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「ムーンライト」 月光に映えブルーに輝く

普段、新作映画を見られる環境にない私は、ちょっと新作映画に飢えています。そんな中で、久しぶりに飛行機に乗った私は、夜行便かつ明日は朝から仕事という厳しい状況にもかかわらず、さっそくメニューをまさぐっていました。有りました有りました。「ムーンライト」や「ラ・ラ・ランド」。ここは、ムーンライトと決め、寝静まった機内で映画に集中したのでした。

あらすじ
1.リトル(小学生時代)。シャロンは、学校で苛められている内気な少年。ある日、麻薬ディーラーのフアンに助けられ、フアンの恋人テレサとともに、シャロンを気にかけるようになる。やがてシャロンもフアンを父親のように感じ始め、フアンと男友達のケヴィンだけが心を許せる友達となった。しかし、麻薬に手を染め、乱れた生活を送っているている母親のポーラに麻薬を売っているのもフアンの組織だった。
2.シャロン(高校生時代)。シャロンは高校でも相変わらず苛められていた。母親はますます麻薬に溺れる日々。ある日、同級生の言葉にショックを受け、一人夜の浜辺に向かったところ、ケヴィンが現れる。月明かりが輝く夜、シャロンはケヴィンに身を任せ、ケヴィンはシャロンを愛撫する。しかし翌日、学校で起きた事件によって、シャロンはついに切れてしまう。
3.ブラック(成人)。シャロンは、体を鍛え上げ、麻薬の売人として仕切っていた。ある夜、突然ケヴィンから電話がかかる。昔のことは忘れたつもりのシャロンだったが、翌日ケヴィンのもとを訪れる…。



この映画は、あらすじの通り3つのパートに分かれています。3つを通じて現れるのは、まず、シャロンとケヴィン。それぞれ3人の役者さんが演じています。そして、ポーラ。これは、ナオミ・ハリス1人で演じられます。他の主要登場人物は、フアン(1のみ)とテレサ(1・2)でした。

シャロンは、いじめられている寡黙な少年。ケヴィンと親友ですが、その事件を機に性格も体格も変えてしまいます。しかし、心のどこかで、昔のシャロンを持ち続けています。
ケヴィンは、そつのない男で、内気なシャロンを励ましていますが、その事件ではうまく立ち回れませんでした。
母親のポーラは、母としてシャロンを愛してはいるようですが、ちゃんと育てることができず、シャロンにつらくあたり、乱れた生活を続けています。最後のパートで、母親らしい姿を見せ、シャロンに許しを求めます。
そして、フアンとテレサ。この映画の冒頭はフアンで始まります。このフアンのイメージがこの映画を作っていきます。悪い商売に手を染めているが、そもそもが人情家である。そのようなどうしようもない矛盾が、この映画を支配します。わずか、1/3の部分の出演ですが、アカデミー助演男優賞です。それだけ、物語に与える影響が大きい役割だったということでしょう。

ムーンライト

この映画の登場人物は、ほぼすべてが、アフリカ系アメリカ人です。最後のケヴィンの店にそうでない客が少しいたような気がする程度。これは、日本で公開された映画では、非常に珍しいのではないかと思いました。だいたい、アメリカ映画でアフリカ系の人たちは、白人と色々な意味で対比されてしまうような形で出ている形が多いのですが、純粋に、アフリカ系アメリカ人だけのドラマのみを題材とした映画。最初は見ていて少し戸惑いました。でも、それはごく自然のことかもしれません。

そして、フアンの言葉。キューバ時代にフアンは「ブルー」と呼ばれた。その褐色の肌が、月光に映えるときに、ブルーに輝くように見える。シャロンも夜の浜辺でブルーに輝きます。それが、この映画の美の象徴であり、一つのアイデンティティーを形作っているように思えます。厳しい現状を受け入れ、克服しながら形成されていった正しい心と躍動の発現が、月光の下のブルーだった。そんな風にとらえられるのではと思いました。

演技は、どれもこれも素晴らしい、心情がにじみ出るような演技です。3つのパートに一貫して出演していた、ナオミ・ハリスさんは、特に圧巻でした。残念ながら賞は逃しましたが、助演女優賞にノミネートされていました。

今年のアカデミー賞。作品賞を読み間違えたのはご愛嬌としても、昨年はすべて白人が独占した反動とか、トランプ大統領就任とのバランスとか、いろいろ考えてはいましたが、これは、見て納得の素晴らしい1本でした。


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「リトル・マエストラ」 有村架純でご当地映画

GAYO!無料動画にあった、「リトル・マエストラ」。有村架純ファンとして、未見であるのは許せないので、しっかりと見させていただきました。まだ、初期のころの作品だと思いますが、今とあまり変わりませんね。というか、そんなに年がたっている訳ではないか…。

あらすじ
過疎化が進む志賀町福浦には、アマチュアの福浦漁火オーケストラがあり、得意曲はエルガーの「威風堂々」である。老指揮者・吉川が、突然他界し、オケはコンクールを前に解散の危機に陥るが、コンミスのみどり(釈由美子)は、天才少女と言われる美咲(有村架純)を迎えに行く。美咲は派手な茶髪の少女で想像とは大違い。しかし、町につくと普通の女子高生に変身し、そつなく指揮をこなし始めた。そんな中で、事務所に入った電話から、楽器の出来ない美咲は高校のブラスバンド部の指揮をしていて、天才少女という触れ込みが嘘だと知れてしまうと、オケのメンバーの欠点を次々に指摘し、こんなところに本当の音楽なんかない!と啖呵を切って去ってしまう。美咲は、厳しい叱咤のせいでブラスバンド部員から反感をかい、ここに逃げ出してきたのだ。一方、オケのメンバーたちも家族や仕事の問題を抱え、本当に解散の危機に陥ってしまった。…。



といった話で、その後どうなるかと言うと、まぁ、ありがちな話なので書くまでもないと思うのですが、大筋は、実は、美咲は音楽家としての才能に非常に恵まれていたが、それだけに音楽的理想が高いあまり、もう一つの大事なことが解っていなかった。それをこの漁村での交流の中で知り、一回り大きくなった音楽家としてあるいは人間として成長する。というお話です。

