入った3人は、今来客として税関が来ているよいうことで、倉庫の中で3人は1時間待たされます、知り合いということで3人は押しかけていますが、少しすれ違った程度の様です。やがて3人は部屋に迎え入れられ、他愛もないが、お互いに作り笑いをしながらのピリピリした話が酒と共に進みます。その中で、エスィーがイラクとの戦争中に海外に住んでいたことを話し、国を出た原因は警察に拘束された時に家族が警察が来て救急車に娘がはねられたという、冒頭に起こった現象と同じ話をします。その後、酒を飲みながら音楽をかけて騒ぐ4人でしたが、音楽がうるさいので止めようとした男が、ナイフで配線を切断しようとしたため、喧嘩騒ぎになり警察に踏み込まれました。

場面は変わって3人は車の中で、エスィーの家に行こうとしています。アベドがエスィーに連絡をとり、3人は困るというエスィーに対し、一人で行くと安心させるアベド。とにかく門の前まで3人で行って入り込もうという作戦です。途中で家に寄るアベドは父と妻と娘に会い、水を飲みたいというアリスの為に水を持ってきます。そして、一緒に行きたいという娘を振り切り、3人は車に乗り込みました。

シミュレーション

というお話で、前衛的な舞台のように、緑色の小道具のみ。あと、CGの装飾も入っています。音楽は少なめですが、クラブミュージックのような、アヴァンギャルドな感じです。それで時系列を遡りながら、会話中心の劇が進みます。この映画というか、配信の欠点は、日本語訳がかなり酷いこと。なんとか意味を類推しながら見ていかないといけません。翻訳ソフトでそのまま訳したみたいな感じがします。

実際、3人がなぜエシィーの家を訪ねたのか、その目的がはっきり判りませんでした。単なる一夜の遊びなのか、何か盗むとか貰うとか目的があったのか?ただ、出てくる会話は、笑顔を見せながら、半ば無礼に怒りながら延々と続き、緊張感がありますが、どうも神経に触るような感じで、見ているとかなり居心地が悪くなりました。そんな感じなので、途中で放棄する訳にもいかず、最後まで見てしまったという訳です。そのあたりがこの映画のポイントなのでしょうか。ストーリー自体は悲劇の原因を探っていくようなもの。それは、つまらない原因によって起こった悲劇の無常観が出ていますが、そのストーリーだけがこの映画のテーマでも無いように思います。

この映画は、いくつかの映画界に出品され、コンペティションでは、トランシルヴァニア国際映画祭で作品賞のノミネートまで行っています。ベルリン、トロント、サンダンスなど多数の映画祭に出品されていますが、これはコンペティション外も含まれます。確かに、映画祭向きではあります。トリアーのドッグヴィルは床に書かれた区分けだけで演じられていましたが、これはドアと必要な家財道具だけで、壁はありません。その上すべて緑色という舞台です。ここまでのアヴァンギャルドが普通に作られているイラン映画の層の厚さを感じました。さすが映画に伝統のある国だと思いました。

2019.5.17 HCMC自宅にてAmazon Prime からのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「カリガリ博士」 ブルックナーの交響曲のサポートで

最初に寝落ちして以来、何度か途中まで見たことがあったのですが、まだ最後までたどり着いていません。ということで、今度こそはと意を決して見始めたわけです。今回見た映像は、なんとBGMがブルックナーだったので、音楽と映像と両方を楽しみながら見ることになりました。

あらすじ
若い男フランシスが語る、ある村で起こった不思議な事件。それはカーニバルの日、カリガリ博士の眠り男を使った出し物で、余命を訪ねた友人が、明日の朝までだと言われ、翌朝死体で見つかったというものだった。フランシスはカリガリ博士の周辺を調査し始めるが、さらに博士の魔の手はフランシスの恋人にも向かっていく…。



会話を交わす二人の男。その横を茫然と通り過ぎる一人の女性。若い方の男は、その女性が自分のフィアンセであると言い、二人が体験した奇妙な物語を語り始めました。

若者のフランシス(フリードリッヒ・フェーエル)は、友人のアラン(ハンス・ハインツ・フォン・トワルドウスキー)と、村にやって来たカーニバルを見に出かけます。二人はカリガリ博士(ヴェルナー・クラウス)という人物が主催する、眠り男チェザーレ(コンラート・ファイト)のショーに目をとめました。チェザーレは23年間から箱の中で眠り続けており、尋ねられればどんな質問にも答えられるとのことです。箱から出てきたチェザーレに、アランが「自分はあとどれくらい生きられるのか?」と尋ねたところ、チェザーレは「明日の夜明けまで」と答えました。翌朝フランシスは、村人からアランが何者かに殺されたことを知らされ、また村ではカリガリ博士を邪険にした役人がやはり殺されているという事を知りました。

