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「ザ・シシリアン 復讐の挽歌」 70年代B級ギャング映画

Amazon Prime にあった、70年代のイタリアB級ギャング映画。クエンティン・タランティーノがお手本としたという、フェルナンド・ディ・レオ監督による作品です。そういったお墨付きがついているだけに、楽しみです。1976年イタリア・西ドイツの作品です。この映画は、2004年のヴェネチア国際映画祭で特別上映されたとのことのです。

あらすじ
ある建物の一室。悪事の稼ぎを持ちこんだ2人の男の一方(ジャック・パランス)が、分け前を独占しようと相手を射殺します。その家で寝ていた殺された男の息子が銃をとり、撃った男を撃とうとしますが弾切れ。男は立ち去りました。

バギーを乗り回し、地元の上納金の取立て役を行うトニー(ハリー・ベアー)は、集金した金をルイジ(エドマンド・パードム)の事務所に持ち込む毎日。ルイジは賭場を経営していますが、ある日その賭場でリック(アル・クライヴァー) という若者が起こしたイザコザで、地元のボスのスカーフェイスと呼ばれるマンザーリ(ジャック・パランス)一家の男たちが現れ、カードゲームの後300万リラの小切手を残して立ち去りました。そして、リックは面倒をかけたということで、マンザーリたちにボコボコにされたところを、トニーに拾われ2人は共に行動するようになります。

翌日、トニーが事務所を訪れると、ルイジたちが集まって300万を、どうやってマンザーリから取立てるか悩んでいました。トニーは自分にまかせてくれと請負い、リックと組んで税務署員を騙ってマンザーリからまんまと1000万をせしめ、300万だけルイジの事務所に戻します。騙されたと知ったマンザーリ一家はルイジの事務所や賭場を破壊し、ルイジは身を隠しますが、マンザーリと手を組んだルイジ配下のぺッピ(Enzo Pulcrano)に殺されました。そして、ダシに使われ1000万をもっていかれたペッピもトニーたちを追い始めます。

ルイジ亡きあと、実権を握ったペッピは、マンザーリの庇護のもとで賭場を再開。トニーは勿論、ペッピに反発する古参のナポリ(ヴィットリオ・カプリオーリ)もグループを離れ、マンザーリは、提携の条件としてペッピにトニーの居場所をつかんで知らせることをに求めました。一方でトニーたちは、トニー、リック、ナポリと3人で組んで身を隠した後、まずリックが賭場に潜入し、ペッピを射殺。そして、マンザーリの事務所に乗り込むと、麻薬取引を持ち掛け、3人の待つ旧屠殺場のアジトへ誘います。そして、現れたマンザーリ一味を迎え撃つことになりますが…。



ザ・シシリアン 復讐の挽歌

じっくりと見られて、イタリアらしい雰囲気のある、B級ギャング映画でした。当時ヨーロッパに転戦していたジャック・パランスが、マカロニなどへの出演を経て、ギャング映画への出演です。でも、なんとなく一人だけちょっと雰囲気の違う感じがしますが…。主人公役のトニーとリックのコンビの活躍は痛快で、加わったナポリもいい味を出していると思いました。全体に、イタリアのコメディっぽい明るさも加味されていて、中間では少しだけエロスも散りばめられ、なかなか見どころが多い映画だと思います。

冒頭に父親が殺される場面から入るので、復讐劇であることが暗示されます。邦題もそのまんま復讐劇と言っています。しかし、実際には、中身は復讐劇の味は薄く、結末を暗示するための額縁に使っただけのようです。そして、ボスが最初に殺されて、あとはアクションシーンが続き、モブキャラが最後まで頑張るという展開は、メインの骨格として使った復讐劇を、ジャック・パランスに敬意を表して描きつつ、実際はイタリアの地回りギャングのアクションをメインに据えた構成と、対するトニーとリックの活躍とアクションで華々しく飾っていこうという形なのでしょう。

ジャック・パランスがボスのギャング団は、マフィアの大物という感じでもなく、あっさりと「飛んで火に入る夏の虫」になってしまうように、脇が甘すぎです。地方都市の勢力争いみたいなイメージです。それでも、ストーリー展開はいろいろなエピソードが織り込まれて、楽しさには事欠きません。さすが、マカロニウエスタンのイタリアの映画で、殺戮場面もいろいろと手を変え品を変えで、明るいコメディタッチも織り込んだギャング映画。娯楽度が高いと思いました。最後の旧屠殺場でのアクションは、四角い建物の周囲を回る、走る人間や車を狙うシーンが、ゲームっぽくて楽しいし、あとは反射でしとめるとか…。いろんな面白い工夫があり、この監督の映画、また見てみたいと思いました。

2019.11.1 HCMC自宅にて Amazon Prime よりのパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「ベリッシマ」 母と子の美しく輝く瞬間をとらえる作品

ベリッシマは、1951年の映画で、ルキノ・ヴィスコンティによる作品。ヴィスコンティを見るというよりも、この時期のイタリア映画の雰囲気を楽しんでみようという気持ちで見始めました。舞台の一つとなっている当時のチネチッタの雰囲気も味わえます。ベリッシマとは、「もっとも美しい女性」の意味のことです。

あらすじ
ローマ郊外のチネチッタでは、映画会社が募集した子役少女のオーディションが行なわれていました。そこには、わが子をスターにと、母親たちが列をなしています。マッダレーナ(アンナ・マニャーニ)も、そんな母親のひとり。彼女は、大の映画ファンで、ハリウッド映画を見てはスターに憧れ、それは貧しい生活の中でのわずかな楽しみでした。

