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「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ」 前作をアッサリしたリメイクで

ザ・ビガイルド。邦題はまだ解りませんが、1971年製作の「白い肌の異常な夜」のリメイクですね。前作は、ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演でしたが、今回はソフィア・コッポラ監督。コリン・ファレルニコール・キッドマンキルスティン・ダンストエル・ファニングと出演者はかなり豪華です。今年のカンヌ映画祭で、ソフィア・コッポラは監督賞を受賞しました。英語での鑑賞ですが、あらすじは解っているということで何とかなるでしょう。2017年の映画です。

あらすじ
南北戦争の最中、ヴァージニア州の深い森の中に女性だけのファンズワース寄宿学校があった。ある日のこと、きのこ採りの為、森に入ったエミー(オーナ・ローレンス)は、負傷した兵士ジョン・マクバーニー(コリン・ファレル)を発見、学校に連れ帰る。校長のマーサ(ニコールキッドマン)、教師のエドウィナ(キルスティン・ダンスト)たちは、彼の手当てをし、ジョンは、順調に回復して力仕事を手伝うまでになった。しかし、今まで全く男のいなかった世界で、年ごろまでに成長したアリシア(エル・ファニング)をはじめ、マーサ、エドウィナたちの中で、微妙なバランスが崩れ、ジョンを中心に、嫉妬と欲望が渦巻き始める。そして、アリシアとの現場を目撃したエドウィナはジョンを階段から突き落としてしまうことに。ジョンは再び足を複雑骨折してしまい、昏睡状態に陥ってしまった。マーサは命を救うためと、昏睡中に彼の脚を切断してしまったが、意識を取り戻したジョンは逆上し、力で脅して学校を支配しようとする。そして校長たちは、変わってしまったジョンを殺害しようと計画し始めた…。



日本未公開なので、ネタバレは控えようと思いましたが、これは「白い肌の異常な夜」とほぼ同じストーリー展開なので、ネタバレという意味ではこれで完了です。前作は、イーストウッド主観で描かれている部分が大きいような気がしますが、こちらは、これだけの女優をそろえたということで、女性側主観も入りますが、顕著かというとそうでもない感じでした。

全体としてみると、ストーリーが同じで、前作の方がもっとドロドロした感じや、スリラー的な緊張感も持っていたと思います。今回は画面も綺麗、俳優さんも豪華で、目は楽しめますが、あっさりなぞったような感じで、緊張感もあまり感じられませんでした。

マーサは、ニコール・キッドマンが演じて、凛とした美しさを見せてくれます。その背景のドロドロしたものが感じられませんでした。エドウィナは、前作ではもっと心の動きがあったような気がしましたが、そのあたりも省略されていたような気がします。アリシアの役は、前作では憎いくらいに積極的にアタックしていたような気がしますが、これもアッサリ系です。今の風潮だとこうなってしまうのでしょうか?でも、それではこの映画のリメイクを撮る意味が無いような気が…。

ということで、この映画に出演された俳優さんたちは、素晴らしい実力があると思うのですが、この映画は、各配役の人物の掘り下げが浅く、もっと厳しい演技ができたのではないか?という感じがしています。

ザ・ビガイルド

この映画、前作の「白い肌と異常な夜」をあえてリメイクする意図は何だったのでしょうか?前作ではドロドロした人間関係の渦が見られましたが、あえてその部分を薄くして、さらっと見せるという意図は?

例えば、兵隊が学校の巡視に来ますが、それを追い返す時には、緊張した会話がなされるはずでしょうけど、入ってきて、結果だけみたいな感じだし、ジョンが、エミーを小屋の中に連れ込んで、何か騒動があるのかと思っても何も起こらないし、何か緊張感を高めるでもなく、ストーリーを流した感じで、こだわった物語が希薄です。

ということで、大女優達を見る、南北戦争時代の衣装を着た美女を楽しむ。美しい森の風景を楽しむ。といったことは満足できるのですが、このストーリーでそれだけというのも、ちょっとインパクト不足というか、勿体ないというか、そんな気がしました。カンヌの監督賞受賞というポイントがよく解らないのですが、実際はどうなんでしょうか?

以上、リメイクものなので、どうしても私としては、前作のインパクトを思い出して、今回の特徴は何か?と探ってしまうのですが、ストーリー自体は面白いですし、前作を頭から外してしまえば、もっともっと楽しめるかもしれません。ラストシーンは、象徴的でなかなかいいと思います。

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「友だちのパパが好き」 痛い純愛コメディに脱帽

ネットで鑑賞した、「友だちのパパが好き」は、題名は聞いたことがあったんですが、中身については全く知りませんでした。しかし、見始めてみると、冒頭からどんどんこの世界に引き込まれて、楽しかったです。シューマンのピアノ曲も効果的で、映画にこうも馴染むもんなのですね。

あらすじ
親友である妙子(岸井ゆきの)の父親である恭介(吹越満)が好きだというマヤ(安藤輪子)の思いがけない告白に唖然としてしまう妙子。母親のミドリ(石橋けい)も笑い飛ばしていたものの、その日を境にマヤは恭介に熱烈にアプローチしていく。しかし当の恭介には長年関係を持っている愛人・ハヅキ(平岩紙)がおり、また、一方で恭介とミドリは離婚を協議しているところだった…。



マヤと妙子の会話。マヤが妙子の父が好きだという。愕然とする妙子は、マヤを変態扱いし、その場は収まる。その会話を聞いていた妙子の母はやるせなく、「喜ぶわよ」という気のない返事。ある日、妙子の両親は、恋人と独り立ちしようとする妙子の話をしながら、長年懸案になっていた離婚を決める。

マヤにはかつて付き合っていた愛人(先生)がいたが、マヤは全く心が離れているにもかかわらず、しつこく付きまとって、ストーカー状態となっている。妙子が撃退する。マヤは駅で偶然を装って駅で妙子の父を待ち伏せ、付き合いを深めていく。妙子の父と母は、妙子に離婚を告げる。動揺するも、それを電話でマヤに伝えるとマヤは大喜び。

