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「スローなブギにしてくれ」 あの時代にタイムスリップ

片岡義男の小説も読みましたが、70年代後半の青春小説。そして、この映画は、その頃絶好調であった角川映画の一つで、ヒロインに浅野温子を迎え、盛んにテレビコマーシャルが流れていました。そして、南佳孝のあの曲が耳について離れず、深く記憶に残るのでした。1981年の映画で監督は、藤田敏八です。

あらすじ
第三京浜を走っていた白いムスタングから、仔猫と若い女の子が放り出されました。彼女さち乃(浅野温子)は、後ろから来たオートバイの少年ゴロー(古尾谷雅人)に救けられ、二人はゴローの部屋で一緒に暮しはじめます。ムスタングの男(山崎努)は、福生の旧米軍ハウスに住み、仕事仲間の輝男(原田芳雄)と敬子(浅野裕子)のカップルと同居していました。敬子には、どちらが父親かわからない子供がいましたが、妹の由紀江(竹田かほり)が面倒を見ていました。そんな中、輝男がジョギング中に心臓発作で死んでしまいます。一方さち乃は、行きつけのスナック、クイーンエリザベスでバイトをはじめ、バイトを辞めたゴローは、さち乃と客の仲を嫉妬して消えてしまいました。

さち乃はゴローのいない寂しさで、ムスタングの男に連絡を取り、旅行に出かけます。ムスタングの男の旅の目的は、別居中の妻との子供の、ピアノ発表会に行くためでした。さち乃は、男の様子や、子供の電話から事情を察し、男と別れます。そして、再びゴローとさち乃の生活が始まったある日、さち乃が作業服の男たちに強姦されてしまいます。ゴローは、傷ついたさち乃に心無い言葉を投げつつ、必死で男たちを見つけ、叩きのめします。ゴローにさち乃は「あたしよりも仇を討つことしか考えないの」とつぶやき、再びムスタングの男と会って、彼の家に身を寄せました。しかし、そこには敬子と由紀江と赤ん坊が同居しており、さち乃は馴染めず、ハウスから去って行きます。

一方、敬子も男と別れることを決意し、由紀江と赤ん坊を連れてハウスから出ていきます。消えたさち乃を求めて、ムスタングの男はゴローを訪ねますが、ゴローは、再び作業服の男たちに襲われ、男は巻き添えで腹を刺されてしまいました。病院に男を見舞ったさち乃は、男にキッパリと男に別れを告げ、スナックでしょげているゴローのところに戻ります。素直に喜べないゴローに、マスター(室田日出男)は「スローなブギにしてくれ」を流します。やがて再び夏が訪れ、さち乃はゴローの子供を身ごもっていました。その頃、海から引き揚げられた白いムスタングに、女の死体がありました。助かった男に、刑事が女との関係を聞くと、男は「拾った、今度は猫は連れてなかった」と答えるのでした。



スローなブギにしてくれ

この曲を聴くと学生時代を思い出します。この映画が公開された1981年3月と言うと、大学に合格して一人で上京し、下宿を探している頃になります。映画は見ませんでしたが、テレビでも盛んに宣伝されていたのではないかと思います。映画は見ずとも、浅野温子が出ていた映画の宣伝と、この曲が、ちょうど大学生として上京した時の、当時東京周辺の町やいろいろなスポットをうろうろしていた時期の思い出と一緒に蘇ってくるのです。インパクトの強い名曲だと思いますが、中間部はあまり思い出しません(笑)。

会社員になって、昔の雰囲気を思い出すためにも、片岡義男の小説は読みました。しかし、それからも相当な時間がたってしまいました。そして、やっと映画を見ています。きっかけは、Amazon Primeにあったことと、少しまえに「赤ちょうちん」を見たこと。なるほど、見てみると同じ藤田敏八監督の作品で、時代が変わっただけで、雰囲気は似ていました。秋吉久美子と浅野温子に、何か共通するものを感じてしまいました。男がまだ未熟でちょっと女性に対する思慮に足りないところなんかも似ています。そんな若いカップルに子供が生まれるのも同じです。

ストーリーはいろいろと、常識とはかけ離れた一筋縄ではいかない展開をしてしまいますが、それが青春時代の彷徨をよく表現していると思いました。もちろん当時の風景も懐かしいもので、完全にこの時代にトリップしてしまいます。俳優陣も豪華で若いですね。浅野温子古尾谷雅人山崎努が主役ですが、その周りに、室田日出男がいい役だったり、岸部一徳や鈴木ヒロミツが常連客だったり、石橋蓮司、原田芳雄、奥田瑛二とかが少しづつでてきます。ピアノを弾く少女は、おしんに出る前の小林綾子。結局、映画としてどうかという以前に、この曲を聴くとトリップしてしまうので、冷静に鑑賞するのは無理なのでした。

浅野温子が乗っていたキハ20は、八高線かな??

