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「ANTIPORNO」 フェチ・怒り・シュールいろいろと混ざってます

日活ロマンポルノリブートプロジェクト第4作目。園子温監督の「ANTIPORNO」です。初日初回の観賞となりました。2回目、3回目は舞台挨拶ありで、すでに満席。初回もほぼ席は埋まっている様子で、盛況です。予告編は何度も見ていたので、いわゆる往年のロマンポルノを見るというよりは、園子温作品を見るというイメージで臨みました。

あらすじ
京子(冨手麻妙)は、小説家兼アーティストとして一躍時代の寵児に。日々、極彩色の部屋に籠もりマネージャーの典子が伝えるスケジュールを分刻みでこなしていくうちに、終わらない悪夢のように思えてくる。自分は京子なのか、京子を演じているだけなのか。虚と実の狭間で、秘められた京子の過去が浮かび上がってくる。



黄色の原色の部屋で京子が目覚める。京子の行動はどこか危ない感じ。そこにマネージャーの典子が現れ、今日のスケジュールを告げる。最初の訪問者である、雑誌の取材が現れるが、京子はかなり突飛な行動をとっている。典子は奴隷状態で、裸にされ、パニスバンドで犯されたり、リストカットを強要されたり、やりたい放題。
このあたりで、フェチッシュないろんなプレイが次々と行われます。平手打ち、足なめ、鞭、ランジェリー、言葉責め、ペニスバント、その他、成り行き上でてくる面白いプレイ多数。なかなかサービス満点で、そして、舞台のように大げさな演技で進行します。

ここでカットの声。撮影隊が現れ、今度は攻守交替。先輩女優の典子から、どうしてそんな演技しかできないのと、京子はののしられ、言葉でボコボコにされます。監督からも散々な言葉が飛ばされます。

そして、撮影再開、攻守交替となる訳です。

ANTIPORNO

そんな中で、京子の過去のストーリーが語られます。妹の自殺や、両親との会話。いずれも普通ではありません。両親との会話では、父母のセックスシーンを見たとか、性器をあらわす隠語が、ストレートに真面目な調子で語られます。隠語をこれだけ、真面目に連発されると爽快です。夫婦のセックスで使うのは、男性生殖器と女性生殖器。売女につかうのは、「ち〇ぽ」。というような調子で、父から説明を受けるのです。
その部屋のセットにのこぎりで切りこみが入れられる。撮影隊のシーンや部屋を壊そうとしていると思ったことから、フェリーニの「オーケストラリハーサル」を思い起こしました。実際は、部屋は崩壊しませんでした。

妹は、自殺してからは、いつも京子の前に現れ、ピアノを弾いています。ずっと幻想の中に生きています。ドビュッシーやベートーベンの雰囲気のいい曲が使われていました。

で結局主題はなんなの?ということですが、よくわかりません。ヒントととしては、繰り返し出てくる劇中劇のセリフ。「女は男のくそどもが作った自由を活かしていない。」「この国の女は誰一人自由を手にしていない」とか、「売女にもなれない」とか。この辺りがポイントですか? 繰り返し出てくる売女というのは、どういう存在でありどういう理想なのか?ということを考えていくのもポイントのひとつなんですね。

そして、男はみんな特大の壮大なくそで、そのくその為に作るのがポルノであるということでした。
アートで、シュールでなかなか激しいポルノでした。 てんこ盛りでした。

あらすじでは、虚構と現実が交差するようなテーマという風に書かれていますが、あまり何が虚構かとか追及しても意味のないような…

ともあれ、役者さんたち本当にお疲れ様でした。

【リスト】 ① 裸のエロスを見る作品
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「スタンピード」 英国貴族風の牛をめぐるロマンス

家にある見てないDVDを見るシリーズ。今日は、「スタンピード」。1965年の映画で、ちょっと時代の新しい西部劇です。監督は、アンドリュー・V・マクラグレン。ジェイムズ・スチュアート主演の西部劇。未開封ですが、2004年発売のDVDなので、13年ぶりの開封ですか。この頃はDVDを結構買っていたので、未開封の物がそこそこ残っています。

あらすじ
セント・ルイスでの家畜売買に、英国からやって来たマーサ(モーリン・オハラ)とヒラリー(ジュリエット・ミルズ)母娘が、英国からハーフォード種の角のない牛を連れて来ていた。アメリカではロングホーン種が巾をきかせ、角のない牛は生存競争で育たないものとされていた。ビンディケーターと名づけられた雄牛が、ボーエン牧場に買取られたが、この輸送を任されたのはサム(ジェームズ・スチュアート)は、牛の優秀さを知るテイラーに、千ドルの金で横奪りを頼まれた。サムとビンディケーター、それに同行するマーサとヒラリー母娘の旅が始まった。ダッジシチーからの馬車の旅の途中で、サムが裏切ったことを知ったテイラーの手下が待ち受けていたが、サムに倒され、一行はボーエン牧場に到着。マーサとヒラリーはハーフォード種がこの地で根付くことを信じ、牧場で過ごすうちにボーエンの息子ジェイミーとヒラリーに愛情が芽生え、サムとマーサの間もお互いが気になる関係になっていた。ところが、牧場主のボーエンもマーサに愛情を持つようになり、やがて秋が来て、冬を越せないのではという心配の中、自然に任せるべく、ビンディケーターは牧地に放された。厳しい冬が過ぎ、牧場中に散らばった子牛を探す春がきた。ビンディケーターの子供が生まれていれば、マーサはサムとはーフォード種をともに育てることを約束し、見つからなければ、ボーエンの妻となることになっていたが…



