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「オーバー・フェンス」 孤独な中で家族の大切さを際立たせる作品

キネ旬ベスト10を見る。今回は、2016年日本映画第9位の「オーバー・フェンス」です。この映画は、「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」に続く佐藤泰志の「函館3部作」と位置付けられているとのこと。最近、「そこのみにて光輝く」を見たばかりなので、その類似性等楽しみに見てみます。2016年東京テアトルの配給。70周年記念作品となっています。

あらすじ
妻に愛想をつかされた白岩(オダギリジョー)は、東京から故郷・函館に戻り、職業訓練校に通っていた。いつも訓練校とアパートを往復するだけの日々で、交友関係も持たず過ごしていた。ある日、同じく訓練校に通う代島(松田翔太)にスナックに連れていかれた彼は、聡(蒼井優)という名の変わったホステスと出会う。感情の起伏が激しく、危うい雰囲気の彼女に白岩は徐々に惹かれていくが…。



職業訓練校で、白岩は建築科に所属、日々大工仕事の授業を受けていました。仲間とは普通に会話をするものの、周囲とは距離を置いており、冷めた存在でした。故郷に帰ってから実家に顔を出すわけでもなく、あてのない日々を送る白岩は、ある日クラスの代島から飲みに誘われ、クラブの共同経営者にならないかと持ち掛けられます。それはやんわり断る白岩でしたが、クラブにいた一風変わったホステスの聡と出会い、車で送ってもらうことになりました。そして、体の関係も持ちましたが、聡は突如切れて暴れだしてしまい、聡とは一時疎遠になります。

聡のことが気になる白岩でしたが、しばらくして聡が会いたがっていると代島に言われ、アルバイト先を教えられます。それは動物園のある遊園地で、遊具の係をしている聡と再会。その後再び白岩は聡のいる店に一人で訪れ、さらに関係を深めていきました。ある日、白岩は別れた元妻と久しぶりに再会。時間を経てお互いのわだかまりの消えつつある中での出会いに、白岩は過去を思い出し嗚咽。しかし、それは遠くから聡に見られていました。白岩が再び聡の働く公園に行くと、この時のことを持ち出し、再び切れてしまいました。

職業訓練校のソフトボール大会。練習やメンバー決定の過程で、かなりすったもんだがあったのですが、クラスのメンバーはそれぞれ家族や友達を呼び、楽しく盛り上がっています。白岩も聡を呼んでいましたが、なかなか現れませんでした。試合も終盤に差し掛かり、チャンスで打順が回ってきた白岩。そこにやっと聡が到着。お互いを認めると白岩のバットは一閃、ボールはフェンスの向こうに向かって飛んでいくのでした。

オーバー・フェンス

ということで、主人公の白岩に関するストーリーを追ってみました。その他にも、訓練生やその家族などそれぞれのエピソードや、教官との確執なども語られていきます。一癖二癖ある人々ですので、一つ一つ興味深いのですが、あくまでも全体の雰囲気づくりのようで、中心のストーリーにはさほど関係が無いようです。それぞれに、いろいろと背負うものもあり、問題も抱えているという姿が描かれています。

聡の描写が、最も突飛で最も異様。家族と別に離れに住み、自分の居場所を求めつつもままならない中で、悲嘆にくれ切れてしまう。そんな女性を表現しています。そして、白岩に必死で自分の居場所を求める様子が伺えます。「そこのみにて…」がどん底の生活を描いていたのに比べると、この映画では、貧困の描写はそれほど顕著ではありませんでした。むしろ、一人一人が精神的にどこか壊れている雰囲気が前面に出ます。それは同情を買うようなタイプのものではなく、みんなどこか危ない人たちで、一つ間違える手前で踏みとどまっている。そんな人々に見えてしまいます。

生徒だけの訓練生の世界は、何か起こりそうな危険な雰囲気を常にたたえていました。しかし、ソフトボール大会の日、それは一転します。家族や友人が次々と訪れ、あいさつしあう。そこは、今まであった異様さは全くなく、普通の明るい世界でした。男だけの異質な世界から、家族や友人のいる普通の世界への転換と対比は素晴らしいと思います。この映画からは、そこに生きていくための一つの回答を見出すことが出来ます。そして、聡が現れ、幸せな雰囲気で幕を閉じました。「そこのみにて…」と比較してしまうと、小粒で内に籠った話なので、インパクトは弱いのですが、蒼井優の凄まじい演技もあり、キラリと光る作品だと思いました。

2018.7.23 HCMC自宅にて Huluからパソコン鑑賞
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「黒衣の刺客」 唐代安史の乱後の混乱を背景とした女剣士の物語

キネ旬ベスト10を見るシリーズです。今回は、2015年外国映画第5位の「黒衣の刺客」にしました。久しぶりに見るアジアの映画です。劇場公開時にも見ることを考えたこともありましたが、ちょっと優先順位が低かった。中国の史劇はあまり得意分野ではないので…。2015年台湾・中国・香港・フランス共同制作の、侯孝賢監督の映画で、カンヌでは監督賞を受賞しました。

あらすじ
唐代の中国が舞台。姉の道士・嘉信(許芳宜)の元に預けられ、刺客として修行を積んだ聶隠娘(舒淇)が、かつての許婚者であり、今は地方の権力者となった田季安(張震)を倒す任務を帯びて帰ってきた。しかし任務中、彼女は敵対する勢力から、出会った鏡磨きの青年(妻夫木聡)とともに、父の聶鋒(倪大宏)や田季安を助けることになる。そして、彼女に暗殺を命じた姉の道士と再び対峙することになるが…。



まずは、白黒の映像で隠娘の修行から、姉の嘉信に田季安を暗殺するよう命を受けるまでが描かれます。そして、節度使の田季安や、家族のいる魏博に戻ってきました。ここからカラー映像。

