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「エル ELLE(2016)」破天荒なイザベル・ユペールにつきる

イザベル・ユペール主演で、話題を呼んだ映画です。カンヌ映画祭でノミネート作品となりました。イザベル・ユペールはゴールデングローブ賞で主演女優賞。オスカーは主演女優賞ノミネートでした。2016年の映画で、フランス、ベルギー、ドイツ合作作品。監督は、ポール・バーホーベンです。
原題:Elle (2016)

あらすじ
ゲーム会社のCEOであるミシェル(イザベル・ユペール)は、ある日、家に侵入してきた男に強姦されてます。しかし、過去のトラウマから、ミシェルは警察に通報せず、独自に犯人を見つけようとしました。元夫のリシャール(シャルル・ベルリング)とは、いまだ関係修復されておらず、親友のアンナ(アンヌ・コンシニ)の夫ロベール(クリスチャン・ベルケル)とは、愛人関係にあり、このレイプについては、彼女にとって疑わしき相手が何人もいました。その上自分の会社では絶対権力者で、部下の一部から恨まれているのも事実でした。隣人のパトリック(ローラン・ラフィット)は、ミシェルを心配して懇意にしてくれ、ミシェルも彼に好意を持つようになります。一方、彼女の会社では、少女がモンスターに強姦されるゲーム映像に、ミシェルの顔写真をコラージュしたものが、社員のPC間で流されていました。それでもミシェルが警察に相談しないのは、ミシェルが幼い頃、父が連続殺人を犯し、ミシェルが連日大きく報道され続け、警察と世間に不信感を持っているのでした。

再び男が押し入り、今度は抵抗すると、なんと男はパトリックでした。理由を問いただすと、彼は女性を襲わないと男性が機能しないと語ります。ミシェルもそんな関係に興奮を覚えてしまいましたが、その頃母が他界。刑務所の父も相次いで亡くなります。刑務所で父を看取った帰り、ミシェルが運転する車が横転。彼女は、パトリックに助けを求め、その後、ミシェルは承知の上でパトリックに襲われます。ついに製作中のゲームも完成し、ミシェルは制作者を高く評価しました。そして完成パーティーは息子のヴァンサン(ジョナ・ブロケ)が取り仕切りますが、そのパーティーでミシェルはアンナに、アンナの夫と愛人関係であることを告白します。アンナは涙ながらに席を立ち、ミシェルはパトリックと帰路につきました。自宅では、豹変したパトリックが再び襲い掛かり、ミシェルも激しく抵抗。高揚が訪れるその時、帰宅したヴァンサンがパトリックを撲殺してしまいました。一連の騒動で、周囲の友人や家族がすっかり少なくなってしまったミシェルでしたが、アンナはそれでも彼女の味方でいてくれたのでした。



エル ELLE(2016)

いろいろと壊れた人やカップルがいっぱい出てくる映画でした。その中で、不動の精神力を持つワンダーウーマンのようなイザベル・ユペールが大活躍している感じです。過去に経験した事件から始まった波乱の人生ですが、これまで生きてくる過程で経験した数多くの誹謗中傷や、内なる自分と戦ってきた精神力から、その辺のレイプ魔に負けるわけがないというくらいの、装甲車並みのハートを持っているようです。それをどう使うかは、彼女の気分次第。正解か、不正解かは、神のみぞ知る。そんな感じでしょうか。これは、イザベル・ユペールの女優経験値だからこそ、できる役かもしれません。

同じく、過去の事件の被害を受けている、母親のイレーヌも、なかなかぶっ飛んだ行動をしているようです。この尋常でない母娘の周りに集まった人たちは、二人に触発されてか、多かれ少なかれどこか変わった部分を持つ人が集まってきた様子。二人のキャラに引き寄せられて来たのかもしれません。そんな環境で育ってしまったヴァンサンは、心情的な対立もあったのでしょう。素直になろうとしてもなり切れない感じです。そういった、たくさんの登場人物の、面白いエピソードを連ねていって、ミシェルの生涯を浮き彫りにしていき、その目から見たいろいろな男と女の一面を表現していく。そんな構成に思えました。

しかし、全体として雑然としたごった煮感がつきまとうのは、ポール・バーホーベンだからだと思っています。とにかく、トータル・リコールにしろ、スターシップ・トゥルーパーズにしろ、素晴らしい素材を、薄っぺらいスーパーB級映画にしてしまうという、類まれな才能を持った監督さんです。一つ一つのエピソードは、とてつもなく面白く楽しめるものを作るのですが、芯がない感じになっちゃうんですね。今回はイザベル・ユペールだからこそ、ここまで面白い映画になったのではないでしょうか…と思う次第です。

2020.3.1 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞
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「ショック療法」 シュールでスタイリッシュな美しいスリラー

70年代の昭和を感じる9月その4。昭和といいつつ、フランス映画なのですが、まぁ、70年代の雰囲気を感じられれば、その頃の昭和も思い出すという事で…。今日は懐かしいアラン・ドロンの鑑賞です。1973年の映画で、監督はアラン・ジェシュア、フランス・イタリア合作の作品です。
原題:Traitement de choc (1973)

あらすじ
もうそろそろ40歳という声も聞こえて来そうなエレーヌ(アニー・ジラルド)は、仕事では成功していたものの、しのび寄る老いにも不安を感じじつつ、人生に疲れ果てていました。彼女は、友人のジェローム(ロベール・イルシュ)に誘われて、海辺のアンチエイジングを目的としたサナトリウムにやってき来ました。エレーヌは雰囲気のいい静かなサナトリウムで、神経をいやすゆったりした静養をはじめ、同じ治療を受ける仲間たちとも打ち解け、リラックスした日々を過ごすことになります。そして、サナトリウムの主治医は、ドクター・デビレ(アラン・ドロン)という美男で、疲れた患者に活力を取り戻させる術を心得た名医と評判で、患者たちからも人気でした。