一方、妙子の父には長年付き合っている愛人がいたが、彼女は妊娠している様子。マヤも彼女の存在を知り、敵対心を燃やす。一方、妙子の母は職場の同僚から、理想の女性と言い寄られ、やるせなく体を許すが、これ以上付き合うつもりも無いことを告げる。そして、そして、妙子の父とホテルに入るマヤ。それを陰から見つめている、マヤの元愛人のストーカー男。同時期に、スーパーで偶然出会ってしまった、妙子の母と妙子と父の愛人の3人。3人はスーパーから出て、それぞれ別れる。

マヤはホテルから出た後も、激しく妙子の父に詰め寄り、逃避行を懇願する。押し切られた形の妙子の父。妙子は、デート中のマヤを、スーパーで父の愛人から聞いた話を確認するため、電話で呼び出し、マヤは、妙子の父を待たせて妙子に会いに行く。それを見つめているストーカー男…。

友だちのパパが好き

で、事件は起きます。そしてラストという物語でした。

最初から、シューマンの森の情景の中の「予言の鳥」の音楽が不思議な雰囲気を醸し出します。そして、妙子とマヤの会話は、どこか普通でない壊れた雰囲気で、予言の鳥と大変よくマッチしています。この導入部は、この映画全体を包む雰囲気を代表していて、惹きつけられました。

劇中の会話も、現代風で、若干壊れたような感じの会話が続き、普通の会話はむしろ少ないくらい。それで一貫して統一された映画で、お見事というしかありません。たびたび出てくる、マヤは変態だからという言葉がありますが、みんな何かしら変ではあります。特に男は。妙子の恋人はまだまともですが、他の男はまぁ、おかしいですね。

恐るべきは、盲目の愛とでもいいましょうか、マヤの激しいアタックは凄すぎる。待ち伏せ、相手の愛人の前に現れ、牽制する、逃避行への懇願など、相手もちょっと付き合いきれないのではないかと思います。2人の愛人が鉢合わせした時の恐怖は、ただ事ではないと思いますが、それをうまくまとめていく緊迫感は、なかなかのもの。マヤはなかなかの空恐ろしい策士です。マヤの元愛人も盲目の愛のクチですが、完全に位負け。その結果人生を棒に振っています。彼はある日反省して自分の馬鹿さ加減を思い知るのでしょう。

そういうことを、さらっと絶妙の会話劇でコメディの中に埋め込んでいく。素晴らしく、不思議な映画と思います。それに「予言の鳥」がぴったりと寄り添うのは、心憎いばかりです。

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「赤い珊瑚礁 オープン・ウォーター」 美しい海で淡々と進むサメ映画

夏も近づき、シャークムービー。ということで、GYAO!動画から、「赤い珊瑚礁 オープン・ウォーター」を鑑賞です。オープン・ウォーターというシリーズがあるようですが、残念ながら見ておりません。今年の夏のカリ・コレで第3弾が上映されるとのことですので、これはそのシリーズとは関係ないということなのででしょう。ただ、実話を基にした海洋パニック映画ということは共通しているようですが…。

あらすじ
船を届ける仕事をしているルークのもとに、友人のとマットとそのガールフレンドのスージー、そして、マットの妹でルークの元カノのケイトが訪ねてくる。彼らは、ルークとのヨットクルーズを楽しみに来たのだ。ルークの仲間のウォーレンとともに、ヨットで秘密のスポットの無人島に行き、その帰路、船は水中の障害物に衝突し転覆。大海原に取り残された彼らは、ウォーレンを残して、水平線の彼方の島を目指して泳ぎだすが、そこはサメの出没する海原だった…。



導入部、親しげに挨拶するメンバーですが、ルークとケイトの間には、過去に何かあったようなぎこちなさがありました。5人はさっそく大海原にヨットで出発、無人島に上陸して楽しいひと時を過ごします。そこでも、ルークとケイトはお互いに何かを言いだそうとしています。ちょうどそこへ、潮の流れが変わるので出航するとの合図。再び彼らはヨット上の人となりました。ここまでは、大変美しい海の様子が描かれます。まるで、観光用のイメージビデオのようでもありました。しかし、途中で起こる小さな出来事が、少しずつ不穏な空気を漂わせています。

翌朝、マークとケイトが昨日のちぐはぐな会話を修復しようとしているところで、ヨットが転覆。5人はなんとか裏返った船底に這い上がります。どうしようもない状況で、マークは、このまま留まれば助からないのは目に見えている、座して死を待つよりも島の方向を目指して泳ぐべきだと主張。しかし、このあたり一帯はサメの海。その恐怖にウォーレンは船底の上で待つことに決め、ケイトも残ると主張します。最初は3人でスタートしましたが、思い直したケイトが合流、4人で泳ぎ始めました。

美しい穏やかな海原が続きますが、やはりサメが出現し、4人を恐怖に陥れます。そして、サメの犠牲になる者が出始めました。翌朝、遠くに岩礁が見え、残った者は最後の力を振り絞って泳いでいきます。沖合の小さな岩で休みながら、いくつかある岩を伝うように海を渡っていく形となりました。最後に残ったルークとケイトは小さな岩の上で二人の愛を確かめ合い、岩礁への最後の泳ぎを決行しますが…。

赤い珊瑚礁 オープン・ウォーター

まず、特筆すべきは、前にも書きましたが、海の美しさでしょうか。前半のヨットクルーズの場面は、そこここに美しい映像があり、目を奪われます。ストーりー自体は単純なものなので、どれほど緊張感や恐怖感が煽られるか、あるいは人間性の弱いところが出てくるかといったところですが、それほど強調はされません。ただ、終始海の中に放り出された格好なので、一定の恐怖感が常に付きまとっていて、それがひしひしと伝わってくるという感じでしょうか。そして、最も緊張するのはラストに向けての部分でした。脅し的な効果があまりありませんので、恐怖感というよりも、どうなるどうなる!といった緊迫感です。

最初に、これは事実に基づく物語ですと断られます。とすれば、後で途中までの行程を解明する、何らかの手段があったということで、最も可能性があるのは、生存者がいるということ。でなければ、作りようがないということでしょう。では誰が残るのか?一人なのか、複数なのか?普通は主役級が残るもので、そこは見当がつくのですが、犠牲者に対しては、それほど明確にフラグを立てていない様な気がします。