1965年製作といえば、西部劇の伝統のガンファイトは、無法者の決闘を主題にした形で、イタリアの方で盛んに作られていました。この映画は、アメリカの西部劇ということで、アメリカの西部開拓時代の歴史や情景を前面に出した本家の西部劇です。この物語は大きく2つの部分に分かれています。前半が、牛の輸送と掠奪に関する物語。こちらは決闘シーンを多く描いたものですが、随分おとなしい描き方になっています。後半は、ビンディケーターの繁殖とラブロマンス。あまり決闘はありません。邦題のスタンピードは、前半にでてきます。原題の「The Rare Breed」むしろ後半に重きを置くドラマです。日本ではやはり西部劇イコールアクションと格闘という扱いだったことがうかがえます。

前半、セントルイスの競売からボーエン牧場に着くまでは、アクションあり、コメディありの部分です。ここは素直に面白いので楽しんで見ていきます。後半へと繋がっていくのは、マーサとヒラリーとヒンディケーターの物語。2人の父親はハーフォード種の優秀さを信じ、交配を重ねヒンディケーターを作り出しました。これをアメリカに定着しているロングホーン種と交配し、ハーフォード種の繁殖するアメリカの牧場を夢見ていました。志半ばで父は倒れ、母子でテキサスに夢の実現を確認しに向かいます。ヒンディケーターは娘のヒラリーが小さなころから育て上げた牛で家族のようなもの。ヒラリーのいうことは何でも聞く。そんな関係です。その旅の途中でサムと、ボーエン牧場の息子ジェイミーと出会う。そして、牧場に到着。後半に繋がります。

後半は、ボーエン牧場での生活となります。
ボーエンは、ひねくれものの牧場主でずっと髭もそらず不潔な男です。そこにマーサ親子が現れたのが、最初は鬱陶しくてたまりません。マーサはハーフォード種を持ち込みますが、ここはロングホーンの土地と、取り合いません。しかし、しばらく一緒に生活するうちにマーサが気になり始め、マーサの気を惹こうと、牛を遠ざけにかかります。そして放牧を提案、ビンディケーターは冬を越せないだろうと推測し、いなくなればマーサは自分に注目することになると目論んだのでした。
ボーエンは、清潔にして髭もそりマーサに言い寄ります。冬が過ぎ、ビンディケーターの生存も絶望視されたことから結婚を迫りますが、マーサにはまだビンディケーターの子を宿した牝牛がいるかもしれないと秋まで待ってほしいと頼まれます。

一方サムは、マーサの夢をかなえるために、ビンディケーターを守ろうと、吹雪の日ビンディケーターを探しに行きます。しかし、道を失ってしまい、自分が吹雪の中で危険な目に。春になってから広大な牧場を探しますが、見つけたのはビンディケーターの凍死した姿。それでもあきらめず、子牛が遺されているのではないかと、牧場内に小屋を建て探索を続けます。そしてついに、ハーフォード種の子牛を探しあて、ボーエンの家に持ち帰ったのでした。そして、マーサを巡ってボーエンと殴り合い、ボーエンがあきらめ無事マーサとハーフォード種の繁殖に勤めるのでした。

スタンピード

この映画は、黒人がほぼ出てきませんが、注目すべきはボーエンをはじめマーサ親子も、動かしているのはすべてその世代にアメリカに移住してきたイギリス人であること。そして、ボーエンの牧場で働くたくさんの使用人たちは、ほぼヒスパニックであること。今のアメリカの構図とあまり変わっていません。今、トランプ大統領が就任し、メキシコ国境に壁を設けるなどと、いろいろ騒動を起こしていますが、彼らは基本的にこの物語と同じ世界に生きているのではないかと思いました。そういう意味で、この映画脈々と流れるアメリカ社会の構図をそのまま表現していると思います。

主役は、ジェームズ・スチュアート。西部劇の中では人情派で、この人が出てくると、激しいガンファイトでなく、またあったとしても人情味あふれる西部劇が期待おでる、そんな役柄の役者さんです。

そして、この映画のもう一つの主人公は「牛」このハーフォード種は、いかにも英国貴族がやってきたという感じで、ユーモラスな表情を終始見せてくれますが、ずっと見ていると、特に子牛などはかわいらしくも見えてくるのです。

監督のアンドリュー・マクラグレンはジョン・フォード監督の下で修業した人物。そういう意味では、西部劇のピークは過ぎているとはいえ、アメリカの正統的な西部劇を受け継いでいますね、

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「東京ウィンドオーケストラ」 映画の題名は小さい「ィ」なのでした

テト休みで一時帰国中、今日は映画を見る日と決めて、新宿武蔵野館に向かいました。お目当は「ANTIPORNO」なんですが、その前に一本。予告編で見て、ほのぼのしたコメディで面白そうだったので、尺も短いし、見てみるかと。今日は、「人狼ゲーム ラヴァーズ」と、「ANTIPORNO」の2作の初日で、舞台挨拶が2組。なんとなく賑わっております。

あらすじ
屋久島の町役場職員・樋口(中西美帆)は、毎日同じことの繰り返しの日々を過ごしていた。しかし今日は、観光課の橘(小市慢太郎)が長年温めてきた企画が実現し、日本を代表するオーケストラ“東京ウィンドオーケストラ”を迎えることになっており、樋口がその担当だった。そのころ鹿児島港では東京からやってきた10人の楽団員たちが、なぜカルチャースクールのアマチュア楽団にすぎない自分たちが呼ばれたのか不思議に思いながら、屋久島行きの高速船を待っていた。宮之浦港に到着した一行を迎えた樋口は、どうも人数が少ないと感じるものの、淡々とスケジュールをこなし、一行は島をあげての歓迎ぶりに不審がるが、樋口の上司の田辺(松木大輔)に嫌味を言われると思わず「楽しみにしていてください、感動させますから」と啖呵を切ってしまう。一行は、さらに、島一番の大ホールに案内され、20年来の夢が叶ったと感激する橘に、間違いに気づく。樋口の手違いで、一文字違いのアマチュア楽団“東京ウインドオーケストラ”を呼んでしまったのだ…



