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「無伴奏」 パッヘルベルのカノンと悲愴

ゴールデンウイークに入っても、相変わらず新作映画が見れない環境は変わらず、とりあえず昨年公開され、見損なった感のある「無伴奏」を見てみました。小池真理子原作の自伝的小説を映画化したとの事。予告編で見た時は大いに惹かれたのですが、どうでしょうか。

あらすじ
1969年。学生運動の渦の中で、仙台の女子高生・響子(成海璃子)は、同級生のとともに制服廃止闘争委員会を結成。両親が仕事の都合で東京に引っ越すことになったが、響子は仙台に留まる。響子はある日初めて訪れたバロック音楽喫茶「無伴奏」で出会った、渉(池松壮亮)、祐之介(斎藤工)、エマ(遠藤新菜)の3人と交友を深めていく。会うたびに渉に惹かれてゆく響子は、時に嫉妬に駆られながらも、熱い想いを注ぐようになる。だが、3人との関係がいつしか複雑に絡み合うようになり、愛憎が増幅されていく…。



冒頭、詩の一節から始めるこの映画、静かで文学的です。そもそも純文学がベースなのでそうなるのですが、ゆっくりした微妙な語り口が全体を支配します。一転、教壇で服を脱ぎ始める成海璃子。初見で先生かと思ってしまいましたよ(笑)。大学生の学生運動の渦に感化されたような形での闘争開始です。しかし、基本この話は学生運動の話ではありませんでした。

友人に連れられて行ったバロック音楽の流れる喫茶「無伴奏」。そこで隣り合わせた3人組。斎藤工と遠藤新菜は恋人同士。しかし、はしゃぐ遠藤新菜に対し、斎藤工には少し影があるようです。成海璃子は、斎藤工の友人である池松壮亮と会うごとに深い関係になっていきます。4人組となって、海に遊びに行くなど関係が深くなっていくうちに、成海璃子は嫉妬の感覚や、関係が深まることへの虞のようなものを感じますが、やがて池松壮亮との肉体関係を持つようになった時、その現場を斎藤工が覗いていました…。

これ以上の展開はネタバレになってしまうので控えておきます。何も予備知識がなくて見たので、後半は、衝撃の展開と感じました。

無伴奏

見終わって、大いなる虚脱感と喪失感といった感覚が残りました。これは、ラストのシーンにうまく嵌ってしまったからということだと思います。この映画、やはり後半になって話が急展開していくので、静かな中で衝撃のラスト的なイメージを残します。一方で、静かな淡々とした語り口で進む中盤までが、微妙な主人公の心を表現しているとは思うのですが、いかにも長いというか、まどろっこしいし、昼メロののようなベタな感じもしてあまり好きになれませんでした。

そもそも成海璃子の演じているのは高校三年生です。どう見ても高校生に見えないのですが…。1969年であれば、ファッションも違って、上品な家庭であれば、こういう落ち着きのあるような教育をされているということかもしれませんが、年が上の女優が落ち着きのある役を演じたから、こうなってしまったのでしょうか。そのあたりがまず終始付きまとう違和感。

この映画の、池松壮亮を見ていると、「海を感じる時」とすごく雰囲気が被ってしまいました。ただ、あちらの市川由衣の方が遥かに高校生らしい気がします。1969年的な雰囲気も、こんなもんかなぁ…という感じが拭えず。

結局、中盤までは見ていて若干苦痛感があり、ラストで救われた(登場人物が救われたのではなく、少なくとも見てよかったと)いう)感じがしました。しかし、これは映画が良かったというより、原作の力ではなかろうか?とも思う次第。

さて、パッヘルベルのカノンって、受験のために東京に出てきたとき、ずっとホテルで流れていた曲として大いに記憶に残っているのです。この映画の主人公と同じ年頃で。ホテルで何泊もしたので。でも、無伴奏ではないですね。無伴奏という名前の喫茶店なら、シャコンヌが欲しかったな。
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「ポランスキーの欲望の館」 退廃的な70年代のイタリア映画

カルロ・ポンティ製作、ロマン・ポランスキー 監督の1972年製作イタリア映画。 この時代の映画って、ちょうど子供の頃と時代が重なるので、好きです。この映画は、日本未公開で、のちにビデオ発売されています。主演はシドニー・ロームですが、大御所のマルチェロ・マストロヤンニが登場しています。原題のChe?は、「何?」という意味になります。

あらすじ
ヒッチハイク中に乗り合わせた車で襲われそうになり、身一つで大別荘に逃げ込んだアメリカ女性のナンシィ(シドニー・ローム)は、そこに住む風変わりな人々に翻弄されることになる。中でも、アレックス(マルチェロ・マストロヤンニ)に弾きつけられ、彼のちょっと壊れた行動に付き合うことになるが、やがて別荘の主人である老人のノブラー氏(ヒュー・グリフィス)が登場、彼も彼女に惹きつけられることになるが…。



なかなか言葉で説明しようにも難しい映画でした。まずは、3人の男の乗る車に乗った、単身で世界各地を旅行しているアメリカ人女性が車内で襲われ、着の身着のまま、といっても日記だけ持って逃げ出します。道路わきの門をくぐりゴンドラに乗って玄関まで行くと獰猛な犬が…。そーっと回り込むと、犬はナンシィの腰にしがみつき性交の姿勢。思わず日記で犬の頭を叩きますが、これが物語のスタートでした。

ナンシィはとりあえず部屋をあてがわれますが、ベッドメイクをしている老女とも会話が嚙み合いません。部屋で全裸でうろうろ歩き回っていると、窓の外に男(マルチェロ・マストロヤンニ)が…。翌日、Tシャツが無くなり、パンタロンだけで別荘の中を歩き回り、テラスの食卓で食事を取ろうとすると、昨夜覘いていた男。彼は神経質なようで、別荘内にいる3人の風変わりな男と諍いをしています。ピンポンの音が神経に触るとかで、足元に転がってきたピンポン玉を踏みつぶしてしまう始末。ナンシィはこの男に惹かれるものを感じたのか、後で部屋に行く約束をしました。

その後、3人の風変わりな男たちとの交流、マストロヤンニとの変態的性交、主人のパジャマの借用と、パンタロンの盗難、他の男とのモーツァルトの連弾、等々細かなエピソードが続き、それらの話は不条理でうまく噛み合わない話ばかり。そして翌日もいくつかのエピソードが、微妙に細部を違えて繰り返されていきました。

食卓で車いすに乗り、看護師を従えているノブラー氏は、ナンシィの若い肉体に興味をいだき、ついにナンシィを部屋に呼ぶことにします。そこでのノブラー氏の要求は??

