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「ヒトラーの忘れもの」 地雷原に持続する緊張の100分

非英語圏のヨーロッパ映画を見る10月その6。以前に、予告編で見て、興味を持っていた作品の鑑賞です。ストーリー自体にも興味がありました。2015年の映画で、デンマーク・ドイツ合作作品。監督はマーチン・サントフリートで、オスカーの外国語映画賞ノミネート。ほか、デンマークの各賞を始め、東京国際映画祭などでも受賞がありました。
原題:Under sandet (2015)

あらすじ
第二次大戦時、ドイツ軍は連合国の上陸阻止の為、占領したデンマークの海岸に大量の地雷を埋めました。そして、終戦。デンマークのドイツ軍が引き上げていく中で、地雷の除去の為、捕虜となったドイツ兵が地雷除去の作業に使われます。ラスムスン軍曹(ローラン・ムラ)の受け持った区域は、10人程度のドイツ少年兵が割り当てられ、軍曹は海岸に埋まった地雷をすべて除去するまで、帰国はかなわないと伝え、ドイツへの憎しみの感情もあって、過酷な条件を課して、少年兵を作業に当たらせます。少年兵たちの食料も滞りがちで、リーダー役のセバスチャン(ルイス・ホフマン)が訴えても、軍曹は聞く耳を持ちません。そんな中で、少年兵は、ネズミの糞にまみれた家畜の餌を盗み食いし、集団食中毒になる中で、体調不良の中で作業を強要された一人の少年兵が、両腕を吹き飛ばされでしまいます。

軍曹は、医療施設に見舞いに行くと、少年は死亡したことを知らされ、そのまま基地から食料を盗んで帰り、彼らに提供します。一方で、デンマーク軍に絡まれた少年たちを守ったりと、叱咤激励はしながら徐々に信頼も生まれてきます。そして、休日にビーチでサッカーをするまでになりましたが、その帰りに、地雷駆除が終わったはずの場所で、軍曹の愛犬が地雷によって死んでしまい、怒りのやり場が無い軍曹は、地雷除去を終えた砂浜が安全であるかの確認の為、少年兵に隊列を組んで歩かるという行動に出ます。

ある日、近所に住む少女が、未撤去の場所に入り込んでしまい、双子の兄を地雷処理の事故で失っで、放心状態になっていた少年が、危険を顧みずに彼女を助けると、自ら地雷原に向かって歩き、自爆します。軍曹は今後に懐疑心を持っているセバスチャンに、あと少しで帰れると約束。そして、セバスチャンたち4人が除去作業中に、地雷をトラックに積み込んでいた10人が、大爆発の犠牲になるという事故まで起きてしまいました。軍曹は最後まで残った4名を帰国させようとしますが、上官は、別の地雷原への配転を決めてしまいました。軍曹の激しい抗議も受け入れられず、4人が新しい場所に送られそうになった時、軍曹は独断で、彼らを国境から500mのところまで運び、ドイツへ帰るよう解放したのでした。



ヒトラーの忘れもの

戦争で犠牲になる少年を題材とした映画と言えば、真っ先に思い出すのが「イノセント・ボイス」なので、そんな重い話を想像していたのですが、この映画は悲惨さが強調されるというよりは、それは控えめで、むしろ緊張感のある惹きつけられる映画と言う印象でした。勿論、内容は重いもので、戦争の理不尽さのある面を描いた映画には違いないのですが、それ以上にヒューマンドラマ的な一面を感じます。それは、軍曹の心の動きや行動、そしてある意味ふわっとした、ほっとするようなラストによるものかもしれません。そして、導入から本題に至るまでのシーン。どんどん物語に入っていけます。見事な掴みでした。

軍曹の、ローラン・ムラが見事です。冒頭から、復員中のドイツ兵がナチスの旗を持っているのを見て殴りつける様に、ドイツへの憎しみを一気に表現していきます。そして、少年の中に囲まれて地雷除去を指導する役割は、軍曹という職務はそういった立場になることが多いと思いますが、その立場や心中が良く現れています。少年兵の中では、リーダーのセバスチャンは人格者ということですが、むしろ目立つのは、少年ながら将校の軍服を着るジョエル・バズマンでした。この少年たちの中に溶け込めてない様子で、付かず離れずという感じの微妙な役回り。辿ってきた境遇の違いを想像します。

