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「ぼくを葬る(おくる)」余命を宣告された美しい男の3ヶ月

フランソワ・オゾン監督の作品は久しぶりと思いますが、何か現在のフランス映画らしい雰囲気を持つ代表的な監督さんではないかとも思っていたりします。この映画は2005年のもので、もう15年前になるのですね。
原題はLe temps qui reste(残された時間)で、英題はTime to Leaveとなります。邦題もなかなかセンスがいいと思います。

あらすじ
パリで活躍している人気のファッション・フォトグラファーのロマン(メルヴィル・プポー)は、31歳の若さで癌により余命3ヶ月を宣告されてしまいます。化学療法を拒んだロマンは両親の家を訪ね、久々に家族4人での夕食を囲みますが、もともと折り合いの悪かった、幼い子供のいる離婚間近の姉ソフィ(ルイーズ=アン・ヒッポー)と口論になってしまいました。そしてロマンは、一緒に暮らしていた男性の恋人サシャ(クリスチャン・センゲワルト)をわざと冷たくして追い出し、その後郊外で一人暮らしの祖母ローラ(ジャンヌ・モロー)を訪ね、彼女にだけ自分の運命を知らせました。

祖母の家からの帰り道、立ち寄ったカフェで働く女性ジャニィ(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ)に、自分の夫に問題があり子供ができないので、自分と性交して代理父になってくれないかという依頼を受けます。ロマンは断りましたが、彼女の願いは心に引っ掛かり続けます。やがてロマンは仕事を辞め、孤独に死と向き合い始めると、姉と和解し、サシャとは再会してその後の様子を見届け、ジャニィの申し出を思い起こして承諾し、ロマンはジャニィと彼女の夫も交えての肉体関係を持ちました。そして時は経ち、計画通りジャニィの妊娠が判明。ロマンは自らの遺産を彼らに託すと、一人で海辺に出向きます。そして砂の上に寝転びながら、日が暮れ人々の歓声が消える頃、静かに息を引き取ったのでした。



ぼくを葬る

余命を宣告された、若く美しい男性のお話。コンパクトに美しくまとまっています。話の中で、微妙な時の流れが、花が枯れ、髪の毛をそりという形で進行していき、最後に賑わうビーチが閑散として、最後を迎える。なんとなく、ビーチに行きたくなりました。男と男の性愛シーンが目立つのもこの映画の特徴ではあるのですが、ごく日常に取り込まれているところにも好感が持てます。男と女のセックスもあります。そして、おばあさんとはそれ以上の心のつながりが感じ取れます。

それぞれの相手との最後の交わし方も、各人各様でした。姉との最後は電話。女性との交流という意味で、姉が一番深かったので、最後まで素直になれなかったのでしょうか。そして、子孫と相続先も最後に残すことができました。短い話の中に、人生の清算がいろいろ詰まって印象的です。特に、ジャンヌ・モローとの別れが素晴らしかったと思いました。祖母と孫が同じ時期に死に直面するというセリフに、いたたまれないものを感じました。

ということで、あまり非の打ちどころのない映画だと思います。映像も美しく効果的です。フランソワ・オゾン監督。それほど見てはいないのですが、雰囲気のいい作品が多い感じで、けっこう好きなタイプです。この映画はカンヌの「ある視点」のノミネート作品となりましたが、ある視点部門がはまっていると思います。俳優さんでは、主演のメルヴィル・プポーはもちろん素晴らしいのですが、やはり、ジャンヌ・モローが、さすがに素晴らしいと思いました。

2019.12.28 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「女は女である」 音楽と劇中映画が楽しいヌーヴェルバーグ

ゴダールとアンナ・カリーナの作品です。フランスのコメディらしい映画で、1961年に製作された、フランス=イタリア合作作品。ベルリン国際映画祭で、女優賞(アンナ・カリーナ)と特別賞(ジャン=リュック・ゴダール)を受賞しました。ゴダールの初カラー作品であり、アンナ・カリーナと結婚後第一作となります。

あらすじ
パリの下町の本屋でに働くエミール(ジャン・クロード・ブリアリ)は、ストリッパーのアンジェラ(アンナ・カリーナ)と同棲していました。そのアンジェラが、急に赤ちゃんが欲しいと言い始めます。そのことで、二人は全く意見が合わず、口論が絶えなくなってしまいました。エミールとしては今が一番。子供はいらないし、結婚なんかしない方が都合がいいと思っているのでした。どうしても子供が欲しいと、アンジェラは意地になり、他の男に頼んで子供を作ってもらうと宣言します。エミールは動揺しますが、あとにひけず、成り行きに任せざるを得ませんでした。

アンジェラは、同じアパートのに住むパーキング・メーター係りのアルフレッド(ジャン・ポール・ベルモンド)に頼むと言い出しました。アルフレッドは今までアンジェラを誘惑しようと、あの手この手で接近していたのでした。ある日、アンジェラはついに決心して、アルフレッドと寝てしまったのでした。その夜おそくに、エミールのもとに戻ったアンジェラは、いつも通りに枕をならべ、子供が欲しかったから、アルフレッドと寝たことを告白します。エミールは、それじゃ、今から二人で子供を作れば、生れた時はいずれにしても二人の子供になるじゃないかと言い出し、じゃあ始めまようと言って、二人は抱き合うのでした。