エレーヌは海洋治療から始める事になり、素っ裸で患者たちと海辺で戯れたりと、開放的な日々を過ごし、彼女はすぐに活気を取り戻していきますが、彼女はふと、療養所の職員が総てポルトガル人の美少年で、患者との交流は制限され、中には生気の無い職員もいるのが気になり始めます。やがて、いつも食事を運んでくる少年がが倒れて消えてしまい、さらに治療費が底をついたジェロームが、死体になって発見されます。彼は死の前に、この療法は抜けられなくなると言い残していました。エレーヌは恐ろしくなって、治療を中断して帰ろうとしますが、医師たちから阻止されました。

港のカフェの主人によると、この町は警察も含めてすべてサナトリウムの息がかかっているとの事。エレーヌはデビレとベットを共にしながらも、秘密を探りはじめ、ついに脱走を試みますが、医師や職員たちに追われ、サナトリウムに逃げ込むと、地下室で恐ろしい秘密を発見します。それは、不法入国の外国人たちを弱らせ、死ぬと臓器や血液を利用して、治療用の薬を製造していたのでした。そこにデビレがやってきてもみあいになり、エレーヌはデビレを殺してしまいます。そして、警察に逮捕され、サナトリウムの息のかかった警察は、エレーヌを狂人として扱うのでした。



ショック療法

コメディっぽい映画かなと思っていましたが、全く違いました。ちょっとシュールなスリラーでした。あまり深くは語りませんが、サラッとした流れの中で、見せてくれるスリラーで、私はこういう映画は大変好みなのでした。美しい観光地のような映像。白を基調とした無機的な建物やヨーロッパ風の部屋。淡く明るい色を取り入れたファッション。スタイリッシュな映像に引き込まれていきます。そこで起こる、ちょっとカルトなグループっぽい会話と、奇妙な職員のパフォーマンス。あくまでも美しいモダンなヨーロッパ風の造りに見とれてしまいました。

ヌードも普通に出てきますが、ごく自然で開放的過ぎで、エロを感じるものではありません。ボカシもほとんどなかったかな。さすがに、アラン・ドロンの全裸の疾走は、きっと揺れているであろう、その部分にボカシが入っていました。ストーリーから、グロくしようと思えばいくらでもできそうで、恐怖感を掻き立てようとすればそれも可能なストーリーですが、それらは控えめ。あくまでシュールでスタイリッシュなのでした。主役はドロンではなく。アニー・ジラルドの方でしたね。マニエルが窓の向こうで首を傾けている構図とか、雰囲気が出ていて良かったです。

アラン・ドロンの映画も久しぶりに見て、とても懐かしいのですが、同時代に見ていたというより、ある程度時間が経ってから固めて見たので、70年代の記憶が蘇るかといえば、そういう映画ではありませんでした。しかし、車やファッションなど、当時のものですので、ちょっとモダンになった時代の美しさを持っていました。美しい映像と、フランスの名優を楽しめた、楽しい時間であったと思います。

2020.9.9 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「エヴォリューション」 新感覚のニューウェーブSF映画

ヨーロッパのSFらしい雰囲気が面白そうで見始めました。どうやら公開時に話題になった、カルトっぽいSF映画のようです。2015年の映画で、フランス・ベルギー・スペイン合作作品。監督はルシール・アザリロヴィック。各地の映画祭での受賞歴もいろいろとあるようです。
原題:Évolution (2015)

あらすじ
二コラ(マックス・ブレバン)は海辺の集落に住んでいる男の子。ある日、海に潜って同年代の少年の水死体を見つけてしまいます。腹には赤いヒトデがついていて、母親(ジュリー=マリー・パルマンティエ)に話しても信じてもらえません。いつものように薬をもらい、ノートにヒトデや動物の絵を描いてから海辺に行き、もう一度潜ってみましたが、そこには何もありませんでした。ある日、母に連れられて病院へ行くと、注射と腹部に何か処置をされ、一日だけ入院することになりました。同じ頃、友達のヴィクトルも一泊の入院をしていました。看護師のステラ(ロクサーヌ・デュラン)は、二コラが絵を描くことに興味を持ち、描いた絵を見せてもらうと、そこには海辺だけでは見られない動物や、都会を思わせるものも描かれていました。

帰宅した二コラは、夜になると母親たちが海辺に行き、母たちだけで快楽にふけっている姿を見ます。そして、その背中には異様な痣が一様に刻まれていました。家へ帰って寝付けない二コラは、母が帰ってシャワーを浴びているのに気づき、覗いてみると、背中には吸盤があることを発見します。翌日、二コラは病院へ再び連れて行かれ、今度はそのまま入院させられてしまいます。ステラは絵を描くための道具を彼に渡します。夜になると看護師たちは、集まって帝王切開の映像を見ていました。そして別の部屋では、手術台の男の子と、その横で何かを瓶に詰める看護師。瓶はそのまま同じようなものが並べられている保管庫に置かれました。自分がどうなるのか疑念を持ち始めた二コラは、絵を描いているうちにステラに尋ねられ、母が本当の母親ではないことに思い当たります。

夜になって二コラは、一人で病院の中を見て回り、水槽の中に入れられたヴィクトルを見つけます。そして、途中で出会ったステラに連れられ、病院の地下の海に繋がった場所に行きつきました。そこで服を脱いだステラの背中にも、吸盤がついていました。この村の女性は、少年たちを苗床にして子孫を増やしているのでした。そして、二コラの中に植え付けた胎児を取り出す処置が行われ、次に目を覚ますと、水槽に入れられていました。自分の身体に吸い付いている小さな胎児を見てパニックを起こした二コラは、ステラに助けられ、小さなボートで病院の地下から夜の海に脱出します。そして沖まででると、彼女は二コラを残して海に入り、しばらく漂ううちに、二コラの目の前には、工場地帯の夜のような光が溢れてくるのでした。