フランシスは、彼の恋人ジェーン(リル・ダゴファー)とその父親(ルドルフ・レッティンゲル)と共に、カリガリ博士とチェザーレの調査を始めます。危険を感じた博士は、チェザーレにジェーンの殺害を命じ、チェザーレはジェーンの部屋に忍び込んでナイフをふりかざしますが、ジェーンの美貌に見とれチェザーレは気を失ったジェーンを抱きかかえて、彼女の家から連れ去りました。その様子を知った村人はチェザーレを追いかけ、その最中にチェザーレは心臓発作で命を落としてしまいます。一方で、フランシスは警官たちとともにカリガリ博士の見世物小屋に行き、チェザーレとの面会を強要しますが、博士は逃亡、精神病院へ逃げ込みました。フランシスはその病院でカリガリ博士のことを尋ね、院長室に行くと、なんと院長はカリガリ博士なのでした。

フランシスは、深夜に院長室に侵入。職員とともに、夢遊病者を使った殺人を犯した見世物師について書かれた書物を発見。その名もカリガリ。一行はさらにカリガリ博士の日記を発見し、博士が本の記述を再現しようとしていることを知りました。翌日、病院に運び込まれたチェザーレの死体と対面したカリガリ博士は、悲しみのあまり取り乱し、博士は職員たちに取り押さえられ、拘束衣を着せられて収容されます。そして、冒頭の場面に戻り、話し終わったフランシスは男と共に精神病院の中庭へと入っていきました。その風景は、登場人物総てが思い思いで過ごしている精神病院の光景。フランシスは院長のカリガリ博士が出てくると突然取り乱して暴れ、職員にとlリ抑えられて拘束衣を着せられてしまいます。そして、博士は自分ならフランシスを治療することができるとつぶやくのでした。

カリガリ博士

この映画に挑戦するのは、何度目になるかしらん。と思いつつ、意を決して見始めたのです。初回は、遥か昔のACTミニシアターで、数本ソ連映画を見た後の明け方の鑑賞で、完全に寝落ちしてしまいました。その後、何度かネットでトライしましたが、映像の古さと英語を追うのに疲れて、途中でやめてしまいました。今回はAmazon Primeでの鑑賞、字幕音楽付き。まず驚いたのは、音楽がブルックナーの交響曲第2番であったこと。この調子で始めれば、全曲いってしまうのでは?尺も同じぐらいだしと思っていたら、曲が少し早く終わり、再び第一楽章に戻ってきた…。

そんな訳で、ブルックナーのサポートで映画に入っていき、無事完走できたのですが、映画自体は結果として大変面白かったです。さすがに映像が古くて、かつかなり凝った映像なので、ちょっとわかりにくいのですが、この世界のシュールな舞台装置の造形。三角の扉とか、あまりにも現代絵画的な居住空間とか、とても面白かった。ここまで奇妙な世界の中で演じられる映画って、そんなにないと思いますし、ましてやまだ映画創成期のこの時代、当時の最新の美術と映画がマッチングした感じで画面に引き込まれていきました。

そして、ラストはしっかりどんでん返しが仕組まれていて、楽しみ的にも言うことなしでした。100年たっても古びることの無い、いい映画だったと思います。ストーリー構成として、カリガリ博士が拘束されても、冒頭のジェーンが彷徨っている原因がまだ解決されていないぞと思いながら見ていたのですが、しっかりそこは回収されていきました。見事です。という訳で、ブルックナーサポートで完走出来て、やっと一つの映画遺産を体験することができたので感謝です。

2019.4.28 HCMC自宅にて、Amazon Prime よりパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「餓鬼魂」 1985年Vシネマ黎明期のスプラッタ系作品

私は、Vシネマについては、優先度は低いというか、基本外して考えている傾向にあるのですが、それでも興味があれば時々見ます。今回は、Vシネマ黎明期1985年に制作された5本のうちの1本。夢枕獏原作で、円谷プロの製作によるものです。なぜ見たかというと、手ごろであったことと、脚本の大和屋竺という名に惹かれたから。さて…。

あらすじ
人魂を見たという情報を得て取材に行った記者2人は、山中で餓鬼に取りつかれてしまう。やがて、その餓鬼は宿主から栄養を吸い取り成長して、記者の口から誕生することとなるが…。



雑誌記者の森岡(長塚京三)と北村(小倉一郎)は、山中に人魂が出るという情報をキャッチし、取材に向かっていました。その夜、山中で野宿して待っていると、なんと本当に人魂が現れます。その人魂は森岡に忍び寄ると、知らぬ間に芋虫となって森岡の体に入り込んでしまいました。山中では不思議な男が一瞬森岡の前に現れます。二人は東京に帰りますが、その日から、森岡は体に変調をきたし始めました。やたら大食いになり、腹が出てきたのです。そして、夜中に冷蔵庫の中のものを生ものまであさり始めると、そのまま昏睡状態となってしまいました。