2020.8.30 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞
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「ビキニ・カー・ウォッシュ」 とても楽しいお色気コメディ

ずっと長らく名作映画を見続けた反動がこれです。いや、こういう映画は楽しいですね。気分よく見ていられるというか、至福の一時のようでもあります。2015年の映画で、監督はニムロッド・ザルマノウィッツという人。日本では、やはりDVDスルーでした。
All American Bikini Car Wash (2015)

あらすじ
大学4年のジャック(ジャック・カリソン)は、父から借りている家の家賃が払えず、同級生たちに余った部屋を貸してしのいでいました。男女学生が入り乱れる一軒家は、毎日がセックス三昧。ジャックに落第の危機が迫ってきます。そして、教授に呼ばれたジャックは、経営学の単位取得の条件として、洗車場を一週間任され、その業績で評価することになりました。そこで、友人ヴェックス(ジェイソン・ロックハート)の、ビキニ洗車場の提案にのり、美人学生のトリ(スカーレット・レッド)や、お色気学生のケリー(カイラ・コリンズ)たちの応援で、ビキニで老紳士の車を洗車すると、高額ながら喜んで帰っていきました。ジャックは、ヴェックスに面接を任せて女子学生を集め、経営はマーヴィン(J.R. Ritcherson)の知恵を借ります。ヴェックスはお色気基準で採用。そして同居住人の根暗なアマンダ(Dora Pereli)は事務に、そして、エイプリルの友人のミラ(Emma Lane)という美女も加わります。

メンバーが揃うと、ギャングのトニー(Heath Centazzo)と、ボビー(Brendan Nagle)がショバ代を請求しにきます。そして顔の広いミラは、高級車ディーラーの客を呼び寄せ、ビキニ・カーウォッシュは大盛況。これを見ていたジャックの幼馴染の、映画科のブリタニー(アシュレイ・パーク)は、この様子を映画にするため、撮影を始めました。ブリタニーは、ケリーがサービス過剰の乳首洗車をやっていると報告。ジャックは適正なサービスが必要だと説教します。マーヴィンは、スタイルのいいトリに恋していました。告白出来ずにミラに相談して、マーヴィンはトリをデートに誘いますが、そんなトリは、アマンダをレズに誘っています。マーヴィンとアマンダは元々根暗同士で仲が良く、マーヴィンはトリの事を相談しているうちに、アマンダが好きになり、二人はいつの間にか結ばれていました。そして、吹っ切れたアマンダもビキニになり、一緒に働き始めました。

売り上げを伸ばす洗車場に、再びボビーがやってきて暴れ出します。するとブリタニーは、ボビーを大人しくさせます。実はボビーは演劇科の学生で、課題の為にギャングに入っていたのでした。そして、ボビーとヴェックスは男版として水着で洗車に加わります。すると高級車に乗った中年女性が訪れ始めました。そこに、ジャックの父と教授が現れました。状況を見て驚いた教授が怒り出すと、回りの学生がジャックを褒め湛えました。それは売上実績だけでなく、労務管理なども上手くやっていたのです。父は、ジャックの能力を認め、教授は洗車場を立て直したことに喜び、ジャックに単位を与えることにします。そして、ジャックは、ブリタニーに告白し、二人も結ばれるのでした。



ビキニ・カー・ウォッシュ

深刻な映画を見るのが続いていたので、箸休めに見ました。こういった映画を見てリラックスするのも映画の効用です。ビキニだけかと思ったら、普通に露出度も高かったです。お色気女優さんたちもたくさん出ているようでした。ストーリーはいたって簡単で、ビキニ洗車場を思いついて、勘当と落第のピンチを乗り切る話。ストーリー展開はスムーズで、収まるところに収まる感じ。そういった展開の中に、ラブストーリーを中心にエピソードが挟まれる訳ですが、どれもスリルがあったり、破綻が起こるものではありませんので、大きな波乱なく、平穏に終わってくれました。

アメリカのこういった女優さんたちには疎いので、誰がどうということはできませんが、いろいろなタイプの女優さんが登場、プレイガール出身の女優さんもいたようです。主人公のジャックが意外にしっかりしていて、この取り組みを通じて経営を学んでいるところがポイントでしょうか。過激に走ることを抑え、従業員の生活を支え、信頼関係を築き、客を捕まえと、従業員と一体となって成功を導いていると言っても過言ではないと思います。実は、派手さに隠れてそういったボスの苦労と、真摯な経営が重要であるという事を語っている、良心的な映画でもあるのでした。

とはいっても、この映画を見る楽しみは、やはりビキニの女性たちにある訳で、正直裸でセックスにふける映像よりも、洗車しているビキニの美女の映像の方に、思わずいいなぁと思ってしまいます。ビデオの世界でいえば、着エロに近い世界です。やはり、時々こういった映画を見るのもいいもんだ、というのが正直な感想なのでした。

2020.9.7 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「ラブ・レクチャー セックスの指南書」 実話による愛憎事件

最近映画を見る意欲が減退しているのですが、それでも何か見ようと思ってこれです。短い、何かありそう…。という選択基準。それでも、ロサンゼルス国際アンダーグラウンド映画祭というところで、いろいろ受賞しているようです。監督はマイケル・マッテオ・ロッシ2013年の映画です。実際の題名は、ミソジニスト(女性嫌悪者)です。
Misogynist (2013)

あらすじ
女性からの別れの手紙を持って嘆いているハリソン(ジョナサン・ベネット)を、女性に関しては一家言あるという風情のトレバー(ジョン・ブリデル)が呼び止めます。そして3年後、ハリソンは、トレバーの怪しげな、女性をコントロールするためのアングラセミナーを手伝っていました。それは、暴力まがいのセミナーで、女性は支配され痛みを望んでいるという主題で、男に女性の扱い方を伝授するというものでした。

セミナーのあと、トレバーとハリソンはビルの屋上で3年間を回想し、トレバーが女性にナイフで襲われたことや、ハリソンが3年越しの恋人エイプリル(ダニエル・ロゾー)と結婚することを語ります。ハリソンは3年間の付き合いの中で、カトリックの彼女に一切体を求めず真摯に我慢してきたのです。当のエイプリルはハリソンを全面的に信用していました。しかし、彼女の母親は、定職を持たないハリソンを信用できない人間と語り、エイプリルと口論になります。一方、ハリソンはエイプリルと付き合ている間も、常に他の女性と夜を共にし、エイプリルとの結婚には良心の呵責を持っていたのでした。