ある夜、田季安の館に何者かが忍びこみ、それが隠娘だと知った田季安は、暗殺の前に挨拶に来たのだと悟りました。かつて、朝廷から嫁いできて、田季安の養母となった嘉誠公主(許芳宜・二役)は、隠娘と田季安を婚約させましたが、田家と元家の同盟の必要性から破棄され、隠娘の身を守る為、嘉信に彼女を預けたのでした。ある日、隠娘の伯父田興(雷鎮語)が、朝廷寄りの発言をしたことで怒りを買い左遷されることになると、隠娘の父・聶鋒が護送を担当します。道中、元家が送りこんだ刺客たちに襲われますが、通りかかった鏡磨きの青年と、駆け付けた隠娘に助けられました。

隠娘はその後、仮面の女刺客・精精兒(周韻)に襲われ傷を負い、後を追ってきた鏡磨きの青年の治療を受けます。青年は日本から遣唐使としてやってきましたが、今は鏡磨きをしながら旅をしていました。田季安の館では、田季安の妾である瑚姫(謝欣穎)が、廊下で倒れ込み、そこに忍び入っていた隠娘は、呪術に苦しむ瑚姫を救います。彼女は、慌てて駆けつけた田季安に瑚姫の妊娠を告げ、田季安は正妻の田元氏(周韻・二役)が呪術師を雇い、瑚姫を苦しめようとしたのだと知ります。呪術師は射殺され、田季安は田元氏をも斬り捨てようとしますが、とっさに母をかばう息子を前にして思いとどまりました。

嘉信の元に帰った隠娘は、田季安暗殺の命令を遂行できなかったと話します。嘉信は暗殺者としての技術は完成しながらも情を捨てられなかったのだと叱り、隠娘と一戦を交えますが、隠娘の剣術の腕前はすでに嘉信と互角になっていました。隠娘は剣を収め、新羅へ向かう鏡磨きの青年と合流し、いつも変わらぬ山々の中、草原の彼方へと去っていきました。

黒衣の刺客

まずは、見てもなかなかストーリーが頭に入ってこないという映画でした。そこで、時代背景を確認すると、こんな感じです。
唐代の安史の乱の後、その根拠地であった河朔三鎮は、最終的に反乱軍の武将たちを節度使として登用しました。彼らは、中央政権の威を借りつつも、半ば独立国的な運営を行っていきます。朝廷との関係、北方を接する契丹との関係等、複雑な情勢の中で、周囲とのバランスを取りながら統治をおこなっているという状態でした。その河朔三鎮の一つが魏博で、渤海湾岸から黄河北岸の一帯。今でいう河北省東部に該当するエリアです。

そんな中でのストーリーなんですが、登場人物の多様性やメイクの関係もあり、一人二役もありで、それぞれを理解に至るまでがまた難しい。やはり、中国の史劇になれてないとこうなります。で、最後まで見てみれば、まぁ背景が判れば、話の筋はそれほど難しくはありませんでした。冒頭のさわりは白黒で、その後はカラー、回想シーンはワイドと使い分けられています。館の中は、ちょっと紗がかかったような映像もありますが、外の自然の中の風景はクリアでなかなか綺麗です。そして、物語は余計なセリフななく、映像で語るスタイルです。このあたり、通俗的な話をベースにした映像表現であれば、話を追う必要がないのでいいのですが、私はさすがにこのあたりの歴史は疎いのでなかなか見るのがつらいのです。2回目はきっといいと思います。

さて、感想ですが、まず隠娘は、孤高の女剣士という雰囲気で、なかなかかっこよく描かれています。また、鏡磨きの青年の回想としての、日本の映像がありましたが、これはちょっと違和感がありやはり不要では?日本向けのサービス映像かも知れませんが。また、後半に出てくる女性たちの舞踊は中東系の踊りを思わせますが、河朔三鎮の節度使は、基本突厥や契丹系のテュルク系が出自だったらしいので、その流れを引くものかと思いました。そういう事なので、物語を知っていれば、目は芸術面に向かう事ができ、映像やアートの雰囲気をじっくり味わうことが出来るのではないかと思います。一度さっと見て終わりにするには、なんとも解りづらい映画だと思いました。

2018.7.22 HCMC 自宅にて Huluからパソコン鑑賞

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「小さいおうち」 昭和10年代の生活と、包み込まれた真実

キネ旬ベスト10シリーズです。今回は、2014年日本映画第6位の「小さいおうち」です。中島京子の直木賞受賞小説の映画化で、黒木華が、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞しました。2013年山田洋次監督の作品で、松竹配給になります。まぁ、山田洋二・松竹ということで、雰囲気は想像できます。

あらしじ
東京郊外で女中として働いていたタキ(倍賞千恵子)の回想として語られる物語。昭和11年、タキ(黒木華)は上京し、時子(松たか子)夫婦が暮らす平井家で働き始める。優しい時子やかわいらしい息子のいるその家での穏やかな暮らしは、夫の会社の社員である板倉(吉岡秀隆)の出現により変化する。時子の気持ちが揺れ、当時の世相では風当たりの厳しい恋愛事件へと発展する気配が漂う中、タキは思い切った行動にでる…。



健史(妻夫木聡)は、大叔母であったタキが亡くなり、遺品の整理に立ち会います。その中には健史宛ての品々があり、晩年タキがノートに書き記していた自叙伝がありました。そして、時代は昭和11年へ。タキのナレーションによって物語が語られていきます。タキは山形から上京し、小説家の女中になりますが、その後、小説家の妻からの紹介で平井家へ奉公に上がることになりました。東京郊外にあり、最近建てられたばかりのモダンな赤い瓦屋根の小さい家でした。そして、平井(片岡孝太郎)と妻・時子、そして、息子・恭一(秋山聡)との穏やかな暮らしがはじまりました。

ある日、夫の会社に入った芸大卒の青年・板倉(吉岡秀隆)が訪ねてきます。その後も板倉と時子は何度か出逢い、映画や音楽の話などで二人の関係は盛り上がっていきました。そんな時、夫は会社の存続のために板倉を政略結婚させようと、時子に板倉の説得を依頼しますが、時子は説得に板倉の下宿に通ううちに、深い関係になり、タキはその狭間で悩むようになります。しかし、ついに板倉も徴兵されることとなり、出発前日、餞別を贈りに行こうとする時子を、このままでは危ないとタキが説得し、板倉から来てもらうよう時子にて手紙を書かせ、その手紙をタキが渡しに行きますが、ついにその日、板倉は時子の元に現れませんでした。