並行して、バスケットの話がもう一つありますが、このエピソードはおまけで、本筋は有っても無くても変わらないでしょう。ある意味、うまく収まることは最初からわかっていて、安心してストーリーを楽しむ話であります。

それで、感想としては良かったです。有村架純が出ている訳ですから…。

リトル・マエストラ

これは、ご当地映画で、ご当地映画と言うと、当たり障りのない、ちょっと滑った人情劇になってしまって、見た感じは今一つのものが多く、がっかりすることが多いのですが、この映画はまぁ、普通に面白くできていると思います。蟹江敬三、釈由美子、筒井真理子といった俳優陣にも支えられて、なかなか楽しめました。

一本締めをして、ハイそれがアインザッツです。なんて笑っちゃいますが、なぜそこで一本締めをするんだいと突っ込みたくなります。井上道義が冒頭普通に出てきたと思ったら、かつらを被った役もやっていて、観客席におりて次のスターを紹介する。普通そういうのは舞台の上にあげて紹介するだろうと、突っ込みたくなったり。

とか、まぁ。JKの制服を着た、有村架純が可愛いからいいんですよ!

で、ご当地映画の、ご当地は石川県ですが、売りは、もちろん漁港の風情もあるのですが、やはり、「オーケストラアンサンブル金沢」なんですかね…

「悪い女」 性依存者のいる日常

「悪い女」原題は「The Slut」(痴女)。何やらいわくありげなタイトルが興味をそそります。監督・主演をつとめるハガル・ベン=アシャーの初の劇場向け長編映画。2011年エルサレム映画祭初回作品賞、カンヌ国際映画祭批評家週間出品と、何かのインパクトが期待できます。

あらすじ
タマールは、田舎に住む美しい女性で、女手ひとつで、2人の娘を育てているが、自分の欲求を抑えきれずに、複数の村の男性と関係を持っている。一方、シャイは、財産を整理するために村に帰ってくるが、タマールをひと目見て恋仲になり、結婚するが、周囲にも不穏な空気が漂い始める。



冒頭は、馬が車にはねられるシーンで始まり、不穏なムードが漂います。そして、タマールと村の男の屋外での絡みのあと、あどけない2人の娘の母との戯れ。崩れた雰囲気のタマールですが、母の役目はしっかりとしているようです。

そこに現れたシャイは、獣医でしょうか。時折村の男を誘い、みだらな行動を続けるタマールを知ってか知らずか恋に落ち、タマールも結婚を承諾しました。その後も隙を見て村の男がやってきますが、拒み続けているようです。やがて、タマールは妊娠。貞淑な生活をしていますが、一方で禁断症状が出て気もそぞろ。卵の生産に携わっていますが、2度ほど卵を故意に割ってしまう場面があり、情緒不安定になっています。それを見つめる、今まで彼女を楽しんでいた男たちの目も不穏な様子でした。

ある日、タマールはシャイに子供を堕ろしてしまったと告げます。シャイはがっかりした表情を見せますが、怒るでもなく複雑な心境になっているようです。そしてタマールは堰を切ったように、再び村の男たちを誘うようになります。それを目撃したタマールは、怒りに任せつつ家に帰り、子供を寝かせつけると、そのうちの一人を自分のベッドに運んで、自分も服を脱ぎ…(さすがに映像ではこの先は映りません)

それを窓からみたタマールは、村の男の家に駆けこみます。(何をしていたかは写されません)翌日シャイは村人にボコボコにされ、それを愛おしく介抱するタマールの姿があるのでした…。

悪い女

この映画は、セリフが極端に少なく、ほぼ静かに動作と表情で語られる部分が多いので、なかなか読み取りづらいところもあるので、筋を追って文字にしてみると、どう考えても乱れた関係で、究極の背徳行為をひたすら描いた様にも見えます。そいう面では、静かな思わせぶりな映画のフリをして、ただただ下衆な映画のように見えなくもありません。

一方で、静かな緊張感も男たちの間に漂います。みんなで共有していたタマールが独占されてしまった状況での、言葉に出さないが異様なぎらつき。そして、依存症のため耐えきれず中絶までしてしまい、我が子が夫にいたずらさせられているのを見て、自分も他の男のところに走る?そこでそのことを言ったか言わなかったか解りませんが、翌日みんなに無言でボコボコにされ、それを介抱する。

一つは、共有物であった彼女を取られた男たちの静かな葛藤と爆発を描いたようにも見えますが、それだけですか?という気もします。そして、タマールは性依存症。普通のセックスだけでなく、口でいかせてみたり、手だけでいかせてみたり。セックスはせずとも、何らかの性的行為に関する依存症ということのようです。重度であれば、本人あるいは周囲に問題が起こることもあるので、精神疾患として、社会の中で保護され、治癒に向けて支援すべきところですが、田舎の閉ざされた世界では、ただ男たちに利用されるだけ。そんなタマールが、娘にいたずらされても、最後にシャイを介抱するシーンは、男たちの身勝手さを蔑む以上に、一方ならぬ強烈な愛おしさと侘しさを感じさせられる。そういう部分もあります。

結局、この映画は、あまりにも起こっていることを淡々と流しているので、どの点に力点が置かれているというものがない気がします。あるとすればラストシーンでちょっと言いたいことを表現した感じでしょうか?全体的に、どう感じるかは見るもの次第。田舎の閉ざされた世界の中で性依存症の人がいる日常と、必然を捕らえた佳作といえるのではと思いました。

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「マフィアは夏にしか殺らない」 イタリア現代史の勉強になる映画

いつものごとく、GAYO!無料動画で面白そうなものを鑑賞。今日は、イタリア映画の「マフィアは夏にしか殺らない」を見てみました。配信終了ギリギリだったので、今日しか見る機会が無いと…。日本では、2014年のイタリア映画祭で上映されたようですが、その後の劇場一般公開は無いようです。シチリアの州都パレルモにおける、マフィア掃討の戦いのをベースに、同時代を生きた少年の目から見たパレルモの様子を描いた映画とのことでした。