トレバーは、ハリソンに結婚の日に、エイプリルを目茶苦茶に犯して服従させるように話し、ハリソンも当然そのつもりだと答えます。そして、結婚の初夜、痛がるエイプリルを押さえつけ乱暴に犯すハリソンに対し、エイプリルは怒りと疑問を爆発させ、ハリソンが自分の金目当ての結婚であったということを悟ります。これから上手くいくはずがないとハリソンを追い出すと、エイプリルは枕元のハリソンの拳銃を見つけました。ハリソンが部屋の外に出ると、トレバーが様子をみに訪ねて来ました。ハリソンは今回の結婚で、3年間の時間を無駄にしたうえ、相手をひどく傷つけたことを後悔し、トレバーに詰め寄ります。トレバーは自分が女にすべてを奪われてしまったことを語り、二人が乱闘になったところで、出てきたエイプリルが背後から拳銃を発射。ハリソンは絶命し、トレバーに拳銃をつきつけるエイプリルですが、その顔を見て、トレバーが自分の父であることを悟るのでした。



ラブ・レクチャー セックスの指南書

かなりの部分をセリフが占める映画で、会話劇を見ている雰囲気もあります。特に前半はトレバーの奇妙なセミナーで占められ、ある程度それがこの映画の主題を示唆するものではありますが、残念ながらストーリーに絡むものではありません。そして、過去の経緯とかはフラッシュバックや語りで表現され、実際にストーリーが展開するのは、ラストの数分なのでした。きわめて変なバランスの映画です。ただ、最後まで見て全体を振り返った時、そのストーリーが興味深くて、ラストがうまく決まっているので、前半がかなり残念な感じでした。

題名は、ミソジニストなので、女性嫌悪ということ。トレバーの女性嫌悪は妻にすべてを奪われて追い出されたことがかなり影響しているように思えます。その後、女を支配することに没頭し、アングラセミナーを開くようになったという事でしょう。トレバーがハリソンの交際相手の写真を見て、初めてハリソンの相手が自分の娘だと気が付いたのか、それともトレバーが仕向けたのか定かではありませんが、ハリソンはトレバーの教えに忠実に、女性を支配し財産を奪い取るという最終目的の為に、彼女との結婚を三年越しで作り上げたようでした。

結果としてストーリーは面白いのですが、前半のセミナーの部分は、これから起こることに期待しながら見るのですが、内容に頷けると言うものでもなく、途中でエイプリルとの実際の交際も一度も出てこないので、もっと動きのある映画にもできたような気がしました。周辺の情景描写に終始し、メインのストーリーはラストだけという感じで、それも会話での説明が多いので、ちょっと見ているのに疲れる映画でした。

2021.4.11 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「原爆下のアメリカ」 次なる戦争に備えるプロパガンダ映画

ちょっとB級っぽい題名の映画があったので、とりあえず見てみることにしました。1952年の映画で、監督はアルフレッド・E・グリーン。B級感のある俳優が出演しています。なんと当時、日本公開もされた映画でもあります。
原題:Invasion U.S.A. (1852)

あらすじ
冷戦の時代、ニューヨークのとあるバーに集まった人々。ニュースキャスターのヴィンス(ジェラルド・モア)は彼らに政府の戦争への施策についてインタビューします。従妹のカーラ(ペギー・キャッスル)に会いに来ていた、サンフランシスコのトラクター工場主のジョージ(ロバート・バイス)は、陸軍に戦車の製造を頼まれたことを批判。牧場主のエド(エリック・ブライス)は税制を批判、孤立主義の上院議員アーサー(ウェイド・クロスビー)も政策を批判しますが、オマーン(ダン・オハーリー)は、好き勝手な要求を並べる国民を批判し、人々の目を揺れるグラスの液体に引き付けました。

その時、アラスカ大陸に共産主義勢力が進行したニュースが飛び込んでくると、敵は原爆を使用し次々と西海岸の街を制圧。彼らは、慌て故郷の職場へ戻っていきます。しかし、ジョージは敵に制圧され戦車の製造を強制されると、これを拒否して死亡。エドも牧場に戻り家族を連れて逃げようとしますが、敵に破壊されたダムの濁流にのまれて死亡します。ニューヨークに残ったヴィンスとカーラは互いに恋に落ちますが、ニューヨークも原爆を投下され、ワシントンも制圧されると、生き残ったヴィンスは敵にプロパガンダ放送を頼まれます。そして、カーラの元に戻ると敵兵に狙撃され死んでしまいました。

そして、彼らはバーで目覚めます。そこには戦争は無く、すべてがオマーンの仕掛けた集団催眠でした。テレビでは冷戦の解説を続けていましたが、催眠体験で戦争の悲惨さを知った彼らは、それぞれ自らの使命を果たすために、バーを去っていくのでした。最後に、ワシントンの言葉「戦争に備えることは、最も効果的な平和を守る方法だ」を引用して終わります。



原爆下のアメリカ

B級映画というよりは、きっとプロパガンダ映画なんでしょうね。多分。戦争シーンは色々出てきますが、あまり真に迫っていなくて、何かのフィルムを繋いだ感じ。集団催眠だったというのも、言わば夢落ちで、肩透かしを食った感じです。その中でも、登場人物の演技がある部分は、一応映画らしくて、それなりにまとまっていましたので、まずまずでした。当時の冷戦や赤狩りの時代、その状況を考えると、こういった世相はなるほどという感じもします。雨あられと原爆を降らしたようですが、きのこ雲は映るものの、地上の悲惨さはなし。それは意図して描かれないのでしょう。