東京ウインドオーケストラの楽団員たちが、屋久島に向かうところから始まりますが、およそらしく無い言動です。島で待つ役場に勤める樋口は、毎日データ集計業務ばかりしていて、このまま屋久杉になってしまうと壮大な比喩を口にしながら、人生諦めモードです。上司田辺は、小言だらけのダメ上司ぶり、このコンサートを企画した観光課の橘は、東京ウィンドオーケストラに相当いれ込んで、長年の企画が実現したと、相当鼻息の荒い様子でした。

島にやってきた楽団員は、待遇に何かおかしさを感じます。ちやほやされて、中学校の吹奏楽部に呼ばれたり、職員の前で演奏させられたり。明らかに下手で、樋口も取り違えたことに気づいてしまいました。さてどうする。逃げる楽団員をそのまま演奏させようと頑張る樋口ですが、橘や上司も知ることになり、せっかくその気になったところで中止命令が。日頃の鬱憤の溜まっている樋口は演奏会を強行、下手なりに演奏を終わり楽団員は島を脱走。樋口には再び毎日データ集計を行う日々が戻るのでした。

そんなお話でした。

東京ウィンドオーケストラ

この映画ポイントはさほど多くなく、基本は樋口が全てです。
生活に飽きているが抜け出せない→そこに起こった大騒動→彼らが去ってしまえば再び元の生活に戻るという図式。そこで彼女を奮起させ、演奏会を決行させたのは、不甲斐ないしかも不倫中である上司田辺との情けないやりとりと、何も変わらない生活に飽き飽きした鬱積。それが、自転車で坂道をふらりふらりと下る様子で語られます。

田辺と橘は、ダメ男の役割。しかも、ここまで実のないショーもなさを演技するとウザい!このやり過ぎは、あまり好感が持てませんでした。

楽団員は誰がどう役割を担うという訳でもなく、ただうろたえるだけ。もうちょっと代表者(指揮者)にしっかり役をやらせないと…と思うのですが。まぁ、団体で一人前という位置づけでしょうか…。

こう見てくると、つまらない凡作のようにも見えますが、下手なりに大会場で演奏するシーンは、力を合わせて勝ち取った晴れ舞台ということで感動しましたよ。アンコールの拍手ももらったし。

良かったのは、中西美帆の演技ですね。あと、出演してくれた地元屋久島の中学生。それから、そこそこテンポ良く飽きないところ。そもそもあり得ない設定なので、ストーリーは作りづらいのかもしれませんが、取り立てて、ここがいいというところの少ない映画でした。そこそこ楽しかったことは間違いないのですが…。

追記
後でプログラムを読んでいると、平凡な日常→騒動→平凡な日常のサイクルの中で、このイベントを体験したことによって、何かが樋口の中で変わったということをラストシーンで表現したとありました。
だとすれば、ぼーっと見過ごしていたのかもしれませんが、そのあたりの意図をあまり感じませんでした。冒頭と同じセリフを繰り返すので、また平凡な日常に戻ったんだなという結論を強く感じてしまいました。また、橘との会話があるので、想いは東京に帰った楽団が練習しているのだろうか?という興味の方にいってしまいました。それが言いたかったのなら、もっとはっきり示してくれればよかったのに…

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「カタリーナ・ブルームの失われた名誉」 辛辣なマスコミ批判と純愛と

本屋さんのレジ前に、アウトレットBDの籠がありました。1000円くらいで売っているので何か一つ買おうかと眺めていましたが、ハリウッドのアクション映画が並ぶ中で、1枚だけ目を惹いていたこのBD。全く予備知識なしですが、「ブリキの太鼓」のフォルカー・シュレンドルフ監督の作品のようで、これで決まりです。ジャケットのあらすじを見つつ、重い映画かなと思い、心して観ました。

あらすじ
1975年の2月のある日、ライン地方の小さな町はカーニバルの真最中だった。仮装舞踏会を手伝っていたカタリーナ(アンゲラ・ヴィンクラー)は、舞踏会にやって来たゲッテン(ユルゲン・プロホノフ)に会い、意気投合して何回も踊った。カタリーナのアパートに帰った2人は、その夜を共に過ごす。ところが、翌朝、物々しく武装した警官隊がカタリーナの部屋におし入り、彼女の部屋を取り調べた。ゲッテンは過激派の銀行強盗で、仮装舞踊会の前から警察に尾行されていたのだった。しかし、ゲッテンの姿はもうすでにそこにはなかった。重要参考人として連行されたカタリーナは厳しい取り調べを受け、新聞はその内容を報道し、彼女の離婚した過去などを書きたてた。中にはでたらめの記事までがでっちあげられ、家へ帰ったカタリーナは、いたずら電話や下卑た手紙に悩まされた…



いや、これは激しい映画でした。思想・主題を最大限効果的に表現してグイグイ押してきます。ノックアウト状態です。この映画について語るのは、ちょっと敷居が高い。そんな作品でした。

一番の印象深いのは、テトゲスの描かれ方でしょう。これは、マスコミの暴力を描いていますが、ここまでやるとマスコミは下衆の極みである、というような描かれ方です。あることないことを書き立て、発言には都合のいい解釈(解釈もしていない、ただのでっち上げ)を行い、立ち入り禁止区域に侵入し、その影響でカタリーナの母親が死ぬことになり、それをもカタリーナの犠牲者として、転嫁して書き立てる。大したものです。
おまけに、チャラい格好をして、顔が濃くて、若造がふんぞり返って、弱者に対する侮辱発言を堂々と行い、ありとあらゆる害悪の根源のような人物として描かれています。マスコミの暴力を描いた映画は数ありますが、ここまで描き切った映画は数少ないのではないでしょうか?

