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「ケレル」 ファスビンダーの最後の作品は舞台作品のよう

ニュー・ジャーマン・シネマの旗手の一人、ファスビンダー監督の映画を見るのは、実はこれが初めてです。そもそもこの時代のドイツの映画と言うものを、それほど見たことが無いと思います。何事も経験という事で、Amazonにあった映画を見てみました。1982年の西ドイツ・フランス合作作品となります。実は音楽関係がラジー賞にいろいろとノミネートされています。ふむ…。

あらすじ
軍艦がブレスト港に入港した時、波止場の城壁の上にある売春宿の女主人リジアヌ(ジャンヌ・モロー)は、情夫ロベール(ハンノ・ペッシュル)に、そっくりの弟が来ると予言しました。一方、水夫達の上官セブロン(フランコ・ネロ)は、特に美しい肉体を持つケレル(ブラッド・デイヴィス)への思いをカセットに録音していました。上陸したケレルはロベールに会うと、町の警官マリオ(ブルクハルト・ドリースト)と組み、リジアヌの夫で宿の主人のノノ(ギュンター・カウフマン)の協力で、仲間の水夫ヴィック(ディーター・シドール)と共に、麻薬の密輸を成功させますが、ケレルは口封じでヴィックを殺してしまいます。

宿の常連で労働者のジル(ハンノ・ペッシュル(二役))は、ポーレットと彼女の弟ローガー(ローラン・マレ)との愛の間を行き来していましたが、仲間から侮辱され相手を殺してしまいました。ケレルは勝負にわざと負け、ノノやマリオに犯されることを選び、次第に悦楽と暴力に目覚めていきます。そして彼は、ジルの逃亡を助けるふりをして、警察に密告。セブロンは全ての根源がケレルにあると知りつつ、ケレルが逮捕されるのを防いでいました。ケレルは、ジルにつけひげをさせ、ヴィック殺しの犯人に仕立てあげようとするのでした。こうして黄色い夕陽の元で、ケレルとセブロンを乗せた艦は出港するのでした。



Querelle

ファスビンダー監督の映画を見るのも初めてであり、この時期のドイツの映画もほとんど見ていないので、ニュー・ジャーマン・シネマが何であったのか語るすべもないのですが、この映画を見る限り芸術嗜好でその少し前のヌーベルバーグからの流れにあるということは想像できました。そもそもかなり難解なのは、原作の難解さに加え、演出自体がアート志向ということで二重に見る者に考えさせるようになっているからでしょう。ただし出演している俳優陣は大物が多く、決して小規模なアート映画でないことは解ります。

この映画の特徴と思えるのは、まずは大胆にタブーに挑戦しているということで、男色の表現が執拗に出現します。自らの罪滅ぼしに落ちていった男という解釈でもいいのでしょうか。それを表現するのに水兵の世界を使っていると思います。そして演技がすべて港町の、見てそれとわかるようなセットで演じられていること。映画的な映像の演劇というスタイルだと思います。そこには独特の表現があり、普段見る映画とはより異質のものに思えました。

ファスビンダー監督は短い生涯を駆け抜けた多作の監督で、天才肌というタイプなのでしょうか。かつでのドイツの大音楽家たちうのような生涯であり生きざまであったのではないかと思いました。この映画は彼の最後の作品であり、それまでのいろいろな経歴が集積されているとも思いますので、初期の作品から順を追ってみていくと、理解が深まると思いますし、またじっくり見ていくに足る作品を多数残しているのではないかと思いました。いろいろ課題はつきませんが、いずれ取り組んでみたいと思います。

2019.11.30 HCMC自宅にてAmazon Primeよりのパソコン鑑賞
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「バグダッド・カフェ」 80年代の雰囲気と、Calling You

名画とも言われているこの映画ですが、あまり知識はありませんでした。今回、GYAO!に出ていましたので、この機会に見てみました。ニュー・ディレクターズ・カット版での鑑賞です。元の方は当然見ていないので、どう違うのかは解らないのですが、いろいろと期待大です。