エヴォリューション

ちょっとアート系の不思議な話と期待して鑑賞しました。そして、まずまず期待どおりでした。なんとなくミュータントものを思わせるSFファンタジーで、美しい映像の中での、ミステリアスなお話です。その創造された不思議な世界のみを描いている感じは、成熟期のニューウェーブ系のSF的な風味を感じさせます。こういう雰囲気はけっこう好みなのでした。SFと言えば宇宙ものとか。あるいは派生してくるホラーとかが主流になっていますので、こういった独特の世界観の創造は久しぶりで面白いと思いました。

語られているストーリーは、この世界の謎解きというか、そこまでいかない説明に終わっているので、明確なストーリーと言うほどのものでは無いようです。女性たちの正体も、ミュータントであるのか、あるいは知られざる生物か、はたまた宇宙からの来訪者かは、定かではありません。どちらかと言えば短編小説を読む雰囲気。情景を切り取ったような感じです。その中で表現されている世界は、若い女性と男の子たちだけの世界で、女性は夜な夜な海岸に出て生殖の無い光悦に浸る。男の子は養育され種を植えられて出産をさせられる。言わば男女が逆転し、快楽と種の保存も分離している世界。そこに奇妙な違和感を感じます。何か、むりやり解らせられたようなといいますか、出産ってどういうものなのかと、今までとは違った視点で考えてというか、感覚的に感じてしまいました。

ラストは、ボートで目が醒めたあたりで、夢落ち的な終わり方かと思いましたが、そういう訳でもなかったです。それはそれでありかなと思ったのですが。看護婦の女性に、他の女性とは違った感覚を感じさせます。ラストのプラント群は、さしずめ物質文明との対比とか考えれば、ひところのSFの常套的な語り口にもなります。ただ、昔のSFのように、世界観が単純に割り切れないところが、やはり今風のファンタジーだと思いました。

2020.2.29 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞

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「戦場のピアニスト」 為す術の無い戦争の現実を克明に表現

名画を見る8月その14。かなり昔、この映画はいいよと大いに勧められた記憶がありますが、それから長い時間を経ての鑑賞です。2002年の映画で、フランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作の作品。監督は、ロマン・ポランスキーです。カンヌ映画祭のパルムドールを受賞。アカデミー賞では作品賞他7部門にノミネートされ、監督賞、脚色賞、主演男優賞を受賞しました。キネ旬ベストテンでも1位を獲得しています。
原題:The Pianist (2002)

あらすじ
1939年、ワルシャワのユダヤ人ピアニスト、シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)がラジオ局で録音中、ドイツはポーランド侵攻を開始。これに、イギリス・フランスも参戦し、戦火が拡大します。 ドイツ占領下のワルシャワでは、ユダヤ人の迫害が始まり、ダビデの星の腕章をつけることから始まって、1940年後半には、ユダヤ人はゲットーに押し込められ、飢餓と暴力の前に、常に死の恐怖にさらされました。シュピルマン一家は、労働証明を取得し、なんとか生き延びてきましたが、ある日、絶滅収容所行きの貨物列車に乗せられます。しかし、シュピルマンだけは知り合いのユダヤ人警察署長のヘラー(ロイ・スマイルズ)に助けられます。

残されたシュピルマンは、労働力として集められたユダヤ人男性たちに混じり、強制労働に従事。ここでシュピルマンは、ドイツによるユダヤ人絶滅計画と、生き残ったユダヤ人たちが蜂起の準備をしていることを知ります。シュピルマンは、仲間の配慮で食料調達の仕事に回され、これを利用して、武器の調達も進めていきました。そして、知人と連絡をとり、食料調達のため街に出た夜、レジスタンスを頼ってゲットーを脱出。ゲットーのそばの建物の一室に隠れ住むことになりました。ほどなくワルシャワ・ゲットー蜂起が勃発。シュピルマンは部屋の窓からドイツ側との激しい交戦を繰り返す仲間たちを眺めますが、やがて蜂起は鎮圧され、ゲットーのユダヤ人はほぼ全滅してしまいました。

その後、匿ってくれていたレジスタンスが摘発され、非常時の連絡先として渡されていたメモを頼りに訪ねていくと、そこにはかつての知人のドロタ(エミリア・フォックス)がいました。シュピルマンはドロタの夫ミルカ(ヴァレンタイン・ペルカ)に匿われ、ドイツ当局の向かいに隠れ住みます。やがて、ミルカ一家はドロタの実家がある郊外に避難。1944年のワルシャワ蜂起を迎え、シュピルマンは再び隠れ家から激しい戦闘を目の当たりにします。蜂起はソ連軍の黙殺もあり、ドイツに鎮圧されると、ワルシャワは徹底的に破壊され、シュピルマンは、廃墟と化した町の中で放浪することになりました。

ある日、比較的しっかりした廃墟の屋根裏に身を隠したシュピルマンは、夜一人で現れたドイツ将校(トーマス・クレッチマン)と鉢合わせします。将校は、彼がピアニストと知ると、残されたピアノを弾かせ、シュピルマンはショパンのバラードを演奏。見事な演奏に聞き入った将校は、この一軒家に部隊の拠点を設け、極秘裏にシュピルマンに食料を差し入れたのでした。やがて、ソ連軍が迫り、将校はシュピルマンにコートと食料を渡して撤退。その後現れた友軍に救われ、逃亡生活はようやく終わりを告げます。終戦後シュピルマンは、同僚からソ連軍に捕らえられたドイツ軍将校の一人が、シュピルマンを助けたと主張するのを聞いたと教えられます。しかしその将校の名前は解らず、痕跡を示すものは何も残されていませんでした。シュピルマンは音楽界に復帰、名ピアニストとして活躍を続けました。