女は女である

ゴダールの映画はあまり見ていないので、とりあえず感じたままの感想です。まずは、いろいろと映画を登場させるのが好きですね。いろんなところに散りばめられています。音楽の使い方も面白いと思いました。というか、かなり変わっていました。これが一番ヌーヴェルバーグ的な雰囲気。最初はちょっと戸惑いましたが、なかなか面白かったと思います。そして、音楽と言えばジュークボックス。機械仕掛けで繊細なもので、すぐ壊れそう。こわれると酔っ払いが叩いて再起不能になります。かけた曲の歌詞がこれまたすごいと思いました。

テーマは、女性主導の男女関係、女性の性格が中心ですね。隣の家は男出入りが凄いけど、商売ですかね。でも、電話が使い放題なのでした。ラストは、これでいいのか?と今の時代には考えてしまいますが、当時はDNA鑑定とかなかったのかな…。これでいいという解釈でいいのでしょう。上書きすればOK!ということで…

主人公は、奔放で可愛いです。当時は新婚でラブラブだったのでしょうか。未婚の状態で子供が欲しいと言われると戸惑うのは解ります。妊娠によって未婚にケリをつけたいという発想、これは女性だけではないかもしれませんが、女性の方が強いのでしょうか?そして、最後のブラが昔風でかわいいのでした。

アンナ・カリーナですが、2019年12月14日に訃報が伝えられました。ご冥福をお祈り申し上げます。

2019.11.14 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「オルフェ(1950)」ギリシャ神話ベースのファンタジー作品

Amazon会員特典にアップされた「オルフェ」この時期のフランス映画は、見る機会も少ないので、早速鑑賞してみました。1950年のジャン・コクトーによる監督作品です。英国アカデミー賞とベネツィア国際映画祭で、最高賞のノミネートとなっています。

あらすじ
王女(マリア・カザレス)はセジェスト(エドゥアール・デルミ)という詩人とカフェへやってきますが、セジェストが喧嘩を始め、警察がきて混乱する中で、セジェストは車に轢かれて死んでしまいます。王女は遺体を車に載せると、近くにいたオルフェ(ジャン・マレー)を手伝いに乗せて走り去りました。屋敷に戻ると、王女はセジェストを蘇らせ、二人で鏡の中へと消えていき、オルフェは呆然と見送ります。オルフェは、近くにいた運転手のウルトビーズ(フランソワ・ペリエ)に送られて自宅に戻り、心配して待っていた妻のリディス(マリー・デア)に、ウルトビーズは、うまく説明して安心させますが、その夜から、王女がオルフェの枕元に立つようになります。

オルフェは、ラジオから流れてくる詩の断片のような言葉の解読に寝食を忘れてしまいます。オルフェは、そこからいい着想を得られる気がしたのです。一方、リディスはオルフェの心が離れていくようで心配になります。ある日、オルフェがラジオに夢中になって取り合わない為、外出したリディスは、車に轢き殺されます。ウルトビーズは部屋へと遺体を運ぶと、王女とセジェストが現れ、王女とウルトビーズは、お互いに死人でありながら生者に恋をしたことを詰り合います。そして、王女はリディスを死の世界へと連れて行き、リディスの死に気づいたオルフェは後悔し、ウルトビーズの助言で鏡の中へと入っていきました。

死の世界では裁判が開かれ、王女はリディスを死の世界へと連れて来たことが違反だと裁かれています。そこへオルフェが現れ、王女はオルフェを愛していると告げ、オルフェは受け入れます。裁判の結果、リディスは、オルフェが姿を二度と見ないことを条件に生き返る事ができることになり、二人はウルトビーズとともに生の世界へ戻りますが、オルフェはリディスを見てしまい。リディスは死の世界に戻ってしまいます。オルフェは詩人たちの争乱の中で撃たれて死んでしまい、死の世界で待っていた王女はオルフェと抱き合いますが、王女は死の世界の法を犯し、オルフェとリディスを生の世界へと返します。オルフェは元の世界に戻ると、リディスと出会い、記憶を消された二人は今までのように愛し合うようになりました。一方、王女は死の世界で逮捕されたのでした。



オルフェ 1950

コクトーによるギリシャ神話のオルフェを基にした物語。オルフェは吟遊詩人であり、竪琴に誰もが魅了されるという神話中の人物ですが、現代のオルフェは詩人という設定です。オルフェは死の女王に愛されてしまい、何度もオルフェの寝顔を見に女王が部屋を訪れます。そして、死の女王の策略によって妻は死亡します。妻の名前は、神話ではエウリュディケー(Eurydíkē)ですが、ここではリディス(Eurydice)。発音の違いであり、同じですね。「精霊の踊り」で有名なグルックのオペラは「オルフェオとエウリディーチェ」。同じ物語です。

元々の話の筋は、リディスが死に、彼女を助けに冥界に赴いたオルフェは、ハーデスやペルセポネを魅了し妻を取り戻しますが、条件として、地上に戻るまで妻の姿を見てはならないというもの。しかし、地上にあと少しという所で不安に駆られたオルフェは振り向いてしまい、妻は消えてしまった。というもの。単純な話だけに、いろいろと付加されています。この映画では、死の女王(ペルセポネかな?でも、そこまで権力が無いような気もする)と、ウルトビーズがそれぞれオルフェとリディアを愛してしまい、2人を死に導いて地獄に連れてくるが、女王の愛の力で2人を戻してしまい、女王は死の世界で罰を受けることになるというお話でした。