100分程度という事で、コンパクトにまとまったエピソードを綴った映画でした。いつ地雷が爆発するかという緊張感が持続する100分です。どんどん引き込まれる映画で、砂浜の風景も美しく、題材が重さの一方で、娯楽的な側面も感じます。しかし、この邦題はちょっと外していますね。ヒトラーと忘れものという言葉のイメージがアンマッチですし、この内容が忘れもので片づけられるものではないと思いますが…。残念ながらこれはセンスを疑う、外れ邦題でしょう。迫力のある一本でした。

2020.10.17 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞
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「THE GUILTY ギルティ」 かなりの緊迫感に釘付け

飛行機に搭乗してみると、途中まで見ていた目的の映画が、月替わりで無くなってしまってました。これにはちょっとがっかりなのですが、気を取り直してプログラムを物色しながら選択です。で、選んだのはこの映画。サンダンス映画賞観客賞受賞。2018年のデンマークの作品です。

あらすじ
アスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は、捜査時の犯人射殺事件の為、緊急通報指令室のオペレーターに回され、翌日にその裁判を控えていました。裁判では身内が偽証してくれる約束で、無罪であれば第一線に戻ることができるという状況です。この日も、酔っ払いの電話や交通事故処理など雑事の対応が続いていました。そんな時、イーベンと名乗る女性から一本の通報を受けます。それは、今まさに誘拐され、車で連れ去れているという電話でした。

電話のやり取りの中で、連れ去ったのは夫だわかると、車の特徴をパトカーに伝え、現場付近に向かわせますが、雨の中うまく発見できないようでした。イーベンの家に電話してみると、まだ幼い長女が電話をとり、父親が母親を強引に連れ去ったと話します。警官を彼女の保護の為自宅に向かわせると、そこには腹を裂かれた小さな弟の遺体がありました。イーベンの危険を感じたアスガ―は、交信を続けながらイーベンを指導し、夫の隙をついて脱出させます。しかし、その後の電話の先のイーベンとの会話から、暴力的な夫が子どもを殺し、妻を誘拐していたのではなく、心を病んでいたイーベンが子どもを殺し、夫は彼女を精神病院に連れいこうとしていたことが判明。アスガーは勝手な判断で間違いを犯したことを知り、明日の裁判の事件の時の状況と重ね合わせ、愕然とします。そして、パトカーの部隊へ、イーベンの確保を依頼し、なんとか自殺しようとしていた彼女の確保に間に合ったのでした。



THE GUILTY ギルティ

機内で何気なく見始めたデンマークの映画ですが、見始めるとなかなかの緊張感で、一気に惹きつけられて見てしまいました。こういった電話の会話だけのサスペンス。内容はかなり違いますが、フォーンブースとか思い出しましたよ。しかもこの映画は、電話の向こうから状況を推理するというサスペンスで、しかもそれが血なまぐさい重大事件であり、会話の相手が正常ではないといった二重の罠が待ち受けています。そして、映像は警察の緊急電話のオペレーターの部屋のみという徹底ぶり。映されるのも終始ほぼ一人だけで、あとは見ている方としても、電話の向こうの状況を推測するしかありません。

主人公はもともと外回りの刑事という設定で、過剰防衛に関連するの裁判中で、閑職に回されているという状況。しかし、自ら行動して事件を解決したいという志向があり、この電話に虫が騒ぎ、交替時間をオーバーして電話のみで事件の解決にあたります。その動きは、他部署への越権行為もあり、批判を受けながらの活動でした。事件の内容もかなり猟奇的で、事件の全貌をつかむのにかなりの紆余曲折を経るというストーリー。そして意表を突く真実へと向かう謎解きと展開がこの映画の醍醐味です。

主人公の行動といいますか、電話を通じての指示などは、熱意は深く感じられますが、やはりやり過ぎ感があり、それが裁判に繋がっているのがみて取れます。また、少々切れやすいようです。いろいろと物を壊していました(笑)。そういった情景環境も踏まえて、会話だけだと単調になるところを、うまく緊迫感のある雰囲気を作っていると思います。久しぶりに緊張感のありストーリーに引き込まれたひと時でした。

2019.8.4 JL759 NARITA-HCMCにて機内鑑賞

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「恋に落ちる確率」 は、リコンストラクションという名前の映画です