戦場のピアニスト

この映画に関しては、ピアノを中心とした重いドラマという先入観を持っていて、なんとなく見ずに時間がたっていていたのですが、実際見てみると、ピアニストのユダヤ人から見た、第二次世界大戦の歴史ドラマでした。そういう映画ですから、ホロコーストに関連する場面も出てきますが、それ以前にワルシャワ市内に住むユダヤ人の様相が地獄絵図として描かれ、厳しくリアルな表現が続きます。したがって絶滅収容所の様相は、想像に任せるということで、この映画の中では登場していません。描かれた期間は、ポーランド侵攻のその日から、終戦までとなっていました。

全編通して妥協のない映像が展開します。主人公やその周辺は勿論、大勢のエキストラなど市井の人々まで、真に迫った演技がありました。多くの人が殺されますが、その倒れ方まで一つ一つがリアルです。視点は、主人公の体験する、大きな戦争の中でのごく狭い範囲ですが、その映像は雄弁で、ワルシャワで行なわれた戦争の総てを語っているように思えました。ドイツ軍の病院の前で撃たれた女性がそのままの姿で時間が経過していくところなど、印象に残ります。ワルシャワ蜂起では、20万人の民間人が死亡したと言われていますが、まるで死の映像を以てその人生を語るような迫力でした。

廃墟となった町に歩いていく主人公の構図。「ドイツ零年」の構図とそっくりです。あれはベルリンでした。このような事がヨーロッパの各地で行われたことと思います。ふと、この様な状況に置かれ、死が身近に迫った時に何を感じるかと考えてみますが、想像もできませんし、言葉でも表せません。それをリアルに映像化して見せたこの作品は、まさに戦争とは何かを表現し尽くしています。それも、現実の人間の社会の出来事。いつでも起こりえる事であり、その場には演技ではなく、現実の人間が生活していたという事実を改めて認識させられる映画でした。

2020.8.13 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「幸福 (しあわせ)」 至上の美の表現による強烈なアイロニー

名画を見る8月その6。今回は、「幸福(しあわせ)」。1965年の映画で、アニエス・ヴァルダ監督の作品です。ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員特別賞)受賞、1966年度キネ旬ベストテンで3位となりました。
原題:Le bonheur (1965)

あらすじ
ある夏の休日、フランソワ(ジャン=クロード・ドルオー)一家は、ヒマワリの咲く森にピクニックに出かけました。彼は家の内装が専門の大工で、近所の親戚の会社で働いています。妻のテレーズ(クレール・ドルオー)は家で洋服の仕立ての仕事をしています。二人には、ジズーとピエロという幼い男女の二人の子供がいて幸せに暮らしていました。ある日、フランソワは仕事先の町の郵便局で、エミリ(マリー・フランス・ボワイエ)という女性と出会います。二人は、一目で惹かれ合い、エミリは次の月にフランソワの住む町に引っ越すことが決まっているということで、フランソワは家の内装を手伝うことを約束します。

客の娘の結婚式の為に、ドレスを仕立てたテレーズは、結婚式に招待されますが、その日フランソワは引っ越してきたエミリの部屋を訪ね、自然に関係を持ちました。その後もフランソワは定期的にエミリの部屋を訪れ、エミリに、一緒にいると幸福を感じる。家で妻といるときも、妻を愛しており、幸福である。同じように二人を愛していると話します。ある休日、フランソワ一家は、森にピクニックにでかけ、テレーズは以前以上にうれしそうな夫が気になり原因を尋ねると、フランソワはエミリのことを話し、二人とも愛していて幸福であると告白します。テレーズは納得してセックスの後、ひと眠りしたフランソワは、テレーズがいないことに気づきました。そして、テレーズの溺死体を発見するのでした。

テレーズの葬儀も終わり、ショックから立ち直れないフランソワは、子供たちを親類に預けて暮らすことになります。そして、フランソワはエミリを訪ねて求婚し、エミリは、テレーズの代わりは嫌と言いますが、代わりではなく、エミリも妻も愛していたと話し、エミリは承諾します。エミリはやがてフランソワの二人の子供を世話するようになり、平穏な生活が戻ってきました。そして、森が高揚に色づくころ、家族みんなで以前と同じように、ピクニックに出かけるのでした。



幸福 (しあわせ)

冒頭のタイトルバック。ヒマワリが咲き乱れる中をやってくる家族の映像に、何度もこちらをじっと見ている様な一輪のヒマワリのアップが映されます。幸福という映画の題名で、美しい音楽が流れる中で、不穏な雰囲気を醸し出しています。前半は、家族の愛情にあふれた美しい原色の映像が、モーツァルトの音楽に乗って続きます。結婚式の衣装を仕立てたり、どこまでも幸せな情景。しかし、夫は出先の女性とデートするようになり、不倫関係へ。普通はここからドロドロの不倫関係に移行するはずが、夫は両方愛していると言い始め、調子に乗って爽やかに妻にも同じことを言って破綻が…。

不倫には言っていいことと、いけないことがあると思いますが、調子に乗り過ぎですね。再婚できたという事は、エミリに妻の死に前に、妻に対して言ったことは話していないのでしょう。顛末を話したならエミリも離れていきそうです。秋の森に降り立ったフランソワの少しの間が、思わせぶりです。この幸福は、前の幸福と違うことを表現しているようです。音楽ももちろん変わっていますし…。と書いてみると、普通の不倫劇の感想になってしまいますが、もちろんこの映画の表現の中にはいろいろとテーマもありそうで、至上の幸福みたいな前半の映像と、見かけだけの幸福みたいなラストと、本人だけの幸福と、いろいろ描かれていました。