途中の話もいろいろと膨らまされ、スランプのオルフェに詩のヒントを与え、車庫に釘付けにするとか、妙に人間臭い地獄での裁定の様子とか、面白い場面を織り込んでいます。映画の雰囲気は、まず死の女王の周辺の異様な雰囲気の表現や、逆回し、鏡の透過、死者が立ち上がるところなどファンタジックな映像が楽しめました。当時としての撮影効果もいろいろと使われています。そういう意味ではなかなか見ていて面白い映画でした。さて、死の女王に愛されてしまうとどうしますか?この死の女王は話の分かる神だったので、自分を犠牲にしてまで、愛する男を地上に戻してくれましたが…。

2019.12.21 HCMC自宅にてAmazon Prime よりのパソコン鑑賞

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「ピカソ・天才の秘密」 ピカソの創作の様子を映像化する

アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督によるドキュメンタリー映画で、カンヌ映画祭で現在のグランプリに相当する、審査員特別賞を受賞しています。クルーゾー監督のドキュメンタリーということで興味を持って見てみました。もちろん、ピカソの絵という所にも興味を惹かれます。1956年のフランスの作品です。
原題:Le mystère Picasso

あらすじ
映画は次のようなナレーションから始まります。「詩や音楽の創作過程で、詩人や作曲家の頭の中にどのような考えが、刻一刻浮かんでいたか、それを知ることは殆んど不可能です。しかし、絵画の場合にはその秘密をのぞき見ることができます。画家の頭の中に起ることは、描いている画家の筆を追って行けばわかります。」

そして、スペインの天才画家ピカソの頭の中のメカニズムの秘密が、その創作過程を通じて表わされていきます。キャンパスを投影し、逆側から映すことによって、作品が完成する過程が、次々と映されていきました。最初は、マジック・インキで描かれた絵を通して、その過程が解明されていき、その過程で、ピカソと談笑するクルーゾー。そして、興に乗ったピカソは同じ方式で油彩にも挑戦。その撮影過程も含め克明に記録したドキュメンタリーです。



ピカソ・天才の秘密

恐怖の報酬のアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督によるドキュメンタリー映画。冒頭及び、途中に少しピカソの実像がでてきます。それ以外は、すべてキャンパスに書上げられる絵を投影してフィルムに映した形でした。そういう意味では、このスタジオ一室で完結しています。という訳で絵が出来上がっている状況をアニメで見ているような感じでした。絵を描いているところ以外のナレーションと撮影現場で交わされる言葉も、ピカソの天才の秘密の理解のヒントでしょう。

ピカソにとっても今回書いた沢山の絵がすべて満足のいくものとか、そういったものではないと思います。というか、真剣に打ち込んで描いたというものでもないのかもしれません。ピカソの絵ができるまでの過程を観察しましょうという趣向でした。

絵のことはあまり解らず、油彩もやったことはありませんが、油彩って何度も上書きできるものなのですね。絵は作品として出てきているものですが、映画の迫力としては、数少ないピカソ出演の部分が勝っていて、逆に一番絵になっているような気がしました。特に、中間で差しはさまれるシーンが良かったです。見ていると、何を書いているか全くわからない状態から、だんだん絵になっていくことがあり、面白く感じました。今回の絵の中では、油彩の最初に書いた、牛の頭の絵がカッコ良かったです。さすが、スペイン人だけあって、闘牛関係が多いような気がしました。

ドキュメンタリー映画という形での、このような趣向はなかなか面白いと思いました。もっとも、ドキュメンタリー映画自体をほとんど見ていないので、その神髄はよく解らないのですが…。

2019.11.15 HCMC自宅にて Amazon Prime よりのパソコン鑑賞

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「ジュリエット・ビノシュ in ラヴァーズ・ダイアリー」 女子大生の援交取材と仮面家族

ジュリエット・ビノシュの名前に惹かれて見てしまいました。日本ではDVDスルーの作品。ポーランドの女流監督マルゴスカ・ズモウスカの作品。最近、ベルリン国際映画祭で受賞を重ね、活躍中です。この映画は、ヨアンナ・クーリグがポーランドの映画賞で、助演女優賞受賞というのが唯一の受賞のようです、2011年の、フランス・ポーランド・ドイツ合作の作品です。

あらすじ
「ELLE」の記者アン(ジュリエット・ビノシュ)は、ここのところ記事の完成に集中しています。それは、売春する女子大生のインタビュー記事でした。アンは大学生のローラ(アナイス・ドゥムスティエ) にインタビューしている時、ちょうどローラに予約の電話が入ります。以前、ローラは普通のアルバイトをしていましたが、忙しくて勉強する暇もなく、その時と比べると、時間も収入も余裕があり、元には戻れないと答えます。アンが、仕事で一番辛いのは何かと聞くと、ローラは嘘をつくことだと答えました。

アンは、女子大生のアリシア(ヨアンナ・クーリグ)に、インタビューに行きます。アリシアはパリの大学に入学した時、スーツケースを盗まれ、電話もできないほど困窮していました。 アリシアは最初の男性とは、いつもキッチンで過ごし、食事をして、ベッドに入るということを繰り返していました。そしてアリシアは、1ヶ月で理想の部屋を見つけ、その部屋で活動し始めます。アンとアリシアはウォッカを飲みながらインタビューをしていると、酒の力で打ちとけていきました。アリシアはある日、母が泊りに来て、高価でエロチックな服装を見つけ、アリシアを咎めますが、アリシアは無視して出ていってしまったようです。