船が転覆して以降は、洋上を泳ぐシーンがほとんどになり、サメの描写も、恐怖を煽るような凶暴さや、直接的に体を食いちぎる場面を見せるようなグロいシーンも無いので、犠牲者は、淡々とやられて消えていく感じです。従って、コケ脅しの恐怖でなく、大海原にいることの断続的な恐怖と緊張感がベースです。そして、それが延々と続きながらも、緊張感を持たせる原動力になっているということは前記の通りです。ラストについては余計な蛇足がなく良かったと思います。この映画は、獰猛なサメの恐怖やアクションをお目当てにすると期待外れになると思いますが、全体的には、海が美しく撮られていて、あまり細工せず、より現実味を出しながらうまくまとまめているという感じがしました。

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「聖処女縛り」 昭和のエロスを楽しむ

昭和のエロスと言えば、60年代から80年代にかけて。実際は、6~70年代は法的にみられる年代では無かったのではありますが、街角には成人映画の看板もちらちらと見かけました。そして、若者はいろいろと想像するのでありました。もちろん、成人映画の主力は日活ではあったのですが、比較的お手軽にネットで見ることができる新東宝の作品から、久しぶりに1本見てみることにしました。監督は渡辺護、脚本は高橋伴明と、ピンク映画の王道です。

あらすじ
戦時下の山村に住む園(岡尚美)と綾(日野繭子)の姉妹。綾の恋人である宮田(下元史郎)が特高の小西(鶴岡八郎)に追われ、殺害される。一方、姉の園は小西の愛人であり、その夜小西と園が情交を交わしているところを、宮田の復讐の為に綾が小西を襲うが未遂に終わる。小西は、綾を拘留すると称して自宅に幽閉し処女を奪うが、綾の脱走未遂のお仕置に縄で縛ったところ、綾が反応するのを発見、その日より綾とのSMプレイを楽しみ始める。病床の小西の妻は綾を逃がすと息を引き取り、綾は小西への復讐を誓って園の家に戻る。園の家に来た小西を再び襲うつもりであったが、小西が園を縄で攻めているのを見て、体が反応してしまい、綾は小西の家に再び戻ることになったが…。



冒頭は、山奥の小さな駅の情景。その町に住む、園と綾の姉妹の会話からスタートします。綾は、活動家の宮田を追って街を出ることを考えていましたが、姉の園は特高の小西の愛人という立場もあり、妹に思いとどまるよう説得します。しかし、宮田は駅で小西らに射殺され、泣き叫ぶ綾。その夜、小西と園が情交を交わそうとしているところへ、綾が包丁を持って小西を襲撃。撃退した小西は、綾を殺人未遂容疑で拘留する必要があるとし、連れ去ることにしました。しかし、それは綾の体が目的でした。

小西が綾を拘束したのは、特高でもなんでもなく、小西の家でした。そこで小西は綾の処女を奪います。家の二階には、寝たきりの妻がいましたが、彼女は体が自由に動かせず、助けることはできませんでした。 数日後、綾が縄を解いて脱走しようとしているところに、小西が帰宅。小西は罰として綾を縛り、天井から吊るすと、綾は光悦の表情に変わり失禁してしまいました。小西は綾にも淫蕩の血が流れているらしいな、と満足げな表情を浮かべ、綾を攻め立てます。そして、病床の妻の前でも、緊縛された綾を部屋に連れ込み、綾の体を弄ぶのでした。

小西不在の隙に、妻は最後の力を振り絞って綾のところへ行き、縄を解いてやると、綾を解放します。線路を歩き、自宅に戻る綾の頭に去来するのは、在りし日の宮田の言葉。「この町を出るのは逃避ではない。攻撃さ」という言葉。その言葉をかみしめながら、綾は自宅にたどり着きました。

小西が、園の家に現れ、妻が死んだことを告げます。そして綾を弄んだのと同じように、園を縛り始めた小西ですが、園は縛りには反応せず痛がるだけ。小西は「つまらぬ女だ」と吐き捨て、部屋を出ました。そこには包丁を持って様子を伺っているうちに、園への縛りを見て体がうずき始めた綾がいました。 小西は綾を見つけると、綾に家に来るよう命令し、綾はそれに従って、小西の家に行き、2人の倒錯した生活が始まりました。

ある日、園は綾に、小西を取らないでと懇願します。そして、綾はあの人が勝手に私を選んだと嘯き、あの人の子を孕んでやったと言い残して立ち去ります。その後、小西の家でSMプレイをしている時に、園が駆け込んできて、捨てないでと懇願しますが、小西は、園を外にたたき出し、なおもすがる園を何度も地面に突き飛ばしました。それをじっと見つめる綾の手には包丁が握られていました。

綾は包丁を振りかざすと、いきなり自分の腹に突き立て、「お前の子を、殺してやった」と無表情でつぶやき、その場に倒れます。小西は綾の元に駆け寄りますが、園は、綾の前に跪く小西に向かって、綾の体から抜いた出刃包丁を突き立てました。

そして、線路を歩く園。遠くで汽笛が聞こえ、園は振り返ります。そして、望遠レンズで捉えた機関車が、こちらに向かってどんどん大きくなってくるのでした。(終)

聖処女縛り

ピンク映画というと、もちろん色眼鏡で見てしまうのですが、ドラマ度がかなり高い仕上がりです。ラストの愛憎劇は、いささか極端な感じがあると言えなくはないですが、それもピンク映画ならではでしょうか。宮田を殺されてから、縄に反応する時以外は終始無表情の綾。小西や、それを受け入れている園への、恨みの深さが噴出します。しっかりした演出と脚本で、この映画が出来上がっていると思います。

セリフは少ないのですが、時々重いセリフが入ります。瀕死の小西の妻が、綾を解放する時の、「あなたがここにいることを、妻である私が許さない」という言葉。その前後の妻(杉佳代子)の演技も含め、細部までしっかりと作られています。画像も可能な範囲で、細部までこだわっていることは、時代や場所が判明してしまうようなもの、例えば駅名や、機関車の番号、行先のサボなど、余計な映り込みも徹底して避けられています。(最近の映画でも、実情にそぐわないような、細かいところが映り込み、興ざめしてしまうことがままありますので、そのあたり職人的に徹底しているなと感じます)

綾の行動を支配しているのが、話の途中ででてくる宮田の言葉。逃避ではなく、攻撃。それが、小西の子供を妊娠し、それを身を挺して殺すという行動に繋がっているのでしょう。凄まじいまでの怨念です。