その問題のフランソワの行動ですが、不倫中の男の妄想と言い訳をそのまま絵にしたような物語。一種の願望の表現であり、渦中にいると、思い込みがちなことではないでしょうか。それに対して、こういう結果になるよと鉄槌を下しています。かなり唖然とするような皮肉な表現です。最初のこちらをじっと見つめるヒマワリは何だったのでしょう。良識ある観客の眼ですかね…。とにかく、音楽と映像が美しい映画。この映像シェルブールの雨傘の美しさを思い出します。そんな雰囲気の中で、強烈なアイロニーで表現される、衝撃的な映画でした。

2020.8.6 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「スペシャル・フォース」 タリバンの追撃を逃れる逃避行

この映画は、アフガニスタン紛争関連のフランスアクション映画。フランスの特殊部隊が活躍する映画のようです。エンターテインメントかなと思って見始めましたが…。2011年の映画で、フランスの作品。監督はステファヌ・リボジャです。
原題:Forces spéciales (2011)

あらすじ
アフガニスタンのカブールで、フランス人ジャーナリストのエルサ(ダイアン・クルーガー)は、タリバンの人身売買に関する取材をした後、武装集団に拉致されてしいました。監禁されたパキスタンの村で、武装集団のリーダー・ザイエフ(ラズ・デガン)が、エルサを脅迫し、一方フランス政府は、事件解決の為、現地にコバックス(ジャイモン・フンスー)率いる特殊部隊「スペシャル・フォース」の6人を派遣。アフガニスタンとパキスタンの国境付近の上空から、パラシュートで降下し、村の偵察に向かいます。エルサが取材した女性が、タリバンに銃殺されている瞬間を目撃し、彼らは強行突入を決め、アジトに侵入しました。エルサ以外にも、アフガン人男性のアミン(メーディ・ネブー)も監禁されており、二人を救出して脱出します。

アジトに戻ったザイエフは怒り狂い、タリバン兵を集め、追跡を開始しました。まず、6人のうち合流できなかったエリアス(ラファエル・ペルソナ)が追い詰められで倒され、エルサたち7人は、国境を目指して山岳地帯に入っていきますが、それには極寒の雪山を越えなければいけません。険しい岩山を、散発的な銃撃を受けながらも、ひたすら歩き続け、小さな村に立ち寄ります。村長は、「我々は敵でも、客人はもてなす」と語り、食料を与えられ、和やかに交流しますが、追ってきたタリバンが侵入し、激しい銃撃戦となってしまいます。その中で。隊員のマリウス(Alain Alivon)は銃殺され、村長やアミンを含め、多くの死者が発生。さらに隊員のビクトール(アラン・フィグラルツ)も重傷を負ってしまいます。

村を後にした一行は、雪山の行軍となり、ビクトールは、吹雪の中で衰弱して凍死。エルサと3人で歩き続けますが、エルサの足が凍傷となり、交代で背負いながらの厳しい行軍を切り抜け、ようやく雪山を脱出しました。しかし追ってきたザイエフが現れ、隊員のリュカ(ドゥニ・メノーシェ)を射殺。コバックスは、怒りに任せてザイエフを銃殺します。リーダーを失った武装集団は散開しましたが、国境はまだ遠く、隊員のティクタク(ブノワ・マジメル)は怪我を追い、コバックスも崖崩れで負傷してしまいます。足が回復したエルサは、一人で進むように言われ、彼女は必ず戻ると約束し、国境を目指して歩き続けました。そして、砂漠の真ん中で倒れたところで、通りかかった車に救出され、病院で目覚めると、捜索を要請。ヘリから山中にいる2人を発見し、生きて再会できたことを喜び合うのでした。



スペシャル・フォース

思っていた以上に、真面目な映画でした。ストーリーは、タリバンに拉致された女性ジャーナリストをフランス特殊部隊が救出に向かい、女性は無事確保しますが、タリバンの反撃に会って回収部隊と合流できずに、タリバンの追撃を受けながら、雪山越えをしていくというもの。シンプルなストーリー展開で、後半はほぼ山越えのサバイバルシーンが占め、一人また一人と命を落としていきます。雄大な風景を舞台にした、美しい映像の連続する映画でもありました。

戦場のアクションと言えば、ハリウッドの娯楽性を織り込んだものに見慣れているためか、展開も人物描写もアッサリしていると思いました。特に、一人一人の人物描写の表現が抑制されていて、強烈な個性が感じられず。任務に忠実にチームワークを守っているという印象を持ちました。生真面目に感じるのはこういったところかもしれません。特殊部隊はあくまで政治や損得に関わらず、あくまで任務に忠実な部隊という形で描かれていました。そういう意味で、あまり作品に入り込めなかったという感じもしています。

敵役のザイエフの描き方が最も強烈に感じました。寡黙な人物のようですが、極めて冷酷な男として登場します。その割に倒されるところはアッサリして驚きました。いつも通り冷酷に対処していればそうはならなかったかもしれませんが、どうもダイアン・クルーガーに手を差し延べたあたりで、調子がくるっているようです。もう一人の美女はマイーナのモルジャーナ・アラウィですが、ホラー系が多いようで、あのフランス版マーターズのヒロインなんですね。こんなところでお目にかかるとは…。

2020.4.20 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「不機嫌なママにメルシィ!」数奇な生い立ちを語る一人舞台

フランスのコメディではないだろうか、と思っての鑑賞です。実際、確かにコメディではありますが、かなりシリアスなテーマもあり、また家族のテーマでもありました。2013年の映画で、フランス・ベルギー合作。監督は、ギョーム・ガリエンヌ。カンヌでは監督週間で上映され、SACD賞、C.I.C.A.E.賞を受賞。セザール賞では作品賞以下いくつかの部門で受賞しました。