戦火が激しくなるとともにタキは帰郷しました。後に空襲で時子夫婦は防空壕で抱き合って焼死したことを知り、その後のことについては、タキはいつもこの場面で号泣してしまうため、語られることはありませんでした。タキの遺品に未開封の手紙があり、健史は板倉の消息を辿る中で、時子の息子の恭一(米倉斉加年)の所在を突き止めます。恭一の前で手紙を開封すると、それは時子がタキに託した板倉への手紙でした。恭一は健史たちと海岸を歩きながら、昔よく板倉とタキに江ノ島に連れて行ってもらった、二人はお似合いだったよ、とポツリとつぶやき、その時の様子を思いやるのでした。

小さいおうち

昭和11年から、戦火が激しくなるまでの市井の生活を舞台になります。東京近郊のモダンな赤い屋根の家で繰り広げられる家族のストーリー。経済制裁前の華やかな世相から、苦しい時代までの間、一般的にはかなり楽観的な感覚だったのが伺えます。雰囲気は松竹の伝統のホームドラマを受けつぎ、過度な表現は無く、日常の暮らしがきめ細やかに描かれていました。この時代を生きてきた人々にとっては、今の時代では想像できないようないろいろな人生がそれぞれにあり、どれをとっても一つのドラマができるのではないかと思います。そういった人々はすでに過去の人となり、良く語られたその人生は、物語で知るほかは無くなりました。

この回想録は、真実を書くようにと健史がしきりに要求していましたが、やはり真実は隠されています。映画の中では示唆するにとどまり、明確に表現されませんが、いろいろと謎を残します。大きなポイントは、なぜタキが手紙を渡さなかったかということですが、それは晩年の恭一の発言でも示唆されます。その他仕掛けとしては、タキの家にあった、赤い屋根の家の絵はどこから来たのかなども気になるところです。一方で、時子の男のような友人が、誰も時子を独占したがると言ったことも気になります。つまりは、そのあたりは、真実は藪の中でどうとでも解釈できるようにしたのでしょうか?全部正解みたいな(笑)。

それはさておき、松たか子と黒木華の演技はなかなか良かったと思います。倍賞千恵子も良かった。吉岡秀隆は今一つはっきりした性格を演じていないと思いました。というか、中途半端などっちつかずの感じで、結局何なのかよく解りませんでした。演技によるものか、役そのものによるものかよく解りませんが。いや両方かな?あとは、普通というかそつ無くということで。最近、昭和10年代前半の映画をよく見るような気がしますが、この時代はもっといろんな角度から描かれていいと思います。劇中にもありましたように、戦争とひとまとめにして暗い時代と思われている部分が多いと思いますが、生活者の感覚としてはそうでは無いということ。多様な観点から再現してみることは大切なことだと思います。

2018.7.22 HCMC 自宅にて Huluをパソコン鑑賞

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「愛、アムール」 静寂の中で移ろいゆく、老夫婦の最後の日々

キネ旬ベスト10シリーズ。今回は、2013年外国映画第1位に輝いた、「愛、アムール」です。これは流石に名前は良く知っていますが、見るのは初めてですので、第1位を尊重し、心して見ましょう。2012年、フランス・ ドイツ・オーストリア共同制作のミヒャエル・ハネケ監督による作品です。 カンヌのパルムドールでもあります。

あらすじ
二人でパリのアパルトマンに暮らす老夫婦のジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)とアンヌ(エマニュエル・リヴァ)。弟子のコンサートに行った翌日、アンヌは朝食の席で、しばらくジョルジュの言葉に全く反応しなくなった。検査の結果、頸の血管に閉塞があることが判明、手術も失敗。アンヌは半身不随となってしまう。「病院には二度と行かない」という願いを受け、ジョルジュは自宅でアンヌと共に暮らすことを決める。しかし、懸命の介護にもかかわらず、日に日にアンヌの容態は悪化していった。



無音のタイトルバックと、冒頭は消防が閉じられた部屋に踏み込み、ベットの上の死体を発見するシーンでスタート。ただならぬスタートでした。そして、シャンゼリゼ劇場で弟子の演奏会の様子。シューベルトの即興曲が流れます。家に戻った夫婦は高揚した状況で、久しぶりに愛を語ります。そして朝食の席で突然アンヌが全く何も反応を示さなくなり、これはすぐに回復しましたが、病気の兆候だと思ったジョルジュは、嫌がるアンヌを説得し、病院に連れていきました。しかし、手術は失敗。アンヌは半身不随となり、二度と病院に戻さないでと、夫に懇願します。

老夫婦だけの介護生活は容易ではありませんでしたが、今まで愛して連れ添ってきたアンヌを懸命に介護するジョルジュでした。気丈で誇り高いアンヌは、数々の世界的ピアニストを育て上げた名教師ですが、今の姿を見られたくないと、あまり来客を好みません。たまの来客にも、体の話は拒絶するアンヌ。夫を気遣って、もう終わりにしたいとと漏らします。娘のエヴァ(イザベル・ユペール)は、多忙で国外を転々とする毎日で、めったに家に帰ることはありません。そんな中で二度目の発作が起こり、寝たきりの生活になってしまいます。

寝たきりになり、言葉もうまく話せなくなったアンヌに、ジョルジュは懸命の介護を続けます。エヴァはしきりに病院に連れていくように説得しますが、ジョルジュはこれが最良の選択と応じません。意思の疎通もままならない中で、アンヌの容態が落ち着いている時、なんとか一緒に歌を歌ったりするジョルジュ。ある日、アンヌのもとで幼い時の思い出を静かに語りながら、ついにジョルジュはアンヌを思い余って窒息させてしまいます。ジョルジュは花を買い、アンヌを飾り、寝室を密封すると、アンヌの幻影に誘われて旅立っていきました。訪ねてきたエヴァは全く静かになってしまった部屋で、様子が解らず一人佇むだけでした。