お目当てのピンク映画たる場面は、話の陰にかすみがちながら、抑制されてはいますが、非常にエロチックにツボを得た感じで表現されます。鶴岡八郎が前戯で岡尚美の股間を弄る表現も、岡尚美の太ももの内側を映し、間接的に非常に淫靡な感じを醸し出すなど、エロスの表現は流石と思います。いろんなアングルからの体の映し方も、ツボを得てエロスを感じました。主題のSMシーンについては、ちょっと注文ありです。麻縄での縛りも出てきますが、赤いロープを使うのはどうなんでしょう。個人的には、赤いロープを使うと、いかにも家庭で楽しんでいますみたいな感じがして、ちょっと興ざめします。徹底するのであれば、やはり麻縄で統一して欲しかった。(趣味の問題ではありますが…)

2人の女優さん、岡尚美の妖艶な体つきは眼を奪うのですが、日野繭子の若くすらっとした体は対照的でした。この時、日野繭子は20歳。女優経歴の中でも、ポルノ関係の賞を総なめするような絶頂期でした。現在もミュージシャンその他で活躍中のようです。

60分あまりのピンク映画は、あまりにも昭和の色が濃く、演出も脚本も一流のこだわりの詰まった映画なのでした。

【リスト】 ① 裸のエロスを見る作品

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「女の賭場」 凛としたエンターテインメントを

「おとなの大映祭」を引き続きGYAO!で鑑賞。江波杏子主演の女の賭場です。任侠ものはそれほど積極的に見ていないのですが、勢いで見ました。この映画のあと、数年の間に17作制作された「女賭博師シリーズ」の第1作。それほどまでにブレイクした映画であれば、大いに期待です。監督は田中重雄で、1966年の映画です。

あらすじ
関東一円の親分衆を集めた盛大な手本引き花会で、名人沢井辰造(水原浩一)が胴師をつとめたが、香取組代貸の立花鉄次(渡辺文雄)にイカサマを見破られ、自殺する。辰造の娘で、やはり胴師としても一流のアキ(江波杏子)は、父の残した小料理屋を守り、堅気の世界に生きると決心する一方で、立花この事件を足場に頭角を現わし、立花組を結成、勢力拡大を進めていく。彼はアキの美しさにも惹かれ、自分の賭場の胴師になるように誘うが、アキは、これをきっぱりと拒絶。アキは、立花の急激な勢力拡大にも疑問を覚え、イカサマの相方である塚田(夏木章)の行方を追い、事件は立花が出世のため、塚田を利用して仕組んだものだと知った。その日から、アキは立花への敵討ちの為、花札の稽古を始め、そして、侠勇会初代追善法要の花会で、アキが胴師をつとめることとなった。勝負が進んだころ、アキの指の動きを見ていた立花から誘われるように「待った!」の声がかかった。しかし、改められた札には何のイカサマもなく、アキは「父と同じように責任をとって頂きましょう」と言い放った。



冒頭の賭場の場面から、画面に引き込まれていきます。胴師の辰造にクレームをつける立花(渡辺文雄)は堂に入った演技で、緊張感を高めています。そして、辰造は家に帰り、子供たちを気遣う言葉をかけた後、自室で自殺。一方立花はこの件で出世が決まり、立花組の結成まで保証されました。まぁ、出来過ぎというか、出来レースの香りです。

アキは立花の元を訪れ、立花からの香典を返しますが、逆に立花はアキに援助を申し出、また、アキに再び賭場で胴師になるよう誘いますが、いずれもキッパリと断りました。一方でアキの弟の広志は高校生ながら、地元の不良たちと付き合い、立花にも接近していました。

アキの営む小料理屋は借家でしたが、周辺の土地を含め立花組の手に落ちていることを知り、立花へ直談判に、彼の経営するクラブに向かいますが、立花の野望を聞かされ、立花からの援助を申し出られるだけでした。一方で辰吉の子分であった政吉は、立花の今回の出世を不審に思うアキの指示で、イカサマの相方であった塚田を探していましたが、事件以降行方知れずとなっていました。そして、金を使い果たして、金の無心に舞い戻ってきた塚田を発見。イカサマのことを問いただしたアキは、事件が立花に仕組まれたものと知ります。塚田の口封じに立花は、組に入ったばかりの広志を使って殺させようとしますが、最終的には広志は殺すことができず、塚田は他の組員が殺し、広志は怪我をして入院。見舞いに訪れたアキに、事情を知った広志は真っ当に生きることを誓いました。

覚悟を決めたアキは、鎌倉での大きな賭場で報復することを決意。政吉の指導で練習を重ね、世話になっていた兼松と組み、立花を誘い出すことを計画します。そして実行当日、勝負が進むと、辰造の時と同じような動きで立花を誘い出します。それに乗ってしまった立花は待ったの声を上げ、イカサマを告発します。結果によって双方責任をとると宣言しあった後、札を改めると、札にはイカサマは無く、アキは「父と同じように責任をとって頂きましょう」と言い放ち、一発の銃声を聞いて、山門を出ていくのでした。

女の賭場

緊張感のあふれる導入から、終始緊迫感のあるストーリー展開で、一気に見る者を引き込んでいく映画でした。内容が詰まっていて、無駄のない展開とも言えます。そして、最後も緊迫感のある賭場のシーン。江波杏子の凛とした佇まいが、見る者を惹きつけてやみません。大写しになる江波杏子の表情。微妙に動く仕草。素晴らしいと思います。この後、この映画とともにブレイクした事も頷ける素晴らしい場面でした。もともと長身のキリっとした美人タイプだけに、今でも気品のある風情で出演を続けられています。女賭博師シリーズ、この後5~6年のうちに、17本も作られました。

この映画は、悪役スターの渡辺文雄も、存在感を出しています。渡辺文雄の場合、2枚目風悪役インテリヤクザという感じで、それほどコテコテの悪役ではありません。渡辺文雄川津祐介と並べば、「くいしん坊!万才」を思い出してしまう次第で…。

という訳で、任侠映画というよりは、少し気軽なエンターテインメントとして面白いという雰囲気と言っていいでしょうか?よくできた緊張感のあるストーリーと、存在感のある役者さんたちの競演ということで。