あらすじ
舞台裏で準備をするギョーム(ギョーム・ガリエンヌ)。声がかかり、ギョームの一人舞台が開演し、その内容に応じて、過去の物語が映し出されていきます。

ギョームは、エレガントな母(ギョーム・ガリエンヌ・二役)の影響を受け、成長していきます。スペイン語を習いたいと申し出たギョームは、母の準備したホームステイ先に渡航。フランス語が全く通じず、フラメンコのパーティーに出るため、女主人に踊りを習いますが、それは女性の踊りで、当日は嘲笑の的になります。しかし、女っぽいことを逆に喜ぶギョームなのです。彼は、自分が母親に間違われるほど母親の仕草を真似して育っていました。母はギョーム対してはいつも不機嫌で、ギョームは運動はすべてダメ、女性的な習い事を希望すると、父(アンドレ・マルコン)にすべて黙殺され、ギョームは自分の部屋で、ブランケットをドレスのように巻き、空想の中で女性になって遊んでいると、父に見つかり、男子校の寄宿舎へ入れられてしまいました。

寄宿舎では、ゲイだといじめられ、その事実を知った両親は、今度はイギリスの寄宿学校へ転校させます。イギリスでは、ジェレミー(チャーリー・アンソン)と親しくなりますが、彼が他の女生徒と深い仲になっているの知り、ショックを受けます。ギョームは自分をゲイだとは思っていませんが、女性の仕草に魅力を感じ、細かな仕草までまねするようになり、両親はついに、彼をカウンセリングに通わせますが、全く改善の兆しはありませんでした。そこで、荒療治として、モロッコ旅行時に、ゲイのクラブに送り込み、彼に目をつけた一人の男が、彼を連れ帰りますが、ギョームがアラブ人でないとわかり、追い出されてしまいました。

彼は、今度は逆に女の子たちのパーティーに招かれ、そこで出会ったアマンディーヌ(Clémence Thioly)の美しさに恋をしてしまいます。ある日、彼をゲイだと言い張る母に、アマンディーヌと結婚したいという事と、母がなぜ不機嫌かについても解ったと打ち明けます。母はギョームが他の女に恋をするのが嫌で、元来女の子を欲しがった母は、ギョームを女の子のように特別扱いしていたのでした。

舞台上ではギョームの一人舞台も終わりを迎え、客席には母も来ていました。楽屋に戻ると、花と一緒に母からのメッセージが届いていたのでした。



不機嫌なママにメルシィ!

とりあえず、見始めて、ひとり舞台で主人公のギョームが語る話が、映像化されていくものと理解。ギョームの母への賛辞から始まって話が進んでいきます。ギョームは母のことをエレガントといいますが、あまりそんな感じは受けず、強引でパワフルな母親の様に思えました。そして、LGBTの話かなとも思いましたが、どうも、決定的でもないし、まぁ、マザコンであることは間違いなさそうだなと思ったりしていました。ギョームは母からゲイと指摘され、ゲイということと、自分が女の子と思うことに一線を引くところなど、ちょっと複雑に感じました。

そして、結論としては普通に男性でしたが、その時、常に女の子を持ちたいと思っていた母親の、複雑な気分が表現されていきます。そんな母の影響もあって、いろいろと回り道をしつつ、複雑な性格を宿していったギョームですが、その変遷を見つついろいろと考えてしまいます。LGBTと表現されるものについて、一元的固定感でくくってしまっていたことも結構多いのですが、こうしてみると、なかなか幅広いと思いました。性嗜好が絡むところや、同一世障害までいろいろで。内容や表現など多岐にわたるようです。

とまぁ、見終わっていろいろ調べているうちに、やっと気づいたのですが、ギョームとママは二役だったのですね。全くわかりませんでした。それも、自らの経験が元になっているという事で、なかなか説得力があります。そうしてみると、ギヨーム・ガリエンヌは、監督脚本、そして主演男優、主演女優といくつもの役をこなしながらの作品なんですね。驚きました。内容としては、LGBTをテーマにしつつ、家族と成長の姿を現す、面白いドラマであったと思います。

2020.5.18 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「あさがくるまえに」 素晴らしい叙情表現を体験する時間

雰囲気のよさそうな、フランス映画があったので、見てみました。2016年の映画で、フランス・ベルギー合作作品。監督はカテル・キレヴェレ。これが、長編3作目になります。ヴェネツィア国際映画祭では、オリゾンティ部門にノミネートされました。

あらすじ
夜明け前、シモン(ギャバン・ヴェルデ)は隣に眠るガールフレンドと目を交わし、窓から外に飛び出していきます。そして友人と合流し、サーフィンを楽しんだ帰途、友人の居眠り運転で脳死となってしまいました。臓器移植コーディネーターのトマ(タハール・ラヒム)は両親に、臓器提供を求めますが、父親は声を荒げて帰ってしまいます。父親が帰る途中、渡された息子の携帯に恋人からの電話が入ります。そして、家についた両親は、息子を思い出しながら決意を固め、再びトマの元を訪れて、目以外の移植に同意するのでした。

音楽家のクレール(アンヌ・ドルヴァル)は心臓が末期的症状であると自覚していました。二人の息子のうち、兄が母親を支え、弟は遠くから時々帰ってくるだけです。そして、生きるには心臓移植しかないと告げられ、人の心臓を使ってまでと悩むのでした。クレールはあるコンサートにやって来て、演奏が終わると、かつての同性の恋人である奏者と言葉を交わし、彼女は病気を知らせてくれなかったと憤りますが、クレールは「私といたら、今のあなたの成功は無かった」と答えました。夜もふけた頃、クレールの主治医のもとに、あるドナー仲介者から連絡が入りました。