愛、アムール

静かな映画でした。実際に演奏されたりするピアノ曲以外は音楽は無し。エンドロールも無音です。いろいろな場面で待つ時間の間が多く、これはこの生活の時間の流れを象徴しているように思います。そして、全編ほぼアパルトマンの中だけで撮影されており、その中で起こる小さな出来事をじっくりと語って進行していきます。ジョルジュは献身的な介護を行い、それは愛に溢れるものでした。ジョルジュが車椅子から立たさせるために抱き上げるシーンは、ラブシーンを思わせるようなもの。また、つかの間の小康状態の中で語り合う夫婦の愛に溢れた会話。そして、アンヌの容態はあまりにも真に迫っている演技で描かれていました。

アンヌを窒息死させてしまう場面。静寂の映画の中で、インパクトが強い場面です。しかし、これはきっとどこかで普通に起こっている出来事。そして、まるでちょっとお出かけするようなアンヌとの日常生活の幻影で旅立っていく。素晴らしいラストでした。この映画は見終わった後、しばらくしてしみじみとした情感が湧いてくると思いました。老境を演じた二人はこの時点ですでに80歳を超えています。この境地は、この2人だから成しえたものではないでしょうか。

劇中の無音の部屋の描写は、なにかホラーのような雰囲気さえ醸し出します。ジョルジュの悪夢にもホラーが。そして、2度部屋に侵入する鳩。この悪夢と鳩は何の象徴なのでしょう。ちょっと見ただけでは理解できませんでした。シューベルトの音楽はこういう映画には大変効果的と思います。昔はあまり聴かなかったのですが、年を経るにつれて、シューベルトのピアノ曲は気になって仕方なくなってきました。美しいメロディが基調ですが、その中にいつもただならぬ怪しいものが漂っているような気がしています。静かで動きの少ない映画でしたが、記憶に残る映画でした。

2018.7.21 HCMC自宅にて Huluのパソコン鑑賞

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「わが母の記」 60年代の家族の成長と和解の物語

引き続き、キネ旬ベスト10を見るシリーズなんですが、今回は2012年の日本映画部門の第6位「わが母の記」を見てみました。井上靖の自伝的小説で、樹木希林が出演している映画になります。井上靖の小説は好んで読んでいる訳ではないですが、さすがにいくつか読んだことがあります。さて、どんな感じでしょう。2012年の映画で、監督は原田眞人です。

あらすじ
小説家の伊上洪作(役所広司)は、湯ヶ島で父を見舞ったあと東京に戻ると、父の訃報が入ってきた。その後、湯ヶ島では、妹の桑子(南果歩)が母・八重(樹木希林)の面倒を見ることになったが、八重の物忘れはどんどんひどくなっていく。そんな中で桑子の夫が交通事故に会い、しばらく伊上が東京で引きとることになるが、八重に翻弄されて家族は混乱し、八重は軽井沢の別荘で暮らすこととなった。洪作は、幼少の頃祖父の妾のおぬいに一人預けられて育ったことから、母から捨てられたと思い確執を持って生きてきたが、ある朝、八重の口から意外な言葉を聞く。周囲の証言も聞いて母の想いを悟った洪作は、母との確執を乗り越えるが、洪作のもとに八重が突然いなくなったという知らせが届く…。



父の死から始まって、3年おきぐらいにエピソードがつづられ、家族の歴史が脈々と語られていきます。その内容はかなりぎっしり詰まっていて、しっかり辿ると長くなるので、ポイントだけ、書き留めておきます。

冒頭雨宿りをしている家族。母と、娘2人と息子1人の4人でしたが、息子のみ道の反対側にいて、その様子を心配そうに気遣う母がいました。おそらくこのシーンが、洪作と家族の関係を象徴し、話の筋の根幹になっていきます。洪作には3人の娘がいました。長女の郁子(ミムラ)、二女の紀子(菊池亜希子)、そして三女の琴子(宮崎あおい)。父が亡くなった時、琴子は思春期で家族に協調せず、洪作も手を焼いている様子でしたが、琴子は思ったことをはっきりと言う女性に育っていきます。

母の面倒は、妹・桑子が見ていますが、八重はだんだん認知症が進行していき、おかしな言動がでるようになってきます。しかし、洪作は幼い頃一人だけ、祖父の妾のおぬいの家に預けられて、兄弟と離れて育ったことを、仲のいい家族を演じても、未だに心の中に大きなしこりとして抱えていました。当時から母に捨てられたと考えていて、時々おぬいに連れられて実家に帰っても、おぬいをいつも気づかい、実家とは距離を置いている子供でした。そんな中で、唯一の男の兄弟として、その母の面倒を妹に代わって見ざるを得なくなり、いろいろと騒動が持ち上がってきます。

ある日、洪作の横に来て、おぬいに息子を奪われたと話す八重の言葉に、ついに感情を抑えられなくなった洪作は、初めて母と対峙し、「息子さんを置き去りにしたんですよね」と問いつめます。しかし、八重の口からこぼれたのは、洪作が子供の時に作った思い出の詩で、それを八重は今でもすべて覚えており、洪作が書いた紙片をお守りのように持ち歩いていたのです。こらえきれず、母の前で嗚咽し、洪作は自分の妻から母から離された事情を聴いて、母との確執を乗り越えます。そして、晴れ晴れとして紀子を送るハワイ行きの船に乗りこむ洪作でしたが、そこに八重が突然いなくなったという電話が入りました…。

わが母の記

話の流れは、10年以上の月日に及び、その間の家族の成長の過程が併せて描かれるので、なかなか中身の濃い話になっています。主題は、認知症が進行している母と洪作の話がベースですが、それに琴子の成長の過程を添えて進んでいくので、エピソードを思い出してみても、盛沢山です。認知症と言っても悲惨な話ではなく、いわゆるボケをうまく利用して語らせているような造りになっています。それはそれで、成功しているのではと思いました。感動の中心は、やはり母との確執と母との思いになる訳ですが、今まで突っ込んだ会話をしなかったのか?とか、妻も聞いていて今までなぜ黙っていたの?とか、妙な不自然さが気になりますが、こういうこの時代の上流階級の家庭では、そういったことを話すのはタブーなのかな?と思った次第。