マスコミの次に槍玉にあげられるのは警察ですが、こちらは若干公平感をもって描かれているような気がします。比較の問題ですが、しかし、これでは簡単に冤罪が作り上げられてしまうなぁと思うような描かれ方をしています。

この当時の世相は、ドイツでは極左勢力やそれによるテロが台頭し、それに対してマスコミや警察が無条件に世論形成し戦っていた背景があります。日本でも、学生運動から過激派への道がありましたが、同様のようです。ましてや、東ドイツと分裂し、冷戦の最前線です。ヒートアップするのはわかります。その中では、少しでも怪しい行動があった場合、魔女狩りのように攻撃され、一般大衆も一緒になって攻撃する。そういったことが行われていたようです。

その他にも、自分の行動を棚に上げ、保身を第一とする知識人や、彼らに会合場所を提供する修道院など、世の中の矛盾が次々と槍玉にあげられます。きわめてで辛辣で過激な描き方です。

カタリーナ・ブルームの失われた名誉

それに対する、主人公のカタリーナ。マスコミや警察、大衆の犠牲となる形ですが、その中にカタリーナにはもう一つのテーマがありました。彼女はなぜ、あれだけ警察に尋問されても、マスコミから攻撃されても毅然とした態度をとっていられるのか?この映画はそのカタリーナの性格、行動を組み上げていくパズルのようにも進行していくのです。それは、マスコミの暴力に目を奪われていく中で、ある程度物語が進行して気づかされます。このカタリーナの描き方と演技が、思想的色彩が強烈な中で、映画としても大変奥が深いものにしていると思います。そうしてみると、ブローナ博士の発言から、ブローナ博士夫妻がカテリーナの最大の理解者であり、社会の良心であることが解ります。

この映画を見て、戦後冷戦時代のドイツの一面がまた一つ知識としても加わったような気がします。極左勢力や無政府主義者への攻撃対象には、元ナチス党員はならないとか、なかなか考えさせられる言葉です。ちょっとドキッとさせられる感じです。

この映画を見ていると、世の中を見る絶対的な公平性というものは何だろうか?という疑問に苛まれます。そういうものは本当にあるのか?思想・利害が対立すれば、どちらにも言い分はある訳ですから、永遠の課題であり、常に問いかけていかないといけない課題でしょう。現在こういう映画が作られるのかというと甚だ心細い気がします。常に問いかけることが重要であり、それをやめた時、一方的な勢力への偏向による破たんが起こる可能性がある。そういうことを改めて教えてくれる映画ではなかったかと思います。

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「疾風ロンド」 懐かしさを醸し出すB級コメディ

往復の飛行機の中で何を見るかというのは、移動するときの課題なのですが、やはり睡魔も襲うので計画通り見られるわけではありませんし、乗る回数が多いと見るものが無くなってきます。1月度の新作の目玉は、「SCOOP!」と「何者」ですが、両方ともすでに劇場で見てしまっているので、3番手はこの「疾風ロンド」軽そうな映画なので、機内エンターテインメントとしてはフィットしている映画化と思い、見始めました。

あらすじ
研究所施設から生物兵器K-55を持ち出し、期日までに3億円を支払わなければ自動的に蔓延させるとのメールが研究所所長宛に届く。残された時間は4日間。極秘兵器であるため警察に通報することもできない。秘密裏に生物兵器を捜す重大任務を課せられたのは、冴えない研究員の栗林和幸(阿部寛)だった。その直後、交通事故で犯人死亡の一報が入り、犯人の遺品から浮かび上がった日本最大級のスキー場に向かった栗林は、パトロール隊員の根津(大倉忠義)やスノーボード選手の千晶(大島優子)の協力を得ながら生物兵器を捜すが…



あらすじ以降の概略ストーりーをもう少し進めると、生物兵器を探す栗林たちを負うもう一人の人影があり、彼は研究所のさえない女性研究員の指示で生物兵器を手に入れよ言うとしており、また生物兵器捜索の手掛かりは、埋めた場所を示すぬいぐるみだが、それは、地元中学生によって持ち去られており、さらにそのぬいぐるみは...。
という風に、進んでいきます。

登場人物の人間模様もちょっと描かれます。
栗林(阿部寛)は妻を失い、中学生秀人(濱田龍臣)と二人暮らし、秀人は、はっきり物を言ってくれない父に不満を持っています。この二人の関係はどうなるか?
秀人はスキー場で地元中学生山崎育美(久保田紗友)と友達になります。2人の仲の進展は?
スキー場のゲレンデレストランを経営する高野一家、母親の高野由美子(麻生祐未)は、幼い娘をインフルエンザで失ったばかり。それを気に病み、インフルエンザの発生した息子の通う中学に、意図しないながらも恨みをもっている様子です。
パトロール隊員の根津(大倉忠義)とスノーボード選手の千晶(大島優子)は友達同士。千晶はスランプで限界を感じており、次のオリンピックをあきらめて引退しようとしていますが、根津はそんな千晶を勇気づけています。

その様な事情を抱えた登場人物と、生物兵器の争奪戦を絡めて、スキーのできない栗林を中心としたコメディです。ここだけの話ですが、ブツのすり替えなんかも出てきます。

という話で、さすが東野圭吾の原作だけあって、ストーリーに安定感があります。中身もいろいろなものが詰まっていて、二転三転しながら進んでいき、なかなか面白くできています。

疾風ロンド

このようなコメディタッチの追跡の映画って、過去にもいろいろな名作がありましたね。私が、真っ先に思い出したのは、ボグダノヴィッチ監督の「おかしなおかしな大追跡」なんですが、他にもいっぱいあると思います。

またこの映画は、結構豪華キャストながら、なんかB級っぽい。そこがまたいいところかもしれません。そういう意味で、原作をとことん消化して、がっちり作りこんだというようでもなく、なんか緩い。そんな感じでした。

そして、現代風のアレンジ(親子の絆の問題等)はちらっと入りますが、非常に古典的かつ伝統的な、ある意味昔のままのコメディ映画を再現したような、ノスタルジックな作品だと思いました。

ラストもなかなか面白く決まっています。
(もしかして、ドイツに行こうとしていたのか???)