おとなの大映祭。2本見たところで、正直楽しかったです。今見てもワクワクするような、近所に映画を見に行くような楽しさがあります。60年代から70年代前半の映画が主流になりますが、次の配信も大いに期待したいと思います。

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「卍」(1964) この時代の両女優の演技を体験する

GYAO!で、「おとなの大映祭」というシリーズが始まりました。その初回がこの「卍」と「女の賭場」。ここはなぜか迷わず、若尾文子岸田今日子出演の「卍」を鑑賞。大映映画が華やかなころの時代性か、おとなの映画と銘打つとなぜかラインナップに谷崎潤一郎原作が多くなっています。「卍」は読んだかどうか、定かでは無いのですが楽しみです。1964年の映画で、増村保造監督の作品です。

あらすじ
美術学校に通っている、女同士で交際していると噂をたてられた2人の女性。洋服の似合う現代的な徳光光子(若尾文子)と、和服の似合う弁護士の妻、柿内園子(岸田今日子)。二人は園子の寝室で、お互いに裸を披露し、光子の見事な裸体に魅せられた園子は、興奮し激しく抱き合っていた。エスカレートしていく園子の行動は、やがて夫(船越英二)の知るところとなり、光子と会うことを禁じられ、やがて園子も、光子に綿貫栄次郎(川津祐介)という情夫がいることを知って、光子に裏切られたと、涙にくれる。だが光子を独占しておきたい綿貫は、園子と光子の愛情を心配し、園子に光子への愛を二人で分け合おうともちかけ、誓約書に署名をさせ、無理やり三角関係を成立させた。しかし、この関係も長くは続かず、光子との関係を清算させようと園子が画策するのを知った綿貫は光子を脅迫。これに絶望した光子と園子は狂言自殺をしたが、朦朧とした園子の眼に映ったのは、自殺の知らせを聞いて、駈けつけた園子の夫と、光子の情事であった。そして、光子の虜となってしまった夫と、光子、園子の新しい三角関係が生まれ、お互いに疑心暗鬼の虜となる。寝ている間も心が休まらず、勝手に付き合うことの無いよう、同時に睡眠薬を飲む始末であった。ところがある日のこと、綿貫が写真に撮った誓約書を新聞に持ち込み、醜聞が広まったため、三人は、互いの愛を誓ったまま、自殺することに決める。ベッドで睡眠薬を飲んだ三人は、静かな眠りについたが、なぜか翌日、園子だけが生き残っていた。



光子は、現代的な風貌を持ち、妖しく男も女も虜にしてしまう、いわば悪魔的な女性。しかし、外見とは別に、心のうちはなにか複雑な事情もあり、何か見えない壁があるように感じます。一方光子は、一途で直情的な女性。思い立ったら百年目という感じで意思も堅いように思われます。2人は、園子の寝室でひと時を過ごし、会っていないときは手紙を書き、ひと時も離れていられないような関係になっていました。一方、光子には腐れ縁のような小悪党の綿貫がついており、光子は別れたがっていましたが、令嬢という社会的地位のある光子を脅し、独占しようといろいろと画策していました。

いろいろと起こる事件に翻弄されていく園子ですが、陰に綿貫の策謀があることが、だんだん判ってきます。そして二人の関係をより強固にし、いつも一緒にいられることを願った狂言自殺ですが、これによって園子の夫と光子の関係ができてしまいました。そして、お互いに光子を愛し、片時も離したくない園子夫婦は、寝るときは同時に睡眠薬を飲み、抜け駆けができないようにする生活となり、身も心も蝕まれていきます。それでも病的なまでに深い愛を持ち、秘められた生活を送る3人ですが、捨てられた綿貫の嫉妬により、ゴシップ紙に3人の関係が掲載され、社会的地位を失うこととなりました。そして選んだ心中なのですが、翌日園子は眼覚め、傍らで夫と光子は冷たくなっていました。それが単なる事故なのか?それとも…。追いかけて死ぬことを考えた園子でしたが、2人の策であった可能性もあり、あの世でも疎んじられることを思うと、死ぬことを思いとどまらずを得ませんでした。

卍1964

こういった評価の定まった邦画の感想を書くことはなかなか難しいのですが、さすが谷崎潤一郎の原作で、格調高く愛憎が語られており、一方でしっかりした筋立てで、ある意味サスペンスを思わせるような、疑心暗鬼の展開で、静かな中にも目が離せないように作られています。

若尾文子岸田今日子の熱演も素晴らしく、若尾文子の最後まで心の内を見せないような演技と、岸田今日子のひたむきに押していくような演技は、見ているものを惹きつけてやみません。この映画は、生き残った岸田今日子が「先生」の元に出かけて、一部始終を語るという設定で描かれていますが、節目節目で語る岸田今日子の表情も、憂いに満ちてまた劇中とは違った趣を見せていました。

ストーリーも、狂言自殺のあと、光子に魅せられて、愛の狂気に蝕まれていく園子夫妻も、静かな中で鬼気迫るものを感じます。これは谷崎潤一郎の世界で、控えめながらも、よく雰囲気が出ていると思います。

ただ、やはり1964年という時代の表現で、かなり抑制のきいた表現と映像になっており、それはそれで文芸的であるものの、時代の流れの中で、社会の常識的なものの変わりゆくのも事実。したがって、どうしても古さを感じてしまうところもあります。「卍」自体は何度もリメイクされているので、まだ見てはいませんが、時代とともに表現や重きを置くところも変わってきているのではないかと思います。見る機会があればぜひ体験してみたいと願っております。

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「血まみれスケバンチェーンソー」 とにかく楽しみましょう!