トマは、降り立った医師を飛行場で迎えます。クレールにも連絡が入り、息子を待つので待ってほしいと話します。もしかして二度と会えなくなるかもしれないと、クレールは涙を浮かべます。シモンの心臓摘出手術が開始され、「血流遮断」と医師が告げた時、トマは、シモンの耳にイヤホンをはめました。恋人が選んだ波の音が流れていました。摘出された心臓は、飛行機で運ばれていきます。トマはシモンの体を丁寧に拭き、母親にメールを送ります。そして、母親は、メールを夫に見せ長い間寄り添いました。クレールの移植手術も順調に進み、心臓が動き出しました。翌朝、手術室の前では、クレールの息子たちがもたれ合って眠っていました。手術から目覚め、眩しそうに目を開けたクレールの目から、涙が今にもこぼれ落ちようとしていました。



あさがくるまえに

脳死となってしまった青年と、移植手術を受け入れる女性の物語。その一連の動きが順を追って丁寧に描かれていると思いました。前半は、恋人の部屋を抜け出した青年が、早朝のサーフィンの後交通事故で脳死状態に。そして、その両親が息子の臓器移植を受け入れる葛藤が描かれています。後半は、心臓に疾患を抱え、歩くこともままならない女性の話。重大な手術を受け入れる家庭が丁寧に描かれています。そして、それをつなぐ医師や関係者の行動があります。

表現の方法が秀逸と思いました。核心の場面を直接語ることをしません。前後の様子から、その葛藤を想像させる手法です。どう想像するかは、見るものにゆだねられています。事故の場面は実際のクラッシュは描かれず、極度に詩的な表現でその悲劇が表現され、迫力があります。両親の判断の場面もなく、前後の事実があるだけですが、その前後の俳優の言動でその葛藤を表現します。そして、手術の時に息子が現れない情景で、これでもう会えないかもしれないという大きな不安が表現されます。

こういった間接的な表現ですべてが語られていく映画。ラストの目覚めの表情も含めて、これは上手いなと思いました。すべてを見終えた後でも、映画の中で流れる情感に漂いながら、独特の世界に連れて行ってもらった感じがしました。そして、コーディネーターが波の音を聞かせる場面は大変感動的でした。クレール役のアンヌ・ドルヴァルさんは、なかなか雰囲気があって良かったと思います。カテル・キレヴェレ監督は、これが日本初公開とのこと。いろいろと見てみたいと思いました。

2020.02.12 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「オーケストラ!」 ソ連共産党時代の回顧と風刺をこめて

ボリショイ交響楽団を題材にした映画と言うか、かつてのソ連政権下を代表する楽団ということで、名前を使ったという位置づけかと思います。2009年の映画で、フランスの製作。監督はラデュ・ミヘイレアニュ。ゴールデングローブの外国語映画賞ノミネート、セザール賞や、ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞の受賞もあります。

あらすじ
ボリショイ劇場の指揮者だったアンドレイ(アレクセイ・グシュコフ)は、ブレジネフ時代に解雇され、今では劇場で清掃員の身。ある日、支配人の部屋を掃除中、パリからの出演依頼のファックスが入り、アンドレイはそのファックスを奪うと、かつてのオーケストラの仲間を集めてパリで演奏をすることを思いつきます。友人のチェロ奏者のサーシャ(ドミトリー・ナザロフ)に計画を持ち掛け、活動開始。交渉役として、かつて自分を解雇した共産党員ガヴリーロフ(ヴァレリー・バリノフ)にやむなく頼みました。曲目はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ソリストはアンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)を指名しました。アンヌ=マリーは快諾しますが、アンドレイを知るマネージャーのギレーヌ(ミュウ=ミュウ)は、思惑を察知し警戒します。アンドレイは二週間の間に、30年ぶりの昔の仲間を集め、ビザはジプシーのヴァイオリニストが、空港で偽造パスポートを仕上げました。

ホテルに着くと、団員たちはお上りさんなみに大騒ぎ。まずギャラを要求すると、それぞれ行きたい場所へ解散してしまい、アンドレイはリハーサルには来るように叫びますが、翌日来たのはサーシャとスポンサーだけ。現れたアンヌ=マリーは、茫然としますが、サーシャが演奏し、現れたジプシーのヴァイオリニストが演奏すると、アンヌ=マリーは、半信半疑で納得し、リハーサルも行われませんでした。その夜、アンドレイとアンヌ=マリーは予定通りディナーに向かい、その最中、アンドレイはかつて自分が指揮をしていた頃の事を話し始めます。それは、今は無きレアというソリストの話で、最高の芸術を目指していたコンサートで、政府の介入により中止にさせられたのでした。アンヌ=マリーは、それを聞いて、自分はレアではないと話し、キャンセルしてしまいます。

アンヌ=マリーの元へサーシャがやってきて、一緒に演奏会をすれば両親が見つかるかもしれないと話します。ギレーヌに育てられたアンヌ=マリーは両親の秘密を知りたがっていたのです。ギレーヌは手紙と、レアのコメント入りの楽譜を置いて出て行きます。アンヌ=マリーはレアの書き込みを見て会場に向かいました。団員たちの携帯には、「レアのために戻れ」というメッセージが届き、無事全員が揃って開演。ブランク30年後のぶっつけ本番が始まりました。アンヌ=マリー奏でる、レアとアンドレイの音楽に団員たちの30年前の音楽が蘇えります。レアは、アンヌ=マリーの母親で、アンドレイがかばおうとしたユダヤ人演奏家の一人。しかし、コンサートを妨害され、収容所で亡くなりました。当時団員だったギレーヌが、アンヌ=マリーを隠して亡命したのでした。演奏は大喝采を浴び、好評を得て、一行は世界一周公演に向かいました。



オーケストラ!