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「バクマン。」 現実を見つめたスポコンストーリー

見逃していた2105年の映画です。かつて一度飛行機の中で見始めてはいたのですが、少し見ただけで途中で寝てしまいました。今回JALのプログラムに復活していましたので、もう一度最初から見直しました。昨年は「SCOOP!」が公開され、ますます好調の大根仁監督作品です。

あらすじ
絵の才能を持つ真城最高(佐藤健)と、巧みな物語を書くと高木秋人(神木隆之介)。クラスメイトの亜豆美保(小松菜奈)への恋心をきっかけにコンビを組んだ2人は、人気漫画雑誌、週刊少年ジャンプの頂を目指す。編集者・服部(山田孝之)に見出され、連載に取り組む最高と秋人。だがその前に、ジャンプ編集部と新進気鋭のライバルたちが立ちはだかる。そして、遥か先を走り始めた若き天才漫画家・新妻エイジ(染谷将太)も同じ高校生であった。果たして2人は、ジャンプの頂点に立つことができるのか?!



進行がなかなか小気味よく、節目節目を描くよりも、その過程を描くことが重視しているような作り方になっています。従って、形式的なものはすっかり無視され、登場人物たちの努力が悩みが重視され、話がトントン進んでいく。漫画との合成も駆使しながら、この進め方は素晴らしいと思いました。

ヒロインは小松菜奈ですが、それほど出てきません。
・最初のコンビ結成の場面、最高と亜豆は意識しあっていたことを告白、最高は漫画家を、亜豆は声優を目指し、最高が書いた漫画がアニメ化されたら、亜豆がヒロインの声優をやることを誓い合います。
・亜豆は芸能活動の可能な他校に転校します。「いつまでも待ってるから」
・最高が過労で体をこわし入院しているところに見舞いに来て、恋愛禁止であることを告げ、「待てないから先に行くね」と立ち去ります。
この3回だけですね。ほぼ。2人が付き合っているシーンもありません。

亜豆の存在感は、最高の漫画とその執筆過程で増幅して描かれますが、ほぼ最高からの一方的な視点から描かれているので、亜豆の視点から見ると、自分の第一目標は芸能界なので、最高はお互い頑張ろうと言い合った友達程度、最高と付き合うのがメリットが少ないと考えれば、あっさり切るのは、まぁ自然とも言えます。自分は相当頑張っているのでしょうから。

バクマン

従って、エンドロールの「ずっと待ってるね」の漫画の一コマは、男から見た願望なのか、漫画や映画は所詮虚構で現実は違うよということなのか、最高の皮肉なのか、面白い一コマです。

最高は、亜豆が去った後、憑かれたように漫画に取り組み、ジャンプのトップを取る訳ですから、効果はあったようですが、それで燃え尽きてしまいました。卒業式の二人の会話にはもはや亜豆の影はありません。それで次のステップに移っていくわけですから、このあたりも、なかなか話のつくりがうまくて脱帽しました。

一方、新妻(染谷将太)は王者の風格、完全に格上を終始演じて見せます。それは相当な努力と天才の上に立っています。危うさは見せつつも明らかに差がある、そんな行動を見せてくれます。これも立派です。

編集の人たちも厳しい中で現実を見つめた行動をしています。

漫画家のスポコン的ストーリーでありながら、作ったようなサクセスストーリーやハッピーエンドでなく、現実をしっかり見据えて、若者の友情と熱意を描き出した傑作だと思いました。

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「霊幻道士」 今更ながらキョンシーデビュー

昔キョンシーって流行りましたよね。カンフー映画はあまり興味がなかったので、テレビでたまたまやっていたものぐらいしか見ていないのですが、今回、①「風俗行ったら…」を見て気になっていた。途中で放送が途切れるとレンタルビデオ店を駆けめぐっても見たくなる程のものなのか?②飲んだ帰りに本屋に寄った時、無性にBD付きのディアゴスティーニを何か買いたくなった。という2つの要因が重なって買ってしまったわけです。すぐには見ずに置いてあったのですが、今回取り出してみました。

あらすじ
大富豪のヤンに先代主人の改葬を頼まれた道士(林正英/ラム・チェンイン)は、その墓を掘りおこして、ヤンに誤った方法で埋葬してあるので成仏できないばかりか、キョンシーになる恐れがあると警告する。そこで死体を一時預るが、道士の弟子のモン(許冠英/リッキー・ホイ)とチュウ(銭小豪/チン・シュウホウ)がマジナイをしたが、それでもキョンシーとなり、こともあろうに息子のヤンを殺して逃げた。殺人事件発生とあって、町の保安隊長ウェイ(樓南光/ビリー・ロウ)が駆けつけて来た。彼はヤンの一人娘ティンティン(李賽鳳/ムーン・リー)のいとこであり、彼女にゾッコン。一方、モンとチュウもティンティンに夢中だから事は少々ややこしい。ウェイは彼女の前でカッコイイところを見せるために、道士を犯人に仕立て拘留したが、死んだ筈のヤンはキョンシーの毒でバンバンシーとなって大暴れ。ついにウェイは道士を釈放して退治するように頼む。バンバンシーをあの手この手で封じ込めたものの、今度はその元祖キョンシーが大暴れ、町を大混乱に落とし入れた。一方キョンシーに傷つけられたモンは刻々とその毒におかされつつある。しかも特効薬のモチ米を買いにいったチュウは、霊女シャンシー(王小鳳/ポーリン・ウォン)にとり憑かれてメロメロ。やがて、迫りくるキョンシーと道士の凄絶な戦いが始まったが…



ストーリーはあらすじのまんまですのでとやかく言うものでは無いでしょう。逆に言えば破綻なくしっかりしています。それで、動機①に対する結論はというと、大変面白かったのですが、途中で切れたからといって、さすがにレンタルビデオ店を駆けめぐるという程では無いかなと。少林サッカーなら走るかもしれませんが…。