というエピソードを期にナンシィはこの館からの脱走を決意。例の番犬にパジャマを破られ全裸になった彼女は、来合わせた豚を積んだトラックに飛び乗り、館を後にしたのでした。

ポランスキーの欲望の館

と、まぁ、そういった不条理映画です。見ていて、同時代の映画「最後の晩餐」や、ちょっと違うかもしれませんが、「ソドムの市」なんかを思い出しました。いずれも、満ち足りて有閑な貴族や裕福な人々が、身を亡ぼすような変態的なことを繰り広げる映画。いずれも70年代のイタリア映画です。当時はこういった退廃的なムードが世の中に漂っていたのでしょう。

この映画のラストの、ナンシィとアレックスのやり取り。
A「待て」
N「無理よ」
A「なぜ?」
N「終わりがないわ」
A「何だって?」
N「映画と同じよ私にもわからない」
A「映画のタイトルは?」
N「Che?がタイトルよ。じゃあね」
そして、アレックスは屋敷の中で話していたのと同じようにナンシィを誘う言葉を繰り返しますが、すでにナンシィを乗せたトラックは遠くに去っていきました。
こういう形で、映画撮影のスタイルと被らせて終わる終わり方も、最後に撮影現場が出てくるフェリーニの映画とか、この時代のイタリア映画となんとなく共通したような物を感じました。そして、この不条理な世界の結論は、そこに留まっている限り、満ち足りているが毎日同じことの繰り返しで、終わりが無く日々が過ぎていく。映画の中に入ってしまったかのように。ということでした。

この映画の素直な感想ですが、まず途中でなんとなく退屈になりました。不条理な噛み合わない世界をずっと見せられているので、そう感じてしまったのかもしれません。時々、マストロヤンニの変態プレイというスパイスが入りますが…。それから、画面がとても美しい。少なくとも、一定の期間をそこで過ごしてみたいと思うような、美しい海辺のリゾートにある大別荘で、調度や絵も凝っているし、日が暮れてベートーヴェンの月光が流れるシーンとからとても美しいと思います。音楽も、シューベルトの死と乙女など、ピアノや室内楽の名曲が使われていて、とても豪華です。

この映画は、そういった意味で、趣味がいいのか悪いのか、どちらとも言えませんが、袋小路にハマった高貴な人たちの悲劇をコメディタッチで描いた面白い映画であることは間違いないと思いますし、全裸でうろうろする女性というシーンも結構盛り込まれてサービス精神も満点でした。そして何よりこの時代の退廃的なイタリア映画の雰囲気を久しぶりに味わえたことが、見てよかったという一番の理由です。

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「サスペリア PART2」 サスペリアのヒットで復権したスリラー

「サスペリア PART2」がサスペリアの続編でもなんでもないことは、良く知られていることだと思いますが、当時は続編という雰囲気で見ていたことも事実だと思います。この映画、確かに映画館で見たはずですし、この時期に見たエレベーターを使って首を切断するシーンは何の映画だったか思い出せないでいたのですが、無料動画に出ていた「サスペリア PART2」を見てすべてが解決。すっきりしました。

あらすじ
超心霊学会の会場で、テレパシー能力の持主であるヘルガ(M・メリル)が登場。その時突然ヘルガが、会場にかって人を殺し、また誰かを殺そうとしている人間がいることを告げる。しばらくして、ヘルガがアパートで休んでいるところを殺されるという事件がおき、悲鳴を聞いてかけつけた上階に住む音楽家のマーク(D・ヘミングス)は、不気味な絵画が並んだ廊下の先に遺体を見つけ、通報した。その後容疑者を目撃したマークは女性記者ジャンナ(D・ニコローディ)に付きまとわれるようになった。
当時現場近くに居合わせた、友人のカルロ(G・ラビア)の家を訪れたマークは、そこで元女優の母親(C・カラマーイ)と出逢う。そしてカルロは、深入りは危険だと忠告する。ある夜、不気味な脅迫を耳にしたマークは、心理学者のジョルダーニ(G・マウリ)の家を訪れ、そこで知らされた「近代の幽霊と暗黒伝説」という本の著者を訪ねるが、マークが着いた時はすでに著者は殺されていた。「近代の幽霊と暗黒伝説」に登場する屋敷の写真から、それを探しあてたマークは、塗りこめられた壁の裏側に、不気味な絵が描かれてあるのを発見。マークの疑問はさらに深まっていく。その夜、マークはジャンナ宛の行動を記したメモを残し、再び屋敷に足を踏み入れるが、そこで何者かに襲われ意識を失う。ジャンナの腕の中で意識を取りもどしたマークは、ジャンナと共に、屋敷の奇妙な絵と同じ絵があったという、レオナルド・ダ・ビンチ学校の資料保管室に行く。そこに保管されている生徒の絵の中から、同じ絵を見つけ、その裏には名前があった…。