買い置きDVDからの視聴です。「恋に落ちる確率」って、なんとなく明るいラブコメを想像させるのですが、ヨーロッパのハリウッド風の明るいラブコメというのも、なかなか想像しづらくて、ちょっと見当がつきません。まずは予備知識なく見てみる、2003年制作、デンマークの映画です。

あらすじ
夜のバーで出会った、写真家のアレックス(ニコライ・リー・カース)と、アイメ(マリア・ボネヴィー)。アレックスにはシモーネ(マリア・ボネヴィー、2役)、アイメには、小説家の夫アウグスト(クリスター・ヘンリクソン)がいた。二人の間は、微妙な駆け引きの中で進展していくが、アレックスは自分の日常を失っていく。そんな中でついに二人だけでローマへ行く約束をするが、アレックスにシモーネへの気持ちも残っていた…



思わせぶりな解説を絡めながら、夜のバーで出会う二人のシーンから始まりました。画面はざらついた感じで、モノトーン系の陰影のついた情景が続きます。そもそもスタートから情景を外部から傍観者が見ているような解説で進められ、その中で演じている物語という位置づけの様です。そして登場人物の4人が説明され、夜のバーで会ったのは夢だったという説明がなされます。

次に、アレックスとシモーネ。普通の恋人同士のようですが、シモーネはアレックスに愛していると口に出して言って欲しいようで、普遍的によくある光景です。デートの途中で、アレックスは夢の中?で出会ったアイメを見つけ、シモーネを放っておいて、アイメを追いかけ、昨日のバーに向かい、そのままアイメと夫(外出で不在)の部屋でベッドイン。翌日の朝を迎えます。そしてここで初めて画面が夜から解放され明るくなります。

アイメの夫は人気恋愛小説家といったところでしょうか。今回は妻との関係がうまくいっていないのを修復しようと2人で来ていますが、多忙で結局アイメとの時間が取れず、彼女を苛立たせています。アレックスと入れ替わりに帰ってきたアウグストは直前まで男がいたことを悟り、なんとか妻と会話しようとしますが、また仕事の電話が入ってしまいました。

アレックスは、午後アイメと再会する約束をして自宅に戻りましたが、自宅の部屋はそこになく、友達も周囲の人もシモーネまでもが、誰もアレックスを知らないという状況になっていました。焦りつつも約束のレストランでアイメを待ち、アイメは時間通りに来ますが、彼女は初対面のような感じで振舞っていて、アレックスはさらに違和感が募りました。

そして、冒頭の場面から何度か出てきている、夜のバーで交わしたローマ行きの件がついに約束され、再び夜のバーで落ち合うことになります。アイメは懸命に今までの行動を詫び、引き留めようとするアウグストを振り切ってバーに向かいます。一方でアレックスは、自分を知らなくなってしまったシモーネにサヨナラを告げに別の店に向かいます。シモーネは知らないはずのアレックスが気になるようで、お互いすぐに別れられず、アイメとの約束のバーに遅れて着いた時には、彼女は店を出た後でした…

恋に落ちる確率

原題は、「リコンストラクション」なので、再構築みたいな感じです。邦題の方はつけた意図がちょっと測りかねるというか、内容とは別物と言っていいと思いますが、まぁ、人畜無害で頭に残らないため、邪魔にはならない感じです。出だしから画面がとてもアートで、話の内容や展開が不条理です。ということで、見るのに疲れる映画みたいだなと思ったのですが、意外と集中できました。それは、ひとえにマリア・ボネヴィーがなかなか魅力的だったという事によるのかもしれません。(笑)

この物語は、基本は小説家アウグストの書く小説という位置づけで、いわば劇中劇的な物語。そしてアイメは小説家の妻であり、物語のヒロイン。しかし、現実と小説の中も交錯し、また、時間の前後も交錯しているような感じがして、かなり不条理劇的に仕上がっていました。アレックスは、自分がアイメと出会うために世界が再構築され、旧知の人がすべて知らない人となったという理解なのですが、それよりも、この交錯した物語を、題名の通り、リコンストラクションしてみろという宿題を与えられたような気がしました。

この映画は、2003年のカンヌ映画祭で、カメラ・ドール(新人監督賞)を受賞した作品となります。そんな訳で、さすがにしっかりした出来栄えの作品で、なかなか面白かったです。シュールな場面の多い割には、音楽がベタなバーバーのアダージョが入ってくるところなど、ほっと一息安心感というのもありますし、一方で、シューベルトのピアノソナタなど、独特の雰囲気を持つ曲が、ストーリーと良くマッチして美しい作品になっていると思いました。最後まで、画面に惹きつけられました。

2018.6.16 HCMC自宅にて、DVD鑑賞

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「メランコリア」 トリスタンとイゾルデとのコラボなのか?