この映画、カンフーゾンビ映画ですよね。英語の題名は、ミスターヴァンパイアになっていますが。手を前に出して移動するのはゾンビですよね。ゾロゾロ歩く訳ではなく、その場跳びで移動しますけれども。血を吸う訳ではないですし。でも確かに、神様の関連グッズや特定の物(もち米など)に弱いのはヴァンパイア的です。

霊幻道士

色々と出てくるギャグも結構笑えました。気に入ったのは、髪の毛を食べると、食べられた方は同じ動きをさせられるネタ。牢屋の鉄格子から首を出したり引っ込めたりするネタ。そして、息を止めるネタ。これらは結構気に入りましたよ。

あと、霊女のエピソードは、ちょっとだけしんみりするところもあり、いいアクセントとなっていました。

この映画、結局は見たまんまなのでこれ以上コメントのしようがないし、今更という感じもしまので、面白く最後まで楽しめましたとしか言いようがありません。初めてキョンシーを見ましたということ自体恥ずかしいような…。

また、続編がたくさん作られていますが、見てみたいかというと、今更なので、何かそういう機会があったらという感じでしょうか。少なくともファーストチョイスにはならないような気がします。

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「しあわせ色のルビー」 ジャケットのコピーによる勘違い

自宅にあった、見ていない(または、見た記憶のない)DVDを取り出して観ていくシリーズです。今日は、「しあわせ色のルビー」を取り出してみましたが、この映画レニー・ゼルウィガーが出演しているということ以外に、これといったインパクトを感じないのですが、私はレニーが好きなので昔買ったというものです。いまではきっと忘れ去られた映画?という位置づけですかね。1998年アメリカ(イギリス)作品です。

あらすじ
伝統的で閉鎖的なニューヨークのユダヤ教社会。ソニア(レニー・ゼルウィガー)は信仰心の厚い神学者メンデル(グレン・フィッツジェラルド)と結婚し、男の子を出産。彼女の人生は周囲の望み通りに進んでいたが、ソニアはそんな毎日に苛立ちを募らせはじめる。おりしも宝石商を営むメンデルの兄センダー(クリストファー・エクルストン)がソニアの宝石鑑定の才能を見いだし、自分の店で働くよう勧める。その仕事の中で自分らしさを取り戻していくソニアは、趣味でアクセサリー作りをしているプエルトリコ人のラモン(アレン・ペイン)と知り合い、彼と共に作品の売り込みにかかる。そんな彼女に、周囲は冷ややかな視線を投げ掛けていた…



冒頭は、少女時代の記憶から。彼女は、一般的な敬うべき人の序列である神>父母>兄弟という順番に疑問を持ち、なぜ目の前のあなたが一番大事だと言ってはいけないの?という素朴な疑問を持ち続けています。そして、それがそのまま大きくなり、親の勧めに従い、ユダヤ教の神学者と結婚。一子を設けますが、ここでも割礼の儀式を強制されるのに、強い抵抗を感じています。この社会の戒律の中では相当大それたことでしょうが、自然に演じられているのはさすがレニーです。夫はわが子の割礼の瞬間に気を失いますが、これは夫の脆弱性を表すと同時に、ちょっとしたユーモアでもあります。さて、ここから話が展開していきます。

ソニアは、もともと自由な思想を持った女性ですので、この家族や親類の中に入ると息苦しさを増していきます。夜の生活でさえ、夫は神を意識してセックスにあたり、ソニアが反応して求めると、「はしたない」と封じ込める始末。ある日ソニアは自分の欲求をラビに打ち明け、それを聞いた老いたラビは妻に20年ぶりに愛を告白し、亡くなるという事件が発生します。ラビの葬儀の日、ソニアはラビの妻から一言耳打ちされます。

そんな中で、義兄のセンダーがソニアの宝飾品の鑑定眼が一流であることを見抜き、鑑定士として自分のもとで働くことを勧めます。ソニアはすぐに商人としての実力も併せて力を発揮しますが、同時にセンダーと深い関係になります。仕事の中で、ソニアは趣味で装飾品を作っているプエルトリコ人ラモンの才能を発見、これを売り込み、引き合いを取る直前までいったある日、ソニアが外で働くことによって、家庭を顧みなくなったと、夫たちは息子を奪い、離婚を宣言します。行き場のないソニアはセンダーが新たに用意したという仕事場に行きますが、そこは仕事場などではなく、センダーがソニアを囲うために用意した部屋で、怒った彼女はセンダーと絶交し、事務所にラモンの作品を取りに戻ります。しかし、センダーの手筈でソニアは事務所に入れなくなっていました。

ソニアはしばらくラモンと失意の日を送りますが、上手くいかなくなり街を彷徨います。そして、決意を固め、ラビの妻のもとを訪れ、なぜ葬儀の日「ありがとう」と耳打ちしたのか尋ねます。妻は、「20年間みんなの物になっていた夫をあの日一日だけ自分のもとに返してくれた」と言われ、ラビの妻に一つだけお願いをします。そして、ラビたちを何人か引き連れ、センダーの事務所に行き、自分の物だったラモンの宝飾類を取り返しました。ソニアはラモンの元に戻り、新しい生活を始めようとしているところに、夫が現れ、今までの謝罪、2人は合わずいずれ破たんすること、子供には母親が必要であり、いつでも会いに来てほしいということを言い、誕生日のプレゼントを忘れてしまったお詫びに、大きなルビーの原石をプレゼントします。そして、石はカットされ、ラモンの台座に収まるのでした。

しあわせ色のルビー

ということですが、まず感想。

えっ!これで終わり!!