1970年代のシチリア島パレルモ。人々は日常化するマフィアの犯罪を見て見ぬふりをしていた。風変わりな少年アルトゥーロは同級生のフローラに恋しているが、告白できないまま、フローラはスイスへ引っ越してしまう。やがて青年になったアルトゥーロは、代議士リーマの秘書としてパレルモに戻ったフローラと再会する。



冒頭は、アルトゥーロの風変わりな誕生から。父母が結婚した初夜、同じアパートで起こったマフィアの抗争銃撃事件の騒乱に、驚いた精子たちの中で、鈍感で何も感じなかった精子が卵子に到達し、アルトゥーロに成長したというシーンからスタートです。そして、アルトゥーロの成長とパレルモのマフィアに関する事件が節目節目で交錯しながら、物語は進んでいくことになります。

まずは、銀行家の娘であるフローラの転入に一目ぼれし、どう告白していいか迷っているところに、たまたまテレビで見たアンドレオッティのインタビュー映像。そこでアンドレオッティは恋のなれそめを語り、それを聞いたアルトゥーロは彼の大ファンになりました。以後、アンドレオッティの記事を見つけると切り抜いてスクラップブックに張り付けることになります。アンドレオッティはイタリアに20世紀後半に君臨した政治家で、首相を何度も歴任、マフィアとの繋がりが公然のごとくささやかれながら、疑惑を悉く握りつぶし、裁判でも無罪を勝ち取り、最後まで議員を全うした大物でした。

そして、パレルモの菓子のおいしさを刑事から教わり、その菓子を毎日フローラの元に持ち届けることにしましたが、その刑事が暗殺され、作文コンクールのために強行取材した、マフィアと対決する為にやってきた将軍は、晴れて作文コンクール優勝お披露目の日に暗殺。意中のフローラ一家は、物騒な町から退避すべくスイスへ移住することになりました。

移住の前日、フローラはアルトゥーロが好きだったことを示し、有頂天の彼はフローラに引越しの当日、行かないでと伝えようとしますが、フローラの家の前で、マフィアを追及していたキンニーチ判事が暗殺され、結局何も告げることが出来ずじまいとなりました。

マフィアは夏にしか殺らない

月日が流れ、成人したアルトゥーロは、地元の放送局の仕事をしていましたが、そこでリーマ議員の秘書をしているフローラと再会、フローラにリーマ議員の独占取材を任されます。しかし、仕事に真剣に取り組んでいるフローラに対して勘違いしたアルトゥーロは、フローラに絶交されてしまいました。そしてその直後、あろうことかリーマ議員が暗殺され、フローラは途方に暮れてしまいました。

そして、ついに有名なファルコーネ判事とボルセリーノ判事の暗殺が発生。派手な暗殺騒ぎに国民のマフィアに対する反感が一気に高まり、デモに至りますが、そのデモの途中でアルトゥーロとフローラは再会。お互いを認め結ばれるのでした。

結婚して子供をもうけた二人は、子供を連れて平穏に戻ったパレルモに残される、マフィア抗争関係の故地をめぐり、町の歴史と素晴らしさを改めて噛みしめるのでした。

ということで、パレルモのマフィア抗争の主要な事件をすべてアルトゥーロの成長に絡ませ、パレルモの近代史を語らせた格好の映画で、それをまたコメディタッチで描いています。かつては存在を雲のようなものとして公然とは認識していなかった市民でしたが、マフィア間の抗争、マフィアの悪を暴こうとする判事との抗争、深くつながっている政界のスキャンダルを経て、ついに市民の反感を買い沈静化にいたる歴史。それがまた、生活と密着した感じで、今や妙に懐かしげに語られる。それらすべてが、パレルモとシチリアの歴史であるという感覚が表されていると思います。

それを遠い国から見ている我々としては、この映画を見て勉強になりました!というところでしょうか。良くも悪くも現代史の一コマがここに描かれています。

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「みじかくも美しく燃え」  美しすぎる不倫物語に懐かしさを感じ…

「みじかくも美しく燃え」 。題名だけは、よく知っている映画ですが、今日の今日まで見たことがありませんでした。それでは問題もあろうかと、GAYO!の無料動画に出ていたので、この機会に見てみました。昔はあまりこういう映画に興味が無かったのですが、年を取るとノスタルジアもあって、見てみたくなるものですねぇ。1967年スウェーデン映画です。

夏の終わり、森の中に一組の男女の姿があった。男は陸軍中尉スパーレ(T・ベルグレン)という妻子ある美男の貴族、女はエルビラ・マディガン(P・デゲルマルク)というサーカスの綱わたりのスターである。二人は身分の差を超えて愛しあっていた。そして、愛を守るべく、逃避行をしてきたのだ。森の近くの宿屋に落ちついた二人は、幸福の時を過ごしていたが、やがて二人の身分がばれてしまい、逃げ出すはめになる。さらに、次の湖畔の村で、平和な日を送っていると、男の友人が現われ、残された妻子の悲しみを語り、エルビラの行為を責める。二人はさらに逃走の旅を続け、いよいよお金に困り、食べることもできなくなる。脱走兵の男は仕事を探すすべもなく、いよいよ追いつめられてしまう。そしてある日、覚悟の二人は最後の食事を携えて森の中へ消え、二発の銃声が轟き渡るのだった。



あらすじは、まさに身分差のある不倫の逃避行。ストーリーについて言えば、それ以上の何物でもありません。他に登場する人たちも、それほど大きな印象を残すわけではなく、淡々と二人の純愛が続きます。細かいエピソードもありますが、話の基調にほとんど影響してこず、あくまで二人の愛の物語となっているのです。若干の諍いも少し発生しますが、すぐに愛が解決してしまいます。見ている方としては、安心感この上ない映画でした。勿論最後の破局はある訳ですが、そこだけはまぁ、知っていましたので…。