冒頭のタイトルロールの途中で、クリスマスの最初の殺人現場のシーンが写されますが、これがすべての始まりでした。勿論犯人は映されず、影絵のような形で示されます。その後は、あらすじの様に、話は二転三転していく訳です。それぞれの殺人シーンは、さすがアルジェントと言った形で、猟奇的で非常に凝っています。これら、一連のシーンがこの映画のホラー的な部分を大いに盛り上げてくれます。

それぞれのシーンの映し方もなかなか凝っていて、何かが迫ってくる感じとか、俯瞰した映像によって、いつも何かに見張られている感じとか、見ていてなかなか楽しいし、バーの中の背景の人物が、僅かに動いている物のほとんど微動だにしない様子とか、非日常感が異様な雰囲気を出しています。ミステリー的な展開自体は相当強引とは思いますが、その伏線はきっと画像の中に細かく散りばめられていたのでしょう。正直気づきませんでした。

サスペリア PART2

アルジェントは、監督デビュー以来3作のサスペンスを送り出した後、1作コメディを挟みますが、この映画はその後原点回帰した形になります。雰囲気も「歓びの毒牙」なんかを思い出させるものがあります。そして、「サスペリア」へと続き、サスペンス・スリラーから、超常現象が主体のストーリーに変わっていきます。その間に「ウエスタン」とか。「ゾンビ」とか、この時代のイタリアの名画に参画しているのですから、その多才さは素晴らしいものだと思います。

この映画は、冒頭書いたように、「サスペリア」の大ヒットによって、日本公開されていなかった2年前の作品を、この表題で公開し、これもヒットしたと思います。売り方もなかなかのものですが、やはり立派な映画であったからこそのヒットだったのでしょう。この映画を見たのは、今でも健在の高知市にある「あたご劇場」。ミステリー的あらすじは全く覚えていませんでした。ただただ、エレベーターを使って首を切断するシーンがトラウマのように記憶に残っていたのです。再びこのシーンを見て、やはりこの映画だったのねと、すっきりした次第です。

最近、なぜかGYAOの無料動画にアルジェント作品が毎週出ていますが、これはいい企画。必見です。

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「Love & Friendship」 オースティンのLady Susan の映画化

ハノイとホーチミンを結ぶベトナム航空では、最近最新鋭機種が投入されていて、国際線と同じプログラムでの機内エンターティンメントを見ることができます。しかし、ヘッドホンとかは配られないので、見るならご自由にという感じで、正式に提供されているサービスではないようです。今日は、イアホンを持っていたので、2つの穴の一つに程よい深さで差し込むと、音声を聞くことが出来たので、さっそく鑑賞して見ました。飛行時間は2時間に満たないので、90分物の作品を1本。見終わる頃には着陸態勢に入っていました。

あらすじ
未亡人スーザン・バーノン(ケイト・ベッキンセイル)の評判は、男を手玉にとるといった悪名高いものだった。ある日義妹であるキャサリン・ヴァーノン(エマ・グリーンウェル)家を訪問、滞在することにする。キャサリンはスーザンの滞在を快くは思っておらず、彼女の弟であるレジナルド(Xavier Samuel ) に、スーザンには気を付けろと警告するが、彼は、すぐに彼女の虜になってしまった。
一方で、レディ・スーザンは、娘であるフレデリカ(Morfydd Clark)に、金持ちではあるが愚かなジェームス(トム・ベネット)と、将来の生活のため結婚させようとしていた。フレデリカは、これを恐れて学校から逃げ出しキャサリン家にやってくると、ジェームスもこれを追ってキャサリン家に到着し、スーザン、キャサリン、レジナルド、フレデリカ、ジェームスなどが共に生活する複雑な状況が生まれる。その中で、フレデリカにはレジナルドへの愛情が芽生え、レジナルドはスーザンに惹かれていく。一方、ジェームスはそういったことにはいつも無頓着であった。
レディ・スーザンにはロンドンで落とした愛人である、マンワリンがいた。ロンドンに戻ったスーザンはマンワリンと再び会い始めるが、レジナルドもロンドンに滞在しており、微妙なすれ違いの鉢合わせで、スーザンとマンワリンの関係を知ることになる。そして最終的には、スーザンは、親友でいつも打ち明け話をしているジョンソン夫人(クロエ・セヴィニー)の勧めで自らジェームスと結婚、レジナルドとフレデリカは無事結ばれめでたしめでたしとなりました。



というようなお話でした。「高慢と偏見」など、英国の田舎を舞台とした小説で有名なジェーン・オースティンの書簡体短編小説の忠実な映画化になっています。語り口はどちらかと言えばコメディタッチです。時代設定は、バロック音楽の時代から古典派の初期にかけてということで、その時代の音楽が常に流れています。衣装やセットもなかなか美しい。

しかしですよ。この映画、とっかかりが解りづらく、冒頭それぞれの登場人物が立て続けに名前と役割を紹介されますが、本を読むならまだしも、映画で一瞬見ただけだと覚えられないので、なかなか入り込みづらい雰囲気でスタートしました。この辺りは、いずれ解っては来るのですが…。

この物語のポイントは、レディ・スーザンという人の性格描写でしょう。彼女の言を借りていえば、世間の風評は、皆嫉妬心から出ているのよ。いい迷惑だわ。と、始終表明しています。娘のフレデリカには、結婚は絶対金持ちとするべき。今までお金が無い事でどんなに苦労を強いられてきたか。と言ってジェームスを押し付けますが、フレデリカは一生の問題をそういうことで決めたくないと懇願します。スーザンはそんな些細なことで、という調子で周りの男性をいつも惹きつけています。彼女に太刀打ちできるのは、名うての商人が束になってかからないといけない、というのがもっぱらの評判なのです。すごく嫌なきつい女なのですが、それ以上に魅力的で憎めない女でもあるのでした。