アンは、夫・パトリック(ルイ=ド・ドゥ・ランクザン)との関係について、息子から仮面夫婦だと指摘を受けました。息子は学校を無断欠席しているらしく、そのことをアンはパトリックに告げますが、お互いにパトリックを叱れず、家族の間に微妙な距離感が漂います。女子大生たちの取材を終えたアンは、部屋に戻ると自慰を始めてしまいます。パトリックには、この家の男たちは、パソコンでポルノばかり見ていると詰め寄ります。アンは、パトリックの上司を招いての食事の日、美しく着飾り、パトリックはアンに近寄ります。そして、食卓につくとアンは、2人の女子大生が語った男たちが、食卓についていることを想像し、楽しくなりますが、現実に戻ると失望し、アンは席を外してしまいました。しばらくして戻ると、訪問客は既に帰っていて、アンの中座を責めるパトリックに、自分たちの為といいながらパトリックのズボンをおろして迫りますが、パトリックははっきりと拒否します。

ローラは、本当の名前はシャルロットで、ローラは仕事用の名前と言いながら、一瞬素顔を見せて立ち去ります。そして翌朝、アンと家族たちは、何もなかったように、仮面家族生活を始めているのでした。



ジュリエット・ビノシュ in ラヴァーズ・ダイアリー

題名が長いし、そしてこれがラヴァーズなのか?と思いますが、まぁ小文字の部分が多いのでいいとして…。この映画の雰囲気は私は好きです。内容は、ELLEの雑誌記者である、ジュリエット・ビノシュが、援交を行っている2人の女子大生たちにインタビューし、影響された彼女自身は、現在の生活の空虚さに気づいていくというものでした。それぞれの大学生の様子は、ありがちな話ではありますが、その一言で片付けていいものでは無いとは思います。エロスの表現はなかなか面白く、男たちのどうしようもなさと、この仕事の悲哀も十分に表現されていて、女性監督ならではの繊細さも備え、見ごたえのあるものでした。

一度だけ出てくる、病床の父を見舞いに行くシーン。そのベッドに横たわる父が、年をとるとだんだん死を意識するようになるが、実際はそれまでの時間が長く、生き続けなければならない、といったことを話します。その言葉が、最後の空虚な仮面家族の光景に重なっていきます。前の日に、新たな家族の再構築まで願っての、ジュリエット・ビノシュの夫へのプロポーズが受け入れられなかったという状況の中で、その翌朝の家族は、このあとは死ぬまでの長いカウントダウンの中で、ひたすら空虚に生きるだけだということを感じ、しみじみと幕を閉じました。

メインの女子大生のインタビューは、2人の性格の違う生徒が、最初は生活の為、そしてリッチに暮らすために始めた売春から抜けられなくなり、金銭面や自由な時間という意味ではうまくいっても、心に闇を抱えながら生活していかざるを得ない様子を、純を追って描いていきます。特に苦悩の話の部分については、ビノシュが彼女たちと、より親密にならないと聞き取れなかったような内容でしょう。そして、それを聞いたビノシュは、自分の生活を顧み、子供からもストレートに仮面夫婦と言われる現実を再認識。夫の上司を招いたディナーで、着飾り脱却を図るわけですが、残念ながら拒絶されてしまったのでした。

そして、全体的な雰囲気の中で、やはり若いことは、リスクもあれば可能性もあり素晴らしい。男も女もだんだん年を取っていけば、死へのカウントダウンを感じ、昔のようにもう一回華をと思っても、限定的なもので、体も世間も言うことを聞かないという状況になってしまう。そのようなことを身につまされるように感じてしまいました。裏返せば、お互い愛情のある家庭を作り上げることが、いかに大切かということだと思います。

ベートーヴェンの交響曲7番の第2楽章、なかなか雰囲気が映像にマッチしてますね。

2020.1.8 HCMC自宅にて、Amazon Primeよりのパソコン鑑賞

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「ソフィー・マルソーのパシフィック通り」 いろいろと悩み多い映画でした

Amazon Primeで見つけた変な邦題の解明に興味をそそられ、「ソフィー・マルソーのパシフィック通り」という映画だったので、ソフィー・マルソーに惹かれて見始めました。正直、IMDbの点数が、3.5という、なかなか見ない点数であったので、ちょっと怖かったのですが…。1990年のベルナール・シュミット監督による作品。アメリカが舞台のフランス映画です。

あらすじ
パリの母のレストランでウェイトレスをしていったベルナデット(ソフィー・マルソー)は、退屈な毎日に耐えかね、客のアメリカ人の誘いでアメリカに旅立つことにしました。しかし、一緒に行くはずの友人は直前にドタキャン。ロサンゼルスに着いても、カナダから迎えに来るはずだった、友人の恋人であるベン(アダム・コールマン・ハワード)は、車の故障で現れませんでした。ベルナデットは母の友人シャーリー(Virginia Capers)の豪邸に行き、歓迎してもらいますが、シャーリーはすぐにダイエットのために入院するとのことで、ひとり残されてしまいます。グリーンカードの無いベルナデットは働くこともできず、ロサンゼルスの堅苦しい生活にもなじめず、退屈な日々を送るうちに、偶然ベンと出会って関係を持ちますが、翌日にはすれ違いの中でベンと別れてしまいました。