映像がとても美しいのですよね。主演のピア・デゲルマルクも相当な美人タイプですし、映画の美しさだけなら言う事なしです。そうなんです、最後まで淡々とひたすら美しいという映画なのでした。食べるのに、困って、野山の木の実や、地面に生えているクローバーの葉を這いつくばってむさぼり、ゲロまでしてしまうのですが、それでも美しい。男の方も、2段階で髭をそり、最後にはイケメンの全貌が現れてきますし、不倫を修羅場なしで徹底的に純愛物語に仕立てた映画なのでした。

みじかくも美しく燃え

主演のデゲルマルクさんは、この映画でカンヌの主演女優賞を受賞、この後3本映画に出演し、貴族と結婚して引退。しかし、2年で離婚。その後は色々な波乱の人生を歩み、逮捕までされてしまいました。2006年に自伝を出版、現在もご存命ではないでしょうか。その絶頂期のこの映画は、まさに彼女の美しく燃えている時代であったのですね。

原題は、Elvira Madiganで、さすがにこの原題では、日本人は何のことか解らないでしょうから、こういう題名になったのでしょう。実在の日本であまり知られていない人物の原題がつけられていて、日本で題名を変えられるパターンは、「俺たちに明日はない」とか、「明日に向って撃て!」と一緒ですね。いずれも同時代の映画。アメリカン・ニューシネマの時代、銃声で終わるところも似ています。

自分にとって、この映画の題名は、クラシックのレコードのライナーノーツで印象付けられていると思います。当時(今でもそうかもしれませんが)、モーツァルトのこの曲のライナーノーツには決まってこの映画に使われたということが書かれていました。同じような例でよく見かけたのは、マーラーのレコードに「ベニスに死す」も良く出てきました。バルトークの弦チェレに「シャイニング」というのは見たことがありません(笑)。

Wikipediaには、ゲザ・アンダの演奏が使われたと書かれていて、ドイツグラモフォンのゲザ・アンダ演奏のCDジャケットはこの映画になっています。といっても、映画の中ではオーケストラのほぼ同じ部分が繰り返し使用され、ピアノの部分はほとんど出てこないような気が…。まぁ、弾き振りなので、ゲザ・アンダ演奏といってもあながち間違いの無い事かもしれませんが。

なんか、思い出話みたいになってしまいましたが、昔の映画を見て昔を振り返ってみるのも、なかなかいいもんです。いっぱい見ていない映画があるので…。

「ウォント・バック・ダウン ママたちの学校戦争」 変化に向って踏み出すことの重要性

GAYO!無料動画のリストを見ていると、見つけました。マギー・ギレンホール!決して美人とは思いませんが(失礼!)昔、「セクレタリー」を見て気になる女優さんの仲間入り。今回は、ヴィオラ・ディヴィスとの共演というのも興味津々です。おまけに、ホリー・ハンターも出ているとなると、これは必見です。

あらすじ
昼は中古車ディーラーで事務員をし、夜は酒場でバーテンダーをしているシングルマザーのジェイミーは、公立小学校に通う娘がやる気のない教師たちから満足な教育を受けていないと不満を抱く。同じ小学校に子どもを通わせている同校の教師ノーナも同じ不満を抱き、2人を中心とする親たちのグループは小学校に対し、教育現場の改善を求める。だが校長ら小学校の上層部や教員組合から猛烈な抵抗に遭い……。


冒頭は、シングルマザー、ジェイミーの朝の忙しい光景から。マギーらしいバタバタ感が楽しく撮られています。学校では一人娘のマリアは、識字障害もあり落ちこぼれ、教師もロクな指導をせず、友達からもいじめられている様子です。けなげなに頑張る娘の将来を守るために立ち上がるジェイミー。一方、この学校の教師であるノーナ(ヴィオラ・ディヴィス)は、かつては理想をもって教育に取り組んでいましたが、今や夫婦関係はうまくいかず、子供も落ちこぼれてしまい、困惑の中で教師を務めていました。2人は有名な私学の転入抽選会で会いお互いの目的を確認、現状の学校を変えるべく立ち上がりました。

そして、子供たちの親の署名集め、教員のシンパの囲い込み、集会、を重ね、全く動かないお役所と交渉、学校改革のための膨大な改革案を作成し、教育委員会の審問会の開催に向けて活動を開始しました。生活の維持に汲々とする教師たちを束ね、教員組合の痛がらせや抵抗を乗り越え、目標に向けて進んでいきます。そして最後には、嫌がらせも露骨になり、ノーナは解雇されるまで至りましが、すでに大きな流れとなっている改革の波は、保守的な役人や組合を敵に回し、最後に勝利を勝ち取りました。

ストーリーとしては、見事なサクセスストーリーで、その成功までの紆余曲折が、力強くかつ楽しく描かれています。

ウォント・バック・ダウン

原題はそのまま「Won't Back Down」つまり、「引き下がるな」です。

やはりこの映画のメインの流れは、理想を掲げ、少しでも社会をよくするために前進することの重要さ。冒頭の自動車販売店の店主の言う、ガンジーの「変化であれ」という思想のもと、とにかく一歩でも前向きに進もうという力の重要性です。その原動力は、彼女たちにとって子供たちへの深い愛情でした。

ガンジーの言葉を引用しておきましょう…

You should be the change that you want to see in the world.
世界に変化を望むのであれば、みずからが変化となれ。



一方、アメリカの底辺の学校事情。70%が文字も算数もできずに小学校を卒業するという現実。刑務所の設計者は、小学校生徒の落ちこぼれ状況を見て、その地区の刑務所の部屋数を決めるという現実。それを改善しようとしない学校組織。役所の対応の遅さと複雑さにより、規定通り手続きを進める間に、自分の子供たちの在学期間は終わってしまうという現実。子供のためという尺度ではなく、自分の雇用確保と生活、年功序列を一番に考える教師と組合。これらのアメリカの底辺の学校における現実もあわせて描かれ、興味深く見ることができます。また、注釈に、この映画は、実際の事件にインスパイアされたとあります。