ある日、森岡は目覚め、口から奇妙な生物を吐き出します。そこに突然あの日山中で見た不思議な男(斉藤洋介)が現れ、それは餓鬼だと言って、捕獲して出て行ってしまいました。不妊に悩む妻の道子(松居一代)は、「たとえ夫でも、腹から出てきたものは可愛いわが子」といい出しますが、どう見てもそれは怪物です。例の男は、帰り道に誤って餓鬼を逃がしてしまいます。その後、森岡は、餓鬼を食べたくて仕方が無くなります。そしてあの男に会うと、それを見抜かれ、自宅に招待されて餓鬼料理を堪能しました。そして、森岡は北村の腹が出てきたのを見つけると、出てくる餓鬼を捕獲しようと北村に張り付くようになりました。

北村の餓鬼が出てくる日、森岡は北村の家に行きますが、そこに例の男も現れ餓鬼を得ようと争いになります。一方で、一人でいた道子の所に、以前逃げ出した餓鬼がやってきます。一度はわが子と歩み寄ろうとしましたが、容赦なく襲ってくる餓鬼と道子は激闘になり、ついに浴槽に沈めることに成功。疲労困憊してベッドに倒れこんだ道子の股間にまだ生きていた餓鬼が忍び寄り、道子はそのまま喘ぎ声を上げ始めました。しばらくして、男との争いに敗れ、帰ってきた森岡は、道子が気がふれたように、私妊娠したのと笑っている姿を目にしたのでした。

餓鬼魂

いや、まぁまぁまぁという感じでした。ストーリーとか悪いとかいう事でもないですが、もう少し映画としての表現とか、そして、映像として何とかならなかったのかな?という感じでした。せっかくスプラッタ系にしようとしているのですから、もっと特撮入れて欲しいなぁ…。いろいろと工夫して、それらしくなっているとは思うのですが。そもそもこのクリーチャーの姿、もう少し何とかなりませんでしょうか。お姿をアップで載せましたが、いやはやなんともという感じです。

クライマックスは、森岡が口から餓鬼を吐き出すシーンと、道子と餓鬼の激闘のシーン。前者は暗くてあまりグロ感がなく終わりました。後者は面白かった。シャイニング仕立てになっています。ちょっとグレムリンとの闘いのイメージも入っているのかな?おっと、サイコも入っているかも…。若き頃の松居一代のお色気シーンも少しありです。それにこのシーンだけ、怪物が明るいところに出てきます。ですから、写真のような雄姿が拝めるのです。

僅か1時間程度の、ビデオ観賞用ということで、まぁ、それなりの仕上がりということかと思います。冒頭の鉄道風景、ちょっと懐かしさを感じていたのですが、降りた駅は甲斐小泉で、小海線キハ58系だったのですね。懐かしい…。あとは、当時のファッションとか、出来始めたレンタルビデオ店とか、いろいろ振り返りつつ見れたので、そこは良かったと思いました。そして、松居一代、ちょっと前、話題の人でしたが、その昔のお姿を拝見いたしました。

2019.4.30 HCMC自宅にて、パソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「カルメン(1948)」 リタ・ヘイワースは15人目のカルメンでした

カルメンは、メリメの原作以上にビゼーのオペラが有名ですが、この二つは若干印象が異なるのも事実です。ビゼーのオペラの方のカルメンの方がやはりイメージもストーリーもおなじみです。かつては何度も映画化されたこのお話ですが、1948年の映画で、チャールズ・ヴィダー監督の。リタ・ヘイワース版で見てみました。

あらすじ
セビリアの連隊に配属されたドン・ホセはさっそく町で出会ったカルメンに惹かれてしまう。彼女を巡って連隊長を殺してしまったドン・ホセは山賊に身を落としカルメンと行動をともにするが、やがて首領であるカルメンの夫も出獄してくる。



セビリアの連隊に配属されたドン・ホセ(グレン・フォード)はその街中で、カルメン(リタ・ヘイワース)と出会いました。カルメンに声をかけられたドン・ホセは一目で惹かれますが、カルメンはそこに通りかかった結婚式の隊列にちょっかいを出し、結婚式を目茶苦茶にしてしまいます。後日その時の花嫁と出会ったカルメンは大喧嘩の挙句につかまってしまいました。ドン・ホセは彼女を連行する途中で、彼女に頼まれて逃がしてしまいます。ドン・ホセは連隊から処罰を言い渡されましたが、カルメンにはお咎めが無く、不思議に思います。ある日連隊長の屋敷のパーティーで踊るカルメン。パーティーを抜け出したカルメンは、ドン・ホセと共に家に戻ると、そこに訪ねてきた連隊長と鉢合わせ。決闘になりドン・ホセは連隊長を殺してしまいました。