1960年代と言えば、私も幼少の時なので、いろいろと気になるのですが、地方都市に育った私としては、川奈のホテルでパーティーとか、軽井沢の別荘とか、想像しただけで超ブルジョワな世界に見えます。このあたり、早く東京に出たもの勝ちみたいな部分もあるのではと思いますが、親類の中で早くから東京に出た人が、たまに帰ってくると、妙に眩しく見えたものです。アクセントが違っていたりして…。で、書いている方は、そういう意識はないと思いますが、この時代ずっと地方都市にいたものとしては、おやおや、上流階級の暮らしなのですね。いいこと…なんて色眼鏡が入ってしまいました(笑)。

そういう、部分部分で引っかかりがある映画ではありますが、じっくりと心の動きを描いていき、ある家族の歴史を解き明かしていく映画で、60年代の風物も良く描かれ、登場人物の性格もきっちりしているので、そこは立派だと思いました。もちろん演技も素晴らしいと思います。話も十分感動的でした。と思うのですが、先に書いたように、なにか個人的に割り切れないなという感は残っています。

しかし、キネ旬ベスト10を続けて見ていると、内容が濃い映画が多くて、ついつい見る目も厳しくなってくるもんですかね?

2018.7.21 HCMC自宅にて Huluのパソコン鑑賞

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「ミッドナイト・イン・パリ」 ウディ・アレンの作り出す魅力に身を委ね

最近のキネ旬ベスト10を見るシリーズ。今回は2012年外国映画部門第5位の「ミッドナイト・イン・パリ」です。邦画が二つ続いたので、今回は趣向を変えて…。ウディ・アレン監督のこの映画は、アカデミー賞脚本賞を始め、数々の賞に輝いた映画でした。ウディ・アレンの作品は好みなので、楽しみです。2011年の映画で、スペイン・アメリア・フランス合作です。

あらすじ
ハリウッドの脚本家ギル(オーウェン・ウィルソン)は、婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)とパリを訪れる。ギルはパリへの移住を夢見ていたがイネズが譲らない中で、イネズの男友達ポール(マイケル・シーン)が登場し、イネズと水入らずのパリに割り込んでくる。そして、夜になってほろ酔い気分で1人で真夜中のパリを歩いていたギルは、道に迷ってしまいやってきた旧式のプジョーにのりこむと、1920年代にタイムスリップしてしまった。そして、スコット・フィッツジェラルド夫妻も参加しているジャン・コクトー主催のパーティーに参加することになったのだ…。



冒頭は、なかなか雰囲気のいいパリの映像で始まりました。私は今、東洋のパリと呼ばれた町に住んでいますが、確かに建物の様式は似ていますが、雰囲気はだいぶ違うようです。それはさておき、ギルはハリウッドでは次々と依頼が舞い込む脚本家ですが、自身は文芸小説を書いて成功したいと願って、悪戦苦闘中でした。今回は、婚約者イネズとその家族とともにパリに休暇に来ていますが、イネズとパリを楽しもうと思ったギルは、たまたま居合わせたイネズの友人に、水をさされてしまいます。そもそもパリ嗜好が強く、実際住むことを願っているギルに対し、イネズは全く論外という格好です。

夜の12時になって、ギルはイネズたちと別れて、ほろ酔い加減で街をうろつくうちに、クラシックカーに誘われ行きついた先は、コクトー主催ののパーティでした。そこにはフィッツジェラルドやコール・ポーターもいます。1920年代にタイムスリップしてしまったのです。毎日その時間をめがけて通ううちに、1920年代にパリに集った芸術家たち、ヘミングウェイ、ピカソ、ダリ、エリオット、ガートルード・スタイン(キャシー・ベイツ)たちと次々と出会います。そして、ピカソの愛人アドリアナ(マリオン・コティヤール)に一目惚れしてしまい、現在に戻ってアリアドナの著作に出てくる自分を再確認した彼は、勇気づけられ20年代に戻りました。

アリアドナを見つけたギルは、キスを交わしプレゼントを渡しているとそこに馬車が現れました。行った先はアリアドナの理想のベルエポックの時代。ロートレック、ゴーギャン、ドガたちと出会ったアリアドナは感動の渦に囚われ、その時代に残る決意をします。ギルはそんなのは懐古趣味の憧れに過ぎないと、アリアドナを必死で説得しますが、彼女は戻らず一人で20年代を経て現在に戻りました。ギルは一人パリに残る決意をし、イネズと別れると夜のパリを散歩します。偶然出会ったのは、ギルが何度か尋ねたアンティークショップの女性。ふたりは意気投合しカフェに向かいました。おしまい。

ミッドナイト・イン・パリ

ファンとしては、いつも安心安定のウディ・アレンなのですが、これにはやられました。思わずうっとりしてしまいます。美しいパりの風景に始まって、ギルとイネズが出てくると、会話はまさにウディ・アレン調。いろいろな蘊蓄を垂れる男もウディ・アレン調で、これこれと思って楽しんで見ていました。そして、20年代にタイムスリップ。いや参りましたねこれは、降参です。私自身もこの時代の雰囲気を感じつつ、フィッツジェラルドを読み漁った時代があっただけに、フィッツジェラルドとゼルダに登場されてしまうと、自分が会ったことのように感動してしまいましたよ…。

また、ガードルード・スコット役のキャシー・ベイツがいいですね。なんか自然に嵌っています。20年代のパリに集まった芸術家たちがこうもたくさん蠢いているパリとは、いったいどんなところだっただろうというのを、まさにマニアックかつ理想的に体現してくれました。これは素晴らしいです。ウディ・アレンは過去に囚われることを戒めてはくれますが、ここまで魅せられると、全然戒めになっていない。そんな気がします。そして、最後にコメディがあって再び新しい、思い切り甘い出会いへ…。いやまぁ、ここまでやられるともう、何も言うことはありません!という感じでした。

日本だとこういう時代はなにのかな?とふと思ってみましたが、20年代は大正ロマン。確かにいい時代であったと思うのですが、日本の過去の風俗って、あんまり肯定されて美化されていないような気がします。脱亜入欧から文化がガラッと変わってしまって、伝統が薄れているからですかね…。むしろ60年代とかの方が面白いのかな?でも、その程度。パリは当時世界的に芸術家が集まる町だった訳ですから、ちょっとレベルが違いますね。