娘のマリア(ティーナ・アピチッラ)をスターにするため、彼女のあらゆる努力を始めます。演技指導を受けさせたり、衣裳を購入したり、撮影所に勤めるアルバート(ワルター・キアーリ)をコネにつけようとしたり…。彼に賄賂を贈ったマッダレーナですが、調子に乗ってアルバートが彼女を誘惑すると、今度はきっぱり断りました。マリアは一次選考を通過したものの、二次選考で、カメラの前で泣きだしてしまい、そのフィルムを見た監督やスタッフが笑いころげている様子を、忍び込んだ映写室から見たマッダレーナは、その時はじめて、自分のしてきたことの愚かさを悟りました。ひとしきり監督たちの前で啖呵を切ったあと、マリアを連れてチネチッタを出たマッダレーナは、人気のないベンチで、眠りこけるマリアを抱いてしみじみ泣き崩れます。その頃チネチッタでは、なんとマリアが一位に選ばれ、スタッフたちが契約書を持ってマッダレーナの家を訪ねて来ていました。そこヘ彼女が帰ってくると、彼女は契約をきっぱり断り、大事な娘を非情な大人たちの手には渡せないと宣言。そして疲れ切ってベッドに横たわるマッダレーナを、夫があたたかく抱擁した時、野外劇場から聞こえてくる映画の音から、バート・ランカスターの声を言い当てるのでした…。



ベリッシマ

とにかく、アンナ・マニャーニが凄まじいとしかいいようがありません。その発言と行動は機関銃並みの迫力です。夜に部屋で見ていましたが、思わずボリュームを下げてしまいましたよ(笑)。ものすごい自己主張で驀進し、そして、我に返った時の落差がすごい。それでも、バート・ランカスターの声に反応するところは可愛らしい。題名のベリッシマとは、最も美しい女性とのことで、そんな主人公の姿を、イタリア女性の典型的な姿として賛美する映画、そのような姿に女性讃歌の意味が込められているのでしょう。

最後は、母親として契約を断ってしまいますが、そこまでやったのなら、受ければいいのにとは思ったものの、でも本当に子どもを愛していて大切ならば、母親としてこの世界の人々と出会って体験したことを整理し、少女がこの世界に入って起こることを考えると、間違っていないと思いました。人の子なら羨ましく見ることになりますが、大切な自分の子供であれば、やはりリスクにさらしたくないのは、当然のことと思います。お金よりも名誉よりも尊いものです。ただし彼女が、もしそれでも契約してしまったら、今度はスタジオで毎日大騒ぎする母親が目に見えるようですが…。

決して楽ではない生活を強いられている彼女の唯一の楽しみが、ハリウッド映画というのがちょっと楽しいところでした。この家の横で野外映画をやっているので、ここに住んでいると、自然に映画が向こうから入ってくるような感じですが、それでも映画の世界に入ると彼女の表情が変わっていくところが、いくら騒々しい女性であっても、憎めなくてとてもいいと思います。上映されていた映画は、ハワード・ホークスの「赤い河」とのことです。

2019.9.14 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「越境者」 無駄なく美しい映像にすっかり魅了される

久しぶりのピエトロ・ジェルミ、そして、久しぶりのイタリアのクラシック映画の鑑賞になります。「越境者」は、ピエトロ・ジェルミの初期の作品。フェリーニも原案・脚色と名を連ねています。そして、ベルリンの銀熊賞受賞作品。1950年の作品。原題は直訳すると、「希望の道」といった意味になるようです。

あらすじ
シシリアの硫黄鉱山のある町では、鉱山の閉山が鉱夫たちの抵抗も空しく実行され、多くの家族が収入を失うことになってしまいました。町にやってきたブローカーがフランスでの仕事の斡旋を始め、元鉱夫たちはなけなしの家財道具を売り払ってブローカー(サーロ・ウルツィ)に渡し、一行は違法な出稼ぎの旅へと出発します。

リーダー格は、三人の幼児を連れたサロ(ラフ・ヴァローネ)。そして、ならず者に落ちぶれたヴァンニ(フランコ・ナヴァラ)の内縁の妻バルバラ(エレナ・ヴァルツィ)など一行は約20人。途中バルバラの手配でヴァンニを拾い、本土に渡ると汽車でローマへ。しかし、ブローカーがナポリで旅費を預つたまま逃げようとした所をヴァンニが発見し、脅して連れ戻しますが、ローマでブローカーは混乱を発生させ逃走してしまいました。この騒ぎで、ヴァン二も逃走、一部の村人ははぐれてしまい、皆は警察に検挙され、帰郷を命ぜられます。

帰るにも帰ない一行は、トラックを雇いエミリアに向かい、一時的に農園のアルバイトに雇われますが、これは農場のスト破りとしての雇用だったことから、地元の農民たちが騒然となり、再び出発を余儀なくされました。絶望した一部の村人はシチリアへの帰路につき、残った数名がアルプス山麓の町まで到達します。これまでの道中で、バルバラはサロと打ち解け、3人の子供を母親代わりに面倒を見てきましたが、この町で再びヴァン二が合流。サロとヴァン二は雪の中で決闘になり、サロはヴァンニを刺し殺してしまいました。

一行は、吹雪の国境の峠に挑み、ここで鉱山の会計係であった老人を失いますが、ついにフランス側に到達、フランスの国境警備兵も彼らの惨状を悟ると無言で去り、一行は希望に向けて進んで行くのでした。



越境者

素晴らしい映像を堪能しました。これは、映画を見る醍醐味の一つと思います。全く、どのカットも雄弁に物語を語り、細かく計算され、惚れ惚れするような映画でした。ストーリーは、職を失った村人たちがブローカーに騙され、不法な出稼ぎに行くその苦難の道中で起こる事件を描いたものですが、展開に無駄がなく、また当時の世相も明晰に描かれ、きっちりと仕上がってます。そして、思えば、この内容。時代を経ても、世界中のどの地域でも未だに起こっている、普遍的な問題ということを改めて感じました。この映画は、ベルリンの銀熊賞以外にも、カンヌでもノミネートされていました。ネオレアリズモの流れの中での、ピエトロ・ジェルミの初期の社会派作品ですが、彼の作品はこの後鉄道員、刑事へと続いていきます。