再び一人になって所在ないベルナデットは、家に戻ってみると、パスポートや財布、鍵まで失くしたことに気づきます。ドアを壊して家に入ろうとすると、警報が鳴り警察に連行されそうになりますが、途中でベンの行きつけのリサ(アン・カーリー)のレストランで身分を証明してもらおうと、立ち寄ると、ちょうどパスポートを持ってベルナデットを探していたベンとも出会い、無事解放されました。そして、リサはベルナデットの心中を察し、レストランで雇ってくれます。翌日からようやくアメリカでの生活に馴染み始めたベルナデットに、益々想いを寄せるベンは再びアプローチを開始します。ベンに怒りを覚えていたベルナデットも打ち解けてはきますが、肝心なところですれ違いが続き、ベルナデットは結局パリに帰るか、ベンを認めて付き合うか悩みます。そして、彼女はいつのまにかベンのトレーラーハウスの前に立ったのでした…。




ソフィー・マルソーのパシフィック通り

Amazon Prime では、「太平洋の柵」と題名が翻訳されています。字幕だけでなく、題名までも自動翻訳か?という感じです。変な邦題がついていることはよくありますが、そのあたり、もう少し何とかならないのかなと…。という訳で、原題は「パシフィック・パリセーズ (Pacific Palisades)」で、ロスの海岸通りの名称。この邦題と、IMDb 3.5点という低評価と、微妙にアスペクト比がおかしいかも…という画像で、前途多難と思いながら、ソフィー・マルソー目当てで見始めました。いきなり、雑で感情移入しづらい導入部で、見続ける意欲が50%そがれる程、やる気無さそうなスタートでした…。

さて、ロスに来たフランス人の女性の孤独。パリのアメリカ人の逆。アメリカになじめず、全てが退屈でつまらないようです。いやま、見ている方も、何だかなあ…という感じで、退屈でつまらなくなります。パリとは違う環境で、ホームシックになり、大変親切だがよそよそしい人たちに馴染めません。パリでは何でもアリで、アメリカは何をするにしてもルールがうるさい。羽目も外せないという感じのようです。とりあえず見ていて、何のためにこの映画を作ったんだろう?ただ、ソフィー・マルソーの為?などと頭の中で疑念が渦巻いていました。

どうやらテーマは、ヨーロッパ人にとってのアメリカ体験の違和感ということのようです。でも、表現がこれでいいのかな?ちょっとロードムービー的に雰囲気を出しながら「パリ・テキサス」みたいな静かな感じを狙ったのかな?とも思いましたが、それにしても雑で、絵も良くなくて、と思います。アメリカの街にフィットしない女性をずっとみているうちにストレスが溜まります。そしてベンに出会い、警官に手錠をかけられてやっと話が動き始めました。リサの店でウエイトレスを始めると、リサの店に集まる訳ありの人々が、居酒屋に集まる常連さんみたいで面白いです。ソフィー・マルソーは浮いていますが、逆に客にも気を使われてますかね…。

そして、いろいろすれ違いの末、パリに帰ろうとしましたが、結局彼を認めて彼の車へ。いかにもフランス映画らしい終わり方で、ひさしぶりにやられた感じです。最後の方になって、絵もちょっと洒落てるねと思い始めました。それにしてもだ…。何を見てきたんだろうという思いは消えず、ロサンゼルスが舞台の、フランス語ばかりのフランス映画でした。エンディングの曲はなかなか良かったです。ソフィー・マルソーが出ているというだけで売れた時代ではないかと思いますが、日本公開もあったんですね。レストランを仕切っているアン・カーリーは、とてもいいと思いました。主人公も、見ている観客も彼女に救われました。

2019.11.16 HCMC自宅にて Amazon Prime よりのパソコン鑑賞

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「快楽の漸進的横滑り」 思い入れもあり傑作と呼びたい作品

アラン・ロブ=グリエ監督6作目の作品です。この一つ前は再構成作品なので、実質的には5作目。私がアラン・ロブ=グリエを知った思い出深い作品でした。しかし、その時は見たわけではありません。1974年の作品で、原題は(Glissements progressifs du plaisir)。邦題と同じと言っていいと思います。

あらすじ
アリス(アニセー・アルヴィナ)は、同居しているノラ(オルガ・ジョルジュ=ピコ)がハサミで心臓を刺されて殺されたことから、警察(ジャン=ルイ・トランティニヤン)から尋問を受けます。無実を主張し、外部から侵入した男の犯行と主張しますが聞き入れられず、感化院に入れられます。感化院では、シスター・牧師(ジャン・マルタン)・弁護士(オルガ・ジョルジュ=ピコ/二役)・治安判事(マイケル・ロンズデール)それぞれと会話し、アリスの過去や、ノラとの関係、事件の時の様子などを語りますが、強気で背徳的かつ無垢な受け答えに誰もまともに対応できず腹を立てるという状況でした。

弁護士は、ノラとそっくりでした。会話を重ねるうちに親しくなっていき、また地下牢には罰を受けた収容者が、裸で虐待されていることを知ります。その倒錯の虐待に性欲を刺激された弁護士は、地下牢に滞在するようになっていきます。また、アリスを教化しようとした牧師は、アリスの背徳的な言葉に逃げ惑う始末でした。そして、関係者が集まり事件を再現することになります。自分の部屋に戻ったアリスと弁護士は、他の参加者を待つ間に二人で再現を始めます。その日ノラにしたようにベッドに弁護士を縛り付けるアリス。弁護士はすっかりM性が開花し、光悦の表情を迎えています。しかしアリスは誤って瓶の破片で弁護士の手首を切って失血死させてしまい、そこに警察が真犯人が見つかったので、再現検証は中止になったと知らせに来ましたが、現場を見て、ああ、また最初からやり直しだと嘆くのでした。