スーザンと、ジョンソン夫人(クロエ・セヴィニー)は親友でいつも意気投合し、打ち明け話をしていますが、その女同士の話の内容は辛辣で結構怖いものです。ジョンソン夫人はスーザンに同調していますが、夫から悪名高いスーザンと縁を切らないとアメリカに連れて帰ると言われています。しかし、二人は会い続けています。スーザンにとってジョンソン夫人は解りあえるいい相談相手。結局、フレデリカが嫌がるなら、自分で結婚して金持ちになればいいじゃないの、というジョンソン夫人の助言を受け入れ、自らジェームスと結婚し、フレデリカは好青年のレジナルドと結婚することになりました。スーザンとジョンソン夫人の組み合わせ、ケイト・ベッキンセイルとクロエ・セヴィニーですが、二人とも魅力的な女優さんなので、ちょっときつめのOL同士が交わしている会話の様ではありますが、それ以上の圧倒的な魅力を醸し出していました。

Love & Friendship

さて、この映画は欧米ではかなりの評判だったようですが、日本では今のところ未公開。けっこう全世界で公開されていますが、日本ではどうでしょうか。コメディですが、ちょっと私には笑いのツボが捕らえづらく、ジェームスの言動とか確かに面白いし、レディ・スーザンの話している内容って、大真面目で結構ずれているところとか、笑うところかもしれませんが、笑うタイミングが解りません。聖書の内容を使ったギャグなんかも織り込まれていますし、牧師さんの引用も、えっ??というようなものがあったりとか、十戒に関することとか…。そのあたりのことは、こちらは笑っていいものかどうかも解らず…。

やはり、ベースにキリスト教の文化があって、英国の田舎や、貴族社会の事情を身近にわかっていて、ジェーン・オースティンの小説やその世界に慣れ親しんでいて、といった条件が一つでもあればいいと思いますが、どれも無い私としては、頭で解るが気持ちとしてなかなか入ってこないという映画でありました。別に日本人を代表するわけではないですが、日本でこれを自然に受け入れるということは、英文学に趣味のある人でなければ、なかなか難しいのではないか?というのが率直な感想です。

映画としては、ブリリアントな俳優と衣装、美しい音楽、節度のある演技など、なかなか見どころは多かったと思います。

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「I Want What I Want」 アン・ヘイウッドの日本未公開作

「ミス・ワイコフ」を見たついでに、YouTube にあったアン・ヘイウッドの作品を見てみました。日本未公開で、DVDも日本では発売されていないと思うので、英語での鑑賞です。完全に理解するまではいかないと思いますが、そこはなんとか…。

あらすじ
ロイは、20過ぎの男性であるが、心は女性であった。実業家の父はビジネスの宴席に同席させたりして、教育を施していたが、ロイは一人になると女性の服や化粧品に手を伸ばしてしまう。そんなある日突然父が帰ってくると、全く女装したロイを発見。二人は口論になり、ロイは一生ウェンディという女性として生きると宣言し、決別する。
ロイは女装や化粧を練習し、遠く離れた下宿に一人で住んで女性としての生活を始め、最初は思う存分新しい生活を楽しんでいたが、周囲にカミングアウトできず、男性からの誘惑や、男性の目を引いてしまうことからくる、女性からの嫉妬に悩むようになった。性転換手術も検討したが、先立つ物がなく、働くには身分証が必要になり、ついに八方ふさがりの状況となってしまった…。



冒頭は、アン・ヘイウッドが男装で街を行くシーンから始まります。勿論違和感はありますが、一見東洋人かと思いました。髪の毛なんかがボリューム感があり、パッと見て普通の男性という感じではないようです。自宅では家族が不在の時はついつい女性の衣装に手が伸びてしまいます。一方で父親は一人前の男に育てようと、ビジネス仲間との会食をセットしたりして教育をしていく。しかし、ますますロイは男性でいることが窮屈でたまらないようです。

ある日、父親が女連れで帰って来た時、ロイは女装をして部屋にいました。この時の父親の罵詈雑言は激しいものでした。挙句の果てには、「かつてドイツ人は、お前のような奴をガス室に送ったんだ」とまで。ヘイトスピーチですね。そして、ロイは一生女性でいると宣言します。ロイは、女性用の服や化粧品を揃え、嬉々として女性の服を着、化粧をしますが、初めての経験でなかなか思うようにいきません。この一連のシーンは、睫毛がなかなかつけられなかったり、ブラジャーのホックがはめられなかったりとコミカルに描かれています。アン・ヘイウッドが女性の服をいかにも愛おしげに着ていく様は、一種のフェチズム的感覚を呼び起こされました。

さて、女となったロイはウェンディと名前を変え、まずは外出から。周囲の目線が悉く気になるなかで、女としての行動や言動をしていかねばなりません。女子用の公衆トイレい入るとか…。このあたりもなかなか面白く描かれています。そして、家から遠く離れた町で下宿して一人暮らしをすることに。

ここで大きな問題が2つ発生します。一つは、ウェンディは、生きていくためには労働をしないといけませんが、身分証が無いと雇ってくれない。(働いている間だけ、男に戻ればいいじゃないとも思いますが、下宿生活ではそうもいかないのでしょう)ウェンディとしての正式な身分証を得るためには、性転換手術をしなければいけない。それにはお金がいる。ということです。そして、もう一つは、アン・ヘイウッドは、元ミス・ブリテンという美人ですから、男の目を引いてしまい、何かと男が近寄ってくる。それを見るまわりの女性から嫉妬を受けてしまうということです。男ですというカミングアウトは出来ないようです。

そして、ついに下宿を出ることを決意しますが、ウェンディに魅力を感じていた下宿の主人に迫られてしまいます。そこで男であることが解ってしまうと、主人はウェンディの股間を蹴り上げ、何か汚い物を見るような目で去っていきます。状況に落胆し、嗚咽する中で、ウェンディは自分の性器をガラスの破片で切断してしまうのでした。