という訳で、それほど面白くもない感じではありますが、B級SF映画的な雰囲気は感じられて、一つの時代の流れを感じますし、当時の放射能に対する認識がこの程度で表現されるものかというのも、そうなんだろうな…。と何となく慮って見ていた次第。そのあたりに、ちょっと興味深いと思った点もありました。俳優陣は、B級映画や西部劇で見られる方々。ヒロインのペギー・キャッスルは、50年代から60年代にかけて、映画やテレビで活躍された方のようです。キャストを見ると、エドワード・G・ロビンソンなんかも出ていたのですね。

実際に日本に原爆が落ちてから7年後に作られた映画。この映画では、アメリカ全土に原爆が落ちるという催眠状態になっているようですが、そこには次々と、新たな戦争へと進んで行くアメリカがあります。そんな中で、こういった映画の表現が、矛先をいろいろな方向に向けながら、次の世代のB級映画やSF映画に発展していくのかなとも感じられて、ちょっと面白いなと思った次第でした。

2021.4.10 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「朝までの二夜 (別邦題:愛の部屋、裸の2日間)」 人生を見つめなおす繊細な大人のラブストーリー

Amazonで、面白そうな邦題に目が行きました。こういった思わせぶりの邦題のヨーロッパ映画は、男の目を引くためにつけられていて、実は面白いロマンスドラマや、ヨーロッパテイストのロマコメであることが結構多いので、逆にそれを楽しみに鑑賞です。2015年の映画で、監督はミッコ・クパリネン。フィンランド・リトアニア合作です。日本では「フィンランド映画祭2016」で上映されました。モントリオール世界映画祭にて、監督賞を受賞しています。
原題:2 yötä aamuun (2015)
英題:2 Nights till Morning


あらすじ
建築家のキャロリーヌ(マリ=ジョゼ・クローズ)は、顧客との打ち合わせを終え、仕事を終わらせて翌日パリに帰ることにしました。ホテルに戻り、ロビーで仕事を片付けていると、バンドツアーの一行が気になり、そのリーダーと目が合います。リーダーのヤーコ(ミッコ・ノウシアイネン)は、キャロリーヌに近づき意気投合。町のバーで楽しみ、そのまま二人でヤーコの部屋に入りました。翌朝別れを告げ、ホテルをチェックアウトしようとするキャロラインですが、火山灰のため欧州広域で飛行機が欠航し、帰ることができず、その日コンサートを控えたヤーコの部屋で過ごすことにします。そんなキャロラインに、仕事の電話に加え、パリで待つ彼女のセリーヌ(アルリ・ホベール)から、ひっきりなしに浮気を疑う電話が入ってきます。

ヤーコの部屋で一仕事を終えたキャロリーヌは、ヤーコのリハーサルに付き合うと、夜までの時間をヴィリニュスの街を散歩して過ごし、お互いの経歴や考え方について語り合い、あるいはお互いの考え方に辛辣な意見を述べたりします。そして、部屋に戻り食事に出ようとした時、ヤーコに娘から電話が入り、ヤーコは離婚して娘と暮らし、大切にしていることを話します。しかし、その後キャロリーヌの携帯に、彼女がベッドを共にした男女の写真がたくさん入っているのを見てしまい、二人は仲たがいして、キャロリーヌは自室に戻ると、セリーヌに明日には帰ると連絡。状況を勘づいていたセリーヌは、自分の意思で帰って来て欲しいと告げます。

ヤーコのことが気になるキャロラインは、ヤーコのコンサート会場に向かうと、会場に招き入れられ、楽屋で再会。キャロリーヌは、男女の写真について、朝になって裸で誰かの隣で起きると自分が嫌になり、戒めの為に撮っていると語り、ヤーコはホテルの概念はそこにいた人の痕跡を消してくれると語り、二人でヤーコの部屋で最後の夜を過ごしました。翌日、ヤーコは次のツアーが開催されるドバイに向かい、キャロリーヌはパリに戻るためにそれぞれ空港に向かいます。キャロリーヌの飛行機が遅れ、再びヤーコと出会い、お互いの心を求めて抱き合います。そして、パリ行きの飛行機への搭乗を逡巡するキャロリーヌは、セリーヌに電話で別れを告げると、再び空港を出ていくのでした。



朝までの二夜

仕事に打ち込む生活を送りながら、ある程度の年になってしまい、定まらない生活を続けている二人の男女のラブストーリーです。社会に対しても、男女関係に対しても、思う事がたくさんある年代です。それは、お互いに惹かれ合っていく中でも、今までの観念や行動が邪魔をして、対立してしまう事もしばしば。そして、自分を素直にさらけ出せない二人の事実は、少しづづヴェールがはがれるように露見していきます。そのあたりの、繊細な心の動きの展開がとても素晴らしい映画でした。最後に空港で見つめ合い抱き合う二人は、本当に自分をオープンに出来た瞬間のように思えて感動的です。

キャロリーヌは、セリーヌという彼女と過ごしながら、異なる男あるいは女とベッドを過ごすこともしばしばのようです。セリーヌはそれを知っていて、キャロリーヌが戻ってこないことにヤキモキします。ヤーコは、ホテルを転々とする日々。ホテルという概念を気に入っているようですが、それも娘の為に頑張りたいという気持ちがあっての事。ある程度の年になって、浮草のような生活を続けて、頑なになり、かつ不安を抱える二人です。小技もステキで、英語が判らないフリをして付き合い始める導入や、飛行機が遅れて、本来搭乗している時間にセリーヌに電話してしまい悟らせてしまうところなど、うまいと思います。

主演のマリ=ジョゼ・クローズは、カンヌ女優。貫禄の演技で、微妙な心理を表現しています。いろいろなヨーロッパ映画に出演していますが、実力派ですね。ミッコ・ノウシアイネンは初めて見ますが、なかなかイケメン。しかし、演技は素晴らしかったと思いました。こういう繊細な映画は、やはり演技が素晴らしいことが条件です。すっとあらすじを言葉で書いても、その機微は伝えられないと思いますが、静かでアンニュイな雰囲気を持つ、二人の異国の地で出会う恋の映画。設定もいいですし、いい雰囲気を味わえるのでお勧めです。