あ尋ね者になったドン・ホセは、入獄中のカルメンの夫が首領を務める山賊の一味に加わり、行動を共にし始めます。そこで、駅馬車や旅人を襲ったりと悪行を重ね、ドン・ホセにかかる賞金はうなぎのぼりに上がっていきました。やがてカルメンの夫ガルシア(ヴィクター・ジョリー)が戻り、カルメンを巡り、ドン・ホセとガルシアの間は微妙な関係になっていきますが、疑心暗鬼ながらともに活動を続けていきました。一方で、カルメンはコルドバで売れっ子の闘牛士ルーカス(ジョン・バラグレイ)と出逢い、さっそく誘惑していい関係になってしまいます。そしてついに、ガルシアとドン・ホセは衝突し、ドン・ホセはガルシアも刺し殺してしまいました。

カルメンとドン・ホセは、邪魔者がいない、いい関係になったと思ったのもつかの間、ドン・ホセは街に出ていくカルメンの行動に不信を抱き、カルメンを問い詰めます。そして、部下からルーカスの存在を知ったドン・ホセは危険を冒してコルドバに出ていくことにしました。しかし、部下は内通しており、警察にドン・ホセが出ていくことを伝えます。闘牛場の前で会った2人は、ドン・ホセがカルメンに自分のすべてを掲げてきたと詰め寄りますが、カルメンは私は自由な女だと取り合いません。そして、激高したドン・ホセはカルメンをナイフで刺すと同時に、警察の撃った弾丸にドン・ホセも倒れるのでした…。

カルメン 1948

リタ・ヘイワースのカルメンです。彩色テクニカラーということですが、なかなか綺麗な彩色で、見ているうちに違和感も無くなりました。さすが、アカデミー撮影賞ノミネートです。カラーというだけでなく、全体的に映像も高いレベルだと思いました。内容は、クラシカルな伝統を受け継ぐ、王道のドラマで、しっかりした構成で楽しませてくれました。この時期までに、すでに沢山のカルメンが作られていて、リタ・ヘイワースは15人目のカルメンということです。

カルメンという物語自体は、原作のカルメンと、ビゼーのカルメンの2通り系統に別れるようです。こちらは原作系のカルメンという事で、以前に読んだことはあるのですが、あまりはっきりと覚えている訳ではありません。やはり、ビゼーのカルメンのイメージが強いようで。リタ・ヘイワースの迫力はなかなかのもの。彼女の有名作と言えばギルダという名前が挙がりますが、未見ですので、見てみたくなりました。

山賊のアジトは西部劇の様です。カルメンは、ドン・ホセに「2人も殺しておいて」と言いますが、ドン・ホセが盗賊として殺した相手は数知れず。それとは別で、自分の男が2人殺されたというのが面白いところ。グレン・フォードも好演ですし、2人の山賊仲間がコミカルで面白い。この映画の音楽はオリジナルでビゼーのものではありません。それはいいのですが、ビゼーの音楽を使った作品も見てみたくなりました。数々の映画が作られたカルメンで、最近はオペラの記録映画的なものか、現代風アレンジのものが多くなっていますが、伝統的なカルメンの映画も含めていろいろと見てみたいと思いました。

2019.4.27 HCMC自宅にて、Amazon Prime よりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「これがロシヤだ」 当時のドキュメンタリー撮影の見本市

「カメラを持った男」という邦題(原題直訳)でDVDが発売された、1929年製作のソ連のドキュメンタリー映画です。「これがロシヤだ」は、1930年代の日本公開時の邦題。映画の話の中にはよく登場するものなので、ここはひとつ勉強のつもりで見てみましたということで。監督はジガ・ヴェルトフです。

あらすじ
映画が上映される劇場。そこで映し出される映画は、カメラを持った男があらゆるところに出没し、最新技法でロシアの一日を切り取っていく…。



劇場の準備が整い、満員の観客が入場してきます。映写機が回され、オーケストラが音楽を開始すると、映像が映し出されていきました。

朝の風景、人はまだ眠りについています。カメラマンは朝から活動開始、線路の下にもぐって列車を写したりと、危険を省みず活動します。やがて人々が起きだし、出かける準備。少しづつ町が動き出します。路面電車なども一斉にスタート、だんだん活気を帯びてきます。カメラマンは相変わらず、鉄塔に登ったりと命がけの撮影です。工場の機械もどんどん稼働し、町は人であふれていきます。ここで、フィルム編集をしている場面が入ります。