そのような組織の中にいる人は、もともとそういう人たちであったのではない。かつては理想に燃え、職務に励んでいたのですが、いろいろな生活環境により、理想は消えてなくなり、現状の維持を何とかしていかないといけない。そういう人たちでした。そして、それを変える原動力は、子供への深い愛情と、未来を育てることの重要性を何よりも第一に認識した時にこういう活動に至ったということが描かれていました。

キャストとして目立っているのは、まずはマギー・ギレンホール。最初から最後まで出ずっぱりですが、良く動きまわり、この映画の推進力になっています。ヴィオラ・ディヴィスは、マギーの同志として実際の教師の立場で支えていきます。その他、目立ったのは、自分の主義から活動になかなか乗っていけないが、教師の仕事に情熱を持っており、賛同してマギーを助けるオスカー・アイザック、ノーラの同僚で、孤立しがちな活動の中心となっているノーラを助け、現実の教師の立場で仲間をまとめていくロージー・ペレス、組合の立場からマギーの敵の立場となりますが、マギーたちの行動に共感を持って見ているホリー・ハンターといったところでしょうか。

そして何より、冒頭からラストまで、可愛らしさを振りまいている、マギーの娘役のエミリー・アリン・リンド。この物語の影の主役ですね。

「愛を読むひと」 朗読者です。読んでいるのは本当に愛ですか?

GAYO!にアカデミー賞特集無料動画があって、最後まで見ていなかったこの一作。この映画のことはよく知らず、てっきり「きみに読む物語」のような話かなぁと思い、なんとなく見たような気になって、まぁ後でもいいやと思っていました。という中で、どんな映画かな?と解説などを見てみると、これ「朗読者」じゃないですか!それならそうと言ってくれよ!好きな小説だったんだから。と怒りに燃えつつ、見始めたのでした。まぁ、知らない方が悪いし、この邦題の方が客層が広がりそうで良いのかもしれませんが…。

あらすじ
15歳のマイケル・バーグ(デヴィッド・クロス)は、帰宅途中に具合が悪くなったところを、年上のハンナ・シュミッツ(ケイト・ウィンスレット)に助けられる。回復したマイケルは、お礼のためハンナを訪ね、彼女の魅力に惹き付けられて、度々ハンナの部屋に通うようになり、2人は深い関係になった。ハンナは、本を読んで聞かせてとマイケルに頼み、彼はいろいろな古典の名作を次々に読み続けた。しかしある日、ハンナの姿は部屋から消えてしまっていた。
数年後、マイケルは大学の法科に通い、ゼミでの裁判の傍聴で、ハンナと再会する。彼女はかつてナチス親衛隊の看守として収容所に勤務、戦争中の犯罪を問われ裁かれている女性たちの一人だった。だが、ハンナには文盲という秘密があり、それを隠し通そうとして、不利な証言を認め無期懲役の判決を言い渡されてしまう。それから数年、弁護士になったマイケル(レイフ・ファインズ)は、離婚後再び一人で生きていた。彼は、ハンナへの想いやハンナの犯した罪とについて問題を抱え続けていたが、再び彼女に向き合うために、テープに思い出の本の数々を吹き込み、ハンナが服役する刑務所にテープを送り始めた…。



静かな中に中身の濃い映画でした。語られること以外にいろいろと思いがこもりますので、あらすじに寄せて感想や読み取ったことなどを書いていきたいと思います。

前半は、若きマイケルとハンナの恋の物語。かつて本で読んだ記憶以上に、セックスシーンが多く、短くも深い関係であったことが強調されています。その中でも、彼女の識字障害(でしょうか?)を現す所作がいくつか伏線として織り込まれていきます。そういった状況で、マイケルの読んでくれる古典の数々が、彼女にとって大いに楽しみだったことも伺い知れます。そして、彼女の昇格(車掌から事務職)と、マイケルの同級生の女の子への意識を悟って彼女は忽然と姿をくらましてしまいました。マイケルの女性への意識の変化を感じ取ったことについては、それほどはっきりと描かれませんが、事務職への昇進は識字障害を隠したい彼女にとっては致命的なのでした。

中盤は、ハンナの裁判のエピソード。ドイツでは、ナチス時代の罪が次々と裁かれていく時代でした。ハンナの抗弁には、その時代に末端の職務として従事する立場で、忠実に職務をこなしていただけであることが強調されます。一方で、大学時代の場面の冒頭に、ゼミの教授が、社会を規定しているものは道徳ではなく、事案が発生した時点の法であるという宣言が為されています。大学のゼミでは、被告を全員銃殺すべきだという大学生の意見が声高に叫ばれますが、この考えは過ちを繰り返すのみに思えてきます。マイケルは事実を正確に確認すべきだと反論しますが、相手はマイケルがハンナばかりを見ていると指摘します。これは、道徳ではなく法であるというゼミの原則に反しているようにも見えます。しかし、マイケルは事実を明確にとらえるという発言の中で、自分自身もハンナの罪に関して明確に答えが出せない状況になっているようです。

最終的に、ハンナは自分の識字障害を隠すために、罪を受け入れる選択をし、一人だけ終身刑が科されてしまいました。マイケルは、彼女は識字障害のために罪は成し得なかったことを知っていましたが、それを明らかにすることは、機会があったにもかかわらずできませんでした。そのことは、自分の中で彼女を疑ったこと、そして彼女を少しでも助けられなかったことの二重の楔として、マイケルの心に常に影を落とし、同級生と結婚し子供をもうけたにもかかわらず、離婚することになっていきます。

そして、後半の場面、マイケルは離婚し、日々ハンナにかつて読んだ物語を録音してテープで送り始めます。受け取ったハンナは、それを聞きながらマイケルを思い出し、テープと本を対照することにより字を覚え、マイケルに手紙を書くようになります。それはハンナにとって癒しの日々になっているはずですが、ただ、マイケルはハンナからたくさんの手紙をもらっても、手紙の形で返そうとはしません。常に梱包されているのはテープのみです。マイケルは若き日のハンナの思い出のみに生きて、裁判以降のハンナを否定しているのでしょうか?裁判で知ってしまった過去を受け入れきれない。あるいはそちらには深入りしたくない。そんな感情が働いているのでしょうか?それも長きにわたり…。