そして、ここでは、エレナ・ヴァルツィが素晴らしいと思いました。美しく撮られているという事もありますが、複雑な役にいろいろな表情を添えて演じています。そして、やはりこの映画、或いはこの集団に入っているのが違和感があるくらい美しいと思います。彼女は後にこの映画のサロ役でもあった、ラフ・ヴァローネと結婚。その後は、家庭に専念したために引退してしまいました。残された映画は多くないのですが、また機会があればと思います。

頻繁に見る訳ではないのですが、でもその少ない機会のたびに、イタリアの古い映画はいいなぁと思ってしまいます。特にイタリア内で撮影された映画なのですが、明るいし、美しいし、人情味あふれているということでしょうか。見た本数も決して多くは無いので、まだまだこれからではあるのですが、ここにはこれからも楽しみが沢山あるような気がしています。そして、また次の機会を楽しみにしているのです。

2019.9.14 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
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「おとなの事情」 イタリアの大人事情、これが本当の割切?

以前、予告編を見て面白そうだと思っていた映画ですが、改めてAmazon Primeに出ていたので、見ることにしました。2016年のイタリア映画。ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で、作品賞と脚本賞を受賞し、トライベッカ国際映画祭脚本賞、ノルウェー国際映画祭観客賞受賞など、数々の賞に輝いた映画でした。

あらすじ
月蝕の日に、7人の友人夫婦が集まった食事会で、お互いには何の秘密も無いという彼らは、席上でかかってきた電話やメッセージをお互いにオープンにするゲームをすることに。ところが次々と彼らの秘密が露見していき…。



幼馴染の男性4人と、そのパートナーたちが、月蝕の夜にロッコ&エヴァ夫婦の家に集まって、ホームパーティーが始まりました。そして、食事中の会話の成行から、お互いスマホをテーブルの上に置き、メッセージはその場で読み上げる、通話はスピーカーをオンにして、皆に聞こえるようにするというルールでゲームをすることになりました。映画は、そのホームパーティーの場面の会話劇として続いていますが、ここでは登場人物毎にサマリーを紹介します。

ロッコ(マルコ・ジャリーニ)&エヴァ(カシア・スムトゥアニク)夫妻
エヴァは、17歳の娘ソフィアとうまくいかず衝突を繰り返し、ロッコが娘の相談にのっている状態です。この日も、エヴァがソフィアのバッグを覗き、コンドームを見つけたことからひと騒動でした。エヴァはカウンセラーをしていましたが、この日夫が別のカウンセラーに通っていることが発覚、またエヴァも豊胸手術をしようとしていることが発覚してしまいました。そして、ソフィアから恋人に処女を捧げるべきかという相談の電話に、真摯に回答するロッコでした。

コジモ(エドアルド・レオ)&ビアンカ(アルバ・ロルヴァケル)夫妻
新婚で、これから子作りをしようと決めたばかり。ビアンカに元カレからやりたくなってきたというメールが入りますが、これは相談を受けているだけだということで解決。ところがコジモに、男性から「手配した指輪とピアスは気に入ってもらえたか?」と連絡が入り、何も受け取っていないビアンカは不審に思います。実はコジモはこれをエヴァに贈っていました。そして、職場の女性のマリカからコジモに「妊娠したみたい」と電話が入り、ビアンカはトイレで悲嘆にくれ、義母に孫ができたと連絡すると、指輪を外して出ていってしまいました。

レレ(ヴァレリオ・マスタンドレア)&カルロッタ(アンナ・フォッリエッタ)夫妻
結婚十年目。子供と母と同居しています。カルロッタは家を出る時、なぜかノーパンで出ていきます。レレは一人で来ているペッペに、同じ機種ということで携帯の交換を頼みました。ところが交換したペッペの携帯に、ルチオという男性の恋人から連絡が入ります。すっかりレレはゲイということになってしまい、皆から白眼視されます。ペッペ自身もこれまでゲイを隠していたのです。カルロッタの方は義母の老人ホームを探していたことがバレ、そして、SNSでのチャット相手から、今ノーパンか?というメッセージ。これはSNS上だけの関係で、会ったことも無いということで収まりますが、かつてカルロッタは飲酒運転の死亡事故を起こし、飲んでいないレレが代わりに罪をかぶったことを告白。それが理由で愛が無くても別れられないのだと打ち明けます。

ペッペ(ジュゼッペ・バッティストン)
新しい彼女を連れてくる予定だったペッペは、相手が熱を出したということで一人で現れました。レレと携帯を交換したペッペですが、レレがすっかりゲイと認識され、何も言い出せない状況になってしまいます。ゲイが露見した為教職を追われたペッペは、この騒動の中でゲイに対する偏見をますます感じたのでした。そして最後にカミングアウト。ロッコの、相手を紹介しろという言葉にも、相手を傷つけたくないからと断ったのでした。

さて、パーティが終わって外に出た彼らは、すっかり月食が終わり、きれいな満月を見てそれぞれ仲直り。何事も無かったように、元の関係に戻ったのでした。

おとなの事情

予告編を見た時、面白そうだと思っていたのですが、現時点でとても見たいかというとそうでも無い、という感じで見始めました。というのも、この手の会話劇ってけっこうああ言えばこう言う的な会話のオーバーアクションが見えていて、ちょっと疲れ気味なのです。おとなの事情ね、おとなのけんかと言いうのもあったな…。と思いつつ、まぁとりあえず見始めました。いくつかのカップルが登場するので、群像劇風にもなることから、それぞれの登場人物の特徴をまずつかもうと、序盤注意してみるのですが、とりあえず混とんとしてつかみきれず…。でも、これはいずれ時が解決してくれるので、さほど気にしなくても良かったようです。