2018.7.20 HCMC自宅にて Huluよりパソコン鑑賞

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「大鹿村騒動記」 山奥の村人たちの盛りだくさんなコメディ

引き続いて、最近のキネ旬ベスト10の作品を見るシリーズです。今回は、「大鹿村騒動記」。2011年邦画部門の2位になります。正直この映画の内容はあまりよく知らなかったので楽しみです。騒動記というくらいだから、上を下へのコメディを期待です。2011年の映画で、阪本順治監督の作品です。

あらすじ
南アルプスの麓の大鹿村でシカ料理店を営む善さん(原田芳雄)は、300年以上の歴史を持つ大鹿歌舞伎の花形役者。そして、実生活では女房が友人と駆け落ちしてしまい、独り身をかこっていた。公演を5日後に控えて稽古に余念のないある日、18年前に駆け落ちした妻・貴子(大楠道代)と治(岸部一徳)が突然帰ってくる。途方に暮れる善さんは、心は千々に乱れ、ついには芝居を投げ出してしまおうとするが…。



山間の大鹿村にバスから降り立った人々。一人は初めて訪ねてきた風情の青年で、最後に降りたのは老夫婦。運転手の一平(佐藤浩市)は目を疑いました。これは大変なことだと…。バスから降り立った青年の雷音(冨浦智嗣)は長野から求人広告を見て働きに来ていました。勤め先は善さんが経営するジビエ料理店「ディアイーター」。善さんは雷音を採用し、身の上話を始めますが、どうやら一人暮らしの様です。

村の伝統の大鹿歌舞伎を5日後に控え、稽古に余念のない善さんでしたが、そこにやってきた夫婦は例のバスから降りた二人でした。それはなんと、18年前に駆け落ちした元妻と親友です。これは大変なことになると皆は固唾をのんで見守りますが、そこはコメディ、いや大人の会話。親友の治は善さんの元妻の貴子が認知症がひどくなったので、返すと。なんだかんだでその夜は二人とも善さんの家に泊まりました。

翌日から、貴子は住み込みの雷音とともに、善さんの家で暮らすことになりますが、普通にも見えて、やはり認知症の症状が出てしまいます。村の中に彷徨い出ていろいろと騒動を起こすことも度々でした。ついに善さんは参ってしまい、主役をやっている歌舞伎を降りると言い出します。ところが、貴子がいろいろな記憶はあいまいながらも、かつて善さんの相方を務めていただけあって、セリフをすべて覚えていることが解り、村人の説得で二人で歌舞伎に出演することとなりました…。

大鹿村騒動記

まず、第一印象はコメディとして面白い。いろいろな小ネタがたくさん入っています。時折思わず吹き出すこともありました。彼が東京に行ってしまってしばらく経つ美江(松たか子)に、善さんが「木綿のハンカチーフ」の一節を歌うところとか、最高でした。他にも盛りだくさんで、見ていてついついニヤニヤしてしまう映画でした。そもそも、人の妻と駆け落ちしておいて、認知症になったから返しに来たというのが、よくも言ったものでした。

一方で、細かく山奥の村の世相を表すエピソードが詰め込まれています。リニア新幹線問題、遠くの病院に薬をもらいに行く老人、認知症、性同一性障害、過疎化、中国人研修生、などなど…。コメディネタと世相ネタで話は突き進んでいきました。そして、ラストになって大鹿歌舞伎の本番。聴衆は村の人々がエキストラ出演です。なかなか盛り上がっていますが、いままで快調なテンポで進んできたので、あまり日本の古典芸能に興味が無かった私としては、ここは長く感じました。ストーリーもクライマックスではあるのですが、大鹿歌舞伎の舞台にいろいろ詰め込んで埋もれてしまった感が残念…。

ということで、山奥の村の人々と生活を面白おかしく描いたコメディとして、また認知症の貴子を巡る人情ドラマとして、見ていて楽しい映画になっていると思います。主演で大活躍の原田芳雄はこれが遺作で病をおしての出演であったとのこと。迫真の演技であったと思いました。また、三國連太郎、石橋蓮司、大楠道代と往年の名優が名を連ねているのもこの映画の凄いところでした。内容から、ご当地ムービーかな?と一瞬思いましたが、町おこし的なそれとは一線を画していると思います。

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「そこのみにて光輝く」 改めて自分の立ち位置を考えさせられる


比較的最近作のキネ旬ベストテン1位の作品です。その他アカデミー賞外国語映画賞部門出品、モントリオール世界映画祭最優秀監督賞などいくつかの賞に輝いたものです。心して見てみましょう。ところで、キネ旬ベストテン作品見ていない作品も多く、この機会にしばらく精力的に見て行こうかと思いました。

あらすじ
事故をきっかけに仕事を辞め、ふらふらしていた達夫(綾野剛)は、パチンコ屋で拓児(菅田将暉)と知り合う。人懐っこい拓児は達夫を家に呼び、姉の千夏(池脇千鶴)がチャーハンを作って二人に食べさせる。拓児の家はかろうじて建っているようなバラックで、そこには寝たきりの父親(田村泰二郎)と、その世話をする母親(伊佐山ひろ子)も住んでいた。達夫と千夏はそれぞれの身の上を理解するうちに惹かれあっていくが、ある日千夏の不倫相手中島(高橋和也)とのトラブルが発生する…。



無為な生活を送る達夫のシーンからスタートしました。ある日、パチンコ屋でのライターの貸し借りから拓児と知り合い、早速拓児の家に誘われ、拓児の姉の千夏が作ってくれたチャーハンをご馳走になります。拓児の家は海辺の貧相な物で、脳梗塞になり性欲だけの人となった父と、介抱する母、そして拓児と姉の4人構成でした。そして、拓児は仮釈放中で、姉の不倫相手の植木屋で働かせてもらっているという状態でした。ある日酔って入ってスナックに入った達夫は、その店で売春している千夏と鉢合わせし、達夫は思わず侮辱的な言葉をぶつけてしまいます。