身寄りのない、ハンナの出所にあたり、身元引受人としてマイケルは出所後の生活の準備を整え、面会に行きます。直接話をするのは、若き頃ハンナが失踪して以来のこと。マイケルのテープにより、ずっとマイケルとの思い出に生きてきたハンナは手を差し伸べますが、マイケルはしっかりと握り返そうとせず、出所後の生活のことを事務的に伝え、ハンナの犯した罪のことについて質問します。静かに語られる中で、大変冷血な対応に思われます。出所当日、マイケルは迎えに行きますが、そこでハンナが直前にマイケルとの思い出を足場にして自殺したことを知らされます。天涯孤独なハンナの唯一の頼みの綱のマイケルも、自分を信じていないことを悟ったのです。

愛を読むひと

マイケルは遺言にしたがって、アウシュビッツの被害者である告発者のイラーナ・マーターに会いにアメリカにわたります。この場面のイラーナ・マーターの発言は、冷静で端的でかつ強烈です。彼女は成功者として君臨し、堂々としていて、一方で一生煩悶に苦しみ、答えも見つけられないマイケルは、成長も止まっており格差が歴然として、この対話は痛々しいほどの差を感じます。

「人々は私が収容所で得られたことをいつも聞いています。 しかし収容所はセラピーではない。あなたは収容所はどういう場所だと思いますか? 大学ですか? 我々は学習に行ったのではありませんよ。これは非常に明確なことです。
あなたは、何を求めているの? 彼女のための許し? それとも自分自身の気持ちを楽にしたいから?もし、あなたがカタルシスを望むなら、劇場にでも行ってください。文学でも読んでください。収容所ではありません。収容所からは何も生まれない。全く何もない。」

見事に見透かされています。ハンナからの償いの僅かな金は当然のごとく断られました。しかし、ハンナのお金の入っていた空き缶をもらってくれたこと(取り返したということかもしれませんが)、それが最大の救いでした。この最後の一瞬で主役が誰だったのかが解ります。行きがかり上なってしまった、しかし生殺与奪権を持つナチスの看守と、収容所から生還し告発本を出版、高きに上り詰めたイラーナ。この缶の受け渡しは、極めて意義深いもののような気がします。そして、マイケルは翻弄され成長も止められてしまった、狂言回しでしかなかった。そして、何も生まれてこない収容所に一番長く浸っていたのはマイケルではなかったのでしょうか。

そして、自分もすべてを失ってしまったマイケルは、たまに会う娘のジュリアにこの長い話を語り始めます。それは、自分の気持ちを楽にしたいから?収容所から外に出たいから?あまりにも寂しい終わり方となっています。

自分なりの感想や解釈は、書いてきた通りで、ドラマとしては極めて秀逸な作品だと思います。「愛」なんか読んでいないのですよ。

ところで、この映画はケイト・ウィンスレットがアカデミー主演女優賞に輝きました。前半も、後半も素晴らしい表情で、圧巻の演技でした。一時期ニコール・キッドマンで撮影されていたようでしたが、最終的にケイト・ウィンスレットに戻ったとのことです。私的には、ドイツの立派な小説なので、ニーナ・ホスあたりを主演にしてドイツでも撮ってほしいのですが…。

「サスペリア」 永遠の芸術的ホラー映画

かつて見た映画の中で、深く印象に残っている名前の一つが「サスペリア」です。小学校から中学校にかけては、ホラー映画の全盛期。パニック映画と共に次々と封切られていました。その中でも、「エクソシスト」「オーメン」「サスペリア」は私にとっての御三家。多感な年代で見て、しっかりと心に刻まれております。そんな「サスペリア」が、GYAO!の無料動画に出現。何を差し置いても見てしまうのです。

あらすじ
ニューヨークよりバレリーナ志望のスージー(ジェシカ・ハーパー)が空港に着くと、激しい雷雨だった。タクシーでバレー学校にむかうが、そこには半狂乱で何やら叫びながら木立ちの中に消えていく女性、そして学校の扉をたたくが扉は開かれなかった。翌朝、改めて学校を訪れた彼女は、副校長のブランク夫人(ジョーン・ベネット)とタナー女史(アリダ・ヴァリ)に紹介される。そして、ハードなレッスンが始まった。
不安や疲れが重なり、スージーはめまいと共に倒れ、気がつくと寄宿舎のベットの中。医者とブランクに見守られ、薬と食事を与えられたスージーは、学生のサラ(ステファニア・カッシーニ)から謎めいた話を聞かされる。スージーが嵐の夜見た女性は何者かに殺され、以前から何人もが行方不明になっており、消灯後、教師達がどこかに集まっているというのだ。
ある日、盲目のピアニスト、ダニエルが自分の盲導犬に殺される。疑惑の渦の中、サラも夜教師達をつけていって殺されてしまう。スージーは、ある日、サラの友人の精神分析学者をたずねると、彼は何百年も生き続ける魔女の話を始めた。サラが見えないのを不審に思いタナーに聞くと、サラは退学したという。
スージーはサラの残したメモを頼りに、夜学校の奥深くへ入っていく。たどりついた部屋には、初めて来た日に半狂乱の女が叫んでいた、アイリスの花の壁紙があった。押すと隠し廊下があり、突き当たりの部屋に、ブランクやタナーなど学校の首脳陣が集まり、スージーの処置について話し合っていた。スージーは逃げ出し、さらに奥の部屋に飛び込むと、そこには創設者である魔女がいた。スージーのナイフが魔女の急所をとらえ、学校は崩壊。荒れ狂う学校から逃げ出したスージーの顔に笑みが浮んだ。