病院の一室で目だ覚めたウェンディ。下宿から運び込まれ、手術が成功したようです。これで、心身ともに女性となったウェンディは自分の新居に戻り、ウェンディと名前の書かれた身分証(パスポート)を見てほほ笑むのでした。

I Want What I Want

この映画のポイントは2つあると思います。一つはやはり当時の性同一性障害に関する理解。やっとタブーが解け、映画の世界でも少し描かれ始めた時期です。この人々への無理解は、父親からの激しい罵倒や、下宿の主人の反応に見られる通り、現在とはかなり異なるもので、異なものを見るような目で見られていました。これは、現在とはかなり状況が違います。今でこそ、「リリーのすべて」とか、「ムーンライト」とか絶賛されていますが、当時としてはタブーから抜け切れていない状況でした。

そんな中で、当時としては際物的に見られかねない数々の映画、「女狐」のレスビアン。「ミスワイコフ」の黒人によるレイプと服従。そして、この映画と、アン・ヘイウッドはかなりタブーに挑戦してきた女優であったようです。1980年代に引退し、現在もアメリカでご健在であるとの事です。

もう一つのポイントは、女性が演じていること。確かに、女性となった後の美しさは、非常に効果的ですが、途中でどうしても違和感があって、頭が混乱してしまいます。逆に、その効果を狙ったのか、あるいは男性が演じられるほど当時は世間の理解がなかったのか?そのあたりの事情はよく分かりませんが、見ていてどうも合わない感じが付きまといました。そんな中で、初めて自分で揃えた服や化粧品で、女装をする場面。この、失敗しながらも嬉々として頑張る姿は、なかなかフェチです。

後半の物語の展開については、私の英語理解力が極めて乏しいため、細かいところがよく聞き取れませんでした。一度妹の家に戻る場面がありますが、そのあたりの会話とか、下宿をでる決意にいたる場面とか、細かい会話が理解できればもっと楽しめそうな気がしました。その中に、いろいろな機微がありそうです。とりあえず、英語で見る映画にもっと慣れて理解できれば、また世界も広がるのではないかと思いました。

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「さよならミス・ワイコフ」 公開当時、背徳の問題作だった

アメリカの1979年の作品。「さよならミス・ワイコフ」です。日本でも早々に公開されて、話題となったようですが、私は記憶にありません。ちょうど、スター・ウォーズとかと同じ世代の映画になります。内容は全然違いますが…。たぶん当時はちょっときわもの的な扱いだったのではと想像するのですが、どうでしょうか?

あらすじ
イブリン・ワイコフ(アン・ヘイウッド)は、実直な高校のラテン語教師だった。ある時から彼女に、時々原因不明の変調が襲うようになり、ニール医師(ロバート・ボーン)の元に診断を受ける。ワイコフは35歳にして処女であったが、すでに更年期障害が発生していると屈辱的な宣告を受け、精神医科シュタイナーの元に通うようになる。そのうちに、バスの運転手に誘惑されたことで、男女関係に積極的になることを学び、ずいぶんと明るく変わってきた。
ある放課後、ワイコフが教室に居残っていると、アルバイトのレイフ(ジョン・ラファイエット)にレイプされてしまう。ワイコフは以後レイフの求めを断り切れなくなり、毎日のように教室での密会が続くこととなった。ある日その密会も皆の知るところとなってしまい、ワイコフは職を追われ町を去ることとなってしまった。



冒頭は、ミス・ワイコフが家に戻ると、玄関に「Miss Wyckoff Fucks Nigger」と書かれているところから。この場面はラストで回帰します。ミス・ワイコフが身体の変調の治療のために訪ねたのは、学生時代の同級生だったナポレオン・ソロならぬニール医師。彼が、アン・ヘイウッドの股間に首を突っ込み、膣鏡を使ってで膣内を検査するシーンは笑ってしまいました。ちなみに、ミス・ワイコフが授業でポンペイ遺跡の説明をしてうっとりしていましたが、ポンペイ遺跡から膣鏡が発掘されていることと関連付けているのでしょうか?

途中、ウィチタのシュタイナー医師の元に通う時の長距離バスの運転手の誘惑で、性愛に目覚めるとか、マルクスを教えていることから共産主義者とされ、退職させられそうになった同僚を救うとかのエピソードがあり、レイフのレイプのくだりへと移行します。この情景の順番は以下の通り。

1回目 レイフはミス・ワイコフの前に立ち、股間を露出する。
2回目 教室に鍵をかけ、レイプによる処女喪失。
3回目 むりやり抱きしめ、ミス・ワイコフは否応なく反応してしまう。
4回目 全裸で、仁王立ちしているレイフのもとに、四つん這いで来させる。
5回目 下宿の大家さんに電話し、無理やり来させる。
6回目 ミス・ワイコフの乳房をスチーム暖房に押し付けバックから犯す。この途中で見つかる。

どんどんエスカレートしていきます。当時、日本でもポルノ映画全盛時代でしたが、まるで奴隷女教師状態です。

そして、発覚後学校や近所のすべての人から白い目で見られ、退職することになり、途中ニール医師のもとに立ち寄り睡眠薬(おそらく自殺用)をもらい家に帰ると冒頭のシーン。部屋に戻れは荷物がまとめられていて、出ていけとの置き手紙。ここで、ミス・ワイコフは切れて睡眠薬を投げつけ自ら街を出ていきました。最後に親友や大家のささやかながらの別れの言葉はありましたが、この時点ではミス・ワイコフは、一切言い訳なしである意味毅然としており、何かふっ切れた爽やかささえ感じさせました。