あらすじ
ドイツから観光にやってきたミュンヒシュテットナー夫妻は、道中で夫婦喧嘩となり、妻のジャスミン(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)は、重いトランクを引きずり砂漠地帯を歩いて、さびれたモーテルの「バグダッド・カフェ」にたどり着く。ここで部屋を借りることとするが、女主人のブレンダ(CCH・パウンダー)は、亭主のサル(G・スモーキー・キャンベル)を追い出したばかりで、胡散臭げな表情を隠そうとしない。思うに任せない家族や使用人にいつも腹を立てているブレンダは、やがて、この大女ジャスミンを追いだそうとするが、ブレンダの留守中にジャスミンがモーテルの大掃除をしてしまったことから、怒りが爆発してしまう。しかし、それを期に、ブレンダの見る目も変わってきて、ブレンダの子供たちも、母親がいつしか失くしていた包容力を求め、ジャスミンの部屋をしばしば訪ねるようになっており、客のルーディ(ジャック・パランス)も、絵のモデルとしてジャスミンを口説き始める。そしてブレンダは、カフェの客相手に手品を披露し始めたジャスミン目当ての客で「バグダッド・カフェ」は大繁盛、家族同様の付き合いとなっていくが、保安官が現れ、ビザの期限切れと、労働許可証の不所持を理由に、西ドイツへの帰国を命じ、カフェは空虚さに包まれてしまう。そしてその数ヶ月後、ジャスミンは再びカフェに戻り、大歓迎されるのだった。



冒頭導入部の雰囲気は、「パリ・テキサス」を思わせるような、美しい景色から始まります。西部の砂漠地帯の青空というところですが、こういう美しい雰囲気から始まると、やはり映画全体に興味が湧いてきました。さて、ドイツ人夫婦の2人。なにやらやっていることが、ちょっと抜けた感じがしますが、まずは一転コメディに。そして、太ったジャスミンは、喧嘩別れの後荷物を転がして、「バグダッド・カフェにやってきました。

バグダッド・カフェでは、ブレンダが要領を得ない亭主と喧嘩したばかり。ブレンダの激しさに、亭主のサルは切れてしまい家出をしたところです。気性の激しいブレンダの目には涙が。店とモーテルを切り回し、2人のやりたい放題の子供とその孫の世話をしていて、休む暇のないブレンダが亭主に当たり散らしているのは、解らないでもなく、夫が出て行って涙ぐんでたたずむ姿には、ブレンダの人となりを感じさせ、同情を禁じ得ないところです。そこに突如として現れた大女のジャスミン。ブレンダは相当胡散臭げにジャスミンを見つめています。

モーテルの住民となったジャスミンは、モーテルの客やブレンダの子供たちから気に入られ、なつかれてしまいますが、それも面白くないブレンダは、いろいろと難癖をつけて追い出そうとしますが、ジャスミンとて行く所がありません。ブレンダが夫の仕事であった買い物で留守にしている間に、散らかっているオフィスや店をジャスミンは奇麗に掃除してしまいました。帰ってきたブレンダは、瞬間的に爆発し、元に戻せと怒鳴り散らしますが、落ち着いて考え直し、逆に机の上を散らかしてしまった娘に注意します。このあたりから、2人の関係が微妙に変化していくことになります。そして、ジャスミンは荷物に入っていた(旅行のお土産??)手品セットを練習し、バグダッド・カフェで披露したことから、ジャスミンと、ブレンダの家族や店の客と店員の間は急接近。家族の一員になりました。

バグダッド・カフェ


話は、続きますが、ここまでがこの映画の核心。あとは、成り行きでストーリーが流れていく感じです。突然現れた明らかに外見も育ちも違うよそ者のジャスミンと、バグダッド・カフェの面々が打ち解け影響しあう物語。多少ハラハラしながらも、それぞれの素直な人間性が語られ、素晴らしい物語になっていました。ストーリーは極めて単純ですが、映像美と、演技とがとても美しい。その場所に行ってみたくなるような、ある意味良心的な映画でした。

この映画を見ていると、この時代80年代に、こういう雰囲気があったなと、思い起こしてしまいます。最近は、画像もかなりリアルに色んなものを映し出すような感じですが、バグダッド・カフェを見ていると、いいものを美しく描いたような、幸せな映画。冷戦も終結に向かい、日本もバブルに入って浮かれた世相ではありましたが、同時に前向きな時代でもあったと思います。その頃が、私も入社して数年の活動的な時期であったので、懐かしく記憶がよみがえってきます。ラストの「Calling You」も素晴らしいですね。エンドロールで立ち去る観客を釘付けにしそうな名曲です。

さて、登場人物。主役の2人は素晴らしいのですが、脇役にもジャック・パランスが出ている。シェーンの悪役というイメージが私には強いのですが、なかなか面白い役を演じています。それからバッハの平均律を繰り返し練習している息子。顔の雰囲気がオバマ大統領に似ていると思いました。そして、映画としては、全体を通して、見ている間楽しい気分になれるような、記憶にとどめておきたい映画だと思いました。機会があったら、オリジナルも見てみたいと思います。

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「カタリーナ・ブルームの失われた名誉」 辛辣なマスコミ批判と純愛と