その後、達夫は千夏に謝り、関係を深めて行きますが、それと同時に千夏は不倫相手の中島と別れようとします。一方で、達夫は千夏に売春を止めるように説得します。中島は千夏をあきらめきれずストーカーのように付きまといますが、見るに見かねた達夫は中島に直談判し、同行した拓児は植木屋をクビになり、達夫は中島と喧嘩になりました。そんな中で、千夏と将来の約束を交わした達夫は、死亡事故の責任を感じ遠ざかっていた発破の仕事に戻る決意をし、拓児のたっての頼みで、仕事に一緒に連れていく事を決めました。

そして、祭りの当日、まだ、千夏をあきらめきれない中島は、千夏を半ば強引に連れ出し、騒ぐ千夏を殴り強姦してしまいます。それを知った拓児は祭りに参加している中島に会いに行き、挑発的な中島の発言に切れてしまい、包丁で中島を刺してしまいました。知らせを受けた達夫は拓児を探し、結局達夫の家まで来ていた拓児を伴って自首させます。再び拓児が逮捕されてしまって悲嘆にくれる千夏と母。そこに父の母を求める声がしました。千夏は母を外に出し父の寝床に入っていきます。無事拓児を自首させた達夫は千夏の家に向かい、異常を感じ父の部屋に飛び込むと、千夏が父の首を絞めている所でした。すんでのところでやめさせ、千夏は家の前の海岸に走り出します。追いかける達夫。そして向かい合った二人を朝日の輝かしい光が照らしていくのでした。

そこのみにて光輝く

どん底から抜け出そうと、もがき続ける託児の家族と達夫のストーリーでした。それぞれの境遇を割り切って生きているので、直接的な悲痛の叫びを上げるというものではありませんが、背負ったものの中で生きていくことの難しさが、静かに語られていきます。確かにそういう生活があるという事は頭では理解できますが、それを見ている自分の目線がどこにあるのか?ということを感じます。きっと上から目線でしか見られないでしょうね。だから、この映画を面白いと思ってしまっている。文芸的志向でみればみるほど、そう思えてしまいました。

それぞれの登場人物について考えても、あまりにも自然でありのままに描かれているような気がして、良い悪いを言っても仕方が無い様な気がします。ただ、そこに生活している人がいるというだけ、というような雰囲気を出してきています。そういう意味で立派に成功している作品と思いました。こういった作品が作られる時期や世相というものがあるのでしょうか?現象としては、自然主義の文学であったり、プロレタリア文学であったり、あるいは70年代のロマンポルノの一部の作品や、この作品が作られた時代。世の中の繁栄のピークを過ぎようとしている時代かもしれません。きっと、一億総中流と言われた時代には作られず、格差社会と言われる時代に作られる作品ではないかと思いました。

という訳で、文芸的要素や作家性といったものが強く押し出され、それが見事に成功した感じですので、キネ旬1位は頷けます。役者さんたちは皆さん好演。文句はありません。ラストは相当に決まっていて、光り輝いています。結果としてとても面白く、また記憶にも残る作品だと思いました。キネ旬ベストテンの作品、最近でも結構取りこぼしています。昨年は全滅状態でした。手ごろな作品を見ることが多いのですが、あえてそのあたりの作品を一つ一つ見ていくのもいいかなと思った次第です。しばらく、このテーマで走ろうかな…。

2018.7.6 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

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私の好きな100本の映画⑰ アクション・サスペンスからの4選+1

私の好きな100本の映画第17回

今回は、アクション・サスペンスからの5選です。捜査ものが2つ、スパイものが2つ、なぜかSFが1つ。見た時に強い印象を持ったものをあげてみました。ただし、このジャンルの映画は見た時のインパクトは強いのですが、それが長い間保てるかというと、ちょっと忘れ去ってしまうことが多いような気がします。やはり普通のアクション以外に何か特徴のある映画が心に残ります。



81.ボーダーライン (Sicario)
  2015年 アメリカ 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 出演:エミリー・ブラント ベニチオ・デル・トロ

比較的最近ですが、公開当時映画館で見ました。やはりデル・トロの印象が強烈ですが、それにも増して、麻薬関係者とその見せしめの死体の多さなどが強烈な印象を残します。壁に塗りこめられた多くの死体など、けっこう凄い場面では無いでしょうか。我々はこういったことを身近に感じることが無いので、どの程度事実として起こっているのか半信半疑なんですが、ある程度は事実なんでしょうね。きっと。麻薬関係の捜査の大変さがよく解る映画でした。



82.潜入者 (The Infiltrator)
  2015年 イギリス 監督:ブラッド・ファーマン 出演:ブライアン・クランストン ダイアン・クルーガー

これはさらに、捜査という意味での大変さが現れた映画です。大きな不正を暴く捜査官が、死と隣り合わせの潜入捜査を行うというもの。家族の犠牲と苦悩の上に成り立つ仕事で、当たり前の公務員の報酬しかもらえないというわびしさ。すぐそこに給料の何倍もの金品がごろごろ転がっていて、実際潜入して手にしているという状況で…。いや、この状況で正気を保って操作を行うというのがいかに大変かという事がよく解ります。こういった捜査は、本当に選ばれた人にしかできないものだと思いました。

このブログ内に記事があります。
「潜入者」 厳しい潜入捜査の実態を描く



83.寒い国から帰ったスパイ (The Spy Who Came in from the Cold)
  1965年 アメリカ 監督:マーティン・リット 出演:リチャード・バートン クレア・ブルーム

この映画の雰囲気はとても好きです。ベルリンの壁の東と西を行ったり来たりするスパイのお話。それに巻き込まれる女性と、そこに芽生える愛情。大変哀愁漂うスパイサスペンスでした。この映画のラストシーンは、スパイものの映画の中でもトップを争うような名シーンではないでしょうか。そして、中盤から一気に二転三転していくストーリーで、前半のフラグをいかに丁寧に拾っていくか、画面から目が離せません。後半になってみれば緊迫感に釘付けになります。

寒い国から帰ったスパイ



84.アトミック・ブロンド (Atomic Blonde)
  2017年 アメリカ 監督:デヴィッド・リーチ 出演:シャーリーズ・セロン ジェームズ・マカヴォイ