やはり、思った通り、会話のオーバーアクションに入っていきます。夫婦喧嘩は犬も食わないといいますが、こういったやり取りって見ていると疲れるんだよねと思いつつ、とりあえずオーバーに語らないホスト役のロッコに親しみを覚える前半。そして、成行からその場を見守るほかなくなってきたペペに親しみを覚えるという展開でした。予想通り途中から携帯電話を仲介とした暴露合戦が始まり、ディナーは修羅場へと化していきますが…。この辺りは次から次へと新手の情報が入って、攻めも守るも攻守交替を余儀なくされる姿が、大変面白かったです。

というわけで、ひどい話だよねと思いつつ、ラストのあまりにもあっけらかんとした結末に、おとなの事情というものを納得する次第。ええ?そうなるんですか?というある意味衝撃的な結末は、派手ではありませんが、考えさせるものでした。いや、これはイタリアの国民性なのでしょうか。日本ではこうはいきませんよね絶対。よくできたおとなの事情であり、ゲームという割り切りはこういうものかと思い、ちょっと恐れ入った次第。割り切りと簡単に言いますが、こういうのを本当の割り切りというのかな…。

2019.6.15 HCMC自宅にてAmazon Primeよりパソコン鑑賞

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「母よ、」 衰弱する母との対話の中で心の内を重層的に描く

公開時、気になっていたが見逃していた映画、Amazon Primeに出ていたので鑑賞してみました。ナンニ・モレッティは、息子の部屋をかつて見たことがあるはずですが、ほぼ記憶から抜けていました。2015年(第68回)カンヌ国際映画祭で、独立賞の一つである、エキュメニカル審査員賞受賞(キリスト教関連の団体から贈られる賞)を受賞しています。2015年のイタリア映画です。

あらすじ
映画監督のマルゲリータは、入院中の母の容態を気にしながら、新作映画の撮影に取り掛かっていた。アメリカから到着する主演俳優にイライラを募らせながら、撮影を続けていたが、医師からは母の病状の悪化を知らされストレスが頂点に達していく…。



映画監督のマルゲリータ(マルゲリータ・ブイ)は、労働争議を題材にした新作映画の撮影中で、役者やクルーに厳しい指示を出しています。自宅に戻ったマルゲリータは、恋人のヴィットリオにも別れを告げ、前夫との娘・リヴィア(ベアトリーチェ・マンチーニ)には電話でしっかり勉強をするよう諭していました。主演の俳優バリー(ジョン・タトゥーロ)がアメリカから到着。迎えに行った彼女は彼の軽口に辟易しながら宿泊場所に送り届け、一日を終えました。マルゲリータの母・アーダ(ジュリア・ラッツァリーニ)は入院中でした。医師との面会で、回復の見込みがないと告げられる一方、翌日の映画撮影ではバリーの出来が悪いにもかかわらず尊大な発言にストレスが募ります。

映画の記者会見で再びイライラが募ったマルゲリータは、母の病室を訪ねますが、母は集中治療室に移されていました。撮影の現場では、またバリーがセリフを忘れますが、彼は自ら切れて台本も映画もクソだと暴言を吐き、マルゲリータと大喧嘩になります。母は、益々体が弱っていきますが、母からリヴィアのことを聞かされ、自分で気づかなかったことを悟り、兄(ナンニ・モレッティ)に相談すると自分の欠点を指摘されます。翌日の映画撮影では、今度はバリーはきっちりとセリフを覚え、その夜、マルゲリータの家に、お酒を持って和解に行くのでした。しかし、アーダの病状は悪化し続け、回復の見込みも無い状況で、家に連れて帰るという決断をしました。

リヴィアは、家に戻った祖母からラテン語を習っています。母は、休み休みリヴィアに教えています。そして、撮影中のマルゲリータの元に連絡が入り、急遽家に戻りました。母を見とるマルゲリータと兄。その夜遅くリヴィアにも連絡が入り、リヴィアは布団の中で一人泣き続けます。アーダが亡くなり、葬儀の準備をしていると、母の教え子たちがやってきて、母との交流を話し、マルゲリータには悪いけれど、アーダは自分たちの母でもあるのだと話しました。マルゲリータは病室のベッドに母がいた頃のことを思い出します。前を見つめている母に何を考えているのか聞いたとき、アーダは明日の事を考えていると答えたのでした。

母よ、

細かいエピソードを幾重にも連ねて、情景を浮き出させていくようなストーリー展開。そのつながりの中で、母や兄や娘の状況や性格について語り、彼らの様子から、マルゲリータとの関係や性格を浮き彫りにしていく。そういったエピソードの蓄積が重く心に溜まっていきます。それによって、登場人物と同じような心情が、こちらにも生まれてきます。従って、マルゲリータが、仕事の状況、家族との関係、そしてバリーにストレスを感じているところなど、見ている方もかなり強いストレスを感じてしまいました。この辺りの表現の仕方は新鮮でインパクトがありました。

マルゲリータの仕事や状況が大変なことは容易に想像できますが、周囲の人々との関係は、そのマルゲリータの心の支えになっているはずだと思います。しかし、兄の指摘や恋人からの拒絶にあったように、周囲の人との関係を難しくしていくような性格であるマルゲリータは、本人の望むところではないところで、知らず知らず軋轢を生んでいたようです。最終的にそのマルゲリータを見守っていたのが、家族であり、マルゲリータ自身も心のよりどころにしていた母でした。一連の騒動の中で、母の偉大さや奥深さを知ったマルゲリータは、その母の根本的な生き方に思い当たり、新たに自分を見つめ直すという内容と理解しました。

その様なお話なので、マルゲリータこ感情移入して、この世界を見ていると、周りの人の批判に対し、えっ、そういう風に思われていたの?と感じてしまいました。なかなか面白い体験であり、面白い構造になっていると思います。物語は最後に母の言葉で締めくくられますが、これがこれからの彼女への大きな教訓となるということだと思います。今にとらわれ、振り回されて過剰反応しがちな状況であれば、ちょっと視点を変えて明日のことを考える。私としても、ちょっといい事を教えてもらったような気になりました。やはり、マルゲリータ・ブイがいいですね!