久しぶりに真面目に大作映画を見る気になって、GAYO!にあった「メランコリア」を見てみました。ラース・フォン・トリアー監督の映画は「ドッグヴィル」しか見たことがないので2度目になります。あちらも変わった映画だったので、ちょっと覚悟して構えてみています。2011年の映画で、カンヌ映画祭に出品され、キルスティン・ダンストが女優賞を受賞しています。

あらすじ
新婦のジャスティンは新郎のマイケルとともに、結婚パーティが行われる姉夫婦の邸宅へと向かっていた。しかし細い道でリムジンが立ち往生、2人は予定時刻を大幅に遅れて到着することに。それは姉のクレアとその夫ジョンが準備してくれた盛大なパーティだったが、情緒不安定なジャスティンはわがままな振る舞いで周囲を困惑させてしまう。それから7週間後、惑星メランコリアはいよいよ地球へと迫り、クレアは不安と恐怖で落ち着きをなくしていく。そんな中、すっかり憔悴していたジャスティンも、すでに月よりも大きくなったメランコリアの姿を初めて目の当たりにするのだが…。



ストーリーは以上です。あまりこの映画ストーリーに言及しても…という気がします。すべてが最初の10分で語られてしまいます。

いきなり、キルスティン・ダンストのアップで始まりますが、それよりも一番印象的なのは「トリスタンとイゾルデ前奏曲」です。この曲は映画の中で何度も登場し、その度に印象的な場面を創出します。幻想的な10分間の映像の中に、壮大な宇宙の画像と終末の瞬間。この曲は、2001年における「美しく青きドナウ」的に使われているようなところもありますが、こちらはいろいろな歴史と物語の背景をもった曲だけに、単なる効果ではないはず。トリスタンとイゾルデは数少ない生で見たオペラなので、ここまでこの音楽を使われると、その内容を思い描きながら見ることになってしまいます。

前半の結婚披露宴の場面。この中で起こる出来事がこのストーリーに何か影響を与えることはごく少ないでしょう。シャーロット・ランプリングも怪演を見せてくれますが、全体から見ると単なるエピソードの一コマです。前半ではジャスティンの「あなたは無よ」という言葉が記憶に残るのみです。最終的に壮大な無に繋がるという意味で。

後半は、今度はクレア(シャルロット・ゲンズブール)が苦悩する番で、最終的に壮大な終焉へと向かっていきます。我々は最初に巨大なメランコリアに地球が飲み込まれるのを目の当たりにしている訳ですから、客観的にただただ見るのみです。馬が止まるところで、カートも止まるとかいう小技がでますが、どうでもいいのです。ゴルフコースの最後に19番ホールがあるとか。でもそんなことは問題ではなく、かえって虚しさを感じさせてくれるのです。

メランコリア

この世界は隔絶された世界で起こることを描いています。ドッグヴィルは隔絶されているからこそ話が出来上がっていたのですが、こちらは全世界的に起こっていることですから、村や町ではそれこそとんでもないことが起こっているはずです。それがこの世界には影響しません。本当に世界人類の終焉を4人に凝縮したような描写となっています。

それで「トリスタンとイゾルデ」との関連は?こちらのテーマは愛と死ですので、愛は限りなく貪欲になっていき、無限に求めていくと最後に死に到達する。死こそ究極に求め続ける最後の救済である。ということになります。これをこの映画にだぶらせると、確かにこの映画、死(無)に至りますから、それが全人類規模の愛(欲望)の結末であり、救済ですということになりますか?

そこまで象徴してしまうと、ちょっと独善的すぎやしませんか?という気がします。
こういう古典的な曲をライトモチーフにして映画を作るのは、諸刃の剣。表面的に大きな効果を得られますが、どうしても、意図が拡散してしまったり、作者の創作でないという紛い物感が付きまとうような気がします。

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プロフィール

torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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