2021.1.24 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「緑色の髪の少年」 反戦ファンタジー映画からのメッセージ

Amazonにあった、アメリカの古い映画から、気軽に見られそうなので鑑賞してみました。戦争で犠牲になるのは、常に子供であるという主題の反戦映画です。ジョセフ・ロージー監督の、1948年の映画です。
The Boy with Green Hair (1948)

あらすじ
警察に、つるつるの坊主頭の少年(ディーン・ストックウェル)が保護されました。質問に一言も答えぬ少年に手を焼きますが、児童心理学の権威エヴァンス博士(ロバート・ライアン)が問いかけを始めると、少年は信じられない物語を語り始めます。

少年ピーターは、ロンドンの富裕な家庭で幸福な日々を送っていましたが、大戦の戦火で、両親と別れて疎開します。やがて、両親からの音信が絶え、ピーターはアメリカ人の芸人と渡米してきました。ピーターは彼をおじいさん(パット・オブライエン)と呼び、孫のように可愛いがられ、やがて学校に入ると、ブランド先生(バーバラ・ヘイル)や級友たちと仲良く遊ぶうちに、淋しさを忘れていきます。しかし、学校のイベントで、戦災孤児救援のための衣服供出が行なわれ、ふとしたことから両親が亡くなったことを知り、悲しさと戦争への恐怖に捉われ、朝になると頭髪が鮮やかな緑色に変わってしまいました。おじいさんは驚き、町の人々からは好奇の眼で見られ、医者は首をかしげるばかりでした。

やがてピーターは、町の人や友達から仲間外れにされていきます。孤独に堪えかねたピーターは、郊外の森に迷いこむと、そこには、学校のポスターで見た、悲惨な姿の戦災孤児たちの姿がありました。そして彼等から「緑の髪は戦災孤児の象徴で、子供たちにとって戦争がひどいものという事を世界に知らせるためだ」と教えられます。使命を教えられたピーターは町に帰り、道行く人に緑髪の由来を説き始めますが、誰も彼に耳を貸さず、それどころか噂が噂を呼び、ピーターの立場は厳しいものになっていきます。町の人々から緑髪を切るように要求されたピーターはやむなく同意し、皆にとり囲まれて坊主にされてしまい、屈辱に堪えかねて家出したのでした。

聞き終わった博士はピーターを励まし、おじいさんに引き渡します。そして、おじいさんは両親の遺書を読んで聞かせ、彼の自信を取り戻させると、ピーターは再び信念に燃えて家路についたのでした。



緑色の髪の少年

雰囲気から、若年層向けかなと思いました。シンプルなファンタジーで、主張もはっきりと織り込まれている映画だと思います。まずは、戦災孤児が主人公になることから、反戦映画なのですが、戦争のおかげで子供が不幸になると語られています。そして、森の廃墟で出会った子供たちは、戦争の犠牲者となった子供たちの様にも見ることができます。その他のポイントとしては、一人だけ変わっていると、集団から拒絶されるということや、その変わった者に対する不安が集団に伝染しデマを呼び、拡大していくことなどが描かれていました。印象的だったのは、剃髪を終えた後の、陪席者の何とも言えない気まずい雰囲気。ドラマ的な表現としては、この部分が最も印象に残りました。

ストーリーは劇的な展開がある訳でもなく、演技も平凡なものに思えたので、あまり映像に惹きつけられるという感じではありませんでした。この時代のテクニカラーを使った緑の髪はなかなか綺麗で、また、緑になってしまった時のピーターの反応は面白かったのですが、その後も全体的に平凡に感じ、映像を見つつ、思いは初音ミクは緑だよな…。ラムちゃんも緑だっけ…。みたいな妄想の方に行ってしまいました(笑)。森の中の少年たちは、雰囲気が出ていたと思います。特にやせた少女とかインパクトがありました。

時代は、第二次大戦が終わって、アメリカは朝鮮戦争へと向かっているところです。戦勝の雰囲気の中で、次なる敵に向かって準備している世相での、反戦映画という思い切った作品です。ジョゼフ・ロージー監督はこの映画が初監督作品でした。そして、赤狩りでアメリカを追われ、亡命という形で、ヨーロッパに渡り、ヨーロッパでは監督としての成功を収めました。ファンタジーに包まれた、ふんわりした感じの映画ですが、当時の製作者の想いが、いろいろ詰まっている作品という事だと思います。

2020.9.6 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「グレンとグレンダ」 最低の監督エド・ウッドのデビュー作

史上最悪の映画監督として名高いエド・ウッドですが、「プラン9…」を見たくらいで、あまりイメージがありませんでした。今回、長編デビュー作である、この映画がAmazonに出ていたので、見てみました。1953年の映画です。
原題:Glen or Glenda (1953)

あらすじ
不可解なコメントをする科学者(ベラ・ルゴシ)が話を進行していきます。生まれたばかりの赤ちゃんの泣き声の後、生きづらい為自殺した女装趣味者の場面となり、捜査にあたるウォーレン警部(ライル・タルボット)は、困惑してオルトン博士(ティム・ファレル)を訪ね、女装について話を聞きに行きました。オルトン博士は警部に、参考として、グレンとグレンダの話を始めます。