これは、とにかくシャーリーズ・セロンがひたすらカッコいい映画でした。それに大変スタイリッシュです。背景は「寒い国から帰ったスパイ」と同じベルリンですが、それはベルリンの壁崩壊のタイミングを扱ったスパイものになります。人間関係やストーリ-も複雑でスパイ映画要素は盛りだくさん。それに、やはりいろいろあって面白い。タルコフスキーのストーカーはやっているし、クラッシュのロンドンコーリングが流れるし…でもやっぱりシャーリーズ・セロンにつきます。

このブログ内に記事があります。
「アトミック・ブロンド」 久々に繰り返しじっくり見たくなる映画に遭遇



85.ボディ・スナッチャー 恐怖の街 (Invasion Of The Body Snatchers)
  1956年 アメリカ 監督:ドン・シーゲル 出演:ケビン・マッカーシー ダナ・ウィンター

これはスミマセン。アクション・サスペンス映画ではありませんが、埋め草に入れてしまいました。SFの傑作、ジャック・フィニィの「盗まれた街」です。ハヤカワSFシリーズの第1冊目、3001番。それだけでも記憶に残っている小説です。周囲が誰が敵かわからないという心理的な追い込み方が効いていて、映画の筋以上に、見ている方が勝手にあれこれ想像してしまい、怖さが増してきます。今や純粋なSF物は少なく、冒険やファンタジーにとって代わられている感がありますが、トワイライトゾーンなどを含め、この時期のSF映画黎明期の古典は今見ても素晴らしいものが多いと思います。



さて、私の好きな100本の映画。アクション・サスペンスもの4選+1となってしまいました。これで85本。あと15本です。これからは特定のテーマ無し、順不同で行きます。とりあえず行けるところまで行って、あとは100たまるのを待ちたいと思います。いつになったら完成するんですかね。(笑)

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「ラ・ジュテ」 静止画像による古典的ストーリーのSF短編映画

GYAO!動画の中から見つけた短編映画です。モノクロ写真の静止画像を連続して映す手法で描かれた、いわゆるSF映画ということで、そこそこ有名な映画らしいのですが、初めて知りました。ということで、何か面白いものを期待して鑑賞です。1962年制作のフランス映画になります。

あらすじ
第3次世界大戦、地上は放射能で汚染され、廃墟と化したパリで、戦争を生き延びた勝者側の科学者たちは、過去と未来に救済を求め、捕虜を使って時間旅行を試みていた。少年時代の記憶に取り憑かれた男(ダヴォス・ハニッヒ)が実験台に選ばれ過去に行き、その執着の記憶の中の、オルリー空港で出会った女(エレーヌ・シャトラン)と何度も出会う。実験は成功とみなされ、彼は未来に送られ、世界を救うエネルギーを持ち帰るが…。



少年時代の男は、オルレー空港の送迎台で待つ一人の女と、その時起こった轟音とともに倒れる男の光景の記憶に執着していました。そして戦争が勃発し、人類は汚染された地上を避けて地下に住むことになりましたが、勝者は過去と未来に行き、その時代の物資を持ち帰ることによって人類存続の活路を見出そうと、捕虜を使い時間旅行の実験を開始します。しかし、それは過酷なもので、ほとんどの被験者は死ぬか精神異常をきたすかという結果となっていました。

男は過去への執着の強さから実験台に選ばれました。大変苦しい実験でしたが1回目に空港で見た彼女と会うことと成功、2回目からは言葉を交わすようになり、3回目にはさらに懇意になっていきます。実験は第2ステップに移り、進むにしたがって彼は狙った時間に過去と現在を行き来できるようになり、彼女の方も、突然現れては消えていく彼を受け入れるようになりました。しかし、最後の博物館のデートの後は、過去への実験は終了し再会することはありませんでした。

実験は未来への移動に移りました。過去へ行くよりも困難でしたが未来のパリに行くことに成功。街は再興され、未来人たちが活動していました。人類は滅亡しなかったのです。かれは未来人と交渉し、全産業を復活させるエネルギーを持ち帰ります。これで彼の役目は終了し、いずれ抹殺される身となりますが、彼の元に未来人が現れ、平和な未来に行き仲間にならないかと誘います。しかし、彼の執着は過去でした。あの日のオルレー空港に着いた彼は彼女の元に駆け寄ろうとしますが、追跡者の手によって撃たれます。あの時の幼少の記憶。撃たれたのは将来の彼自身だったのです。

ラ・ジュテ

いや、これは面白かったです。話は極めて古典的なタイムトラベル物のSFのストーリーでした。ストーリーだけみると、トワイライトゾーンの一話と言っても通じるかもしれません。実験的な映像と思っていたのですが、かなり効果的な映像ですんなりと見ることができました。いかにも1950年代のSF映像らしい写真が連続し、その背景にナレーションと20世紀的なクラシック音楽が流れている。静止画の連続ですがそれが効果的に配置され、前衛的な動画を見るように効果的で、素晴らしい雰囲気を出していると思いました。

場面として最も印象に残る一枚は、やはり最後の撃たれる場面でしょうか。この一枚はいつか見た戦場の写真のように強いイメージを出しています。あとは、まとまった組写真として、実験台の男と科学者、過去での女とのデート、そして未来人の姿などがセットになって使われています。実験台ではこの時代のSF映画的な雰囲気が出ており、女との場面では関係が進展していく様子が伺えます。未来人の描写は単純ではありますが、効果的だと思いました。

ラ・ジュテは突き出た桟橋の意味で、あの送迎台のことでしょうか。監督のマルケルは、フランスの作家、写真家、映画監督であり多様なメディアを駆使した作品を残し、後の映画にもいろいろと影響を与えた人ということです。多才な人でドキュメンタリー映画が多いらしいのですが、左岸派の代表としてフランスの映画史の中でも一定の位置を占める存在であるとのこと。こういった作品を見ると、映画の世界は広いよなと思ってしまいます。

2018.7.15 HCMC自宅にて GYAO!からのパソコン鑑賞

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プロフィール

torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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