ということでした。メインのストーリーがてっきりソニアの成功物語と思っていた私は、そこから先があるだろう、と思ってしまったのでした。違いました。ソニアが因襲から解き放されて自由を得る話でした。道理で描き方が丁寧で、なかなか話が進まない訳でした。
DVDのジャケットには「感動のサクセスストーリー」とあるけど、これがサクセスストーリーですか???

まぁ、勘違いだから仕方がないとして、このストーリーは、人間の情動と、社会の因襲とを、まさに神学的に、あるいは普通の言葉で折り合いをつけ、解説するような部分があるので、見方が変われば、どっちとも言えるような内容を、言葉と表現で映画としての主張を導こうとしているように見えます。非常に不安定というかそんな宿命を持っているストーリーだと思います。微妙なバランスでしっかり作り上げていることは立派ですが、ストーリー事態が、「そうはいうけど、それってどうよ!」というような、根本的な突っ込みどころをもっているので、そう結論付けられても、しかしね…といくらでも言いたくなるのですよ。それが、細かい突っ込みどころでなく、メインのソニアの行動そのものや、ラストの夫の言葉にまで現れるので。

前半、ユダヤ教の世界をよくここまで描いたと思えるような、しっかりした素晴らしい作りだったので、ストーリーが残念ながら、打ち出した主題を支え切れていません。そんな残念な映画に思えました。

それは、さておき、当時の若きレニー、最高ですね!しぐさ振る舞いは、当時も今も同じ感じですが、ブリジットジョーンズの時と違って、シュッとして、キリッとして、かつ色気もある。最近復活して痩せてきているので、面影が戻ってきているように思います。あちらでは新作(Same Kind of Different as Me)が2月公開とのこと。楽しみです。

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「牝猫たち」 ロマンポルノはやはりこうでなくっちゃ

やっと来ました。ロマンポルノリブートプロジェクト第3弾「牝猫たち」白石和彌監督です。いやぁ、これを見たかったんですよと言いたい。そんな感じでした。日活ロマンポルノがそのまま現代にスライドした感が強いです。全二作が何か違う感が大きかったので、大変満足しました。夜行便で羽田空港に帰国後新宿武蔵野館に直行しました。行ったかいがありました。2016年の映画です。

あらすじ
池袋の夜街をさまよう3人の女。それぞれの悩みを抱える彼女たちは、呼び出された男たちと体を重ねながら、明日に向かってたくましく生きていく。



あらすじが単純すぎるのでもう少し解説。
池袋のデリヘルで働く3人の女性、雅子(井端珠里)、結依(真上さつき)、里枝(美知枝)。その3人とリピーターのお客さんを巡る物語をパラレルに描いていく群像劇スタイルになっています。まずは、雅子の物語から...

雅子
大学を卒業し、OLにはなったものの借金をこしらえ退社した彼女は、住む家もなく、ホテルなどを転々としながら今日の生活をなんとか支えている。そんな中で、3度目の指名をもらった高田(郭智博)と本番行為を行い関係を深め、彼の家に時々泊まるようになる。高田は、もう10年も部屋を出たことが無く、自分のもつマンションの一室にネットを外界との唯一の窓口として生活している。すべての世の中のことがネットを通じて解っているという高田、何もわかっていないという雅子。お仕事とお客さんの中で、微妙な一線を揺れ動きつつ話は進むが、その線は振れれば押し返されるといった関係が続いていく。

結依
小さな男の子を持つ結依は、はすっぱな性格で客あしらいも悪く、店からも注意を受けている。男の子を有料で人に預けて仕事をしているが、愛情が薄く虐待しているようである。そんなある日、彼女は売れない漫才師によばれ彼のトークにのってそのまま本番行為に及び、その後も付き合うようになる。彼が前座で出演するSMクラブに同僚の3人で遊びに行った後、彼女は彼と舞台裏で激しいセックスをし、子供を残し、そのまま2人で消えてしまうが...。

里枝
里枝は不妊に悩み、またさらに夫が不倫していることに気づき、それを契機に夫に黙ってデリヘルに勤めている。上得意は金田老人(吉澤健)であり、1年前に妻を亡くしてその責めに苛まれている。彼は立たないので、一緒に同じ時間を部屋で過ごすだけである。ある日、お金を多く払うからこれ以降フリーで会ってくれと頼まれる。いつもは何もしない二人だが、里枝は何も言わず、彼の前で裸になり体を預けて触らせる。その後、老人は里枝を尾行し、里枝の夫婦生活を垣間見た後、数日して再び指名が入り...。

牝猫たち

というような、3人の話と、デリヘルのそのものの話が絡み合って進んでいくというスタイルになります。最終的には雅子の話で幕を閉じますが、3人のいろいろな生き方と、上手く生きられていない男たちが絡み合うストーリーです。まさに日活ロマンポルノの伝統と、雰囲気をそのまま現在に持ってきた感じで、引きこもり、ネット社会、不妊、独居老人、児童虐待など現代の抱える問題が織り込まれています。舞台は、池袋と都電の走るあたり。このあたりの雰囲気もノスタルジアを感じさせる要因になっています。

この映画は、日活ロマンポルノの名作である、「牝猫たちの夜」(72年田中登監督)が下敷きになっているとのこと、残念ながらその映画は見ていないので早急に!見てみたいと思います。私は、ビルの屋上でセックスをするシーン(これは素晴らしいシーン)から「色情めす市場」をイメージしてしまいましたが、BDのジャケットのイメージが頭に残っているのかもしれません。

預けられた少年が貰うおもちゃに思わず目が行きましたが、なんと大怪獣ガッパではないですか。やはり日活でした。ガッパは少年の夢をのせて池袋の空を飛びます。

この映画は俳優陣の演技も素晴らしいです。真上さつきの椅子の蹴とばしは迫力がありましたが、これはアドリブとのこと。ハングリー精神を地で行く女優さんのようで、この映画によく合っていると思います。それから、美知枝さんが一番エロいような感じがします。また、白川和子は1作目に引き続きカメオ出演でした。