快楽の漸進的横滑り

これまでの作品と同様に、日本では長らく公開されていませんでしたが、かつて座右の書にしていた、現代映画作家を知る17の方法という本のトップの章に、この映画の衝撃的な写真が出てくるので、ずっと気になっていました。そして数年前、ヨーロッパでBDが発売されていることを知って早速取り寄せ、英語字幕で見たものです。さすがにこの映画を英語字幕で見るのはハードでした(笑)。そして、今回は日本語字幕で見ております。

日本語だと楽ですね。スイスイ進んでいきます。これも、今まで見て来たロブ=グリエの映画と傾向は同じなので、すっと入っていきました。作られた世界観の中で、劇中の演技やアートを楽しんでいきます。アニセーは、言わば「嘘をつく男」のトランティニャンの役割で、いろんな話題を提供していきます。「エデン…」でちょっと浮いた感じだったエロスは、地下牢に封じ込められ、ここでエロスの為のエロスを演じ、地上の部屋では裸ではありますが、物語の中のエロスなので別物でしょう。ノアと重複する弁護士は、地下に墜ちて染まっていきました。

アニセーは、無垢な人間としての主張と、客観が混ざった感じで、周囲に流されずに一貫しています。聖職者への冒涜的発言とも捕らえられますが、アニセーは一貫して自己主張で攻撃、これは聖職者からは魔女として排除されるものととらえられますが、普通なだけに説得力あり、無垢の魂が魔女と繋がると言えそうです。小道具はいろいろ、青い靴、赤いペンキ、色彩に戯れずうまく使っていると思います。今まで、ロブ=グリエの映画でいろいろ見てきたものが融合して、素晴らしい作品の世界を作っていると思いました。

最後はいつものように、循環しておしまい。結局すべて元に戻ってきます。観客を基の世界に戻して、お別れとなるという感じです。彼らの世界に旅行に行っていたようなものかもしれません。大変充実した時間でした。

セリフとして象徴的だったのは、
「類似、繰り返し、置き換え、模倣、遊びすぎよ」…自分で言っちゃってますね。
「誰が喜ぶの? さあ、たぶん観客では」…SMシーンでの被虐の少女の言葉。虚構の演技であることを明言してますね。

やはり、この映画が集大成のように、うまく組み合わさって出来上がっていると思います。この後の作品はむしろ通俗的になった分、逆に割り切れなさが残る感じがして、これが完成形では無いかと思いました。
(個人的な思い入れかもしれませんが…)

2019.11.13 HCMC 自宅にて Amazon Prime よりのパソコン鑑賞

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「エデン、その後」 前衛が通俗化し芳醇になったメタ映画

アラン・ロブ=グリエ監督の4作目の作品で、いよいよここからカラー作品となります。原題はL'éden et aprèsで、邦題と同じです。1970年の作品で、ベルリン国際映画祭では、金熊賞ノミネートとなりました。

あらすじ
大学のカフェ「エデン」では、学生たちが毎日仮想演技を繰り返していました。外に出れば平凡な日常、エデンが射殺、毒殺、葬儀といろいろな疑似体験ができる場所という位置づけです。そこに現れた一人の男性デュシュマン(ピエール・ジメール)が、学生のヴィオレッタ(カトリーヌ・ジュールダン)に怪しげな薬を与え、ヴィオレッタは異国の地での異様な体験にトリップします。また、ヴィオレッタは画家である伯父の高価な青と白の抽象画を持っており、高値で売却できると話します。そして、ヴィオレッタの家の鍵を使った演技を行った後、皆は解散。ヴィオレッタは一人だけ男に誘われました。

待ち合わせ場所は、建設中の工場近くの桟橋で、ヴィオレッタは行く途中に複数の男女に襲われ、工場の中を彷徨うことになります。そこにいたメンバーは、襲ってきた人間も含め、いつもの学生メンバー。いつしか朝になり、待ち合わせ場所に行くと、男が海に落ちて死んでいました。男のポケットには抽象画の題材となったと思われる、北アフリカの絵ハガキが。男の死に驚き、いつもの学生たちを連れてくると、男の死体は消え、自分の部屋の鍵が無くなっていることに気づきます。その鍵はエデンで発見され、家に帰ると、絵が無くなっていました。

そして、絵の題材となったアフリカへ、その絵のモデルとなった建物を訪ねていきます。男は画家になっていて、複数の女性を幽閉し、エロスの倒錯した饗宴に浸っていました。背景は、地中海の美しい風景、白い砂と青い空。そして、絵の隠し場所を求めて戦う男たち。すべてエデンの学生メンバーです。誘拐され、幽閉されるなど翻弄されるヴィクトリアですが、男たちの殺し合いの末、最後にデュシュマンは車にはねられ堤防から転落、工場の時と同じような形の死を再現します。そして、絵とヴィオレッタが残されます。

エデンに帰ったヴィオレッタと疲れた仲間たちは、外から一人の男がじっとこちらを見ているのに気づきました。



エデン、その後

4作目にして、初のカラー作品となりました。全体は三つの場面で構成され、導入は奇を衒った観念的な入り方をします。始まってみると、いままでの作品で慣れ親しんだメタ映画的な展開になりました。第一部のエデンの内容は、これまでの映画の思想を詰め込んだ感じです。そして、外の世界は平凡、カフェで虚構を演技し体験するという、さながら小さな劇団の舞台のようです。次々と起こる展開は、もともと虚構であることが解っているので安心ですが、それなりに次の展開を待ち構えるように作られてドキドキするのは流石と思いました。また、エデンのアートな感じはなかなかいいと思いました。