この映画、今見てもやはり怖いです。2ケ所あります。まず、冒頭のスージーが到着の夜、学校から逃げ出した彼女が殺される場面。怖いというか、見事な映像です。ただし、ここは前振り。最も残酷な殺され方を冒頭にもってきて、見ている物は同じ様なことが次々と起こるのではと思ってしまい、恐怖心にどっぷりとつかります。そして、2つ目はちょうど真ん中あたりの、盲目のピアニストが殺される場面。だだっ広い空間にたった一人歩いていく中での、盲導犬の異様な反応。いかにも、来るぞ来るぞと恐怖心を掻き立てられます。この2ケ所。本当に怖い場面はそれほど多くあるわけではありませんが、この2つが効いています。

そして、もう一つはこの映画の耽美的な映像美。ほぼ全編、原色の赤に彩られ、抽象画のような、一方で古典的なステンドグラスを見ているような美しさ。血の色まで、この赤と合わせてしまう。こんな、色彩効果を持ったホラー映画ってあったでしょうか。色彩の激しさの中に、禍々しさが強調された見事な映像です。見終わっても、この映像の世界に浸っていたいと思うような不思議な感じです。暗闇と赤から我々が解放されるのは、スージーが精神分析学者と外で会う部分のみ。ここだけが日常の世界で、あとはすべて世間から隔絶された異世界で話が進んでいます。

サスペリア

さて、最後のスージーの一瞬の笑みは何でしょう?勝利の笑みと思えばそうかもしれないのですが、このような惨劇の後で普通の人間であれば笑みは出ません。ということは、魔女に勝ったものの笑み。やはり、スージーが次の魔女として君臨していくこことを暗示しているのでしょう。

語ると尽きないこの映画はまた、語りつくされた映画でもありますが、最近の話題としては、2017年に、4Kレストアヴァージョンがでたこと。これは、是非大画面の4Kテレビで見てみたい。また、今年はリメイクされて公開されるようです。監督は、「ミラノ、愛に生きる」の「ルカ・グァダニーノ」。すでに、予告編はネットで見ることができますが、原色の赤のイメージがなくなったようで、今風のホラー映画になっている感じでした。予告編の感じでは、ブラックスワンとシャイニングを想起したのですが…。このリメイク版、キャストになんと、ジェシカ・ハーパーが入っています。さて、どんな映画になっているのかちょっと楽しみでもあります。

「グッモーエビアン!」 普通に家族の幸せを感じられる

夜中に目が覚めたので、朦朧としながら見始めた映画。でも、なかなか良くて最後まで見入ってしまいました。すごく良かったという程の評判は、あまり聞いていなかったのですが、ちょうどいい具合にハマったというか、自分にとってはそんな感じでした。

あらすじ
中学3年生のハツキ(三吉彩花)は、シングルマザーのアキ(麻生久美子)と二人暮らし。2人は、友達同士のように仲がいい。そこに、「世界ツアーにでる」と言って音信不通になっていたヤグ(大泉洋)から葉書が届く。そして、その半年後。ハツキは商店街で、世界放浪を終え帰国したヤグに出会う。その日から再び3人の暮らしが復活した。
かつて、アキとヤグはバンド活動を続け、籍は入れなくともハツキとは家族同然だった。だが2年ぶりの3人暮らしに、その日暮らしをするヤグと、それに対して何も言わないアキが理解できなかった。そんな中、ハツキの親友、トモちゃん(能年玲奈)に「あんな人がお父さんだったら毎日楽しそう」と言われ、思わずキレて、何か言いたそうなトモちゃんを置いて帰ってしまう。しかし翌日、トモちゃんは学校に来ず、両親が離婚して鹿児島へ引っ越してしまったと聞かされ、ハツキが呆然としながら授業を受けていた。すると、突然ヤグが教室に乱入。「さよならと、ありがとうは、言える時に言わなダメ!」と叫ぶヤグの声にハツキは教室から駆け出し、ヤグのママチャリの荷台に乗って空港を目指すがトラックと接触、結局トモちゃんの見送りはできなかった。
ある晩、アキが帰宅すると、待ち受けていたハツキの担任小川(小池栄子)から、ハツキが就職を希望していることを聞かされる。ハツキはどうやら、2人にとって自分が邪魔な存在だと思っているらしい。家を飛び出し、土手に座っているハツキを見つけたアキは、ハツキが生まれた時のことや、その時のヤグのことを打ち明ける。
中学を卒業し、ハツキとトモちゃんは2人でヤグのバンドが演奏するライヴハウスにいた。ステージではヤグが歌い、アキがギターを弾いている。ヤグは「アキちゃんと結婚します」と宣言、温かい拍手と愛情溢れる野次を贈る観客の中で、ハツキとトモちゃんは笑顔でステージを見守っていた。



見た感想として、とても穏やかで、役者さんもとても雰囲気がいいと思いました。それに、いろいろな事件は起こりますが、普通の幸せな家族(普通とは言えないかもしれませんが)が描かれている。何が起こってもみんな繋がっているような、幸福感が終始流れている。そんな感じがしました。そういうところが逆に見ていて胸に迫ってきて、ああいいなぁ・・・と思ってしまった訳です。

グッモーエビアン!

映画ですから、いろいろな思いを普通以上に口に出していうという形になるとは思いますが、それらの会話もお互いへの思いやりに満ちているような気がします。トモちゃんが、この家族をうらやましがる気持ちもよくわかります。最後まで毒気も無く普通に幸せな家族を描いた映画。大体どっかで事件が起きて破綻が訪れ、修復され、絆がより深まるというのが家族の映画のパターンなのですが、この家族関係に限っては深刻な破たんも無く、心のつながりを持ち続けています。そういうことは、映画という意味ではなかなか珍しいかもしれません。

まぁ、映画ですから、もっと葛藤があったり、もっと事件があったりというのが求められ、これでは生ぬるいということかもしれませんが、それもすっきりしていて、良いんではないでしょうか。

ということで、それだけと言えば、それだけなので、あまり感想を書けなくなってしまいました。能年玲奈さんは名前を変えて復活しましたが、三吉彩花さん最近映画への出演がありませんね、最近の写真を見るとショートカットにしていて、少女から大人の女に代わっているようですが、この映画で新人賞も一つとっているところですし、また映画にも出演してもらいたいと思います。