さよならミス・ワイコフ

全体的には、ポルノ的興味をそそる内容ではありますが、つくりがドラマです。SM的な要素が入っているとは予想していませんでしたので、ちょっと意外でした。もともと潔癖だったミス・ワイコフだっただけに、最後まで全く言い訳をしませんでしたが、そこで世間の目の冷たさを体感し、新天地での希望も持てそうな感じがしました。ある意味、全くの処女だったミス・ワイコフが成長したのかな?と。酷い体験には違いありませんが。しかし、まぁ、教室で求めるままにやるってのはどう見ても駄目ですね。そのあたりは不用意に過ぎるでしょう。バスの運転手とズブズブにハマるのとどっちが良かったのかな?どっちも良かないか…。

さて、アン・ヘイウッドさん、この撮影の時は48歳。映画の中では35歳と言っています。年齢詐称です!といっても、もともとミス・グレートブリテンの女優さんですので、そのくらいはOKでしょう。むしろオールドミス的雰囲気がよく出ています。なかなか雰囲気オある女優さんですので、代表作である「女狐」をぜひ見てみたいと思いました。

日本公開が1979年に思いを馳せると、その年で見た映画と言えば、「復讐するは我にあり」「スーパーマン」とか…。でも、「赫い髪の女」「天使のはらわた 赤い教室」などの方に、近い扱われ方かな??
アマゾンの内容紹介には、

■凄まじいレイプ・シーンの連続! 公開当時、全世界を震撼させた背徳の問題作!


とありますが…。
実際、内容的には、アメリカの地方都市の保守的状況やレッドパージ、人種差別、父母関係の影響によるトラウマなど散りばめられていて、興味本位で見られる以上に、丁寧に作られているなという感じがしました。

【リスト】 ① 裸のエロスを見る作品

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「これが私の肉体」 すれ違い。すれ違い。

ちょっと軽めの映画をと言う事で、「これが私の肉体」を見てみました。2001年のフランス映画。お目当ては、ジェーン・バーキンを見ることと、エロスの表現に期待です。

あらすじ
パリの名門商業校に通うアントワーヌは、大会社を経営する父親の望むまま生きることに疑問を感じていた。そんな折、街で映画出演にスカウトされ、女流映画監督のルイーズの元を訪れる。ルイーズから出演を依頼されるが、なかなか決断できないでいる中で、ルイーズの秘密に惹かれていく。そんな中で、恋人クララとの関係もギクシャクしてしまい…。



冒頭は、クララの舞踏学校の練習風景からスタート、クララは先生の指導の厳しさにイライラして、祖母の誕生日だから今日は会えないというアントワーヌに八つ当たりします。アントワーヌは自宅に帰っての祖母の誕生パーティですが、家族の確執から、全くパーティーにならない状態。父の意のままにい生きていることで、自分の将来に疑問をいだくアントワーヌは、街で声をかけられた映画出演に応じるために事務所を訪れますが、それは学校をやめ没頭しなければいけない仕事でした。

というのが舞台設定で、あとは順次登場人物の心情が入れ替わりすれ違いながら進んでいきます。おおよそは下記の通りです。
・アントワーヌとクララのベッドシーン。若干不完全燃焼。
・ルイーズの家を訪れ、映画に出たいことを告げる。
・主演は、もともとルカというゲイで体を売っていた男性に決まっていた。
・ルカは、ルイーズと過ごしたあと、自殺したことが判明。
・アントワーヌは映画のため、学校もやめるが、親から勘当され、ルイーズの家に同居する。
・ルイーズはルカと過ごした数日が忘れられず、目的の定まらない行動をしている。
・アントワーヌの父が倒れ、クララは彼がルイーズの家にいることを知る。
・アントワーヌはクララを振り切り、関係が破綻に向かう。
・アントワーヌは酔ってクララの家に行くが、最終的な決別を告げられる。
・映画の製作が中止になり、アントワーヌは旅に出るルイーズと行動を共にすることを迫るが断られる。
・ルイーズからホテルに呼び出され、関係と同行を求められるが、ルカを忘れるためという口実のため、断る。
・クララの舞踏リサイタルに行ったアントワーヌは、やり直しを求めるが取り合ってもらえない。

以上、恋人も仕事もすべて失ってしまったアントワーヌでした。最後はタイミングと気持ちの微妙なすれ違いで埋め尽くされていました。

これが私の肉体

ストーリーはまずまず。憂鬱で静かな三角関係(四角関係?)の愛憎劇という感じです。モダンバレエのシーンや、サティの音楽など、結構いい雰囲気を出していました。合格点です。エロスは、それほどではありません。バレエ教室の更衣室で、男女入り乱れて着替えているシーンとか、クララとアントワーヌのベッドシーンが2回ほど?普通の映画の範囲内でした。

クララ役のメラニー・ロランは当時18歳。若い肢体を見せていただけますが、それよりも普通にかわいいので、なかなか良かったです。 ジェーン・バーキンを見つつ、シャルロット・ゲンズブールの面影を追ってしまいました。この映画の当時、ジェーンは55歳。今のシャルロットは46歳、確かに面影があります。血は争えないですね。

エンドロールで、街の灯やヘッダライトがフィルターでカラフルな水玉模様になってうつされます。随分と古典的ではありますが、まったりと憂鬱な恋愛ドラマを見た後では、雰囲気が見事にはまって、古い喫茶店で静かにボーっとしているような雰囲気で、けだるい倦怠感が味わえました。

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「見知らぬ医師」 前半は良かったのに…

この映画は、アルゼンチンで、2013年に数々の賞を受賞した作品です。カンヌ映画祭では、ある視点部門ノミネートとなっています。日本では、ラテンビート映画祭で上映され、一般公開は有りませんでした。この映画は、いろいろな映画祭に出品されているようですが、受賞はアルゼンチンに固まっているような感じがします。はて?

