
「卑弥呼」 古墳時代のイメージとはこういうものかな?

あらすじ
弥生時代後期、卑弥呼の時代。このクニの祭事はヒミコ(岩下志麻)の聴く日の神の言葉で行われていた。そして、クニの政事は、オオキミ(加藤嘉)を長として、ミマキ(河原崎長一郎)、イクメ(河原崎建三)という二人の息子と、ナシメ(三國連太郎)老人が中心となって行われていた。そこにタケヒコ(草刈正雄)が遠い国から帰って来ると、ヒミコと出会う。タケヒコはヒミコにとって異母弟であり、彼には国ツ神の臣の娘アダヒメ(横山リエ)がいたが、ヒミコはタケヒコを抱きしめると女になり、異性への欲情に身を任す。そのことが、オオキミの耳に入ると彼はヒミコの権威に疑問を持ち始めた…。
冒頭は、森の中で日の光と抱き合うようにして、祭事を執り行うヒミコ。何やら怪しげな雰囲気でスタートします。そして、山の稜線での、政事を執り行うオオキミを長とする一行の罪人の処罰や傍若無人ぶり、そしてタケヒコの登場のシーン。物語の背景は、冒頭のいくつかのシーンで表現されますが、神話時代の難しい言葉が連発されるので、なかなか頭に入りづらい感じです。
政事を執行するのはオオキミと、その息子であるミマキ、イクメであるようですが、長老格のナシメ老人が、ヒミコの側近としても活動しており、調整役のような感じで、いろいろと取り仕切っているようです。ある日ヒミコは森の中でタケヒコを見かけ、ナシメに呼んでくるよう申し付けます。タケヒコが現れると、二人は異母兄弟にも関わらず、触れ合うとヒミコの顔が恋する女の顔になり、そのまま情交を結んでしまいました。
この噂は、オオキミの知るところとなり、オオキミはヒミコを疑い始めますが、ナシメはヒミコ無くしてはクニがまとまらないと策を練り、オオキミを刺し殺してしまいます。一方で、タケヒコには彼を恋い慕うアダヒメという女性がいました。タケヒコとアダヒメが会っているということを知ったヒミコは怒り狂い、タケヒコを逮捕して穢れた者を表す入れ墨を施し、追放します。オオキミの後を継いだ、ミマキは、ヒミコの予言により、タケヒコが国ツ神とともに、このクニを襲ってくることを知ると、タケヒコを討ち、さらにナシメはヒミコの代わりにトヨを立てることを提案、国ツ神の部下にヒミコを襲わせ殺害。ミマキもイクメを討ち、毅然として威光を放つトヨを迎える。そして、数々の裏切りを行ったナシメは老いて一人彷徨うのであった。

正直解りにくい映画だったというのが、最初に見た感想でした。それは、古墳時代に、私自身あまり馴染みが無いことと、使われる言葉もちょっと解りにくく、権力構造とかもその時代の状況について何の知識も無かったという事もあります。
映像は、すこぶるアートな雰囲気でした。宮殿?のつくりは、オペラや劇の舞台のようで、古代エジプトやギリシャを連想させるもの。柱などは、白で統一されていますが、色を変えればアイーダとかの舞台になってもいいくらいのものです。そういう意味で、新しい演出による古典劇のような雰囲気にも見えます。
最後は、ヒミコが嫉妬に狂う女となり、ナシメは卑弥呼が神になったので、衆目にさらす時が来たとします。そして、王のミマキに、祭儀をつかさどる女王の存在が必要という事で、トヨの指名を進言。トヨの最初の就任演説はヒミコが乗り移ったようで、これに耐え兼ねてナシメは彷徨い続ける。いつまでも。そんなラストだったと思いました。その時、ヘリコプターの影が映ったので、あれっと思ったのですが、エンドロールはそういう映像だったのですね。
この映画は、総じて興味深いところはありますが、とても面白いかというと、そうでも無く、深読みが必要で、娯楽映画ではないが、まぁ、こういう形もありだとは思うという感じでした。アートはなかなか凝っています。従って、芸術を鑑賞する次元での鑑賞を強いられるので、それに耐えられるかというと、やはりなかなか解りづらく、画面に集中できないのは致命的かなと思います。集中力がちょっと持ちませんでした。断片的に、二三度ポイントの部分を見返して、やっと全体の筋が見えてきたという次第。そこが解ってくると、なるほどと言う、見所もたくさんありました。従って、気に入ってくるとリピートして見て、いろいろと見えて来る物が有るかもしれませんね。一度見るとちょっと、気になる映画ではあります。
作者の描きたかった、古代日本の様式美は、実際こういうものだったのでしょうか?考証は解らないのですが、これは作者の古代日本に対する、感性や思いを表現したものではないかと思います。実際、同時代に大陸は三国志の時代で、日本と中国も一定の交流があったわけですから、そう考えるともうちょっと違った面が有るのでは無いかなぁ~。というのが、私のイメージです。