昨日からGTAO!にアップロードされていた「血まみれスケバンチェーンソー」。よく知らなかったんですが、最近の映画なんですね。こういう映画けっこう好きなもんで、早速見てみました。「未体験ゾーンの映画たち2016」で公開されています。ということは、あまり回数は上映されていないのかもしれません。

あらすじ
うぐいす学園に通う鋸村ギーコ(内田理央)は、解体業の家に生まれた無類派スケバン。一方、同級生・碧井ネロ(山地まり)は奇怪な言動のため、周囲から孤立していた。やがてネロはマッド・サイエンティストの才能を活用、クラスメイトたちを次々と改造死体にしてしまい、自分の帝国を築き上げていく。追試を受けるために登校したギーコの前に、ネロの刺客が次々と襲い掛かり、ギーコは、機械工作部部長の仙崎(奥田佳弥子)の助けも得て、次々と突破、ついにネロとの戦いが幕を開ける…。



海の見える坂道を自転車で学校に向かうギーコ。今日は追試を受けるために登校しないといけない。玄関で遅刻者を見張る鬼塚先生をクリアすると、校庭で立ちはだかる奇怪な改造死体。彼らは、碧井ネロに改造されたクラスメートたちだった。待ち伏せグループの中でも最強はチアガールの爆谷さゆり。指先や腕から弾が飛び出す仕組みになっている。究極は股間から爆弾が飛び出す、おまたミサイルだ。持ち込みのチェンソーでここを突破したギーコは追試会場に向かう。しかし、チェンソーが壊れてしまっていた。

追試を機械工作部長の仙崎の助けでクリアーしたギーコは、チェンソーも直してもらう。そこに現れた次の刺客は忍者部。ネロに忍者部存続を助けてもらった恩義の有る彼らはギーコに挑むが、仙崎の改造でパワーアップしたチェンソーをもつギーコの前には敵ではない。巨乳でのチェンソー白刃取りで耐える部員もいたが、ギーコにそのまま押し切られてしまう。忍者部を倒したギーコは、機械工作部長の仙崎に、部員の仇をとってくれと頼まれ、ネロの牙城へと向かう。

ネロはその奇怪な言動から、クラスのみんなからいじめられていた。ある日、改造死体ネコを持参したネロは、クラス中からボコボコにされ、その後制服を隠されて、スク水で授業を受けるなど、辛酸を舐めてきた。そしてその復讐心を肥大化させ、改造死体の帝国を築き上げたのだ。その中で、いじめに参加していなかったスケバンギーコに逆恨みをしていくネロ。校舎の屋上で仙崎やネロの配下も交えた、ギーコとネロの決戦が始まった。

血まみれスケバンチェーンソー

面白かったです。なかなか無茶な設定ですが、うまくポイントを絞って見せ場を作り実写化されているのではと思います。原作はさすがに読んでないですが…。機関銃ではなく、チェンソーを振り回すギーコは、ミニスカのセーラー服に、裸足で下駄履き。中に穿いているのはフンドシというスタイル、なかなかのセンスですね。注目のシーンは、元SKE48の佐藤聖羅による、爆谷さゆりの、M字開脚からの股間ミサイル発射。そして、四つん這いになった爆谷に、チアガール部の部員が次の弾を装着するシーンは笑えます。あとは、忍者部との戦いと、ギーコ(内田理央)の突っ込みなどが見どころでしょうか?

そして、妙に納得感のある、仙崎の説得。「不良は一番学校が好きじゃないか!」という、真摯な説得に妙な納得感があり、これは拍手です。最後の決闘における、ギーコとネロのやり取り。なぜ、ネロがギーコに恨みを持つに至ったかを主題に、しばらく会話劇のようになりますが、ここはまぁ青春学園物っぽいまとめ方ですけど、まぁ、そんなもんかなぁ。でもひねくれてるよな…。と、あまり現実感のない感じです。

ということで、理屈抜きで、楽しく鑑賞させていただきました。現役グラビアで活躍する女優さん多数で、またそれも楽しかった。ということで、この手の映画、またよろしくお願いします!

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「ある夜のセックスのこと モントリオール、27時」 閉塞感の中の独白

特に何を見る目的でもなく、GYAO!を眺めていて、なんとなく見てしまいました。いろいろな映画祭に出品されたとのことですが、大きな映画祭ではないようです。勝ち取ったのは、ジニー賞、台北映画祭、トロント国際映画祭、バンクーバー国際映画祭。初監督作品に対する賞もありました。ということで、尺も短めなので、気軽に鑑賞。2011年の映画で監督はアンヌ・エモンです。

あらすじ
ナイトクラブのフロアーで踊りに興じる人々。クララ(カトリーヌ・ドゥ・レアン)はそこで出会った青年ニコライ(ディミトリ・ストロージュ)の部屋になだれこみ、玄関ですぐに激しく求めあう二人。そのまま二人はほとんど言葉を交わさず、欲望の赴くままにセックスを始める。数時間後、眠るニコライに気付かれないよう、そっと部屋を出るクララ。その気配に目が覚め、ニコライはクララを呼び止める。そして、お互いのことをぽつぽつと話しはじめ、やがて二人は、互いに誰にも言えなかった心のうちを語り始める。



まず、スタートは若者たちがナイトクラブで踊るシーンですが、音楽に合わせて飛び跳ねているだけ。その飛び跳ね方が、あとの物語の中で若干触れられますが、これは特に大きな意味はありません。そしてそれが終わると、部屋の中からの映像で、部屋に入ってくるや否や、求めあう男女のシーン。激しく貪りあう二人はセックスへと移行します。途中、トイレとか、コンドームは?とかで中断するのもご愛敬というところでした。

激しい性交がのあとはベッドで眠ることとなりますが、女性の方が起きだし、部屋をうろうろした後こっそり帰ろうとすると、気が付いた男が起きだして、黙って帰ろうとしているのを責め立てます。この時の言葉は、責める言葉ではありますが、なかなか気の利いた言葉でもあります。そしてやがて話はすれ違いはじめ、やはり女性は部屋を出ました。

外は雨。しばらく歩いた彼女は途中で雨宿りをしますが、降り続く雨に再び部屋に戻ることに。迎え入れた男は自分の身の上話を始めました、かなり自堕落で無目的な生活をしているようで、若干インテリ風の彼女の言葉に対立。彼女を貶めるような言葉を連発したため、彼女は怒って部屋を飛び出しますが、反省したのか男はそれを追いかけ、捕まえて部屋に連れ戻しました。そして今度は彼女の独白。小学校の先生をやっているが、木曜日の夜から月曜日の朝までは、夜の街を歩き回り、行きずりのセックスをし、ドラッグにおぼれという日々を過ごしているとのこと。何か確かな真実を求めて。しかしそれが決して本意では無い事を承知している彼女は途中で泣き崩れてしまいました。そして、屋上に敷いたマットレスの上での朝の目覚め。