あらすじ
1960年。パタゴニアにひとりのドイツ人医師が訪れ、目にとめた未発達の少女リリスに興味を持ち、その家族のロッジに逗留する。その医師は、潜伏逃亡中のアウシュビッツの医師メンゲレ。彼は自分の興味を実現するため、巧みに家族に取り入っていく…。



メンゲレは偽名で潜伏中のパタゴニアで、発育不良の少女リリスに目を留めます。そしてその家族に近づき、家族が経営するロッジの長期滞在の客となります。このあたりの話の進み方は、いかにもストーカーっぽくて、うさん臭さがプンプンします。やがて彼は、発育を促進させる処方を母親とリリスに持ち掛けます。母もリリスも学校で小さいということでいじめにあっている状況で、すんなりと受け入れてしまいました。

また、母も双子を懐妊したことから、アウシュビッツ時代に双子を人体実験の道具にしてきたメンゲレの目を引き、母親にも投薬を始めます。メンゲレはその様子をデータ化し、克明に記録していました。

一方で、潜入しているモサドのノラは、メンゲレ発見の報告をしますが、モサドはアイヒマン確保を優先し、今は動かないという伝達を送ってきます。父の人形職人であるエンゾは、メンゲレを胡散臭げに思いながらも、メンゲレの支援を受けてきましたが、母子に副作用が出始めてメンゲレの行動を知り、彼を遠ざけようとします。そこで、アイヒマン逮捕のニュースが入ると同時に、双子の出産。しかし、赤ちゃんの様子が思わしくなく、メンゲレは実験体を手放したくないのか、医師として応急治療にあたりつつ、逃亡を準備しました。そしてモサドが踏み込んで来ると入れ替わりに、再び逃亡するところで映画は終わります。

見知らぬ医師

メンゲレがアウシュビッツで行ったことは、彼の名をここに書くことすらおぞましく思えるようなことですが、その迫りくる恐怖を静かに表現していて、このあたりは非常によく出来ていると思いました。ストーカー的に登場してくるところも、なかなかのもの。執拗に近づき、入り込んできます。そして、いかにも善人のように家族を助け、人形の量産の出資までする。手の込んだことをやってきます。そして、実験体である家族の、投薬後の様子を克明にデータと挿絵で記録している。ぞっとするような解剖図です。

一方で、最後まで見て違和感を覚えました。後日談の部。メンゲレが逃亡を続け、ブラジルで溺死した。これは事実だからいいのです。逃亡中も実験を続けていた。まぁ、これはよく知りませんが、多少なりとも事実かもしれません。その翌日モサドのノラが殺された。これは要らないでしょう。これで一気に話の焦点がずれてしまいます。

映画の中でも度々伺えますが、メンゲレの周りには彼を幇助する集団がいて、組織だった活動をしているようです。この一言によって、そちらの方がクローズアップされてしまい、話の焦点がナチス残党対イスラエルのスパイ集団の闘いにもっていかれてしまいます。せっかく積み上げてきた、メンゲレの恐怖が台無しです。そちらを描きたいのなら、メンゲレの一時の滞在を切り取ったようなストーリーでは無理があると思いますし、そこに至る伏線も不十分です。

そうしてみれば、実話に基づくと言いながらも、実話を利用した焦点の定まらないフィクションに思えてしまいました。目の前を飛行艇で華々しく脱出して、翌日スパイが死体で発見されたって、別に007を見ている訳じゃないのですから。いつの間にか消えていて、ノートが残されていたでいいと思います。今まで見せてきたストーリーは何だったのという印象が残ってしまいました。結局この映画は何だったのだろうという印象で終わってしまいました。

「最後の愛人」 美しい風景・衣装・男女

これも無料動画から。「最後の愛人」は、アーシア・アルジェント主演、2007年カンヌ映画祭コンペティション部門出品という肩書があります。この2つが揃えば、見ないわけにはいけないでしょう。といっても、すごくいい映画と期待するわけではありません。ほとんど趣味の世界です。

あらすじ
19世紀のパリ。公爵夫人の孫娘エルマンガルドの縁談話が持ち上がった。相手は世にも美しい貴族の青年リノ。彼は容姿はもちろんのこと、家柄も立派で教養もあったが、ある秘密を抱えていた。それは10年もの間、娼婦ベリーニと愛人関係にあることだった。リノは公爵夫人にすべてを告白し、愛人と別れ、エルマンガルドと結婚するが、やがて彼らの関係は欲望渦巻く三角関係へと発展していく。



馬車の中で、エルマンガルドとリノの結婚の噂話。公爵夫人はリノを気に入って孫娘の結婚相手にするというが、リノはずっと付き合っている愛人の高級娼婦がいる。この結婚はエルマンガルドが不幸なことになる。やめさせるべきだと…。当のリノは、愛人のベリーニとの別れ話に向かい、無事話はまとまりますが、彼ら二人には壮絶な過去がありました。公爵夫人も友人に言われて心配になり、リノを呼び、ベリーニとの関係について問いただすと、今までのいきさつを滔々と打ち明けるのでした。

リノがベリーニに会ったのは10年前、不用意に口を滑らせたことから、リノはベリーニに反感を買いますが、その様なベリーニに一目ぼれし、執拗にベリーニにアタックします。ベリーニは、情熱的で悪魔的ともいえる元高級娼婦の女性で、当時はイギリスの老貴族の妻であったベリーニを、自ら深い傷を負いながら決闘によって夫を倒し、ついにベリーニをものにします。2人は子供を設け、アルジェリアで暮らすようになりますが、子供を事故で失い悲嘆に暮れてパリに戻りました。それ以降もずっと愛人関係が続いているのでした。