本屋さんのレジ前に、アウトレットBDの籠がありました。1000円くらいで売っているので何か一つ買おうかと眺めていましたが、ハリウッドのアクション映画が並ぶ中で、1枚だけ目を惹いていたこのBD。全く予備知識なしですが、「ブリキの太鼓」のフォルカー・シュレンドルフ監督の作品のようで、これで決まりです。ジャケットのあらすじを見つつ、重い映画かなと思い、心して観ました。

あらすじ
1975年の2月のある日、ライン地方の小さな町はカーニバルの真最中だった。仮装舞踏会を手伝っていたカタリーナ(アンゲラ・ヴィンクラー)は、舞踏会にやって来たゲッテン(ユルゲン・プロホノフ)に会い、意気投合して何回も踊った。カタリーナのアパートに帰った2人は、その夜を共に過ごす。ところが、翌朝、物々しく武装した警官隊がカタリーナの部屋におし入り、彼女の部屋を取り調べた。ゲッテンは過激派の銀行強盗で、仮装舞踊会の前から警察に尾行されていたのだった。しかし、ゲッテンの姿はもうすでにそこにはなかった。重要参考人として連行されたカタリーナは厳しい取り調べを受け、新聞はその内容を報道し、彼女の離婚した過去などを書きたてた。中にはでたらめの記事までがでっちあげられ、家へ帰ったカタリーナは、いたずら電話や下卑た手紙に悩まされた…



いや、これは激しい映画でした。思想・主題を最大限効果的に表現してグイグイ押してきます。ノックアウト状態です。この映画について語るのは、ちょっと敷居が高い。そんな作品でした。

一番の印象深いのは、テトゲスの描かれ方でしょう。これは、マスコミの暴力を描いていますが、ここまでやるとマスコミは下衆の極みである、というような描かれ方です。あることないことを書き立て、発言には都合のいい解釈(解釈もしていない、ただのでっち上げ)を行い、立ち入り禁止区域に侵入し、その影響でカタリーナの母親が死ぬことになり、それをもカタリーナの犠牲者として、転嫁して書き立てる。大したものです。
おまけに、チャラい格好をして、顔が濃くて、若造がふんぞり返って、弱者に対する侮辱発言を堂々と行い、ありとあらゆる害悪の根源のような人物として描かれています。マスコミの暴力を描いた映画は数ありますが、ここまで描き切った映画は数少ないのではないでしょうか?

マスコミの次に槍玉にあげられるのは警察ですが、こちらは若干公平感をもって描かれているような気がします。比較の問題ですが、しかし、これでは簡単に冤罪が作り上げられてしまうなぁと思うような描かれ方をしています。

この当時の世相は、ドイツでは極左勢力やそれによるテロが台頭し、それに対してマスコミや警察が無条件に世論形成し戦っていた背景があります。日本でも、学生運動から過激派への道がありましたが、同様のようです。ましてや、東ドイツと分裂し、冷戦の最前線です。ヒートアップするのはわかります。その中では、少しでも怪しい行動があった場合、魔女狩りのように攻撃され、一般大衆も一緒になって攻撃する。そういったことが行われていたようです。

その他にも、自分の行動を棚に上げ、保身を第一とする知識人や、彼らに会合場所を提供する修道院など、世の中の矛盾が次々と槍玉にあげられます。きわめてで辛辣で過激な描き方です。

カタリーナ・ブルームの失われた名誉

それに対する、主人公のカタリーナ。マスコミや警察、大衆の犠牲となる形ですが、その中にカタリーナにはもう一つのテーマがありました。彼女はなぜ、あれだけ警察に尋問されても、マスコミから攻撃されても毅然とした態度をとっていられるのか?この映画はそのカタリーナの性格、行動を組み上げていくパズルのようにも進行していくのです。それは、マスコミの暴力に目を奪われていく中で、ある程度物語が進行して気づかされます。このカタリーナの描き方と演技が、思想的色彩が強烈な中で、映画としても大変奥が深いものにしていると思います。そうしてみると、ブローナ博士の発言から、ブローナ博士夫妻がカテリーナの最大の理解者であり、社会の良心であることが解ります。

この映画を見て、戦後冷戦時代のドイツの一面がまた一つ知識としても加わったような気がします。極左勢力や無政府主義者への攻撃対象には、元ナチス党員はならないとか、なかなか考えさせられる言葉です。ちょっとドキッとさせられる感じです。

この映画を見ていると、世の中を見る絶対的な公平性というものは何だろうか?という疑問に苛まれます。そういうものは本当にあるのか?思想・利害が対立すれば、どちらにも言い分はある訳ですから、永遠の課題であり、常に問いかけていかないといけない課題でしょう。現在こういう映画が作られるのかというと甚だ心細い気がします。常に問いかけることが重要であり、それをやめた時、一方的な勢力への偏向による破たんが起こる可能性がある。そういうことを改めて教えてくれる映画ではなかったかと思います。

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