グレン(エド・ウッド)は、若い時から女装好きで、ハロウィンでは、妹にドレスを借りて仮装していました。しかし、その後も妹の服を着続けるため、敬遠されるようになります。グレンは同性愛者ではなく、バーバラ(ドロレス・フラー)という婚約者がいましたが、彼女には破綻を恐れ、女装趣味を隠していました。そして、結婚の前に話すべきか悩んでいました。バーバラも彼の女性的分身をしらず、他に彼女がいるのではと疑いを持ち始めます。そして、そのグレンの苦悩の中で、グレンや科学者の登場する、数々の夢や幻想的なシーンが展開されます。グレン/グレンダは夢から目を覚ますと、バーバラに真実を話すことを決意。バーバラは、最初は戸惑いますが、最終的には彼と共に努力することにし、グレンに自分のアンゴラのセーターを渡すのでした。

オルトン博士は、更に別の物語を始めます。アラン/アン(トミー・ヘインズ)と呼ばれる別の男の話。母親は女の子を欲しがり、女のように育てられました。子供の頃は友達から相手にされず、自分を女性として認識すると、第二次大戦に従軍中も女性の服を持ち歩いていました。そして、負傷して病院で治療中に、性転換手術について知りました。そして、帰国すると性転換手術を受け、第二次大戦の勇者は、若い女性になったのでした。



グレンとグレンダ

最低の監督とか、最悪の映画とか言われている、エド・ウッドのグレンとグレンダ。そこには一定の愛情を持って称されている部分もあると思います。見ての感想は、今一つな映画には間違いないが、最低かと言われるとそうでも無いという感じです。世の中に最低な映画はもっと沢山あると思いますので。映画の構成としては、基本はフェイクドキュメンタリーで、ベラ・ルゴシが進行します。彼の警句に満ちた語りに、物語との関連性を見いだせず、語られる二つの物語は、女装趣味と性転換の話。その間に、幻想的でシュールな場面が挟まれます。物語はインパクトのあるものではなく、流れも良くないので、最初は寝落ちしました。

そうは言っても、70分の枠で我慢して見られる範囲内でもあります。この映画は元々は性転換手術について描かれる予定で企画されましたが上手くいかず、エド・ウッド自身の趣味である、女装趣味に主題が移ってしまったもの。当時のガール・フレンドのドロレス・フラーが相手役を務めましたが、当時はエド・ウッド自身が女装趣味だとは知らなかったとの事。後に知ったドロレスは、エド・ウッドのプロポーズを断り、エド・ウッドは彼女の家の前で泣いていたとのことでした。映画エド・ウッドでは、彼女は、サラ・ジェシカ・パーカーによって演じられました。

この映画自体、いろいろと使いまわしもあり、主張もよく解らず、ただただ女装趣味について述べて、幻想的な場面と、落ち目のベラ・ルゴシを復活させたというだけの映画というものだと思いますが、幻想場面はシュールですし、それなりに見どころはあると思いました。流れが悪いのが一番の欠点で共感もできずという事で、なかなか難しいのですが、愛される要素も持っているとは思いました。エド・ウッドが思いのままに、自分の事を語りたかった映画という事かもしれません。まだよく解らないので、エド・ウッド作品も機会があればまたみて見たい…くらいかな。

2021.1.20 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「ユッカフラッツの野獣」 シュールな荒野のZ級追跡劇

昨年見たAmazonにいくつかある、古のZ級SF映画。見逃せない作品ばかりなのですが、今回はユッカフラッツの野獣を鑑賞です。内容は基本未知なので、どんな作品なのか、興味津々です。1961年の映画で、監督はコールマン・フランシスです。
The Beast of Yucca Flats (1961)

あらすじ
シャワーから出たトップレスの女性が、いきなり何者かに首を絞められる場面で始まります。

鉄のカーテンの向こうから、秘密を持って亡命してきたヤボルスキー(トー・ジョンソン)は、セスナでユッカフラッツの核実験場に到着すると、待ち構えていた東側のエージェントとの銃撃戦が発生。ヤボルスキーはその場を逃れ、核実験場に迷い込み、丁度実施された核実験の放射線を浴びてしまいました。その頃から現場では不思議な事件が起こり始めます。

砂漠地帯に通りかかった夫婦は、車が故障してしまい、夫は修理に降りますが、現れた野獣(トー・ジョンソン)に絞殺されてしまいます。その野獣こそ、核爆発の影響で人を殺すことだけを目的とする姿に変わったヤボルスキーでした。野獣は妻を気を失わせて引きずり下ろし、岩山を登って自分の住む洞窟に運び込みました。夫の死体を発見した男の通報で保安官のジムとジョーが出動。一帯を捜索し、洞窟の女性を救出。殺人鬼を求めて、あたりを捜索し続けます。そこに現れた二人の幼い子供を連れたラドクリフ一家。二人の男の子は付近で遊びまわっているうちに道に迷い、砂漠の中で迷子になってしまいました。

父親は、母親を車に残して子供たちを探しに砂漠に入っていきます。元空挺部隊の保安官は、セスナで上空から捜索を開始。「まず撃て、質問はそれからだ」という方針で、殺人鬼を捜索。しかし、目に入ったのは子供達を探す父親で、保安官は上空から銃を乱射。逃げまどう父親は、ついに撃たれてしまいますが、傷は浅く再びセスナから逃げ始めました。そして、あたりを徘徊する野獣も、二人の子供たちを見つけ、父親、保安官、野獣、子供たちを巡る砂漠地帯の追跡劇が続いていきます…。



ユッカフラッツの野獣

Amazonにあった、60年代のB級作品。B級という言葉の範囲に収まるかという所ですが、評点は軒並み低評価が並ぶ作品で、かつ、愛着も持たれている作品のようで、カルトという範囲には入っていると思います。ストーリーはそれほど目茶苦茶ではなく、むしろ超単純なストーリーで筋が通っています。鉄のカーテンの向こう側から情報を持ってやってきた男が、ソ連のスパイに追われ、入っていった核実験場で被爆し、獣になって人を襲うようになるというもの。そして、そこに紛れ込んでしまった、一般庶民が巻き込まれてしまうというお話でした。