建設中の夜の工場に舞台が拡大します。学生仲間も揃っていて、これも虚構であることが解ります。この場面は繋ぎ的な要素も多いと思いました。そして、舞台がチュニジアに移り、一気に風景や映像がアートになって美しく、画像に魅せられるようになってきます。すばらしい体験で、きっと、不滅の女のイスタンブールの風景もカラーにすればこんな効果を持っていたのではと思いました。半面、ストーリーは一気に屋外に出て、普通の平凡な話になった印象を持ちます。アートな映像とポルノグラフィに頼り、絵は美しいが、これじゃないぞという感じが漂いました。部屋の中の感じも、従来のロブ=グリエの映像と同じようなアートなスタイルです。エロスだけは、容赦なく激しくなっています。

1作目から順にみてきて、3作目までは白黒作品で思想が凝縮された感じがしていましたが、カラーになってそれらが分散し、華やかになったけれども、平凡になった感じがします。比較の問題でもあり、前衛的な映像と展開はそのままではあるのですが。前衛は、一つ一つの思想であり、それは深めることはできますが、基本思想は変わらず、いくつも持つわけにはいけないと思います。その上、いつまでも同じことはできないということから、前衛の寿命と昇華が現れてくると思いました。ロブ=グリエのエッセンスは直接的には、1~3作に凝縮されていたように感じます。

カラーになっての新たな挑戦を開始。劇映画の虚構性を強調しつつ、象徴的あるいは挑発的な画像をカラーで挿入しながら、普通のストーリー展開をはめ込んでいます。売りは、色彩とポルノ映像ということでれば、成功には限界があるかもしれません。そして、最後はいつもの通り循環した回収で終わっています。慣れてきたということもあると思いますが、これ以降の作品は、今までの思想をベースにどう展開していくかが見ものでは無いかと思いました。

余談ですが、これを見ながら、「イメージの本」の様な構成だなぁと思いました。まさか、これが影響しているとは思わないので、一つの構造の類型ということでしょうか?ロブ=グリエの映画は、このあとに、この映画を再構成したという「Nは骰子を振った……」という実験的映画があるようですが、そちらの方がもっと好きなことをやってそうで、興味深いです。

2019.11.12 HCMC自宅にて Amazon Prime よりのパソコン鑑賞

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「嘘をつく男」 虚構の中の嘘と、演技と見せる為の演技

アラン・ロブ=グリエの三作目の監督作品です。原題は、L'homme qui ment で、邦題は直訳になっています。この映画は、ボルヘスの伝奇集にある「裏切り者と英雄のテーマ」をベースにしているとの事で、題名からして難解さが漂います。1968年の作品で、ベルリン国際映画祭では金熊賞ノミネート。ジャン=ルイ・トランティニャンが男優賞(銀熊賞)を受賞しました。

あらすじ
大戦末期、ナチス進駐下のスロバキアの小さな村。男(ジャン=ルイ・トランティニャン)が、森の中を敵の銃撃を逃れて逃げ惑っています。そして、男は自分をジャン、またの名をボリスと語り始めました。村にたどり着くと、ジャンの同志のボリスだと語って、ジャンの妻ローラ(Zuzana Kocúriková)や妹シルヴィ(Sylvie Turbová)たちの住む館に出入りを始めます。男はまず、館の女中のマリア(Sylvie Bréal)に、レジスタンスの活動中に囚われたジャン(Ivan Mistrík)を救出する話をし始め、ジャンの隠れ場所や伝言のことについて語り始めますが、いつも話は肝心のところで終わってしまいます。村の墓地には、どうやらボリスの墓もあるようです。

要領を得ない男の話が進む中、館の妻や妹、旅館のメイドたちに、次々とジャンを救出したり、あるいはジャンは裏切り者だったりと、それぞれ、あるいは時によって異なる話を騙っていき、村の薬屋の裏がレジスタンスの潜む地下迷路に通じていることが解ると、男はジャンが地下迷路の中でジャンを救出しようとしたが、転落死したと話し始めました。館の主人であるジャンの父はテラスから転落死し、男は女たちに、この館に残って女たちを守ると主張し始め、彼女たちを誘惑します。シルヴィと関係をもち、さらにローラに迫りますが、そこにジャンが現れ男を射殺。しかし、それは演技で、ジャンは自分について、ジャンまたの名をボリスと同じように話し始め、森の中で何かに追われるような男の場面で終わります。



噓をつく男

アラン・ロブ=グリエの三本目。傾向は変わりません。あらすじを読んでもなんのこっちゃ?という感じですが、映像自体は常に何かを演じているような形で表現され、撃たれても血も出ませんし死にもしません。現実味が無く、すべて虚構の世界の様な雰囲気で話が進んでいきました。冒頭のトランティニャンは、大勢の軍勢に包囲された中を脱出しますが、とても生還しえない状況で、一度死んだ演技までして見せ、映像作品そのものの虚構を表現します。その後も彼の話は二転三転、饒舌なジャンに虚偽の拍手の音が響き…。という具合に、真実でないぞ!と主張しながら、話を延々と真摯に語り続けるスタイルです。

女たちはの方も、そもそも日々目隠しでかくれんぼをしている女たちという表現で、積極的な意思はあまりなく、そこは情報の無い中で生きている人間たちという位置づけでもあるのでしょうか。終始観客は、嘘をついている男を見続ける中で、その虚構の話が進んでいくという形でした。