久しぶりにオーケストラものの鑑賞です。オーケストラの映画は基本的に大好きなので、今回はどんな感動があるのか楽しみ。いろいろな運命を背負った楽団員たちが、まとまっていって感動の音楽を紡ぎだすというのがけっこう好きなのです。で、今回は、指揮者フィリポフの再生の物語。ボリショイ交響楽団といえば、ソ連時代はレニングラードフィルと双璧をなす名オーケストラで、スヴェトラーノフやロジェストヴェンスキーなど、ソ連の重鎮が指揮した、ロシアらしい金管の咆哮が聴かれるオーケストラというイメージが残っています。また、共産政権下でいろいろな逸話もあるのでしょう。

ストーリーは共産政権下の出来事や、共産党の現状のパロディ、そして、ロシアに対するイメージなどをふんだんに取り込んだコメディで、次々といろんなあり得ないことが起こるというところは、フランスのコメディらしくもありました。ストーりー自体は、あり得ないようなことが、ノンストップで次々と起こって笑わせてくれます。真面目なストーリーの部分もありますが、ちょっと霞み気味くらいです。そして、過去の悲劇を乗り越え、亡き母の為に集まった楽団員たちは、その娘をソリストに迎えての、最後の名演奏へとつなげていくという、見始めたら目が離せない、見事な展開です。

マーラーの巨人がこの映画でも出てきますが、本当にこの曲はいろいろな映画でよく使われると思います。出てくれば自己主張して雰囲気を作ってしまうという曲で、改めて凄いなと思いました。ラストのチャイコフスキーは通俗曲の部類ですが、じっくり聞かせて、いろいろなフラッシュバックや、演奏者の表情を映し出し、いい場面を作っていると思いました。ソ連共産党時代への懐古趣味も含めたパロディは、あの時代には戻ってはならないというメッセージも含まれ、更にロシア社会への風刺も詰まった、面白いオーケストラ映画でした。

2020.5.14 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「ニキータ」 未だに鮮烈さを失わないベッソン監督の名作

絶対見た事あると思うのですが、最近、フィフスエレメントとか、レオンとか見たので、ものはついでという事で、鑑賞です。1990年の映画で、リュック・ベッソン監督作品。ゴールデングローブで外国語映画賞のノミネート。セザール章では、アンヌ・パリローが女優賞を受賞しました。

あらすじ
ニキータ(アンヌ・パリロー)は薬を求めて、仲間と薬局を襲撃し、警官隊と銃撃戦になります。隠れていたところに、話しかけてきた警官を射殺し、終身刑となったニキータは大暴れ。薬を打たれて意識を失い、気が付くとボブ(チェッキー・カリョ)という男が現れ、死亡を偽装されたニキータに、秘密工作員の訓練を打診、ニキータはしかたなく承諾しました。反抗的な態度のニキータをボブは我慢強く指導し、なんとか軌道に乗せ、あらゆる技術をマスターさせます。そして、3年後の誕生日に、初めてボブ同行で外出を許されたニキータは、レストランで卒業試験として、暗殺指令を受け、見事任務を成功させました。ボブとニキータには特別な思いもありましたが、任務の為一旦お別れとなりました。

ニキータはマリー・クレマンという看護師を装い、一人で生活を始めます。スーパーのレジ係の、マルコ(ジャン・ユーグ・アングラード)という青年と恋に落ちたニキータは同棲を始め、婚約して幸せな生活を築きながらも、容赦なく入って来る任務をこなしていきます。そしてボブから、ソ連大使が本国へ送っている機密情報を暴く任務を与えられ、ニキータがメンバー選定をし、取り組み始めました。そんな中、マルコはニキータの行動に不信を抱き始めます。そして決行の日、ニキータはソ連大使に近づくことに成功しますが、状況が一変。本部が清掃人ヴィクトル(ジャン・レノ)を送りこみ、強引なやり方に転換させられます。ニキータは大使館に潜入し、機密情報入手に成功したものの、銃撃戦となり、犠牲者が多く出たことにニキータは動揺しました。

その夜、心身ともに疲弊したニキータに、マルコは仕事を辞めるように話します。マルコはニキータの仕事に気付いていたのです。ニキータはマルコの深い愛情に涙し、一人でマルコのもとから逃亡します。機密情報と共に消えたニキータを捜しに、ボブはマルコの家に訪れます。事情を知っているマルコは、ボブにニキータを守るように依頼しますが、ボブは機密情報を持っている以上は、危険な状況だと話します。マルコはニキータから預かったマイクロフィルムを差し出し、ボブあての手紙は捨てたと話します。手紙の内容が気になるボブは、内容を尋ねますが、マルコはお互い寂しくなりますねと返すのでした。



ニキータ

たぶん、前回見てから、25年くらい経過していると思います。妻が借りてきた貸しビデオを一緒に見たというのが最後でしょう。そして、この映画、今見ても鮮烈さを保っています。やはり、薬局の襲撃と、警官の射殺、それに続くニキータの訓練シーンが素晴らしいと思います。完全に壊れた演技に、どんどん引き込まれています。これまで徹底して描くからこそ、後半の話が生きてくるのでしょう。素晴らしい、導入部と展開です。

一転、ヴェネツィア旅行は、幸せいっぱいという感じです。しかし、当然組織がただで航空券を渡す訳がありませんね。お約束通り、指令が飛び込んできました。バスルームからの狙撃は、緊張感のあるいいシーンです。そして、最後はジャン・レノの乱入です。ぐちゃぐちゃになりますが、なんとか脱出し一息ついたと思ったら、ジャン・レノが…。さすがに、自分が進めてきた作戦を、こうも死体の山にされてショックを隠し切れないニキータでした。ここは、ちょっと秘密工作員の活動としては、暴れすぎですね。

ヒロインのアンヌ・パリローですが、最近見たフィフスエレメントのミラ・ジョヴォヴィッチと、似たような雰囲気の演技のような気がしました。純粋で壊れている感じ。リュック・ベッソン監督の好みでしょうか。この物語の後半に登場したジャン・レノを引き継いで、レオンが製作されますが、私としてはニキータの方が断然好きです。引き締まって無駄のない、筋の通った娯楽作品になっていると思います。そして、勿論アンヌ・パリローが素晴らしいのは謂うまでもありません。

2020.5.11 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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