「サザン・コンフォート ブラボー小隊 恐怖の脱出」 アメリカの奥深さを知る

1981年アメリカ製作の未公開映画。この時期の映画は、やはり気になるので、GAYO!無料動画に上がっているのを見て、早速拝見しました。内容は単純ではありますが面白い映画でしたし、新たな発見もあって有意義でした。監督はウォルター・ヒルです。

あらすじ
アメリカのルイジアナ州兵“ブラボー小隊”は、湿地帯での訓練中に密林に迷い込んでしまった。川辺にあったカヌーを無断で借りて湖を渡ろうとした彼らを、独自の文化を育むケイジャンと呼ばれる現地民が襲撃。指揮官である軍曹が殺害されてしまった。ケイジャンに強気で挑んだ隊員たちが、ケイジャンの仕掛けた罠にはまり、次々と殺されていくなかで、追いつめられた隊員たちは内部分裂を起こし、さらには精神的にも破綻していく。



冒頭は、まずは小隊の出発準備から。ルイジアナ州兵とのことですが、曲がりなりにも合衆国の正規軍の予備的存在である割には、風紀の乱れがひどく、まじめにやっているのか?という感じです。実弾が入ってないとはいえ、人に向けて機関銃を連射するのは、通常はおふざけでは済まないはず。ただの不良の集まりみたいで、あまり現実味がありません。その中でテキサス州兵のだらしなさがイヤでこちらに移ってきたハーディンも白けた目で見ているようでした。

そういう部隊なので、ルイジアナ湿地の行軍の演習に出てはみたものの、早速道に迷ってしまい、住民のカヌーを盗んで湖を横断しようとしますが、湖の沿岸に見えた住民に対し、隊員の一人が実弾の入っていない機関銃をぶっ放してしまい、驚いた住民から反撃を受け、隊長が頭を打ちぬかれてしまいました。慌てふためきつつも態勢を整え、犯人探しと報復に向かいますが、実弾は基本的に持たず、隊員の一人リースの持っていた一箱のみ。これを分配し、森の中をさまよううちに狩猟小屋と一人の住人を見つけました。

ルイジアナ湿地にいる住民とは、いわゆる「ケイジャン」とのこと。元々、当初フランス領であったカナダからプロテスタントへの改宗を拒否したフランス移民が、当時フランス領であったルイジアナに渡ってきたことを祖とする人々との事。言葉もフランス語をベースに多言語が混じり合った独特のもので、森の中で質素な独自の文化を築いているとのことです。彼らの存在はお恥ずかしながら初めて知りました。彼らは、ルイジアナ南部のアケイディアナで、独特の文化を育み居住しているとのことでした。

さて、小屋を急襲し、ケイジャンのハンター1人を捕虜とした彼らですが、言葉はほとんど通じず、隊長を撃ったことを尋問しようとしても会話になりません。そうしているうちに、隊員の一人が精神を病み小屋を爆破してしまう始末。これにより、彼らはせっかく小屋で見つけた弾薬食糧をも、すべて失ってしまいました。彼らは湿地帯からとにかく脱出すべく、捕虜のケイジャンを道案内に行軍を再開しますが、襲撃したハンターグループが巧みに罠を仕掛けており、彼らを追い詰めていきます。部隊では内部分裂も発生、味方の捜索のヘリがやがて頭上に現れますが、やがて捕虜にも逃げられ、もともと訓練度が低そうな兵士が、貧弱な武器で戦っても、機敏な森のハンターには全く歯が立たず仲間が次々と斃され、最後には比較的しっかりした2名が残りました。

森を彷徨ううちに、背後に列車の音を聞き、やがて道路に到達すると、通りかかった地元のケイジャンの車で町まで連れて行ってもらうことになります。着いたケイジャンの町ではお祭りの最中の様で、彼らも混じって楽しみますが、森の中にいて彼らを襲った仲間も、彼らを追って町にやってきたことを発見。ケイジャンのお祭りの舞台裏で、静かな死闘がが始まりました。

とまぁ。こういうお話でした。
サザン・コンフォート

このストーリーの中でまず目立つのは、ルイジアナ州兵たちの下衆ぶりと馬鹿さ加減。最初からやることが下衆で、冗談がきつい面々です。その上、気が弱かったり、恐怖や罪の意識の苛まれて精神状態がおかしくなったりと、使えない奴が多い集団でした。従って、ケイジャンのハンターにどんどん斃されていきますが、自業自得感がこの上無く、まさに君たちはやられて当然だろうという部隊でした。ホラー映画でばか騒ぎをしている若者が、一人一人悪魔の犠牲になっていく。あれと同じです。

そして、もう一つはやはりケイジャンの描写です。最後にケイジャンの町に出て見たものは、原始的な生活をしているケイジャンたちのお祭り騒ぎ。まるで、西部劇の町に突然着いたような感じですが、この映画を信じればケイジャンたちは奥地で未だに伝統を守って、自給自足に近い質素な生活をしているグループがあるということになります。見た目は白人なので、州兵たちと同じですが、生活習慣も内容も全然違う人々がいる。これはちょっとした驚きでした。そういう意味で、この町の場面は、ケイジャン文化(食事や音楽)が表現されている貴重な場面だと思います。

この映画の舞台となっているルイジアナ湿地は、ミシシッピ川の治水によって海の浸食が目立ち海岸線がどんどん後退しているとのことですが、これだけの大きな湿地帯はまた、大変珍しい自然の光景を見せてくれています。ケイジャンの文化と合わせて、一筋縄ではいかないアメリカの広大さや多様さを見たような気がしました。

全体として、州兵が自然と敵の脅威の中で、次々と変調し、敵に倒されていく様子が主題と思いますし、その話自体はなかなか面白いのですが、もう一方で、アメリカの文化の一面を教えてくれる、なかなか貴重な映画体験をさせていただきました。
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