2019.5.1 HCMC自宅にて、Amazon Prime よりパソコン鑑賞

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「暁の用心棒」 外連味のないマカロニは素直に楽しもう

たまたま帰国した時にやっていたマカロニを、これは見逃すまいと録画視聴しました。見てみればやはりマカロニで、なかなか楽しめました。1967年の制作。勿論イタリア映画になります。

あらすじ
アメリカ・メキシコ国境の小さな村にやってきた男は、アメリカからメキシコへ貸与する金貨の引き渡し現場に遭遇、アギラ一味と協力しこれを奪いますが、アギラは分け前を男に渡さず村の若い女を連れて逃走した。これを追う男は金貨を奪い返したものの、村に戻った時、追いついたアギラ一味との銃撃戦となり…。



アメリカとメキシコの国境にある小さな村にやってきたちょっと胡散臭い男(トニー・アンソニー)はホテル兼酒場に入り、ほぼ勝手に酒を飲みつつ部屋に入ります。その頃、悪党の棟梁アギラ(フランク・ウォルフ)一味がこの町に到着。狙いは、アメリカ政府がメキシコ政府に貸与する金貨でした。そこに受け取りに到着した、メキシコの兵士を全員射殺。アギラたちはそのメキシコ兵に変装して待ち構えます。男は、これを見て、自分はアメリカの将校といつわり、分け前を出すなら金貨を穏便に奪取すると持ち掛けると、間もなく到着したアメリカ軍に芝居をうち、見事無傷で金貨の横取りに成功しました。

しかし、悪党集団が一人の行きずりの男に分け前を渡すはずがありません。アギラたちは男を葬り去ろうとしますが、男は金貨を奪って逃走。若い女(ヨランダ・モディオ)の家に逃げ込みます。しかし、アギラ一味はこれを包囲。男は屋根伝いに逃げましたが、女はアギラたちに金貨とともに連れ去られ、彼らは、アジトに戻って祝杯をあげました。後をつけて来た男はアジトに忍び込み、一瞬金貨を手中におさめましたが、アギラたちに発見されリンチにあいます。隙を見て逃げ出した男は金貨と女を伴って再び逃走、女と村に帰ったところで、追ってきたアギラに見つかり銃撃戦に。この決闘を勝ち抜いた男は、金貨を持って村を出ようとしたところで、アメリカ軍兵士たちに包囲されてしまいます。観念した男は、アギラたちにかかっていた懸賞金分だけの金貨をいただき、再び旅に出るのでした。

暁の用心棒

久しぶりのマカロニウエスタン。題名に用心棒が入るのもお約束です。原題は、「One Dollar in the Teeth」。これは途中の象徴的なカットを題名に持ってきたものですが、ストーリーを素直に表すものでもないので、「暁の用心棒」でもなんでもOKというところでしょう。ストーリーは極めて簡単なもので、風来坊の「よそ者」が国境の街で悪党たちとつるみ、金貨を奪取。当然のごとく仲間割れで、金貨を巡って争いになり、そこに町の一般人の女性が人質に取られて、女と金をいかに奪い返すかという物語でした。

きわめてシンプルな展開で、バッタバッタと人が斃れるところも定番であり、ある意味無駄のない話です。だいたいマカロニウエスタンでも、途中で町のお偉方が複雑に絡んだりするのですが、それも一切無し。ひたすらバトルの応酬です。そういう意味では息も抜けず、集中して見てしまいました。ある意味外連味のない作品と言えると思います。

主役のトニー・アンソニーはじめ、あまり知らない人ばかりですが、アギラ役のフランク・ウォルフが、この中では比較的有名作品に出ていますね。あまり彼に集中して見たことがないので、どんな役で出ていたのか覚えておりません。ただただ、久しぶりにマカロニを見ることが出来て楽しかったので、これからも機会を逃さずいろいろと見ていきたいと改めて思った次第です。やはりマカロニには、有無を言わせない魅力があります。

2019.2.6 自宅にてNHKBRプレミアムから録画視聴

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「肉体の悪魔」 1986年版。見どころは、マルーシュカ・デートメルス

久しぶりの映画鑑賞。なんとなく、まとまった時間が取れなくて、ご無沙汰していました。で、買い置きのDVDからです。今日は、「肉体の悪魔」。これは、ラディケの有名な小説ですが、1986年版は、マルコ・ベロッキオによる、大幅に翻案したものになります。といっても原作は読んだような、読んでいないような…。読んでいれば、映画を観ているうちに思い出すのでしょうけどね…。1986年イタリア・フランス制作。監督は、前述のとおり、マルコ・ベロッキオです。

あらすじ
高校での詩の授業中、向かいの屋根の上で女性が今にも飛び降りようとして叫んでいた。その騒ぎで目覚めた中庭に面した家に住むジュリア(マルーシュカ・デートメルス)に、学生のアンドレア(フェデリコ・ピッツァリス)は、一目惚れしてしまう。ジュリアには、テロリストとして裁判中の婚約者プルチーニ(リカルド・デ・トレブルーナ)がいたが、その裁判にアンドレアはジュリアを追って立ち会うようになり、二人は深い仲になっていく。そんな二人の様子に気づいた、プルチーニの母と、アンドレアの父が二人を引き離そうとする中で、やがて判決の日を迎えることになるが…。



中庭に面した高校での詩の授業の最中に、若い女の叫び声が響き渡り、クラス中が窓際に集まりました。中庭の上の屋根の上で、今にも飛び降りようとしている女性。彼女はやがて我に返り、助けられますが、その時起きだしてきたジュリアに、高校生のアンドレアは目を惹かれます。アンドレアは授業を抜け出してジュリアを追って、裁判所の審議中の法廷に入りましたが、そこではジュリアの婚約者の審議が行われていました。ジュリアは父をテロで亡くし、婚約者はテロリストとして審議中、そしてアンドレアの父は精神分析医で、ジュリアは父の患者でもあるようでした。