数日後の、学校で先生として仕事をしている彼女が映され、この映画の終わります。

ある夜のセックスのこと モントリオール、27時

という訳で、とくに明確な物語がある訳ではありませんでした。シーンは部屋の中以外は、2度ほど部屋を出た時の周辺の風景。朝の屋上、そして学校とナイトクラブ。それだけです。内容的にも動きが無く単調なのですが、なぜか最後まで飽きずに見てしまいました。きっと画像や会話が面白かったのでしょうね。

最初の三分の一は、ナイトクラブからのセックスシーン。見ごたえがあるシーンで、突飛な物ではなく、馴染みやすいものです。それが終われば、あとはほとんど会話劇。一方的に語る感じなので、身の上話が続きます。とりたてて意味のあるような話にも思えないのですが、それなりに堕落し、興味を引くような話ではありました。ラストでは説明の言葉はありません。アパートの屋上では無言で街を眺め、そして、先生としては子供たちに詩を暗唱させている。その詩の内容に意味を見出すかどうかということですが、最後の子供が諳んじた詩は、とても小学生が読むような内容ではなかったと思います。そしてちらっと窓の外をむる先生の横顔。それだけです。

従って、だから結論は?とも言いたいところではありますが、逆にそこまで突っ込みたくなる訳でもなく、「そうなのね、そういう年頃なのね」となんとなく、閉塞感のただなかにある若者の身の上話を聞いて、気だるく納得して終わるような話ではありました。きっとこの映画を観ている間、引き付けられていたのは、会話の中身が、いろいろな社会を投影していて、行動なども全体的に等身大で語られている感じが、聞いていて飽きないということではないかと思いました。

ニコライの顔をみていると、蟹江敬三を思い出しました…

原題は、「Nuit ♯1」。カナダでもフランス語圏なのでフランス語。「夜#1」というのが直訳です。邦題は説明的ですが、内容が少しずれています。アンヌ・エモン監督はこれが長編第1作。その後間をおいて、2作目も3作目も何らかの賞を多少なりとも獲得しているようで、カナダでは芸術系の新進監督ということでしょうか。

【リスト】 ① 裸のエロスを見る作品

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「不倫休暇」 不倫もみんなでやれば怖くない?

GYAO!で、ヨーロッパの不倫ドラマでもと思って見始めたのが、この映画でした。オーストリア製作というのも、見た記憶にあまり思い当たらないですし、どんなものかなぁと。原題の「42plus」というのも意味ありげで、なんか面白うそう…。と思って見始めたのですが、最初から言っておきます。「なんじゃこりゃ…」という感じでした。

あらすじ
夫婦と娘の3人で別荘にヴァカンスに出かけた夏の出来事。どこか満たされず、昔を思い出し、現状に不満を募らせるクリスティーネ。年頃の娘の成長にも寂しさを感じつつ、自分の浮気の清算も上手くいかない。旅先で迎える42歳の誕生日には、友人夫妻もサプライズで訪れたが、それも自分の不倫相手。しかし、謎の少年タマシュと出会い、タマシュの若さに魅了されてしまったクリスティーネは密会を重ねるが、そんな彼女の変化にゲオルクもゾニアも気付いていた…。



カーテンの影の下着姿のご婦人のシーンではじまるのに、何かちょっと期待してしまいます。そして、「終わりにしましょう」と切り出す女性。しかし、男性の方は同意しない。それを押し切るご婦人。おお、不倫映画だと思わせるスタートでした。そして、家庭に戻るクリスティーナ。年頃の娘ゾニアは、今度のバカンスで絶対処女を捨てるという決意を日記に書く。日記にはコンドームも付されています。ん?ちょっと雲行きが怪しいぞ?見ている方としては、登場人物がみんなそういう人たちなのか?という疑惑が頭をもたげ始め…。

一行は、バカンスの目的地マジョルカの別荘に到着。クリスティーネは、TV番組の制作者で42歳。夫はゲオルク、病院勤務の医師です。ある日別荘の寝室に、見知らぬ若い男タマシュがどこからか侵入していて、一人で寝ていたので、追い出します。その後、クリスティーネは時々海岸でタマシュとすれ違い、言葉を交わすうちに気になる存在に。一方ゾニアは夜の街に出て、処女を捨てる相手を探していますが、両親は咎めるでもなく、若干複雑な心境ながら容認しています。

そして、ゾニアは街で男探し、クリスティーネは夫婦でレストランに行きますが、結婚前に夫と彼女を争った男もいて、会話は緊張含み。トイレに立ったクリスティーネに、それを見ていたタマシュが接近します。クリスティーネはそこで、明日タマシュとホテルで会う約束をしました。

不倫休暇

さて翌日は、クリスティーネの42歳の誕生日、パーティーにゲオルクはサプライズで同僚のマルティンとその妻リンダを誘っていました。実はマルティンはクリスティーネの元不倫相手。冒頭で別れた相手です。一方、妻のリンダはそのことを知っていて、クリスティーネに、「あなたと不倫してくれていて良かったわ。別れることになる心配がなくて。」という始末。なんというか、やりたい放題の関係です。

そんなクリスティーネは、別荘を出てホテルに向かい、そしてタマシュとの逢瀬の為に予約した部屋が若い時に泊まった思い出の部屋。相手は誰だったんですかね?クリスティーネはタマシュとのホテルでの密会の後、街を彷徨いますが、さっそく見つけた恋人のバイクに乗るゾニアに見つけられ、行動を問いただされます。しかし、大きなお世話と言う感じで喧嘩別れ。何をやっているんですかねぇ親子で…。

そんなクリスティーネは、タマシュとも別れられない様子で、ついにタマシュを連れて、夫と元不倫相手にご挨拶。あまりの暴挙に、男たちは席を立ちという感じ。タマシュは多少白けた感じでした。結局、クリスティーネとゲオルクは大げんかの挙句、未練のある夫は一からやり直そうと提案しますが、クリスティーネはお互い別々にねと返します。クリスティーネはリンダにタマシュへの別れのメモを託し(メモを渡したリンダが、今度はタマシュと楽しみ始めますが)、夫の愛人のもとへ向かいます。お互いを認識したクリスティーネと夫の愛人。クリスティーネは夫に愛人から電話をかけさせ、その場の状況を説明させます。そしてタクシーに乗っているクリスティーネのもとに夫からお詫びの電話があり、今後ろをつけているとのこと。やがて夫の車がタクシーと並走すると、二人は微笑みあうのでした。