カメラは、町のいろいろな人々の様子を映し出していきます。婚姻届けを出す人、離婚届を出す人、結婚式、葬式、出産の様子。町の風景もそこで働く人とともに、躍動的に映っていきます。現場に急行する消防車、事故現場での救急活動、美容院や理髪店の様子。そして工場、電話交換手などで働く労働者たち、カメラは溶鉱炉や、炭鉱の奥深くまで入っていきます。

仕事が無い時はリラックスの時間、リゾート地で海水浴を楽しみ、そして、いろいろなスポーツや遊園地のアトラクションを楽しむ人々。夜になれば音楽とビアホールやレストランでのひと時。そして、画面は劇場に戻り、カメラからの挨拶と、今までのフィルムを中心にいろいろな映像製作技術のお披露目です。

これがロシアだ

ストーリーは特にありませんが、当時のロシアの日常を活き活きと映し出した、ドキュメンタリー映画でした。従って、ストーリーよりも、いかに映像技術を駆使して日常を映し出すかというところにに力点があり、当時のジガ・ヴェルトフが使った最新技術が披露された形となっています。多重露光、ストップモーション、スローモーション、早回し、移動撮影等々詰め込みました。

映し出す対象も多岐にわたっていて、同じものを時間帯別に写したり、町、機械、人間といろいろな対象をクローズアップしていきます。人に関しては、家での様子、職場、商店、軽工業、重工業、炭鉱等のいろいろな労働を写し、また働く様子と、余暇を楽しむ様子を対比し、そして、結婚、離婚、葬式、出産と人生のイベントと。機械についても、静止状態や、動き出す様子、人が捜査している様子などなど。

加えて、カメラマンの危険を省みない撮影や、編集者の活動も挿入し、全体構成を劇場での情景として、観客の入場と、最後にアンコールのような、技術のお披露目的な映像が流しました。ということで、ストーリーはありませんが、ドキュメンタリーとして、ソフトや技術両面及び、その周辺の者まで、すべてを盛り込んだ見本市のような形で仕上げているように感じました。

2019..5.1 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「セトウツミ」 高校生2人の日常を軽妙に語る会話劇

休日の映画鑑賞タイム。今日は、予告編だけ見て気になっていた映画の鑑賞です。当時予告編を見ただけでは今一つどうかなと思っていたのですが、意外にもいい評判をたくさん聞いたので、いつか見てやろうと思っていました。2016年に製作された映画です。

あらすじ
街中の護岸に固められた川岸の階段に座って会話を繰り広げる高校生の瀬戸と内海。そんな高校生の日常が2人の会話を通して語られていく…。



瀬戸と内海は、高校2年生。いつしか、仲良くなった2人は、学校が終わって内海の塾が始まる1時間半の間、毎日川沿いに座って、気の合ったおしゃべりをしています。内海は学校でも秀才で、部活とかはやらずに、何もしない時間を過ごすことに意義を見出す高校生。一方、瀬戸は、サッカー部に所属していましたが、訳あって退部し、一人でいる内海の横に毎日来て内海の塾まで、とりとめのない会話をするようになりました。それは辛辣なものであったり、瀬戸の悩みであったり…。

瀬戸は、お寺の娘である樫村さんが好きで、付き合う糸口をなんとか探そうとしていますが、樫村さんは内海のことが好きな様子。しかし、人付き合いの嫌いな内海は樫村さんを相手にせず、会話をしても瀬戸の話ばかり。瀬戸の両親は、競馬を見ては酒におぼれている父親と、それをしっかり支える母親。しかし、飼い猫の寿命が元で、母親が猫に最後の幸せをと金をつぎ込んでしまい、それが元で離婚騒動が起こっています。その飼い猫も瀬戸の誕生日の日に死んでしまいました。

この映画は、そんな高校生2人の日常を、いくつかのエピソードという形で綴った会話劇となっています…。

セトウツミ

やはり二人の会話が最高ですね。話が変わるたびに、次のはどんな話だろうとワクワクしてしまいます。だんだん飽きてくるものなのですが、それでも話に新鮮味があって最後まで楽しめました。確かに漫才の様ではあるのですが、そこは映画という事で、背景を通る人などにも、さりげない工夫が凝らされているように思います。タンゴのリズムの音楽も映画にぴったり合っていました。会話は原作があっての事とは思いますが、うまく作られていると思いました。

いろいろな、面白い会話があったのですが、セトの夫婦を見て、「いい夫婦じゃない…」という内海の言葉は最高でした。あとは不発の花火の場面とか、樫村さんから、知らない人からメールが来たと帰ってくる場面とか、いろいろです。瀬戸の家族は何度も登場しますが、内海の家族は何も触れられていません。晩御飯も無い様子。内海は、瀬戸が羨ましく感じているような気がします。一期一会と最後に出てきましたが、まさに二人は一期一会のいい関係になっています。