婚約者のプルチーニは改心したと扱われ、出獄できる可能性が高い中で、プルチーニの母と、ジュリアは結婚後に住むことになる家を準備しています。一方で、アンドレアは法廷に通いはじめ、何度かジュリアと会ううちに、二人は深い関係となり、プルチーニとの新居で夜を過ごすようになっていきます。面会の時に、微妙な心変わりを訝しむプルチーニ。二人の関係を知った父は、精神的に不安定なジュリアとの交際を反対。また、プルチーニの母(アニタ・ラウレンツィ)は、大変な時期を乗り越え折角つかみかけている息子の幸せへの妨害の出現に悲しみ、二人の間を発展させないようにアンドレアの父に抗議します。

奔放で、不思議な魅力を持つジュリアは、アンドレアを翻弄し、ますます深みにはまるアンドレア。父に咎められたアンドレアは、もう会わないというジュリアの伝言を無視し、夜中に彼女の家に潜入。出会った二人は、やはりお互いに求めあい、ますます深い関係に。そして、彼女はアンドレアの頭の中を占有したい、そしてひと時もアンドレアを離したくないという様子でした。やがてプルチーニが釈放され、彼女との結婚式を控えた日、ジュリアはプルチーニの元には現れず、アンドレアの卒業試験の会場に現れ、真摯な学生といった様子で口頭試験を受けているアンドレアを涙ながらに見守るのでした…。

肉体の悪魔

冒頭、屋根の上の女性の場面から、この映画を微かな狂気が支配します。それは、激しく現れるというよりは静かに支配する雰囲気でした。裁判所で、改心者とそうでない者を区分けした2つの檻。改心者でない方では、審理中にセックスを始めるものがいました。ジュリアは精神分析医であるアンドレアの父の患者。父の妄想に突然全裸のジュリアが現れます。そして、アンドレアとジュリアの間も、普通の純愛以上の狂気がそこはかとなくついて回っています。優しい顔のジュリアと、何かに取りつかれたようなジュリアの表情の違い。このあたりは見事だと思いました。

一方で、ラディケの小説は結局思い出さないのですが、この映画のテーマが、狂気の入ったラブストーリーだとしたら、この映画の中の行動は、狂気ゆえの必然となる訳で、不貞とかそういった情緒は無くなります。すべて、ちょっと奔放過ぎて行動が極端なジュリア、一方で愛してしまったら、とことん男を独占しようとするジュリアの様子など、物語の主題はそちらに移る訳で、微妙な心変わりとか、背徳とかそういったものは打ち消されていました。そして、最後の涙は狂気から醒め、普通に戻る瞬間を表しているのでしょうか。だとしたら、その後の2人の関係に不透明感を残しながらのハッピーエンドということになります。そういう話なので、女性の怖さが前面に立ち、全体的には情緒的なところが今一つなのと、途中の話の展開が緩いので、ストーリー的なインパクトがあまり残りませんでした。

映画としての雰囲気は、前半導入には良くできていたと思いました。ちょっとアバンギャルドな雰囲気がありました。映像など、時折ハッとするような美しいアングルもありました。そして、マルーシュカ・デートメルスはとても美人でした。彼女を見るだけでも価値があるというものです。1962年生まれなので同級生です(笑)。1986年といえば、日本だと社会人2年目といったお年ごろですね。すっかりファンになってしまいました。マルコ・ベロッキオ監督は、最近「甘き人生」が日本でも公開されましたが、この「肉体の悪魔」が作られた時代から現在までの30年を扱った作品。まだ、見る機会がありませんが、ぜひ見てみたいと思います。

2018.10.28 HCMC 自宅にてDVDのパソコン鑑賞

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「白夜」 ヴィスコンティ初体験は、全編ラブストーリーの核心部

GYAO!にあった無料動画で、今日はルキノ・ヴィスコンティの白夜です。イタリアの1957年の映画マルチェロ・マストロヤンニと、マリア・シェルの映画で、原作は勿論ドストエフスキー。きっと文芸の薫り高い作品かと思いますが、いかがでしょうか??

あらすじ
イタリアのある港町。ここへ転勤してきたばかりの青年マリオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は、運河の橋に立つ一人の少女ナタリア(マリア・シェル)を見つける。マリオは好奇心から声をかけ、断わる彼女を家まで送り、翌晩の再会を約して別れた。翌晩、ナタリアは彼から逃げようとしたが、彼女は自分の行為をわび、身の上を語り始めた。それは、一年後の再開を期して別れた恋人とこの橋の上で再開の約束をしているというものだった…



この町に転勤してきて初めて上司の家族と郊外で過ごし、街に戻ったマリオは、橋の上で泣いているナタリアを見つけました。一目で彼女が気になったマリオは、早速口説いて明日の夜の再開を約し、家まで送っていきます。しかし、ナタリアは彼が去ったとみるや再び橋のところに戻り、なにやら人待ち顔の様子でした。マリオは翌日約束の時間に行ってみると、彼女は彼を見るや逃げ出してしまいます。追いかけて訳を聞くと、彼女は、人を待つ理由を語り始めるのでした。

幼いころ父母と別れ、祖母と暮らしていましたが、家計の足しに2階を下宿人(ジャン・マレー)に貸していました。その新しい下宿人に、彼女は一目惚れしてしまいましたが、祖母の監視が厳しく、到底2人の時間を作るすべがありませんでした。ある日、下宿人は彼女の気持ちを知って、祖母も含めて皆をオペラに誘い、そこで二人は言葉亡くしてお互い深く愛していることを感じ取りました。ところがある日、彼は町を去ってしまうことを告げます。そして、一年後にお互いにまだ愛していたら、街の橋の上で会おうと約束します。