と、まぁ、だらだらとストーリーを書いてみたものの、結局ナニ?という感じでした。皆でそこまで徹底して不倫すれば、結局誰も責められず、収まりましたという話。とにかく、男も女も好みの相手を見つければとにかくやる。それがヨーロッパの知識階級の日常とでもいうのでしょうか?昔のフランスの貴族社会ならいざ知らず。まぁ、42プラスという原題から、四十路の焦りと若いころは良かったという回顧、そして蓄積された経験から、大人の関係ということでやりたい年ごろである、というのは理解しますが。いや、それも一部の人の話で、そんなことを書くと不謹慎と言われますね。

エロいシーンはそれほど多い訳ではなく、全裸は暗い部屋での1回だけ。あとは、発情して服を着たままお互いの体を弄るシーンが多数。それがエロいと言えばそうかもしれませんが、この様なストーリーでは半ばあきれて何も感じないというのも事実。という訳で、冒頭の一瞬のご婦人のカーテンの向こうの下着のシーンが一番かな?という程度でございました。もの好きな人はどうぞという程度ですかね。

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「レクイエム ミカエラの肖像」 実話に見るドイツ山村の因襲


「裸の診察室」を見た後、サンドラ・ヒューラーの「レクイエム」の情報をネットで仕入れていたら、ニコニコ動画で見られることがわかりました。成り行き上、さっそく観てみます。彼女のベルリン映画祭の女優賞受賞作品でもあります。ストーリーはドイツのバイエルン州で起こった、アンネリーゼ・ミシェルの事件(てんかんを発症している彼女が、最後に悪魔祓いに頼り死亡した事件)をモチーフに制作された映画です。

あらすじ
南ドイツの小さな町。信心深い両親のもとで育ったミカエラ(サンドラ・ヒューラー)は、意識障害の持病を抱える内気な少女だった。大学入学を持病の再発を理由にためらう両親だったが、ミカエルは意思が固く、父の応援も得て進学。しかし、一人暮らしを始め、青春を謳歌し始めた彼女だったが、再び発作が起こるようになる。今までの病気との闘いや世間体から、精神病院への通院を拒み、病気を神が与えた自分への試練ととらえ、薬も放棄し信仰に頼るうちに、彼女の病状はますます悪化していった…。



ミカエラは、自転車で家路を急いでいます。家にたどり着いて両親に見せたのは大学の合格通知。母親は、また発作が起きたらどうするのとたしなめますが、父親は少し寛容のようでした。ミカエラは、大学の寮に入り、高校の時に一緒だったハンナ(アンナ・ブロマイアー)を見つけ、友達づきあいをしているうちに、ステファン(ニコラス・ラインケ)という恋人も見つけ、しばらくは青春を謳歌する日々が続きます。しかし、ある日家族と行ったカトリックの聖地でもらったロザリオを触れなくなってしまいます。これは、彼女にとっては何者かが触るのを妨害しているという感触でした。そして、寮に帰ってからも、そのような現象が時々起こるようになりました。

ハンナの勧めで病院で検査を受け、父親のもとに精神病院への入院が必要との診断書が届きますが、それを拒むミカエラ。ミカエラは原因をむしろ「悪魔が憑依している」ことに求めます。信仰の篤い彼女は、地元の神父に相談に訪れますが、あまりにも常識的な対応に失望もしてしまいます。その後、ハンナの勧める病院にも行かず、薬を飲むのもやめ、ステファンともうまくいかなくなり、孤独に闘病する日が続きました。心の支えとして、聖カタリナを信奉し、信念に基づき殉教した聖女を模範に、神の与えられた宿命を受け入れ、その時間を最大限に有効に活かすという考えに取りつかれていました。

病状はますます悪化、ステファンはハンナに頼まれて彼女を車に乗せ、ハンナからは必ず病院に連れて行くように念を押されます。しかし、ステファンが向かったのは彼女の両親の家。そこで彼女の破壊的な発作が始まり、最終的には神父に悪魔祓いの儀式をしてもらって落ち着きました。この儀式によって心の落ち着きを取り戻したミカエラは、しばらくしてハンナの訪問を受け、村の田畑を一望できる丘の上で語り合います。病気の回復の為には病院に入院することが必須だと説得するハンナに、ミカエラは自分の宿命を受け入れ、そのままのやり方を続けることを宣言しました。

そして、その数か月後ミカエラに死が訪れました。

レクイエム ミカエラの肖像

ミカエラは、入院治療を要するてんかん患者でしたが、当時の風習や、ドイツの地方に根差した因襲と伝統の中で、悪魔祓いによる回復を選び、結果として死に至ります。このあたりの詳しい事情は、Wikipediaの「アンネリーゼ・ミシェル」のページで読むことができます。おおむね実際の事件に沿って作られているのが解ります。これをミカエラ本人の視点から制作された映画ということになります。ミカエラは元来カトリックに対する深い信仰心を持っており、病状が進む中でさらに信仰に傾倒していったという風にも見て取れます。

登場人物の描き方も見事でした。父母、特に母はかなり厳しい性格で描かれます。ハンナは現実的であり、進歩的な女性。ステファンは、優しいのですが、最後は人任せにした感があり、本当にミカエラを大事にしたのかは疑問です。そして、大学に入学して青春を謳歌するミカエラは、十分に表現され描かれていたと思いました。

ストーリー的には事実に沿っていますので、何とも申し上げようなないのですが、映画としてはどちらかといえば暗いイメージで統一されている感じで、いつ何が起こっても不思議ではないような緊張感が付きまとっています。ミカエラの発する言葉は、悪魔の言葉ではなく、それまでの厳しい経験から発する心の叫びであることは言うまでもないことですし、それは、ドイツの地方の生活の中で積み重ねられたものでした。

女優賞のサンドラ・ヒューラーですが、当時は20代後半ですか。東独ズール市の生まれ。当時は西独国境に近い街ですが、東独時代の名残が残る街のようです。という訳ではないでしょうが、彼女の演技を見ていると、何か古い保守的なドイツの雰囲気を感じてしまうのですが、これは穿った見方でしょうか。

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プロフィール

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Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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