さて、こういう形でリブートしていただいて、白石和彌監督には感謝の言葉もありません。もやもやが取れました。納得しました。
次は園子温監督。タイミングが合えば見たいと思っているのですが、予告編を見た感じではロマンポルノというよりも、園子温監督の映画になっているような感じです。園子温監督の昔からのテーマが垣間見えるような気がするのですが、実際やいかにです。したがって、ロマンポルノという期待なしに見に行きたいと思っています。

【リスト】 ① 裸のエロスを見る作品

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「ケシ畑の小さな秘密」 のどかな風景と内戦の緊張と

GAYO!にあった、コロンビアの映画。コロンビアといえば、麻薬カルテルや内戦など負のイメージが強いのですが、人口4500万人と、中南米でも3位の大国でもあるようです。それだけの人々が住んでいる中で、情勢は混乱し、普通の生活の中でいろんなことが起きている(起きていた)ということは想像できるのですが、日本からは距離的に遥かに遠い国のこと、映画を通してしか中々体験する機会も無く、やはり距離を置いた中での好奇心もあって、見てしまいます。

あらすじ
内戦状態が続くコロンビアで、エミリオと9歳の息子シモンはゲリラの襲撃を逃れ山へ避難する。いとこのウィルソンを頼って行った村では仕事もなく、非合法栽培のケシ畑で働くしかない。シモンは隣家の女の子ルイーザと仲良しになる。ルイーザが、可愛がっていた迷い犬を飼い主に引き取られ悲しんでいると、飼い主が出かけている日中だけ犬を盗み出してルイーザを喜ばせる。だが、二人が遊ぶのは地雷の埋まった森の中、ケシ畑には空から散布される農薬の雪が降り注ぐ山の暮らし。ある日、父の後をつけてケシ畑に迷いこんだシモンは、一帯をしきる麻薬カルテルのボスに見つかってしまう…。



主要人物の背景は中盤までに以下のように組み立てられていきます。

シモン
母や兄弟を民兵の誤射によって殺害された彼は、父エミリオと共に、父のいとこのウィルソンを頼って村にたどり着く。燐家のルイーザと仲良くなり、ルイーザが好きな保健婦の家の犬を昼間だけ盗み出して、持ち主が帰宅する前に戻すという日々を送る。ある日、父の後をつけて、父の職場である麻薬工場に侵入し捕まってしまうが、工場主に気に入られ、以後出入りするようになる。その中で、借金の取り立てにあっているウィルソンに麻薬を盗み出すことを頼まれるが断る。しかし、仲良くしていたルイーザが、ゲリラ側の協力者の家族だったことから、民兵に家族全員虐殺され、自暴自棄になったシモンは麻薬を盗み出すことに同意するが、見つかってしまう...。

ルイーザ
燐家に越してきたシモンといつも二人で遊んでいる。森の向こうに美しい湖があることを知っているが、森の中は地雷原となっており、容易に近づけない。ルイーザは道を知っていてたどり着けるとしきりにシモンを誘っているが、実際定かではない。シモンと犬を盗み出し、その日に返す日々を送っているうちに、民兵がやってきて家族もろとも広場に連れ去られ銃殺されてしまう。

エミリオ
ほとんどの家族を失ってしまった彼は、いとこのウィルソンを頼り、村にやってくる。実直で正直物の彼は、ウィルソンに誘われたケシ畑の仕事は気が進まないが、背に腹は代えられず働き始め、まじめな性格により、幸か不幸か重要な仕事も任されるようになる。ある日、息子のシモンが後をつけて、ケシ畑までついてきてしまい、シモンが工場主に気に入られて、銃の打ち方などを教わっている様子をみて、エミリオは息子が悪い道に足を踏み入れないかと気が気ではない。危険な村で、息子の行動をいつも気にしているが、ある日息子が麻薬を盗み出そうとしているのを知り...。

ウィルソン
エミリオの一家を受け入れ、ケシ畑の仕事で一緒に働く。現実的な男だが借金を抱えているらしく、絶えず取り立てられている。エミリオに麻薬を盗み出してくれと持ち掛けるが、見つかれば銃殺であり、受け入れられない。思案した挙句シモンに頼み、やっと承諾を得るが、見つかってしまい...。

工場主
非合法ケシ畑を仕切っているが、それほど簡単なことではなく、原料不足や、盗難などいろいろと悩まされている。もちろん不正に対しては厳格に臨み、即銃殺である。ゲリラの攻撃も予測される中、生産を不眠不休で行わせている。どうも、過去に息子を殺されたという過去もあるようで、シモンをかわいがり、銃の打ち方などを教え込もうとしている。しかし、シモンたちが麻薬を盗み出そうとしているところを発見してしまい...。

ケシ畑の小さな秘密

という事情から、ストーリー的には最後の一幕となるのですが、この映画はそういったストーリーの結末よりも、シモンとルイーザの物語の衝撃の方が強い造りになっています。始終危険や小さな罪の露見と背中合わせの二人の行動が物語の中心です。戦争の中で少年や少女が犠牲になる映画と言うと、真っ先に思い出すのが、コロンビアの近くの中米の国のエルサルバドルの内戦を描いた「イノセント・ボイス」ですが、こちらは相当強烈なので、同じテーマとして引き合いに出してしまうと、こちらは霞んでしまいます。

この映画の良いところは、やはり、コロンビアの高山帯の美しい自然や、エメラルドの産出国であるコロンビアと、そのエメラルド色の湖の情景と、小さな高地の村の生活。その中での、麻薬生産や内戦との関与などを静かに描いたところではないでしょうか。廃墟になった家などのシーンで内戦の影を象徴しつつ、のどかな風景を美しく描き、かつ、常に日常生活が緊張に包まれている。でも、そこには確かに人の生活がある。そういったいろいろなことが体験できるような、よくまとまった佳作だと思いました。

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プロフィール

torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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