無駄な時間ともいわれますが、人生に無駄な時間はそうそう無いでしょう。青春時代であれ、老後であれ。忙しくても、たくさん時間ができても、結局自分の考えるペースでしか動けないし、こういった日々は充実していて羨ましいくらいです。ブログを書いていると、今日ももう夕方で、一日終わってしまったなと思うのですが、これだけ友人と話ができるのは素晴らしいと思いました。実際これだけの会話をするのって、かなり頭も使いますよね。

2019.4.15 HCMC自宅にて Amazon Prime よりパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「折れた矢」 ジェイムズ・スチュアート主演のインディアン視点を取り入れた西部劇

久しぶりのアメリカの正統西部劇の鑑賞。デルマー・デイヴィス監督、ジェイムズ・スチュアート主演という楽しみなコンビです。最近マカロニウエスタンを見る機会が多かったので、久しぶりのアメリカの西部劇、楽しみです。1950年の映画です。

あらすじ
アリゾナで金を探していた退役軍人のトムは、たまたまアパッチの青年を助けアパッチが公正な考え方を持っていることを知る。その後たどり着いた町は外部との連絡をアパッチに絶たれ孤立状態にあったが、トムはアパッチの言葉を学習し、アパッチと和睦すべく活動を開始する…。



アリゾナでは、入植者とインディアン・アパッチ族との間に流血の抗争が続いていました。この地方に砂金を探しに来たトム・ジェファド(ジェームズ・スチュアート)は傷ついたアパッチの少年を助けた時の反応から、アパッチ族は公正を重んずる人々であることを知ります。町にたどり着いたトムは、その町に到着する郵便や駅馬車がすべてアパッチに襲われて孤立していることを知ると、自ら言葉を学習し、単身アパッチ族に乗り込み和睦を申し込むことにしました。

アパッチ族を統率する大酋長のコチーズ(ジェフ・チャンドラー)は、白人に対する不信はすぐには解けませんでしたが、トムの誠意を信じ、郵便を襲わないことを誓います。一方トムは、アパッチの少女ソンシアレイ(デブラ・パジェット)と恋におちました。郵便は確保さて、順調に見えましたが、軍隊は襲われてしまいます。その頃、グラント大統領から命を受けたハワード将軍(ベイジル・ルイスディール)は、アパッチとの和平に心を砕き、トムとともにコチーズと会見、合衆国とアパッチの間に休戦条約が成立しました。それは、一定期間お互いに抗争が起こらなければ、お互いに信頼するというものでした。

トムはソンシアレイと結婚し、休戦は永続するかにみえましたが、白人と和睦するコチーズの軟弱性に叛旗をひるがえしたジェロニモが白人を襲い始めます。コチーズたちも彼らの鎮圧に尽力しますが、さらにかつてアパッチに農場を襲われ妻子を殺されたため、アパッチを良く思っていない農場主が、コチーズやトムをおびき出し、待ち伏せして皆殺ししようと企みました。この戦闘で、トムは愛妻ソンシアレイを失いますが、その怒りを鎮め平和のためには忍ばねばならないとコチーズはトムを諭します。そしてソンシアレイの死を無駄にしないという心にょって、さらに和平が進んだのでした。

折れた矢

デルマー・デイヴスの西部劇は、何か見たことがあるはずなのですが確証も無く、久しぶりのアメリカ産西部劇を楽しもうと見始めました。主演がジェームズ・スチュアートというのも安心感がかなりあります。内容は、アパッチの酋長と未来志向の平和を築くため、交渉をしていくお話。なかなかしっかりした筋立てで、普遍的な教訓も盛り込んだ立派な映画でした。折れた矢という言葉からは、何か力尽きたようなマイナスイメージがあったのですが、矢を折って平和に向かうという肯定的な言葉でした。折れたというよりは、積極的に折られたというイメージが適当かと思います。

こういう役柄ですから、ジェームズ・スチュアートにはピッタリで、安定です。ストーリー的には僅かな出会いだけでソンシアレイに入れ込み過ぎではないかと思いますが、良かれ悪かれこれはラストへの伏線という事になっています。最近見慣れてしまったマカロニとは違って、ガンファイトスペクタクルで見せる映画ではなく、良心的なアメリカ西部劇でした。そして、この映画はインディアンを単なる敵役として登場させるのではなく、インディアンの視点から描いた初めての映画。こういったインディアンの扱い方が後々の偉大な映画へと繋がっていきます。