数あるツッコミ所は枚挙に暇が無いのですが、それを差し置いても見せてしまう、シュールな映像感覚と、これも意味不明でシュールなナレーションが一風変わった雰囲気を掻き立てます。ところどころに現れる、人物の大写しが大変シュールな雰囲気をだしていきます。そして、ベタと言ってもいいくらいのサスペンス的な音楽が、雰囲気を書く立てています。ストーリーがあまりない分、描き方もじっくりと丁寧で、ある意味なかなか面白い映画になっていました。内容はというと身も蓋も無いのですが、人類の発展に貢献しようとする科学者が獣に豹変しているという、一応はアイロニーになっていました。

レストアされた映像なのか、はっきりした画像で見られたのも好印象でした。やはり、常に酷評され続けながらも、レストアされてDVDも出て、語り継がれているという作品なので、それなりに愛されている作品ということなのでしょう。愛されているという言葉は適当でないかもしれません。見てしまえば、妙に気になってしまう作品という事でしょうか。監督のコールマン・フランシスは、本業はB級映画の俳優なのかな?日本公開では、ラス・メイヤーの映画の出演者にクレジットがありました。冒頭のシーンは、本編とはさして関係ないのですが、つかみとしてのサービス映像ですか?見てしまったから、最後まで付き合いなさいという事でしょうか(笑)。

2020.9.13 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「X星から来た吸血獣」(宇宙怪獣) コーマン作品を楽しむ

昨年見た映画から…。ロジャー・コーマン製作総指揮のB級SF映画。むしろこのあたりになると、B級という表現が正しいのかもわかりませんが、ジャケットなども、いかにもと言う印象を醸し出しています。NETでの邦題は、「宇宙怪獣」となっていますが、やる気のない変な邦題です。原題はかっこいいですね。1958年の映画で、監督はバーナード・L・コワルスキー。やはり、コーマンの作品で見覚えがある監督です。
原題:Night of the Blood Beast (1958)

あらすじ
地球に帰還中のパイロット、ジョン・コーコラン(マイケル・エメット)は、トラブルに見舞われ、山中に墜落してしまいます。墜落地点に急行したスティーヴ(ジョン・ベアー)とドナ(ジョージアナ・カーター)は、ロケット内でジョンの死を確認しますが、その機体には奇妙な泥がついていました。捜索隊のリーダーのワイマン博士(タイラー・マクヴェィ)と、ジョンの婚約者のジュリー・ベンソン博士(アンジェラ・グリーン)、隊員のデイヴ(エド・ネルソン)も到着し、検証を始めると、ワイマン博士は死後硬直が無いことを不思議がります。研究所に戻ると、基地の電装品がすべて使えなくなり、孤立してしまいます。また、ジョンは死んでいるにもかかわらず血圧が正常に戻り、血液のサンプルには、血球以外に奇妙な細胞がいることが判りました。

真夜中の悲鳴に、デイヴとスティーヴが診察室へ駆け込むと、ワイマン博士が頭部をもぎ取られて死んでいました。そして、ジョンが蘇生してきます。ジョンは体のあちこちに奇妙な傷があり、全く記憶が無いと主張します。血液からは、異様な細胞は消えましたが、レントゲンを見ると、体内にタツノオトシゴ状の生物が何匹かいるのが解りました。そこに怪物が乱入。隊員は銃で応戦しますが効果が無く、ランプの火を投げつけると、退散していきました。ジョンは、これはファーストコンタクトなので、意図を理解するため会話すべきだと主張。ワイマン博士を殺した怪物は即刻始末すべきという隊員と対立した結果、明朝コミュニケーションを試行することにしますが、スティーヴとデイヴはジョンの態度を怪しみ、火炎瓶を大量に用意します。

翌朝になって怪物の捜索に向かい、怪物を庇うジョンは、自ら接触すると主張し、隊員を怪物の居場所に導きます。怪物のいる洞窟の前で対峙する隊員と怪物。怪物は、ワイマン博士の脳を食べたため、地球人の思考や言葉が判るようになったと切り出し、平和的な目的で来たと主張。母星が核戦争で滅び、地球に警告にやってきた。人類と一体化することで、地球を救い、新しい種族を繁栄させることができると力説します。ジョンは自分の体が彼らの侵略意図に使われたと気づき、隊員に自らを殺してくれと要求しますが、彼らが躊躇すると、ナイフで自殺。スティーヴとデイヴは、怪物への攻撃を開始し、怪物は炎に包まれ息絶えました。隊員たちは、この判断が正しかったのかは判らない、と呟いて立ち去るのでした。



X星から来た吸血獣

ツッコミさえ楽しみでもあるB級SF。いろいろとショボいところはあるのですが、意外とまともでした。まず、最初の宇宙船は低予算ですから仕方がないし。墜落しても大したダメージが無いのは、まぁいいでしょう。煙が上がっていたようにも見えましたが、焦げた跡も無く…。と言い出したらキリが無いのですが、俳優さんたちは、けっこう熱演です。まともに演じていて、頑張っていたと思います。クリーチャーは、まぁ着ぐるみです。ドナを捕まえようとして失敗し、藪の中に逃げる時、いかにもな着ぐるみ人形のジャンプを見ました。あと、レントゲンの映像は、笑ってしまいました。