リノは、公爵夫人に、ベリーニはきっぱりと別れてきた。今はエルマンガルドを心から愛していると告げ、公爵夫人も信用し、結婚式は無事執り行われます。そして、夫婦はパリを離れ、海辺の小さな城で幸せな新婚生活を営むことになり、エルマンガルドは妊娠して幸せの絶頂にいました。ところが、そこにベリーニが現れ、再会してしまうと、火が付いたように二人の関係が復活してしまいます。夜家をあける夫を尾行したエルマンガルドは、二人の現場を目撃し、流産してしまい、夫婦には深い溝ができてしまいました。

そして、再び冒頭と同じ馬車の中での会話の風景。リノは今では再びベリーニの元に通っていると…。

最後の愛人

ストーリーは、普通の愛憎渦巻く三角関係のお話で、取り立ててどうということは無いのですが、この映画は衣装や、建物や風景が大変美しいのです。そしてそれが引き立つような出演者たち。エルマンガルドを演じた、ロキサーヌ・メスキダなんかは、清純派のほれぼれするような美しさ。そして、リノを演じたFu'ad Aït Aattouは、イケメン俳優ですが、ちょっと病的でエキゾチックな感じも備えています。

そんな中でのアーシア・アルジェント。もともときつめのタイプの顔ではありますが、この役はなかなかハマっています。スペインの例えばカルメンのようなイメージで、高級娼婦かつ男を手玉に取るような悪魔的な女、それで情熱的で火が付いたら止まらないような燃えるような女。それが、19世紀のきらびやかな衣装と、髪飾りで、妖艶に作り上げられています。御見それしましたという感じでした。

監督や脚本もこなすアーシアですが、ますます登りつめて欲しいと思います。アーシアの名前も日本が由来なので、応援していますよ。


「レバノン」 技巧をこらしたアイロニカルな反戦映画

無料動画にあった、「レバノン」は、2009年のヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞受賞作です。やはり、3大映画祭の作品賞は一度は見ておきたいということで、早速視聴しました。

1982年6月、イスラエルによるレバノン侵攻により、レバノン戦争が勃発。イスラエル軍の4人の戦車兵が、前線に配置される。指揮官アシ(イタイ・ティラン)、反抗的なヘルツル(オシュリ・コーエン)、気弱な砲撃手シムリック(ヨアヴ・ドナット)、臆病な操縦士イーガル(ミハエル・モショノフ)の4人は、戦車のスコープ越しに、まるで悪夢のような光景を目の当たりにする。そんななか、彼らの乗った戦車が、対戦車弾の直撃を受け、敵中で孤立。身に危機が迫った彼らは、発狂しそうな恐怖を感じながらも、この状況から脱出しようと試みる。



この映画は、ほとんどすべての場面が戦車の中で撮影されていることで知られています。外の世界の映像は、ほとんどが戦車の中からのスコープ映像のみという徹底した演出です。主要な登場する人物は、戦車に乗り組む4人に、部隊長と戦車を狙撃したが捕虜となったシリア兵。援軍として登場するファランヘ党の兵士。くらいでしょうか。

歩兵が空爆後の町を制圧する作戦に、一台だけ援護の為に随行した戦車。しかし、内情は素人集団でした、砲撃手は実戦が初めてで、援護の必要な時に、手が震えて引き金も引けず、逡巡してやっと引けた時には、相手が民間人だったという始末。そして、指揮官の指示には徹底して反抗し、なぜやらなければいけないのか?といつも問い詰めるヘルツル。などなど、素人集団が迷走している状況です。

市街戦で、敵が立てこもる部屋に砲撃し、5歳の子供を殺してしまい、半狂乱になった母親が雨あられと砲撃が続く中、戦車に詰め寄る。なかなか生々しいシーンです。撃った方も素人みたいなものですから、余計救われません。そして、これらはすべて戦車のスコープの中から撮影されています。

やがて狙撃されてしまい、不調な戦車に入ってくる情報はいずれ錯綜し、敵の制圧しているエリアに侵入、ファランヘ党の兵士の先導で脱出を試みますが結局はぐれてしまい、夜の砲撃の絶えない街を迷走することになりますが…

レバノン

まずは、指揮命令系統が失われている4人の素人集団のような空間が、見ていてやるせない。戦争のバカバカしさを大いに感じさせます。戦車の中が異常に汚い。本当にこんなに汚いものなんでしょうか。足元には水がたまり、トイレは容器ですまし、環境は相当にひどいものです。油臭いにおいや、腐ったようなにおいが充満していることでしょう。それだけに、ラストの落差が大きく、また更に、大きな虚無感を与えてくれます。ある種のカタルシスでしょうか?

全体的には、素人が投入されている目的意識のない虚しさや、日常生活を一気に闇に陥れる戦争の悲劇の大きさや、死に直面した状況での切迫感や、全体が全く把握できない焦燥感や、これらを執拗に描きながら最後に解放して見せるという構成です。

反戦映画であることは間違いないのですが、直接的なメッセージ性は感じられず、特殊な環境設定と、素人4人の掛け合いが主になって話が進み、そして、やはり最後の光景のイメージが強くて、あまりにも、うまくまとまってしまった、あるいはオチてしまったという感じになりました。そういう意味で、トラックが撃たれて鶏が歩き回って見たり、母親の服が脱げてしまったり、変なオチがいろいろなところについて回るので、ブラックコメディ的であるとも言えます。そういう意味では、一流の大真面目な皮肉です。

もう一つ、印象に残ったのは、途中の旅行会社の廃墟で、旅行会社の壁にかかっているであろう、パリやロンドンなどの写真が、戦車のスコープ越に映される。狭い視野でみると、それでもパリやロンドンにいるような錯覚を感じる。なかなか面白い場面でした。

結局、大作感があるとか、感動を呼び起こすとか、何か強く訴えかけるとかが今一つかな?と思いました。いろいろな要素を詰め込みすぎて、技巧先行かつ打ち消しあっているような気もしたりして…。という訳で、金獅子賞かいな?と思わなくもないですが、なかなか面白い映画と思いました。
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