という訳ですので、男の語ることがに真実はあるのか、すべて嘘なのか。そもそも男は存在したのか、誰かの妄想なのかなどは示されず、話がぐるぐる回っていくので、すべて妄想虚構の世界ということでしょう。我々はその中から真実を見出そうとするわけですが、そもそも映画にしろ、芸術にしろ虚構だという立場で迫られます。その中で虚構の演技をトランティニャンがいろんな立場で演じ切るという映画でした。音楽は現代音楽風。映像にマッチして心地よいと思います。そして、場面の繰り返しの構造や、倒錯趣味も健在で、多少進展もしているような感じでした。

これで、白黒時代の三作を観終わりました。これ以降はカラー作品となりますが、いろいろエスカレートしていきます。

2019.11.12 HCMC自宅にて Amazon Prime よりのパソコン鑑賞

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「ヨーロッパ横断特急」 メタ映画形式のロブ=グリエ娯楽作

アラン・ロブ=グリエ作品、二作続けての連続鑑賞。彼の第二作になる「ヨーロッパ横断特急」で、1966年の作品です。内容からして、これが一番解りやすそうな感じですが、予断は許しません。トランス・ヨーロッパ・エクスプレスといえば、個人的にはクラフトワークの音楽を思い出すのですが…(笑)。

原題 : Trans-Europ-Express

あらすじ
パリ駅で雑誌を買って乗り込む男は、列車で同行の男女と合流。TEEを題材に麻薬の運び屋の映画を作ろうという事になり、車内でプロットを録音しつつ三人で意見交換しながら練っていきます。そのプロットの議論と同時進行で、それが映像化されていく形で映画は進んで行きます。

エリアス(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、パリ駅でSMの写真誌を買い込むと、アントワープ行きに乗り込みました。空の麻薬運搬用のカバンを持っています。アントワープに到着。決められた場所で組織の者と接触するうちにエヴァ(マリー=フランス・ピジェ)という娼婦と仲良くなり、ハードなプレイを楽しみます。組織はエリアスに次々と指示を与えて翻弄し、組織のボスのフランク(Charles Millot)は、エリアスが信用できるかどうかのテストだと告げ、合格したので明日のアントワープからパリへの運搬を託すと言います。いい加減監視され、翻弄されて腹が立っていたエリアスは、監視していた男(クリスチャン・バルビエール)に明日の決行に関する愚痴を言ってしまいますが、彼が合言葉に反応せず、警察の尾行であったことに後で気づきました。翌日カバンを受け取ったエリアルは警察に知られているのでビクビクしながらカバンをパリに持ち帰り、無事受け渡しを完了します。

パリに戻ったエリアルに連絡が入り、今日のはダミーを使った予行練習であり、明日再び同じルートでアントワープに向かうように指示が出ます。エリアスは同じルートをたどり、再びエヴァと出会いますが、エヴァがエリアスを泳がせていた警察の男ロレンツと内通していたことを発見。エリアスはエヴァをベッドに縛り、絞殺してしまいました。エヴァの死体を発見したロレンツはSMショーの記事を新聞に書かせてエリアスを誘う算段をし、一方、約束の場所に現れず、身を隠してしまったエリアスをフランクは捜索します。そして、見事に罠にはまってSMショーに現れたエリアスを警察が包囲。そこに現れたフランクは、エリアスを射殺して逃走します。

映画作家たちの乗ったTEEはアントワープに到着。新聞を買い求めると、エヴァの絞殺事件とエリアスの事件の2つがあったことが書き立てられていました。事実じゃつまらないなと語る三人の背後で、エリアスとエヴァ(役?)が駅で再会し抱擁を交わしていたのでした…。



ヨーロッパ横断特急

映画のシナリオ作成と、映像が同時進行する映画。いわゆるメタ映画になっています。ラストのワンシーンの解釈はいろいろできますが、こういった終わり方は、よくあるパターンですので、それほど気にすることも無いと思いました。ジャンル的にはエロスだったり、サスペンスだったりいろいろ考えられますが、コメディと言ってもいいくらいではなかろうかと思いました。あんな広告に引っかかるって、よっぽど好きなんですねぇ…。というところでしょう。ジャン=ルイ・トランティニャンとマリー=フランス・ピジェのベッドシーン(といっても裸は無し)はなかなかの見どころだと思います。マリー=フランス・ピジェが大変美しく撮影されています。

ストーリーは、アラン・ロブ=グリエにしてはおとなしく、娯楽作に寄った感じになっていますが、話の構成は凝ってますし、現実と虚構を入り組ませるところは、いつものパターンだと思いました。しかし、難解にはしておらず普通の映画になっています。アヴァンギャルド要素も、適度に織り込まれている感じです。船のドックに水が入ってくるところとか、なかなか面白い映像だと思いました。映像はいろいろ凝ってます。また、同じことを繰り返すという構築や、倒錯的な趣味が全面に出ているところも、ロブ=グリエらしいところと思います。

マリー=フランス・ピジェは、今まで縁がありませんでした。初めて見ます。なかなか可愛らしい感じの女優さんです。生まれはベトナムのダラットなんですね。当時、フランス領で有名な避暑地です。そして、この映画は冒頭から椿姫の音楽が流れてドキッとします。それも、有名な部分や断片を上手く利用して効果を出しているところが、とても面白いところ。また、この椿姫の曲の入り方も、コメディっぽさを醸し出していると思いました。本来、悲劇のオペラなんですが…。

2019.11.10 HCMC自宅にて Amazon Prime よりのパソコン鑑賞

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プロフィール

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Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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