そんなこんなで、ストーリーは基本骨格はまともです。但し、前触れもなく、思いついたという感じで、事態の解析にどんどん正解を出しているところは、どうして判ったの?と聞きたくなるところがいくつか。そうやって、どんどん物語を進めています。ラストは、一応SF的に、人類に警鐘を鳴らします。しかし、納得感を出そうと宇宙人が語りますが、信じてもらえずというか、魂胆を見破られた感じで、捲土重来を期していました。最後に、この判断が正しかったのか…というナレーションで、ちょっとだけまた警鐘を鳴らしていました。セットもセリフもショボいのですが、ストーリーは一応筋が通っているので、好印象でした。

エイリアンの元ネタという説もあるようですが、ちょっとネ…。人体に寄生するSFはいろいろありますからねぇ。さすがに、これが元祖ではないでしょう。と思います。脳を食べると、言葉や地球人の考え方が解り、話もできるようになるというのは、なんとも安易な理論ですね。そういう、小学生の書いたSFみたいなところが、やはりこの手のSFの何でもありなところ。もちろん、そこまで作りこもうとはしていないのでしょうが…。といろいろ言いつつ、ニヤニヤしながら、昔を懐かしみむ1時間10分を過ごせたことも事実。楽しませて貰ってありがたいと思っています。(笑)。

2020.8.31 HCMC自宅にてAmazonPrimeよりのパソコン鑑賞

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「一人息子」 東京物語の雰囲気もある母と子の物語

しばらく、成瀬巳喜男監督の作品を追っていたのですが、ちょっとお休みして、今日は同時代の小津安二郎の作品を見てみます。この映画は、小津安二郎監督の初の劇映画のトーキー作品で、クレジットは松竹大船ですが、実際は、松竹蒲田で撮影された最後の作品とのことです。1936年の映画で、いろいろと記念すべき作品ですね。キネ旬4位でした。

あらすじ
1923年信州。つね(飯田蝶子)は、製糸工場で働きながら、良介(葉山正雄)という一人息子を女手一つで育てていました。ある日、つねの家に、良介の先生の大久保(笠智衆)が、つねが良介の中学進学を許可してくれたことのお礼に現れます。つねはいつも中学に行かなくていいと言っていましたが、良介が勝手に大久保に伝えていたのでした。つねは大久保が帰った後、良介を叱りますが、翌日、良介にしっかり勉強して偉くなるように話します。

1935年、つねは良介を東京に送り出し、良介(日守新一)は大学を卒業して市役所で働き始めます。それを聞いたつねは、翌春良介に会うため上京しました。二人は再会を喜び合いますが、案内した家は一軒のボロ家でした。良介は、杉子(坪内美子)という妻をもらったと突然紹介し、子供まで生まれていました。そして、良介は市役所を辞め、夜学の教師をしていたのでした。一旗揚げようと上京した大久保先生も、妻(浪花友子)とともに、寂れたトンカツ屋の主人になっていました。それでも良介はなけなしの金を使って、つねを東京見物に案内します。

つねは、杉子を気に入り、良介は安心します。しかし、生活を嘆き上京を後悔する良介に、つねは怒りを顕わにします。翌日、杉子は自分の着物を売ってお金を作り、良介につねを東京を案内するように渡します。その日、良介の家の隣に住んでいるおたか(吉川満子)の息子の富坊(突貫小僧)が、馬に蹴られてしまい、良介は急いでその子を病院に送り届け、入院費を出せそうにないおたかにお金を渡し、つねはその姿を見て感動し、一番のお土産ができたと喜びました。つねは信州に帰ると、良介は再度奮起することを杉子に誓い、つねは同僚に、良介が成功して、いい嫁も貰って安心したと話すのでした。



一人息子

オールドブラックジョーの物悲しい音楽で始まるこの映画。女工で生計を立てる母と子の姿は、社会派映画の雰囲気さえありました。そして、年をとって女工として働くことができなくなると、雑用をしながら工場で働き続け、息子の学業を応援します。その息子が、都会で夢破れて人生を諦めることに怒り、また息子の善行と、貧しい中でも幸せそうな家庭を見て安心して田舎に帰り、静かに眠る母親をオールドブラックジョーの音楽が包みました。小さな幸福と無常観に溢れる人生ドラマで、素晴らしい作品と思いました。

飯田蝶子が最初から最後まで登場しますが、素晴らしい演技だったと思います。子供を育て上げる母親の苦労と幸福を一身に体現する姿を演じています。そして、映像がまたアートな雰囲気をあちこちで見せて目に残ります。大都会の東京の一角の寂れた原野のような場所で生活する人々。都心や映画館とのギャップがクローズアップされますが、その遮るもののない風景が、却って人間の素の姿を表現しているようでした。登場人物の、松竹の見慣れた俳優陣も、板についた演技だったと思いました。

小津安二郎監督の、上京してくる親の物語といえば、東京物語を思い出すのですが、あのような複雑な環境ではなく、至ってシンプル。しかし、この中にはあの映画の原点を感じます。人物の構図も、ちょっとうつむき加減で横を向いて振り返るような姿が良く見られて特徴的でした。この映画を見ていると、後年に至るまでの監督のスタイルがしっかり確立されているのだなと思いました。トーキーという意味では、音楽やセリフよりも効果音があちこちで非常にうまく使われていたと思います。一方、セリフの方はちょっと表情とアンバランスな感じもしました。いずれにしてもいい作品を見せてもらいました。

2021.4.2 HCMC自宅にてパソコン鑑賞

テーマ : 映画レビュー
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プロフィール

torrent13

Author:torrent13
映画は見たり見なかったりの時を過ごしてきましたが、現状ベトナム在住で、時間があるので、主にネットで見ています。昔はSF映画と、ミニシアターが好きでしたが、その後は西部劇、そして、最近では邦画や古いハリウッド映画などにも見る範囲を広げてきました。

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