デルマー・デイヴィスは、それほど華やかな賞に恵まれた監督という印象はありませんが、この映画ではアカデミー賞3部門ノミネート。しかし「イヴの総て」などに攫われてしまいました。この映画も華やかさこそあまり感じられませんが、当時の入植者と原住民の葛藤をよく表現しており、力任せではなく、緊張感のある良作になっていると思いました。そういう個人や集団の心の揺れが感じられるところが、良いところでもあり、突き抜けていかないところかもしれないなと、ふと思った次第です。そういう意味でも、かなり良心的な映画でもあると思いました。

2019.4.7 HCMC自宅にて、Amazon Primeよりパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「母よ、」 衰弱する母との対話の中で心の内を重層的に描く

公開時、気になっていたが見逃していた映画、Amazon Primeに出ていたので鑑賞してみました。ナンニ・モレッティは、息子の部屋をかつて見たことがあるはずですが、ほぼ記憶から抜けていました。2015年(第68回)カンヌ国際映画祭で、独立賞の一つである、エキュメニカル審査員賞受賞(キリスト教関連の団体から贈られる賞)を受賞しています。2015年のイタリア映画です。

あらすじ
映画監督のマルゲリータは、入院中の母の容態を気にしながら、新作映画の撮影に取り掛かっていた。アメリカから到着する主演俳優にイライラを募らせながら、撮影を続けていたが、医師からは母の病状の悪化を知らされストレスが頂点に達していく…。



映画監督のマルゲリータ(マルゲリータ・ブイ)は、労働争議を題材にした新作映画の撮影中で、役者やクルーに厳しい指示を出しています。自宅に戻ったマルゲリータは、恋人のヴィットリオにも別れを告げ、前夫との娘・リヴィア(ベアトリーチェ・マンチーニ)には電話でしっかり勉強をするよう諭していました。主演の俳優バリー(ジョン・タトゥーロ)がアメリカから到着。迎えに行った彼女は彼の軽口に辟易しながら宿泊場所に送り届け、一日を終えました。マルゲリータの母・アーダ(ジュリア・ラッツァリーニ)は入院中でした。医師との面会で、回復の見込みがないと告げられる一方、翌日の映画撮影ではバリーの出来が悪いにもかかわらず尊大な発言にストレスが募ります。

映画の記者会見で再びイライラが募ったマルゲリータは、母の病室を訪ねますが、母は集中治療室に移されていました。撮影の現場では、またバリーがセリフを忘れますが、彼は自ら切れて台本も映画もクソだと暴言を吐き、マルゲリータと大喧嘩になります。母は、益々体が弱っていきますが、母からリヴィアのことを聞かされ、自分で気づかなかったことを悟り、兄(ナンニ・モレッティ)に相談すると自分の欠点を指摘されます。翌日の映画撮影では、今度はバリーはきっちりとセリフを覚え、その夜、マルゲリータの家に、お酒を持って和解に行くのでした。しかし、アーダの病状は悪化し続け、回復の見込みも無い状況で、家に連れて帰るという決断をしました。

リヴィアは、家に戻った祖母からラテン語を習っています。母は、休み休みリヴィアに教えています。そして、撮影中のマルゲリータの元に連絡が入り、急遽家に戻りました。母を見とるマルゲリータと兄。その夜遅くリヴィアにも連絡が入り、リヴィアは布団の中で一人泣き続けます。アーダが亡くなり、葬儀の準備をしていると、母の教え子たちがやってきて、母との交流を話し、マルゲリータには悪いけれど、アーダは自分たちの母でもあるのだと話しました。マルゲリータは病室のベッドに母がいた頃のことを思い出します。前を見つめている母に何を考えているのか聞いたとき、アーダは明日の事を考えていると答えたのでした。

母よ、

細かいエピソードを幾重にも連ねて、情景を浮き出させていくようなストーリー展開。そのつながりの中で、母や兄や娘の状況や性格について語り、彼らの様子から、マルゲリータとの関係や性格を浮き彫りにしていく。そういったエピソードの蓄積が重く心に溜まっていきます。それによって、登場人物と同じような心情が、こちらにも生まれてきます。従って、マルゲリータが、仕事の状況、家族との関係、そしてバリーにストレスを感じているところなど、見ている方もかなり強いストレスを感じてしまいました。この辺りの表現の仕方は新鮮でインパクトがありました。

マルゲリータの仕事や状況が大変なことは容易に想像できますが、周囲の人々との関係は、そのマルゲリータの心の支えになっているはずだと思います。しかし、兄の指摘や恋人からの拒絶にあったように、周囲の人との関係を難しくしていくような性格であるマルゲリータは、本人の望むところではないところで、知らず知らず軋轢を生んでいたようです。最終的にそのマルゲリータを見守っていたのが、家族であり、マルゲリータ自身も心のよりどころにしていた母でした。一連の騒動の中で、母の偉大さや奥深さを知ったマルゲリータは、その母の根本的な生き方に思い当たり、新たに自分を見つめ直すという内容と理解しました。

その様なお話なので、マルゲリータこ感情移入して、この世界を見ていると、周りの人の批判に対し、えっ、そういう風に思われていたの?と感じてしまいました。なかなか面白い体験であり、面白い構造になっていると思います。物語は最後に母の言葉で締めくくられますが、これがこれからの彼女への大きな教訓となるということだと思います。今にとらわれ、振り回されて過剰反応しがちな状況であれば、ちょっと視点を変えて明日のことを考える。私としても、ちょっといい事を教えてもらったような気になりました。やはり、マルゲリータ・ブイがいいですね!