ナタリアは、彼がもう町に戻っていると噂に聞いていましたが、訪ねることができず、手紙をマリオに託します。ところが彼女を愛しているマリオは手紙を捨ててしまい、翌日手紙を渡したかと尋ねる彼女に嘘をつきつつ、良心の呵責を感じながら二人で約束の時間までを楽しく過ごしました。しかし、10時になったのに気づいたナタリアは慌てて橋に向かいますが、彼はいません。落胆した彼女はその場を去り、マリオも彼女のことを忘れようと町に出ますが、喧嘩に巻き込まれてしまいます。お互い失意の2人は再び出くわし、マリオはナタリアの気持ちから彼のことが消えるまで待つといい、新しい日を迎えますが…。

白夜

この映画は、マリオとナタリアの2人の会話という形が主体で、ゆったりと進みます。それでも、退屈しないのは、演出の素晴らしさと、二人の演技と絶妙な会話の素晴らしさと、そしてマリア・シェルの可憐さ故と言っていいのではないでしょうか。時折入るマリオの下宿の風景がアクセントとなって、出会いの夜、二日目の夜、一年前の回想、そして三日目の夜から朝と、ほぼこの二人、あるいはナタリアと下宿人の愛の駆け引きの会話で埋められています。最初から最後までがラブストーリーの核心部という、なかなか稀有な映画だと思いました。夢想の中に生きているとも思えてしまうナタリアの純真さは、ジェルソミーナまで思い出してしまうような、無垢で可憐さを感じました。イタリア映画のヒロインは情熱的なタイプが多いと思うのですが、こういった穢れ無き純真さを感じさせるタイプも好まれていたのですね。

ヴィスコンティ体験、実は初めてなのです。正直、ヴィスコンティと言えば、貴族趣味(本人が貴族でもある)、豪華絢爛、とにかく長い、というイメージから敬して遠ざけておりました。しかし、長いと言ってもこの映画を見ていれば、逆に長いだけいい場面を見せて惹きつけてくれる監督ではないかと思った次第。これであれば、きっと長くてもじっくりと見ることができます。ドストエフスキーの原作と言えば、唯一ハリウッド版の「カラマゾフの兄弟」を見たくらいです。あまりよく覚えていないのですが、これにもマリア・シェルがでているのですね。これも1957年なので同年制作です。

すっかり、ヴィスコンティの術中にはまってしまって、ラブストーリーに酔ってしまった感がありますが、やはりこの時期のイタリア映画はいいなぁと改めて感じた次第。そんなに沢山見たわけではありませんが、自分の中の好きなジャンルの一つとして確立しそうです。

2018.7.11 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
ジャンル : 映画

「パンと恋と夢」 戦後の明るいラブコメとイタリア情緒

久しぶりに、GYAO!のラインナップを見ていたら、見つけました。とりあえず、名前だけは知っていた映画でしたので、この機会に鑑賞です。この時期のイタリア映画を見るのも久しぶりですが、コメンチーニ監督の映画も相当昔に「ブーベの恋人」を見たくらいなので、ほぼ忘却の彼方です。さて、どのな映画なのでしょうか? 1953年の映画です。

あらすじ
山の上の平和な村に新しい警察署長アントニオ・カロテヌート(ヴィットリオ・デ・シーカ)が赴任して来た。まだ独身の彼は、お転婆ぶりから、バルサリエラ(狙撃兵)という仇名を持つ美しい娘マリア(ジーナ・ロロブリジーダ)の魅力にひかれたが、彼女は内気な巡査ステッルティ(ロベルト・リッソ)に恋心を抱いていた。いつしか署長は、向いの家に住む助産婦アナレナ(マリサ・メルリーニ)が気になり始める。村人のほとんどが巡礼に出かけた日、ステッルティが司祭の姪パオレッタ(マリア・ピア・カシリオ)と結婚すると吹込まれたバルサリエラは、露店で彼女と大喧嘩をはじめ、留置所に入れられてしまうが…。



タイトルバックでバスが山道を登っています。そして峠のバス停に着いた時、村の警察署員たちに迎えられて降り立ったカロテヌート新署長は、さらに山道を歩いて登っていく途中で、美人で野生児のようなバルサリエラに出会い、気を惹かれました。村人たちが興味津々で新署長を見守る中、司祭(ヴィルジリオ・リエント)に挨拶かたがた街の様子を聞き、新居に落ち着きました。翌朝、大声に目を覚ました署長は窓の外をみると、向かいの家の助産婦アナレナが呼ばれているところでした。アナレナの姿を見て、彼女にも惹かれたようでした。

村人たちが巡礼に出かけてしまうある日、アナレナがローマに数日行ってしまうことを知った署長は、家政婦のカラメッラ(ティナ・ピカ)から、アナレナがローマから帰った時はいつも顔が輝いていることを聞かされ、アナレナにはローマに男がいると思い込み、落胆してしまいます。一方、バルサリエラは、巡査のステッルティに恋していました。ステッルティもバルサリエラに恋していましたが、職務規律上公にすることはできず、二人はお互いに気があるとは感じていましたが、言葉を交わすこともできないでいました。

ある日カラメッラに、司祭の姪のパオレッタがステッルティと結婚するという話を聞かされたバルサリエラは、行商人の店でパオレッタと大喧嘩をし、留置場に入れられてしまいます。アナレナを諦めた署長はなんとかバルサリエラの気を惹こうとしていましたが、その夜、留置場のバルサリエラに声を掛けられ、嬉々として話をしに行きました。しかし、留守中のロバへの水と餌やりを命じられただけで、署長は、バルサリエラの家族が巡礼に出かけてしまった誰もいない家で、バルサリエラの服に5000リラの大金を忍ばせました。しかし、それを見つけたのは巡礼帰りの母親で、神の奇跡と信じ村中は大騒ぎに、駆け付けた司祭はそんなことがあるはずないと、ことの真相を探り始めます。

司祭からすべてを聞いた署長は、ステッルティとバルサリエラの逢瀬を実現。自らは、依頼に応じて多忙なアナレナの仕事を助けるうちに二人は打ち解けますが、最終的な交際を拒むアナレナ。あきらめきれない署長は彼女の家を訪れ、ローマに婚外子がいるのが理由であることを知ると一安心し、改めて交際を申し込むのでした。おしまい。

パンと恋と夢

この時代の映画を見るのも久しぶりのような気もしますが、雰囲気は同時代の日本のラブコメとも通じるものがあって、戦後から抜け出しつつある世界の明るさが感じられ、貧しい中に希望のある明るい話でした。真っ先に思い浮かべたのは、「お嬢さん乾杯」とかですが、楽しいラブコメです。それにしても、バルサリエラ役のロロブリジータは迫力満点でした。イタリアの男女関係の構図は、こうもあからさまで、人情が交錯している。久しぶりに味わいましたよ。この雰囲気。

コメンチーニ監督は、いわばイタリアのラブコメを作り続けた人という事だと思いますが、そういう意味では軽い映画という雰囲気なので、大きく話題に登場することはあまりないような気がします。しかし、しっかりとした展開や、イタリア的な情緒がムンムンと立ち込めるこの作品は、登場人物の描写もなかなか面白くて、今でも楽しめる作品でした。この年のベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作品でした。

この作品、人気を博したようで、翌年に、「パンと恋と嫉妬」そして、さらに「殿方ごろし(原題は、パンと恋と…)」と続いていきます。ソフィア・ローレンの殿方ごろしは見たことがありますが、嫉妬の方は未見。嫉妬の方は、この映画の翌日から始まる直の続編のようですので、ぜひ見てみたいと思いました。そして、殿方ごろしは登場人物は同じ人が出ていますが、舞台は変わっています。しかし、一気にシネスコのカラー作品となり、この時代の技術進歩の速さを感じます。

2018.7.1 HCMC自宅にて パソコン鑑賞

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「女囚監獄」 エロスも盛り込まれた、女囚人情ドラマ

外出をあきらめ、一日中の部屋の中での生活を決め込んだ日曜日の昼下がり、ネットの中で偶然見つけた映画の鑑賞です。どうやら、イタリアンエロスらしいと思えば、興味津々。ほかに何となく探していたのもあったのですが、興味津々で、こちらを見ることににしました。1974年制作のイタリア映画です。

あらすじ
イタリアを旅行中に麻薬所持の疑いで逮捕されてしまった、フランス人の女性マルティーヌ(マルティーヌ・ブロシャール)。そして、冤罪のため、女性刑務所に収監されることになったマルティーヌに、過酷な日々が始まる。無罪を願い希望を捨てず服役するマルティーヌだが、彼女の周囲では、刑務所からの虐待に耐え兼ねた女囚たちの抗議が、日に日に高まっていった…。



タイトルバックは、刑務所の中光景からスタート。そして、看守に連れられ身体検査をされるマルティーヌ。その後、彼女の回想から逮捕された瞬間へと時間が移動します。フランス人の彼女は友人とローマを旅行中に、城塞の公園の中で麻薬中毒の若者たちに声をかけたところを、手入れに来た警官に捉えられ、誤認逮捕されたのでした。彼女は、誰かにポケットに麻薬を押し込まれ、ていたため、おざなりな審問を経て刑務所に入れられてしまったのです。

さて、刑務所の生活が始まります。同室にはスーザン(マリル・トロ)という元売春婦のリーダーがいて、姉御的な性格で皆を仕切っていました。そして、刑務所の中のシーンの数々、庭でのダンス、修道院での祈り、隔離される政治犯の女性、集団でのシャワー入浴シーンなどなど…。 そして、両親が面会に来ますが、両親も彼女が麻薬をやっていたと思っているようで、彼女は失望してしまいます。

刑務所の生活習慣に慣れ、それなりの不文律で生活している囚人たちの中で、自由をあきらめないマルティーヌは、同室の囚人に自由をあきらめないことを宣言します。それの影響もあってか、いろいろなトラブルを経て、囚人たちも外へ出たいという欲求が高まっていきます。そして、流産の処置を看守が正しくしなかったことから体調を崩した囚人が死亡。これを期に集団暴動が発生。シスターや看守たちを追い出し、犯罪記録を燃やしてしまう囚人たち。そして一緒に狂喜するマルティーヌがいました。囚人たちは建物を占拠して鬨の声を上げましたが、やがて警官隊が突入、そしてその代償は…。

女囚監獄

前半は、全体的に緩い感じでした。最初は少々インパクトがありますが、いざ囚人になってみると、最近の映画のような、リアルで酷いまでの描写は無く、時間が関係ない、自由もない中で、日常が流れていく感じでした。同室の囚人たちは、かなりの美人ぞろい。みんな綺麗にお化粧しています。マルチーヌも目にクマができるという訳でもなく、ずっと美しいままです。唯一ひどい目にあっていたのは、政治犯のグラティア(カティア・クリスティーン)でした。政治犯は目を付けられるとか…。

そして、前半でお色気シーンのサービスは終わり、後半は急展開。一人の囚人の死をきっかけに起こった暴動と、鎮圧にあたって対峙する警官隊。そして、塔の上に追い詰められたグラティアの飛び降りを、特ダネとばかりにカメラに収めようとする報道陣。このあたりに、この映画の社会的側面も出てきます。冒頭からの囚人たちに語られている、貧困や社会の不条理に対する抗議がこのクライマックスで盛り込まれます。

そして、自由を夢見て釈放の日を待つ仲間たち、ラストにかけてはお互いを慰め合いながら、連帯感が生まれてる彼女たちでした。ということで、エロスのサービスを盛り込みつつドラマ仕立てにした女囚の物語でした。囚人物という尺度で見ると、かなり緩い部類に入ると思います。しかし、そこはイタリア映画で、明るく破天荒で、かつかなり人情派のドラマなのでした。きっとエロスが売りの一つだと思いますが、あまりそれを押し売りしていないセンスもなかなか良かったです。楽しかったという感想です。

【リスト】 ① 裸のエロスを見る作品

2018.6.24 HCMC 自宅にて

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プロフィール

torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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