2019.5.1 HCMC自宅にて、Amazon Prime よりパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「幕間」 ルネ・クレールの映像技術を駆使した実験映画

以前、アンダルシアの犬を見てから、同じ時期のアヴァンギャルドな映画であるこの映画も見てみたいと考えていました。ルネ・クレール監督は、後年ハリウッドでも活躍した監督で、奥様は魔女とか楽しい作品を残していますが、そんな監督のアヴァンギャルドがどんなものか興味があります。1924年の作品です。

あらすじ
スウェーデンのバレエの幕間に上映する目的で製作された短編映画。当時の映像技術を駆使して、街の情景をいろいろな視点から捉えていく…。



一基の大砲が自走してやって来ると、2人の紳士がスローモーションで跳んできて弾を込めるシーンで始まります。そして、弾はカメラの方にゆっくりと出てきて…その後は、いろいろな映像のコラージュが続きます。町を上下左右反転しながら映した映像と、顔が風船でできた3人の子供。夜の光のあとで、髪の毛に這い寄るたくさんのマッチ。火がついて頭をかきむしる男。チェスをする2人。盤面と街の風景が交錯する中で、放水され盤面も街も水浸し。その上を行く、折り紙の船。足元から見上げるように映したバレエダンサー。舐めるように映していった後、ゆっくり現れるダンサーの顔は髭面の男。放水される水に持ち上げられる卵と、それを狙う銃口。卵が増殖する中で発射された弾は見事的中し、鳩が飛び出します。

棺を乗せた霊柩車。その後ろに沢山の会葬者が列を成して行進中。ラクダの引く霊柩車について人々はスローモーションで飛び跳ねるように進みますが、やがてラクダがはずれ、霊柩車は自走し始めました。徐々にスピードを上げる霊柩車、追う人々はやがて全力疾走に、いや、そして自転車で、車で、船で飛行機で、ついにはジェットコースターで。激しくカーブを切る車はやがて限界に達し、棺を振り落とします。集まった人々の前で棺から出てきたマジシャンは、魔法の杖を振りかざすと一人一人を消していき、幕間も終わりとなりました…。

幕間

アヴァンギャルドな映画ということで、時々アンダルシアの犬と共に名前が出てくる映画で、文字通りバレエの幕間に上映されるために製作されたとの事です。出だしは、自走する大砲やスローモーションで飛び跳ねる人など、なるほどアヴァンギャルドねと思わせる映像で始まります。そして、風船頭の子供たちとか、頭の上で燃えるマッチ棒とか、チェス盤と街の風景をダブらせたりとか、銃口をアップで写した銃身とか、不思議な映像が続きました。

後半は、霊柩車が暴走し、参列者が追いかける場面が大部分を占めます。ということで見ていて思ったのですが、アヴァンギャルド=前衛ではあるのですが、何か主義主張が色濃いものというよりは、映像の実験的な映画というイメージだと思いました。前半は、いろいろな画像のコラージュで、普通の視点ではなく、普通には見ない視点や角度で描いて見せたもの。逆さとか斜めとか。バレエダンサーを下からとか。そして、チェスの盤面と街をダブらせたり、スローモーションで飛んだり跳ねたり…などなど、テクニカルなお遊び的な前衛。

中盤から霊柩馬車の暴走。これが加速度的にどんどん早くなって、人が追いかけて、自転車や車など、次々に速度の速い交通機関の映像がでて、最後にジェットコースターも登場。この視覚効果はなかなかです。見ている方もドキドキするような映像で、今では、遊園地で仕掛けの入った椅子で見るような映像とか、ジェットコースターそのものに乗っている感覚です。それも映像ですから、本当に宙に放り出されそうな気分になります。なかなか緊迫感のある映像で、ちょっと心臓に悪い…。つまり、映像だったらこんなことができるという感じで徹底して遊びつくしてるような感じがしました。

そしてラストは逆回しでしめる。映像技術をいろいろ駆使して、面白い映像と効果を楽しむ方に力点があって、強い主義主張を表現するアヴァンギャルドというものではないと思いました。

2019.4.28 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

プロフィール

torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR